第20話 小百合 おもてなしの心をを学ぶ2

【小百合 お持てなしの心を学ぶ】


-3-


 翌朝8時半、田中夫婦は1階に降りてきて朝食会場と書かれた方向に歩いてきた。


 その会場の前に小百合が立っていた。


 「お早うございます」


 小百合は夫婦に挨拶をして


 「どうぞ、こちらに」と和室に案内した。


 夫婦が入ると和室は12畳ほど広さであり中央に昨日の座卓より二回りくらい狭い座卓が一つだけ置かれていた。


 座卓は一つであったが夫婦は会場の様子を見てどこに座っていいのかがわからずに困ったように小百合方を見た。


 「どうぞ、中央の座卓にお座りください」と小百合は座卓を右手で示した。


 卓上を見て勝隆は怪訝な顔をした。


 卓上には箸置きに置かれた箸だけが置かれていた。


 旅館の朝食によくある、いくつも並んだおかずの小鉢等がないだけでなく飯椀も何もなかったのだった。


 夕べの食事は満足感が強かっただけに朝食のガッカリ感が夫婦の顔に浮かんでいた。


 そんな夫婦の表情を無視して小百合は


 「どうぞ、すぐに用意をいたしますので座っておまちください」と言った。


 『客が来てから準備をするのか』


と勝隆は段取りの悪さに朝から気分を害するような気持ちを覚えていた。


 夫婦が座ると、小百合は部屋の入り口に移動してお茶を立てはじめた。

 「えっ?」これまで経験したことがない趣向に夫婦は驚きながらも興味を引かれ始めた。


 手慣れた仕種でお茶を点てた小百合は、そのお茶を夫婦に運んで差し出した。


 夫婦は、それを手に取り口に運んだ。


 優しい甘みが喉を潤し、夫婦はお互いに顔を見合わせ微笑んだ。


 そこへ七輪を抱えて斗司登が入って来た。


 夫婦は、また「えっ?」と驚いた。


 後から千代がタッパを持って来て斗司登に手渡した。


 斗司登がタッパの覆いを取るとタッパには大きめな干物が入っていた。


 斗司登はその干物を七輪の網に載せて干物を焼きだした。


 部屋中に干物が焼ける香ばしい香りが充満していった。


 夫婦は、先ほどの手前と今、目の前で焼かれている干物の香りで胃袋が活発に動き出すのを感じていた。


 そこへ小百合がお盆に載せてご飯と味噌汁を運んできて勝隆の前に据え


 「千々石の棚田で採れて棚田米のご飯と地のものを使った御味御汁です」と説明した。


 小百合が立ち上げるのと前後して斗司登が焼き上がったばかりの干物を二人の前に置いた。


 「近海で採れた大ぶりの鰺を干物作りの名人と言われている地元のお婆ちゃん手作りの天日干し干物です。


 自然の光と風だけで作り上げて干物ですから大量生産の工業的な干物とは違う昔ながらの美味しい仕上がりになっています。


 それを炭火で焼き上げたばかりのものですから一口お召し上がりいただくとスーパーで買って食べる干物との違いがおわかりいただけると思います」


と干物についての説明をした。


 夫婦は、そんな斗司登の説明ももどかしいというような勢いで目の前に置かれた質素な朝食に箸をつけた。


 干物を口に運んだ聡美が「美味しい」と言って勝隆を見た。


 勝隆も「ホントだ。たまに食べる干物とはまったく違う。これは美味しい」


と言って干物をご飯に載せて口に運んだ。


 夫婦は会話も少なく、目の前の朝食を一気に平らげて行った。


 そして「あぁ、美味しかった」と言うと『満足、満足』といった感じで右手で自分の腹を2回叩いた。


 そこへ小百合が水が入ったコップを2個お盆に載せて運んできて二人の前に置いた。


 水はコップの3分の2より少し少なめで、コップにはよく冷えていることがわかるようにコップの表面が水滴で曇っていた。


 小百合はコップの水を手で示し


「雲仙の山々を何十年かけて通ってきた湧き水です。一口で飲めるような量になっています。悠久の時を感じてお飲みください」


と言った。


 夫婦は、コップを手に取り口に運んだ。


 小百合の言葉どおり一口で飲み干すことが出来た。


 水が喉を通り胃袋へ吸い込まれていくのがわかるような気がした。


 たかが、水であるがそれが雲仙の山々に降り注いだ雨が気が遠くなるほどの長い時をかけて少しずつ山の中をとおり地表に湧き出してきたことを想像すると得も言われぬ感慨を覚えるのだった。


