互いに自分は色仕掛けをしていると信じているが、実は普通にデレ合っているだけの二人~氷の貴公子と人形姫の策謀~

猫子

氷の貴公子と人形姫の策謀

「我が息子、カロスよ。お前は桃花の季より、王都のルビスリア学院に入ることになるわけだが……お前の世代には、我らノースゴルド侯爵家の仇敵がおる。わかっておるな」


「心配は無用です、父上」


 ノースゴルド侯爵家の子息であるカロスは、現当主である父と執務室にて顔を合わせていた。

 これから三年間、カロスが入ることになる学院の話をしているのだ。


 いや、正確には学院の話ではない。

 彼らノースゴルド侯爵家の仇敵である、イストシルバ侯爵家の話である。


 レイアン王国が今の形になったのは三百年前である。

 それ以前は複数の小さな国が点在しており、戦争や同盟による併合を繰り返して国が統一されていってレイアン王国が生まれたのだ。


 レイアン王国の誕生前、彼らのノースゴルド侯爵家は大陸北部の連盟の代表国であり、イストシルバ侯爵家は大陸東部の代表国であった。

 その際の対立が代々尾を引いており、三百年経った今でもなお二家の対立は深い。

 十年に一度は領地や交易、利権を巡った大きな衝突が起きるとされている。


 そして彼らの仇敵であるイストシルバ侯爵家の令嬢、シャルロッテはカロスと同じ歳である。

 つまり、彼女も王立ルビスリア学院に通うことになる。


 王立ルビスリア学院は十五歳から十七歳の上級貴族の子息子女を集める。

 教養を身に着けるための機関というよりは、各貴族家が役割を十全に果たすことができる能力があると王国や他貴族に示すため、そして今なお残る貴族間の溝を埋めるため、という目的が大きい。


 貴族間の繋がりを強めることが目的にある以上、対立はご法度である。

 憎きイストシルバ侯爵家相手とは言え、喧嘩腰で接するわけには決していかない。

 事件を起こすなど以ての外である。

 そのような真似をすれば、王族軽視も甚だしい。

 ノースゴルド侯爵家の名に泥を塗ることになるだろう。


 つまり、表立って事を起こしてはならない、というわけである。

 決して問題化しない方法でやればいい。


「シャルロッテに色仕掛けを行い、彼女を腑抜けにしてイストシルバ侯爵家の機密を引き出せばよろしいのでしょう? 容易いことです」


 カロスは自信満々に父へとそう答えた。


 社交界においても一切隙を見せず、目的のためであれば冷酷な真似も熟すカロスは、《氷の貴公子》と揶揄されることもあった。 

 ただ、そんなカロスにとっても他人を弄ぶというのは気持ちのいいものではないが、目的と感情は区別して考える。

 貴族の次期当主であれば当然のことである。


 カロスは昔からできないことなど何一つなかった。

 幼少の頃より座学、剣術、魔術、社交術を徹底的に叩き込まれてきた。

 父親似の金髪碧眼で目鼻立ちもくっきりしており、女受けする面であることも、自惚れではなく武器として自覚している。


 恋文や縁談も数えきれないほど持ち掛けられてきたものだった。

 社交界の空気にも充分慣れている。


 学院の三年間は、当然戯れの時間などではない。

 自家の威光を示し、貴族間の繋がりを強め、そして謀略に勤しむ。

 いわば貴族界の縮図のような場である。


(まあ、唯一懸念点があるといえば、ノースゴルドの帝王学を学ぶのに忙しく、実際に色恋事にかまける時間などこれまでなかったことくらいか)


 もっとも、自家のために私情を捨てる覚悟など、カロスには十になる前にはできていた。

 恋愛など、所詮は社交術の延長……いや、それにも満たぬ、腑抜け共のままごと遊び。

 容易く熟してみせるという自信があった。


「ただ、カロスよ、シャルロッテといえば、お前が幼少の頃に社交界で顔を合わせ、婚約すると言い出して聞かんかった相手。お前に限ってとは思うが、情に絆されるようなことは……」


「フフ、よく覚えておいでですね、父上。分別ない幼子の戯言など。俺はもう、彼女の顔も覚えていませんよ。父上は、この俺を感情に踊らされて政務を蔑ろにするような腑抜け者に育てたのですか?」


