第弐拾壱話 カボチャ、哀悼

 カボチャは大きく三種類に分かれるらしい。

 西洋カボチャ、日本カボチャ、ペポカボチャ。最後のはいきなり感が否めないが、この三つ。


 ○西洋カボチャ……現在スーパーで流通しているポピュラーなもの。甘味が強く、ホクホクとしている。

 ○日本カボチャ……水分が多く、粘質。最近ではあまり流通していないらしい。

 ○ペポカボチャ……こちらは馴染みなく冗談のような名称であるが、近年わりと身近な食材となったズッキーニがこの種である。以前に見かけからキュウリっぽい味なのかと思ったら、想定外のもっさり食感にギブアップした。私は食材における不意打ち、イレギュラー感が非常に苦手で、この思いの丈を込めた小話『イレギュラー・レーズン・イン・ハート』がカクヨム掲載中なのでどうぞ読んでくれなされ。→https://kakuyomu.jp/works/1177354054883217524/episodes/1177354054883217531 あとハロウィンのジャック・オ・ランタンの大きな橙色のあれはペポカボチャだそうだ。

 「PEPOペポ」は学名「Cucurbita pepo」からきているようで、ラテン語「peponem(ベリー類以外の果実やウリ類)」の意と思われるが、私ごときの検索能力ではこれ以上はよくわからなかった。そも、植物の分類学を理解していないのでいけない。


 今回はカボチャ料理、つまりはその代表格「カボチャの煮付け」である。ホットクックは多彩な機能があるが、使いこなすには相応の根気と努力と忍耐が必要となる(個人の感想)。で、やっぱり〝煮る〟という調理法が適していて安定的に使える(個人の感想)。


 カボチャは苦手だった。が、最近はちょくちょく使用している。第四話のようにポタージュにしたり、きんぴらにしたり、焼き浸しにしたり。彩り良く、安価で(スーパーでは多少値が張るが、地元の野菜直売場だと100円以下)、ボリュームを増やせるので便利なのだ。

 

 しかし何故に以前はカボチャが苦手だったのか。

 思い返してみるに、亡母が食卓に並べていたのは日本カボチャの煮付けだった。皮が黒緑で、実は橙というより黄色、煮るとうっすら透明がかる。カボチャで思い浮かべるホクホク感はなく、水っぽく、ねっとり。私はこの食感が駄目だった。母はこの日本カボチャを〝水カボチャ〟と呼び、好んでいた。多分、映画『火垂るの墓』で清太が「羊羹のようだ」と評した煮付けも日本カボチャではないかと勝手に推察している。

 最近では日本カボチャはほとんど店頭で見掛けない。母は存命であれば残念がり、愚痴の一つでも言っていただろう。

 今回はもちろん西洋カボチャを使用。生きている人間の嗜好と財布事情が優先される。

 『くり姫』という種で、直売店にて小ぶりな二個で120円ほどだったか。お得である。カボチャは切るのに難儀する。レンジを使用する手もあったが、小さいのでそのまま包丁を突き立てる。半分にしてワタを取り、皮を多少こそぎ、面取りは面倒なのでしない。

 重ならないように皮を下にして内鍋に並べ、酒、みりん、砂糖、しょうゆ、と調味料を入れる。

 あとは自動メニューでほっとくクック~……とマニュアル通りならばなるわけだけれど。私とてもう初心者ではない。使い始めて一年半弱。ホットクックの癖、私の好み、数々の失敗を踏まえ、あえて定石を外れる。

 メニュー集には無水調理と書いてあるが、煮物はつゆだくのが美味しい(個人の感想)。カボチャの水分と調味料だけでは頼りない。ので、勝手にだし汁50㏄を足す。いや、100㏄だったかも。間をとって75㏄とする。そして蓋をして、手動設定、煮物、20分ピ。鮮やかな橙、黄金の群れとは、しばしの別れとなった。

 

 黄金色は老猫の色だ。

 第弐拾伍話『終わらない世界』にて書いた老猫だが、七月末日に亡くなった。Twitterでは呟いたのでご存じの方もいるだろう(お悔やみありがとうございます)。日曜の夜で、人間孝行と言うべきか、仕事で留守にしている日でなくて良かった。

