第弐拾六話 台所の片隅で本音を綴る作家志望者

 最終回である。なぜかと言えば、某アニメをパクっている各話タイトルが尽きるゆえ。

 有終の美を飾るにふさわしいメニューを考えた。

 煮る、蒸す、発酵・低温調理、炒める、麺調理、ケーキを焼くなど、多機能に渡るホットクック――ではあるのだけど、人の造りしもの。得手不得手はある。それをこの一年半で学んだ。

 最終回に失敗したくはない、でもチャレンジ精神大事、っていうかネタ的に失敗もとい事故もとい爆発はオイシイけど夕飯を粗末にしたくないっていうか作り直すのは勘弁……

 考えつつも、10月某日、スーパーへ出陣。

 その店は鮮魚コーナーが充実しており、安いわけではないが、いつもぴかぴかの魚が並んでいる。今日はブリ・ハマチの切り身やら刺身やらがずらり……ということは。いやいやさすがに面倒臭い、失敗したら目も当てられない、背伸びし過ぎじゃないの。

 でも、出会ってしまったなら。

 半ば諦めの心地でそれを手に取る。その時点で、メニューは決まった。というわけで久々にやる。


 ――アーレ・キュイジ~ヌ! ブリ大根・ブリのあら・・を使って


 個人的に、ホットクックは煮物が一番得意だと思われる。そこに私の不得手である青魚(第拾話参照)をぶちこむ。なおかつ上級者っぽい〝あら〟を使用。切り身よりもうんとこ安いのでお財布的には優しい。最終回にふさわしいお題だ。

 けれど私はまだ迷っていた。主菜の失敗は避けたい……

 と、すぐ後ろに陳列してあったモランボン『ぶり大根用つゆ』をカゴに放り込む。これがあれば少なくとも味付けで転びはしまい(安いあらで成した節約は相殺され、まんまとスーパーの戦略にはまっているが)。

 

 さて、帰宅して早速、レッツ、ホットくクッキング〜、〜、、、……とまあ、テンションはあまり高くなかった。正味のところ憂鬱ですらある。失敗するかもしれない料理を作ろうというのだから、むべなるかな。


 まずは下処理。

 この下処理が一番迷う。レシピによってやり方が違うし、そもそも省かれていることもある。するの、しないの、どうするの。あらの下処理は避けて通れないが、大根はどうだ。前回どうしたっけ、と『第拾九話おでんの膨らみ』を読み返してみた。

 米の研ぎ汁で下ゆでするか否か。ここでは初回は省いているが、翌日の追い大根では下処理をして〝透き通った味〟とやや過大に評している。静岡おでんを錬成する回だったが、真っ黒濃い目の味付けとはいえ、やはりおでんということか。

 ブリ大根はどうだろう。甘辛濃い目の味付けとなるが醤油ベース。そも、この下処理ではどんな化学変化が起きているのか。『第拾九話おでんの膨らみ』を一通り読み返すが、詳しく書かれていない。当時、調べた記憶はあるが、探しきれなかったか、ネットの情報で典拠不十分だったか。使えないぞ、自分。

 まあ、今回は諦めてブリも大根も下処理をする。大根は厚めに皮を剥き半月切りにして米の研ぎ汁で水から茹でる。

 ブリのあらは霜降りにする。塩を振りしばらく、熱湯に通し、表面が白っぽくなったら冷水に引き上げ、血やら鱗やらを流したりこそいだり。手順はなんとはなしに知っており、生臭さを消すためとはわかっているのだが、これも化学的に何がどうなっているのかはわからない。

 わからないながらも下処理を終え、あとはホットクックのお仕事である。

 大根、ブリ、生姜の薄切りとねぎを加え、モランボン『ぶり大根用つゆ』を加える。ホットクックには〈ぶり大根〉メニュー(40分)があったが、下処理がしてあるので、手動・煮物30分設定とした。


 30分後、さあ、鬼が出るか蛇が出るか……オープン・ザ・ホットクック~!

 ふわっと湯気を掻き分けると、茶色の湖面。つゆだくに仕上がっており、私好みの仕上がりだった。大根は少しくたっとしているけど、許容範囲。さて、お味は……

 大根は味が染みている、でも生臭さはない。ぶりはしっとりふっくら。生姜が程よいアクセントとなっている。

 あれ、成功……? おおむね、成功?

 だが私は己の腕と舌とホットクックを少々疑っている。

 その日はたまたま家族皆が食卓に揃い、感想を聞くと「普通に美味しいんじゃない」とのことだった。


 こうしてブリ大根は有終の美を飾ったわけだが、どうにも、もやる・・・

 もやもやして最終話を書きあぐねていたのだが、その理由に思い至った。

 今エッセイのキャッチコピーは〝ラクして元とれ〈電気自動調理鍋〉活用記〟──皮膚炎で書けなくなった作家希望者が代償行為とした料理で、生来のズボラから代償行為すら楽をしようとして購入した電気自動調理鍋ホットクックの活用記だ。

 だのに、今回はどうだ。下処理を二つもしている、全然ラクしていない、なんたるていたらく!