「いらぬ心配だったか。期待しておるぞ、カロス。とはいえ、イストシルバの奴らもちと悪知恵が利く。お前が連中に後れを取るとは思っておらぬが、油断はするなよ。向こうもこちらへ思惑があってもおかしくはない」



 ――奇しくも同時刻、イストシルバ侯爵家の館にて。

 子女シャルロッテは、母である現当主の執務室へと訪れていた。


「次期当主カロスに色仕掛けを行って惚れ込ませ、政争での彼らに対する札とすればよろしいのですね、母様」


「ええ、そうよ、シャルロッテ。カロスは勉学ばかりの頭でっかちで、遊び慣れていない堅物だというわ。適当に篭絡してあげなさい」


 母の言葉に、シャルロッテは少々懸念げな顔を浮かべる。


「しかし、色仕掛けとは、私にはあまり適した役目ではないかもしれませんね」


 カロスに対し、シャルロッテもまた傑物。

 才色兼備を体現したかのような少女であった。


 特に容姿に関しては、絵画の天使さえ霞む程である。

 腰まで届く美しい銀髪、大きな瞳を強調するかのような長い睫毛。

 筋の通った小ぶりの鼻筋に、淡い桜色の小さな唇。

 つるりとした色白の肌はまるで陶器のようであった。

 

 ただ、彼女の顔には、感情の色が欠けていた。


 イストシルバ侯爵家は謀略に長けた一族であった。

 情だのなんだのと口にするようであれば、次期当主としては相応しくない。

 感情を殺し、自身を一族のための道具とする。

 そんな家の教育の中で、いつしかシャルロッテは無感情な少女になっていた。


 その美貌から社交界で《人形姫》と呼び名がついたこともあるが、それは彼女の表情の希薄さによるところもあるだろう。


「私ではどうしてもカロスに冷たい印象を与えてしまうのではないかと」


「それくらいで丁度いいわ。一番悪いのは、情に絆されることですもの。お前ならその心配はいらない、むしろ適任よ」


「それはそうでしょうが……」


「心配なさらずとも、お前の美貌に靡かない男はいないわ。適当に弄んで、徹底的に利用し尽くしてやりなさい。ああ、あの当主の仏頂面が屈辱で歪む様が、目に浮かぶようだわ」


 シャルロッテの母はそう言って笑った。


 ふとシャルロッテの心の中に、幼少の頃の一幕が過った。

 社交界に慣れるためと連れ出された夜会の場で何度か顔を合わせることになった、同い年の金髪の少年。


『家のことなんて関係ない。シャルロッテ嬢、君が好きだ! ずっと一緒にいたい! 将来、結婚しよう』


 あの告白事件が、シャルロッテの記憶に残る最後のカロスである。

 恐らく引き合わせることを嫌った彼の父が、意図的にカロスとシャルロッテが顔を合わさないようにしていたのだろう。


 シャルロッテは小さな口を歪め、微かに笑った。


「今となっては、どうでもよいことですね。不思議なものです」


「何か言ったかしら、シャルロッテ?」


「いえ、利用できそうな種を思い出したので。緑実の季の帰省には、吉報を以て戻って来られるでしょう」


 レイアン王国には四つの季節がある。

 桃花の季、緑実の季、赤葉の季、茶枝の季。

 入学が桃花の季であるため、四半期で決着を付けるという宣言であった。





 そうして迎えた桃花の季。

 王立ルビスリア学院の入学式が終わり、教室にて教師より簡単な学院の説明を受けた後、今日のところは自由解散となった。

 後は各々が寮に戻り、明日の準備を行うのみである。


 広い教室の壁際にて、カロスはある人物と小声で話をしていた。


「カロス様が御父上より命じられていた、シャルロッテ嬢の篭絡の件ですね」


「ああ、ハイマン。お前にも協力してもらいたい」


「勿論ですとも」


 快諾の言葉を述べる青髪の男は、ハイマン・ハインランス。

 眼鏡を掛けており、鋭い目付きは、彼の性分をよく表しているといえた。

 ハインランス伯爵家の次期当主であり、カロスの親友である。


 彼の実家の領地は王国北部に位置しており、ノースゴルド侯爵家とはほぼ隣接している。

 元々王国統一前から家同士の結びつきがあったとされている。


「しかし、今日の日程はこれから自由時間……。早い内に声を掛けておいた方がよいのでは? 最初の日というのは、印象付けるのに一番でしょう。それにあちらも侯爵令嬢、放っておけばコネを作ろうとあちらこちらから他の者が集まってくるはず。ここでの級友が固まる前に何か行動した方がよろしいかと。私への相談はまた後程でも」


