夏が過ぎたら

都鳥

夏が過ぎたら

「今日みたいな暑い日には、やっぱりアイスだよね」

 そう言って笑う彼女が持つアイスは、もう溶けかかっていた。


 僕が選んだのはチョコミントのアイス。さっぱりする感じが好きなんだ。

 彼女はいつもバニラのアイスを選ぶ。

「まじりっけがなくて、他に邪魔されないのがいいの」

 彼女はまた同じ事を言った。


 今日も日差しは痛いくらいに僕らを照らしている。

 僕らが座っているベンチの傍らでは、蝉が木々を揺らすかと思うほどのけたたましい鳴き声を上げている。

 通り抜ける風が人肌よりも温まった空気を運んできた。


「……もうすぐ、会えなくなるね」

 彼女と離れたくない。でも仕方のない事なんだ。

 まだ若い僕らには、それを止める力はない。

 

「また会えるよ」

 そう言って彼女は微笑んだ。



 地球の気温がわずかずつ上昇していると、偉い学者たちが騒ぎだしたのは何百年前の事だろう。

 様々な手で対策が取られたが、人類には温暖化を止める事は出来なかった。


 とうとう夏の気温が殺人的な数値を叩き出すようになった頃、人類は思い切った選択をした。


 夏休眠。


 生産性の乏しい若い世代の者たちと働き盛りをうに過ぎた老人たちは、夏を冷凍睡眠で過ごす事となった。

 今の冷凍睡眠技術では99.99%は何事もなく無事に夏休眠から目が覚める。残りの0.01%の殆どが体力のない老人で、その数は熱中症で亡くなる人数よりはるかに少ない。

 夏休眠をしている間の食糧や生活にかかるエネルギーは不要となる。冷凍睡眠にかかるエネルギー消費量は、複数人を一カ所にまとめて休眠させる事で大幅に削減する事ができた。


 問題は一つだけ。

 低くはない確率で、何故か記憶の一部を失うのだ。

 原因は解明されていない。失う記憶は付き合いの浅い人間関係のものに限り、家族や親族など、深いつながりの記憶を失う事はなかった。


「他の問題に比べたら些細な事だ」

 大人たちはそうは言うけれど、僕たちにとっては事は重大だ。


 春に恋人同士になった僕らに残された時間は少ない。

 夏になる前に思い出をいっぱいいっぱいに積み上げて、どうか忘れませんようにと願いながら眠りにつく。

 互いを忘れない確率に根拠も保証もない。


 そうして次の秋も、君は僕を覚えていないのだろう。



 夏休眠から覚めて、いつもの公園へ行く。

 ここで会おうと約束をしたのに、また君は居ない。


 今年の君と出会わないと、好きだって伝える事すらできやしない。

 いつもの本屋にいるのか、いつものカフェか、それともいつもの……



 まず友達になる切っ掛けを探すのに1ヶ月。

 なんとか声を掛けて友達になるまでに2ヶ月。

 告白をして付き合うまでに3ヶ月。

 もう、それだけで半年が過ぎてしまう。


 慎重すぎじゃないかと笑われるかもしれないが、焦って嫌われたらそこでおしまいだ。

 嫌われた記憶や嫌った記憶は、残念な事に残りやすい。


 残りの3ヶ月で精一杯思い出を積み上げる。

 そして夏にはまた離ればなれになる。

 秋にはまた会おうと、あてのない約束をして。


 * * *


「また会えたね」


 いつものように声をかけたけれど、やっぱり君は応えない。

 そんな事を、いったい何度繰り返したのだろうか。



 夏というものが、人類にとって耐え難い季節になってから、どのくらいの年が過ぎたのだろう。


 研究中だった冷凍睡眠技術は進歩を遂げ、一週間ほどだった睡眠期間を3ヶ月まで伸ばすことに成功した。

 これにより、生産性の乏しい若い世代の者たちと働き盛りをうに過ぎた老人たちは、夏を冷凍睡眠で過ごす事となった。

 今の冷凍睡眠技術では99.99%は何事もなく無事に睡眠から目が覚める。残りの0.01%の殆どが体力のない老人だ。


 その老人たちに混ざって、本当にわずかな確率で、永遠に目が覚めない若者がいるのだ。



「またあの時の夢を見ているのね」


 目を開かないだけで、脳は活動しているらしい。そしてずっと夢の中で、あの1年を繰り返しているのだそうだ。


 秋に出会って、冬に友達になって、春に恋人同士になった。

 そして、互いを忘れずに居ようと約束をした。


 私は君の事を忘れなかったけれど、君は目を覚まさなかった。


 でもずっと私の事を覚えてくれている。

「約束、守ってくれているんだね」


 昏々と眠り続ける彼の手を、萎びた手でそっと握った。

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夏が過ぎたら 都鳥 @Miyakodori

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