 「あぁ、美味しかった。本当に素晴らしい朝食でした」


 勝隆は小百合にそう言いながら座布団を降り立ち上がった。


-4-


 午前10時、チェックアウトをすませた夫妻を小百合以下は整列してお見送りした。


 小百合の横には千代が立っている。


 二人の前に来た夫妻は


 「最高のお持て成しをありがとうございました。思いがけないほどの銀婚式の思い出になりました」と勝隆が言った。


 「いえ、いえとんでもございません。少しでも銀婚式の思い出になったとすれば幸いです」と小百合が言った。


 「実は、銀婚式の記念にどこか旅行に行きたいね、と勝隆と相談していた時に、そういえば昔、新婚旅行に行った小浜の温泉宿からずっと四季の挨拶状が来てたよね、という話になって、懐かしいねあの旅館今でもやっているんだろうか、という話になったんです」


と聡美が言った。


 「結婚式を控えて海外に新婚旅行に行こうと計画していたのが、急に大きなプロジェクトに組み入れられて長期の海外旅行をしている余裕はないと言われ、将来を左右するビッグチャンスだったので海外を諦めて短期間の国内旅行にしたんです。


 それでたまたま小浜のこの旅館に宿泊したんです。当時、私たちも、その時お世話してくれた千代さんも若くてねぇ。ぎこちないけど必死に私たちをもてなそうとしている千代さんは私たちに心地よい時間を与えてくれた。たまたまこの旅館を選んで良かったねと旅行のあともよく話していたんです」


 「そんな千代さんは、その後も折々に便りをくださるんで、その都度楽しかった新婚旅行を思い出すことが出来、行き違いが出来たときにたまたま千代さんからの葉書が届いてお互いに結婚当初の初心を取り戻すことができたこともありました」


 「そんな話をしていたら娘たちが「じゃあそこに銀婚旅行に行けばいいじゃん」と言ってくれたんです」


 「でも、ここに来るまでは不安もあったんです。娘たちが、この旅館の炎上騒ぎを見つけて「思いでの旅館、大変なことになっているわよ。思い出は思い出にしておいた方がいいんじゃない」てね」


 勝隆の言葉に小百合の表情が曇った。


 「でも、来て良かったです。新婚旅行の良い思い出に、新しく銀婚旅行のよい思い出が加えてもらったので」


 「今度は、娘たちを連れてまた来ます。新鮮な夕食の舟盛りはもちろん、朝食の本物の干物と雲仙の湧き水の話をしたら娘たちからずるい自分たちだけ、って非難されるのは間違いないですから」勝隆は笑顔で言った。


 「ぜひ娘さんたちとご一緒にお見えになるのをお待ちしています」


と言って小百合は深々と頭を下げた。


 その後、夫婦のレンタカーが出て行くのを小百合らはお辞儀をして見送ったが頭を上げた小百合の目からは涙が止めどなく流れていた。


 それを見て斗司登が「大丈夫か、女将」と気遣いの言葉をかけた。


 「大丈夫、感動しているだけ。今回はお持て成しが何なのかを学ばせてもらった気がするわ」


 そう言いながら車が走り去った方向をいつまでも見つめていた。


-5-


 翌日も予約は一組だけであった。


 ただ、その一組は4人連れであったので前日より売り上げは倍近くにはなる。


 苦しい経営状態には焼け石に水であるが、それでも、この旅館の最後のお客様という気持ちでお持て成しをしようと小百合は朝礼で従業員に話した。


 話をしていて小百合は前日とは違う従業員の熱のようなものを感じていた。


 昨日は、上の空のような感じであった従業員が小百合の話を真剣に聞いているように感じられたのだった。


 朝礼が終わって歩き出した小百合に斗司登が話しかけてきた。


 「どうしたんだい。何か不思議そうな表情をしていたけど」


 「何かさ、みんなの顔が昨日と違うような気がして……」


 「昨日の田中様効果さ」と斗司登が言った。


 「田中様効果?」


 「田中様を見送るときに田中様が言ってくれた千代さんとの昔話や、田中様が満足されたお顔を見て従業員のみんなも、この仕事のやりがいを感じたんだと思うよ」


 「そうか、それでか…………」


 小百合は嬉しそうに身体でリズムを取りながら歩き小さくガッツポーズをし


「これが逆転への道しるべになるといいね」と言った。


 「大丈夫、そうなると信じてやっていこうぜ」と斗司登は小百合の背中を叩いた。


 「痛いぃ‼️ やったなぁ」


と言いながら小百合は拳を作った右手を振り上げ斗司登を追いかけた。


 その様子を従業員たちは微笑ましげに見ていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地域振興物語 小浜旅情 団長と委員長の恋 御海拾偉 @siseijin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