 ハイマンの言葉に、カロスは頷いた。

 シャルロッテが寮に戻ったり、他の用事ができる前に、まずはこちらから仕掛けるべきだ。


「そうだな、まずはシャルロッテのこちらへの接し方を見る必要がある。露骨に敵愾心を露にしてくる可能性も考えられる。もっとも、次期当主がそのようなわかりやすい愚物であれば、むしろこちらの懐柔は容易だと見るべきだろうがな」


「あちらもカロス様を警戒なさっているはず。ファーストコンタクトは、こちらの前提のスタンスを示す場ともなります。ご慎重に」


「わかっているとも、俺を誰だと思っている。警戒されているのは、むしろありがたい。まずは好意を示し、相手の緊張が解す。その際、心には隙が生まれるものだ。まずはシャルロッテを安心させ、隙を広げて取り入ればいい。彼女には少々酷だが、ノースゴルド侯爵家のため、傀儡となってもらおうか」


「さすがカロス様」


 ハイマンとの相談を終えたカロスは、早速教室内に残っていたシャルロッテへと歩み始めた。

 シャルロッテは長机の横に立ち、既知の貴族令嬢と話をしていたところのようだった。


 シャルロッテは向かってくる足音に気づき、カロス達へと振り返った。

 上質な絹のように美しい銀髪が、彼女の動きに優雅に靡く。


 大きな瞳がカロスを見つめた。

 《人形姫》と称されているだけのことはあり、確かに彼女の表情からは感情らしいものが感じられなかった。

 だが、その冷たさもまた、彼女の美の神秘さに一躍買っているようであった。


 カロスと並んでいたハイマンは、その絶世の美に思わず足を止めていた。

 すぐに我に返り、遅れた分だけ足を早めて取り返す。


「カ、カロス様……これはなかなか、強敵かもしれませんね」


 思わずそう零したハイマンに、カロスは溜め息を吐いた。


「そんな調子では不安なものだな。足を引っ張ってくれるなよ、ハイマン。あのお人形姫様が、ノースゴルド侯爵家の仇敵の末裔なのだからな」


 カロスは悠然とそう答える。


「さすがはカロス様……《氷の貴公子》と称されるだけのことはあります」


 ハイマンは一切物怖じしないカロスの様子に、改めて尊敬の念を抱いていた。


 ただ、そんなカロスも、強敵かもしれない、という感想には同意することろであった。


(なるほど《人形姫》とは、彼女の本質を突いている)


 シャルロッテからは一切の隙が感じられなかった。

 容易く激情や関心を引ける相手だとはとても思えない。

 カロスには彼女を一瞥しただけでそれが理解できた。



 対するシャルロッテもまた、カロスの様子を見て彼を評価していた。


(なるほど……頭でっかちの堅物だと母様は評していましたが、それについては再評価するべきのようですね)


 カロスはシャルロッテへと微笑み掛けてきていたが、それが本心からのものでないことをシャルロッテは見抜いていた。

 人工的な、模造品の笑み。

 温和に緩く細められた瞳の奥に、冷酷な光が宿っているのを彼女は見逃さなかった。

 彼女は感情が希薄であるからこそ、他者の感情の動きを俯瞰的に評することができる。


(あちらから作り笑いを携えてきたということは、向こうも企みがあったということですか。下手に動かず、世間話に興じている振りをして動向を窺った甲斐がありました。しかし、カロス・ノースゴルド……なかなか手強い相手かもしれませんね。こちらの意図は決して明かさぬよう、しばらく慎重に接するべきでしょう。敢えて嫌悪を示し、やや遠回りをしてみるのも悪くない。焦らなくても、どうせあちらから近づいてくるはず。私はそのとき、絆される愚かな女を演じてやればいい)