 ただし、その瞬間、私は傍を離れていた。

 長らく悩まされている皮膚炎がひどく、体調を整えるために走り、帰って様子を確かめた後、シャワーを浴びている間のことだった。

 私は休みの日だったので兄と時間差で四六時中誰かが張り付いていられないこともなかったが、それは選択しなかった。ある時から看取りのフェーズに入ったなと感じており、でも並行して日常は続けなくてはならず、翌日も仕事で、あまり過敏になっては生活を維持できないと思ったから。これで良かったと思っている。

 ところで、今、写真フォルダを眺めていたら偶然その日の夕食もカボチャの煮付けを錬成していたので、少し笑ってしまった。

 翌日半有給を取って、亡母や歴代猫と同じく市営の葬儀場で火葬をお願いした。その帰路にお世話になった動物病院に挨拶に立ち寄った。

 寂しくはあるし、ああすれば良かった、こうすれば良かったとの思いは尽きない。だが長らく病院に通って、老猫も人も頑張ったので、ある種のやり切った感はある。

 ただ、残された若猫が寝てばかりになり、少々心配だった。老猫には鬱陶しがられていたが、若猫は老猫を好いていたのだ、若猫なりに。

 食欲はあるけど、運動量減ったし、大人しいし、近いうちに健康診断をお願いしようと決め、動物病院でも段取りを確認した。

 

 さて、カボチャである。

 老猫が亡くなった三週間後の令和4年8月21日。とびとびだった盆休みも終わる、アンニュイな日曜の夜。再びの錬成は黄金色にほくほく、煮汁しっとり、だしの香りふんわりで上出来だった。

 その日の夕食後、まだ皮膚炎治らずしょうがなしに軽く走りに出て、田んぼの横を通ったその時、みおみおとの啼き声を拾った。

 道路と田んぼの境、結構な段差をのぞき込み、手を伸ばす。なんかフワっとして、シャーっと言われて、うわ毛玉飛び出た!?!?!?!?

 そこから持久戦&大捕物が始まり、二時間後どろだらけの黒い仔猫が我が家の一員となった。翌日から仕事というのに疲れ切って、でも明日病院に連れていかなきゃだし、その時名無しなのもちょっと……と回転の鈍い頭で見たまんま『クロ』と命名する。

 それにしてもあまりにできすぎていた。いやだって、うん十年、散歩したり、ジョギングしたりしてたけど、仔猫との遭遇なぞ初めてで老猫を亡くした今このタイミングで????? ちょっと過ぎる設定で、家族や恋人・同居していた動物亡くした人が仔猫拾いましたって、このお題で一本書けと言われても愧死(恥ずかしさのあまり死ぬこと)、同じ題材の浅田次郎氏短編集『姫椿』収録『シェ』の偉大さがわかるというもの(盛り過ぎなのにきちんと泣かす)。

 というわけで、未だにこの雄の仔猫がスパイか未来猫ではないかと疑っているが、若猫と元気に取っ組み合いしており、大変良かった。


 さて、カボチャには続きがある。

 仔猫の回収騒ぎで、タッパーに移し替えて冷蔵庫に入れるつもりがすっかり忘れており、翌日の夕方仕事中に思い出した。

 帰宅して若猫と仔猫の一連のお世話をし申し上げた後、ホットクックの蓋を開けたら……


 内鍋は腐海と化していた。

 昨夜、しっとりマットな黄金色の輝きを放っていたカボチャは一面白い膜に覆われていた。ところどころ起毛してふわふわしており、触れたならきっと指痕がつく。カボチャが半身浸かっているつゆだく琥珀色の水面にも膜が張り、ヴェールじみて波打っていた。今この瞬間も目に見えぬ胞子が舞っているのだろう。

 たった一日で、この有様。

 晩夏の暑さと湿度の威力は凄まじかった。まさにナウシカ映画冒頭「また一つ村が呑まれた」(byユパ様)状態である。

 私は惨状を目の当たりにし、独特のかび臭さに当てられながらスマホにて撮影した。この悲劇を繰り返してはならないと決意する一方、こいつあセンシティブに過ぎてネットにはあげられねえな、と計算しながら。まあぜひ見たいという物好きな方はお知らせください。


 そんなこんなで次回弐拾六話は最終回(90年代アニメは基本2クール)、なるたけ早めに書くのでお付き合いくださいませ、ではサービス、サービス!

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