 私は本義を見失っていた。初心を忘れていた。失敗を恐れてラクを棄てるなんて愚か者めが!

 だが、ラクを選んで、夕飯がおじゃんになったら元の木阿弥である。適切に手を抜いて、ほどほどに美味しいごはんを錬成するには──つまりは応用を効かせるには〝理〟を知る必要があるのではないか……


〝大根は昔から、米のとぎ汁でゆでるのがいいとされている。これは一種のコロイド溶液で、水に分散して漂うでんぷんやぬか成分(コロイド粒子)が、大根のアク=えぐみ、苦み、渋み成分を吸着するから。いっしょにゆでることで、大根の苦みが抜け、甘みが増す。米で洗った汁がなければ、水に米大さじ1を入れてもよい。〟


 ほうぼう検索して、大根の下処理についての〝理〟にようよう辿り着いた。

 上記は『ロジカル和食― 苦手な揚げ物も煮物も魚料理も得意料理に変わる/前田量子(著)』からの引用である。

 令和4年11月現在kindleunlimitedに入っており、すぐさま電子書籍で読むことができた。料理の手順と一緒にその工程が何のためなのか書いてあり、非常にわかりやすい。そうそうこういうのが知りたかったの!とぶんぶか握手を求めたい心地になった。

 同シリーズ本で私は浅学ながら初めて〝調理学〟(または〝調理科学〟)なる学問を知った。料理にまつわる科学的な裏づけや理由を系統的にまとめたものだそうで、管理栄養士さんの必修科目だそうだ。

 一冊の本と出会ったなら、Amazonさんの親切あるいはお節介機能で芋づる式に見つけられる。取り急ぎ、関連書として挙げられた下記の2冊をチョイス、発注した。


 〇新装版「こつ」の科学―調理の疑問に答える/杉田 浩一 (著)

 〇料理、なぜそうすると美味しくなるの? /服部 幸應(監修)


 今、『ロジカル和食』含めたこれら三冊をつまみ読みしているが、卵を洗わない理由、ゼラチンを水でもどすのはなぜ、ハンバーグにパン粉(しかも牛乳に浸した)を入れるのはどうして……などなど通常のレシピではさらっと書いてあることが説明されており面白い。

 ブリ大根の霜降りについても記述があった。魚のくさみの主成分であるトリメチルアミン(水溶性)や、表面の細菌・血合いを殺菌、洗い流す。最初の塩振りは浸透圧でトリメチルアミンを出す作用があるわけだ(だから焼き魚を錬成する場合は、塩を振り、出てきた水分をキッチンペーパーでふき取る必要があると推察できる)。

 『「こつ」の科学』によると、輸送に時間がかかる遠洋魚が霜降りにされることが多く、魚を生で安全に食べるための生活の知恵ともあった。


 結論として、ブリ大根において、大根の下茹で、ブリの霜降り、これらは外せない工程と思われる。つまり、元々面倒くさい献立なのだ。じゃあ、まあ、うん、しょうがない。


 とにもかくにも、〝なぜ〟を知れるのは面白い。と、ぱらぱら読み進めていて、奇妙な一文に出会った。


〝魚を煮るとき、必ず汁を煮立ててから入れますが、どうしてでしょう(新装版「こつ」の科学)〟

 

 ? 私は首を傾げた。


〝「煮魚は、煮汁を煮立ててから魚を入れる」のは何故(料理、なぜそうすると美味しくなるの?)〟


 ?? 私は首を捻った。


〝煮立ったらぶりを加え、落としぶたをして15分煮る(ロジカル和食)〟


 ??? ……あれ、煮立った汁に入れることが前提?

 もしやと思いモランボン『ぶり大根用つゆ』の裏書を確認すれば、やはり煮立ててからブリを入れるとある。

 だが、ホットクックはホットくクック。冷たいまま全部の材料を一斉にぶち込み、あとはほっとく。第拾話で鰯の梅煮を錬成した時も同様。付属のメニュー集にもそう書いてあるし。


〝冷たい状態のままで入れると、そのぶん、魚が長く煮汁につかることになる。すると、魚の生臭みが煮汁に残るうえ、うま味が煮汁に逃げてしまうのだ。

 いっぽう、煮立てた煮汁に入れれば、魚の表面のタンパク質がすばやく固まる。これで、うま味を一気に封じこめ、生臭みをとばすことができる(料理、なぜそうすると美味しくなるの?)〟