 一瞬の内に、シャルロッテはそこまで思考を巡らせた。

 観察力という点に関しては、シャルロッテの方がカロスよりも大きく長けていた。

 接する前のこの段階で既に、シャルロッテはカロスに対して大きなアドバンテージを得た。



 カロスはシャルロッテの前に立ち、思考を巡らせる。


(十年前に顔を合わせたことについて軽く触れつつ挨拶をし、この後に茶でも誘おう。恐らく相手は忘れているだろうが、聞けば少しは思い出すかもしれない。とっかかりにはなるはずだ。かつ、二家の対立についても軽く匂わせ、自分は気にしていない、仲良くしたいと口にしておくことで、こちらのスタンスを示しておく。後は相手の反応からスタンスを窺い、臨機応変に、といったところか)


 カロスは小さく息を吸い、言葉を発する。


「どっ、どど、どうも……シャシャシャ、シャルロッテ嬢……。お噂は、かねがね……えっと……あの、あ……ごほん、ごほん!」


 言葉が上手く出なかった。

 カロスは慌てふためき、咳払いを挟んで強引にただ少し喉の調子が悪かったふうを装う。

 だが、誰の目に見ても緊張で思うように話せなかったことは明らかであった。

 《氷の貴公子》の面影はどこにもなかった。


「カロス様ぁ!? どうなさったのですか!?」


 ハイマンが蒼褪めた顔でカロスを見る。


(言葉が出ん……何故だ?)


 カロスは自身の喉を押さえる。

 思考も取っ散らかっていて、頭がまともに回らない。


 当然である。

 彼はこれまで、恋心というものを完全に押し殺して生きてきていたのだ。

 十年前の夜会のプロポーズ事件以降、カロスの父は『こいつ恋愛で身を滅ぼすんじゃなかろうか』と危惧し、怖くなって必要以上に彼から恋愛事を遠ざけ、貴族にとっては不要であると教え込んできたのだ。


 カロスもカロスで、幼き日の強い恋情を一方的に父から抑制され、恋愛事には関心が惹かれないようになっていた。

 持ち前の使命感の強さもあり、半ば自分を騙すように、自身には不要なくだらないままごと遊びだと信じてきていた。


 そのためずっと自身の中で凍らせてきていた恋慕が、本人を前にして一気に溶かされたのだ。

 カロスは自分の身に何が起こったのかわからなくなっていた。


「……これが例の《氷の貴公子》ですか。警戒していて損しましたね、シャルロッテ様」


 シャルロッテの傍にいた、橙髪の短髪の女子生徒は、くすりと笑みを漏らしながら、彼女へとそう耳打ちした。


 彼女の名はマルチダ・マーレイク。

 マーレイク伯爵家の次女であり、幼少の頃からシャルロッテの遊び相手を務めてきていた。

 家の繋がりもあり、シャルロッテからの彼女への信頼も厚い。

 此度の《氷の貴公子》を篭絡する計画についても事前に聞かされていた。


「おっ、おお、お久し振りですね、カロス様……! えっ、えっと、その、あの……!」


 シャルロッテは、色白の顔を真っ赤にさせ、落ち着かない様子で辛うじてそう答えていた。

 直前まで考えていた言葉が、全て頭から飛んでいた。

 シャルロッテは必死に、さっきまで巡らせていた会話のパターンを追おうとするが、必死に手繰り寄せようとすればするほど、まるでその手の勢いで飛んでいってしまうかのようなイメージであった。


 シャルロッテから発せられた熱のあまり、彼女から蒸気が昇っていた。

 そこに《人形姫》の面影は一切ない。


「嘘でしょ!? シャルロッテ様!? なんで!?」


 マルチダが唖然と口を開けて彼女を見る。


 当然である。

 シャルロッテはこれまで、恋心というものを完全に押し殺して生きてきていたのだ。

 十年前の夜会のプロポーズ事件以降、シャルロッテの母は『この子が妙な男に唆されて道を間違えては困る』と危惧し、怖くなって必要以上に恋愛事から遠ざけ、貴族にとって不要であると教え込んできたのだ。


 シャルロッテもシャルロッテで、幼き日の強い恋情を一方的に母から抑制され、恋愛事には関心が惹かれないようになっていた。

 持ち前の使命感の強さもあり、半ば自分を騙すように、自身には不要なくだらないままごと遊びだと信じてきていた。


 以来、彼女は私情など貴族に許されるものではないのだという価値観を強く持ち、無感情な少女へと育っていった。

 それが本人を前にして一気に溶かされたのだ。

 シャルロッテもまた、カロス同様、自分の身に何が起こったのかわからなくなっていた。



(落ち着け、カロス・ノースゴルド! 落ち着くんだ! お前は氷のよう冷静な男……! そ、そうだ、二家の対立! 直前に確認した通り、二家の対立についてのスタンスを述べておかなければ!)