 え、ええ。そんなの、いまさら、ゆわれても……

 私はうろたえた。さらにこちらを突き落とすテキストに出くわす。


〝魚を煮るときは、落としぶたはするがふたはしない、が鉄則。落としぶたには、鍋内の煮汁の対流がよくなり、材料の上下の味むらが少なくなる、味が染み込みやすくなるというメリットがある。ふたをしない理由は、魚のくさみは香り成分と同じで気体になりやすい性質のため、加熱で揮発させるため。(ロジカル和食)〟


 ホットクックは蓋を開けて加熱をする【煮詰める】機能はあれど、蓋を閉めるのがスタンダード。魚を煮る時はもちろん閉める。

 蒸気口があるからいいのかしら、よりハイテクな機能が搭載されてるのかしら、まさかまさか細けえことは気にするな黙って俺についてこいタイプなの、答えてシャープさん!?


 赤い筐体は黙したまま。いや、たまにCOCORO VOICEとゆーサービスなんだか宣伝なんだかわよくわからない機能がおしゃべりしてるけど。

 知れば知るほど、理解しようと思うほど、ホットクックがわからなくなる。この一年半、共に暮らして多少は知ったつもりだった、でも。脳裏にサウダージ(byポルノグラフィティ)が流れ、今まで錬成してきたメニューの数々が過る。

 シフォンケーキ、温泉卵、五目豆、カボチャのポタージュスープ、スペアリブの煮込み、キーマカレー、リゾット、マーマレード、ツナジャガからのコロッケもどき、鰯の梅煮、パスタ、きんぴら、クラムチャウダー、炒飯、手羽先と大根の煮物、スコーン、鶏胸肉ハム、豚の角煮、ホイル蒸し、粥、茶碗蒸し、バターチキンカレー、巨大茶碗蒸し、筑前煮、静岡おでん、ビーフシチュー、アップサイドダウンケーキ、すももジャム、カボチャの煮付け──


 果たして、これらは本当に正しい調理クックだったのか。


 その二週間後、ホットクックを信じきれないまま、牛の切り落としと大根の味噌煮を錬成した。とろり濃い目の味付けで、大根は下処理しないままホットくクック。多少、大根の苦味はあったが、白米に合う、ちょうど良い塩梅に仕上がった。一工程省いたが、まあまあ美味しくできた。うん、まあまあ。

 

 ホットクックは万能ではない。一年半の付き合いから重々承知している。付属のメニュー集もたまに外れがある。それでもガスを使わない調理は助かるし、今まで錬成してきた数々の料理は(そこそこ)美味しく、錬成過程も面白かった。


 時々わからなくなるけれど、ならばこそ歩み寄れる余地はある。今後は調理学の面からもアプローチできるし※、それで袂を別つことがあれば、それはそれでより深い理解である。

 エッセイはこれにて一段落。けれど私にとってホットクックはまだまだほっとけない存在だ、と幕を引く。

 あ、公式連載依頼とか謝礼とかならいつでも受け付けていますよ、シャープさん!


 さて、そもそもこのエッセイを始めた理由の一つである皮膚炎だが、だいぶ良くなったものの、未だ不安定な状態である。痒みは他の病気や怪我とくらべて、本人の我慢不足とされる気がしなくもない。先日主治医の言葉の端々から感じられた責めるニュアンスに噛み付いた。結果、薬をチェンジ、ちょっと溜飲を下げた。


 猫について。

 実は今回のエッセイの冒頭、タイトルに絡めて『田んぼの端っこでみおみお啼く仔猫』の回収作戦を書いたのだけれどバランスが悪くなったので大幅カットした。

 はしょって書けば、思い出すだに神経が焼き切れそうな、かつ夢のような一夜だった。

 回収の成否で未来が変わる、己の立ち回りで大きく振れるという経験はかなりのプレッシャーだった。回収できたとしても、仔猫は小さく、病気の有無もわからず、今日とも知らず、明日とも知らず。

 そして二か月半。

 若猫と仔猫(もう仔猫の大きさではない)はプロレスごっこからの窓辺のお昼寝をルーチンとしている。

 もちろん、今日とも知らず、明日とも知らずというのは、二か月半前も今も変わらず、猫も人も同様なのだけれど。


 振り返れば、連載開始から猫も人も世も色々変わった。

 仔猫を回収してから、時々あの事件のことを思う。

 銃弾が当たったか当たらなかったか、あるいは当たったとしても死にいたらなかったら、世はだいぶん違ったのだろう。

 まあ、コンテストには依然として落ち続けていてそれだけは変わらないのだけど。ちぇ。〈了〉


 ※後日、職場にいる管理栄養士さんに「〝調理学〟ってこの手順にはこれこれこういう意味があると裏付けを学べるんですよね!?』と話しかけたら、「私もそう思っていた頃がありました」と意味深な苦笑を返された。あれ〜?

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