 カロスは必死に自分へとそう言い聞かして、動かない頭を必死に動かしていた。


「いいい、家柄の確執はあるが、俺個人にそのような嫌悪は一切ない! 学院では、王室の顔を立てるためにも親睦を深めたい! 今は対立の時代ではなく、それが結局は両家のために……いや、そんなものは関係ない! 俺は君が好きだ、シャルロッテ! これだけは示しておかねばならない!」


 カロスは男らしくそう言い切った。


「駆け引きが直球かつ大胆で大味すぎる!? 落ち着いてくださいカロス様! 好意を示すって、そういう意味じゃなかったですよねぇ!」


 ハイマンは愕然と大口を開け、カロスの顔を見つめた。

 自分が目を離した一瞬の隙に頭をぶつけたとしか思えない。



 シャルロッテもまた、冷静さを取り戻すのに必死であった。

 幸いというべきか、カロスの大胆過ぎる告白もまともに耳に入ってはいなかった。


(落ち着け……落ち着きなさい、シャルル・イストシルバ! 貴女は人形のように無感情な女……! そ、そう! こちらの意図は決して明かさぬよう、慎重に接するべきだと決めたはず! 敢えて嫌悪を示し、こちらの狙いを悟られないようにする! 焦らなくても、腹黒いカロスは、いずれ再び接近を試みる。私はそのとき、絆される愚かな女を演じてやればいい! そうでしょ!)


 シャルロッテは必死に自身へとそう言い聞かせ、先程考えていた策をどうにか手繰り寄せることに成功した。

 ここは軽くカロスを突き放す。

 だが、露骨になり過ぎて怪しまれぬよう、そこは気を付けねばならない。


「そっ、そそ、そうですか、カロス様! でで、でも私は、我が儘で傲慢で暴力的なやり口を好む、ノースゴルド侯爵家については軽蔑していますけれどね! 腹黒く冷血と噂されるカロス様が、いったい何の用で私に声を掛けてきたことか、わかったものではありません!」


 シャルロッテはばっさりとそう言い切った。


「シャルロッテ様ぁ!? そっ、そこまで言わなくとも……! あのっ、これ、他家の方々も見てますから! 色んな意味で不味いですから! 見るな、見るな! シャルロッテ様は見世物ではありませんよ! とっとと各寮にお戻りください! 戻れ!」


 マルチダは周囲の奇異の視線からシャルロッテを庇うように立ち、必死に皆へと寮へ向かうように促した。


 侯爵家間の対立は有名な話である。

 王立学院にて堂々とシャルロッテが言葉を荒げて一方的にノースゴルド侯爵家を侮辱したとなれば、王室の面子を潰す行為でもある。

 マルチダとしては、そんなシャルロッテの愚行を周囲の目に晒すわけにはいかない……。


「いやもうこれそういう次元の話じゃない……」


 マルチダは疲れ切ったようにそう零す。


「ま、まあ、カロス様がまた次も懲りずに近づいてくるようであれば、そのときは絆される愚かな女を演じてやることもやぶさかでもありませんがね! ……次も来ますよね?」


「もう黙ってください、シャルロッテ様! すす、すいません、お二方! 今日はその、シャルロッテ様の調子があまりよろしくありませんので! 主に頭とか!」


 マルチダはそう言ってシャルロッテの身体を掴み、その場から引っ張った。

 一秒でも長く、これ以上カロスと会話をさせているわけにはいかなかった。


 そしてそれについては、カロス側であるハイマンもまた同意見であった。

 ハイマンもまた、カロスの肩を掴んで強引に引っ張っていく。


「ええ、その方がよろしいでしょう! ほら、カロス様! 歩いて!」


「ま、待ってくれ、ハイマン! まだ言っていないことがある! あ、あっと、十年前! 十年前のことを覚えているか、シャルロッテ嬢! そ、それと、ここのティールームはなかなかだと聞いているが、この後、ご一緒にどうかな?」


「無理矢理ノルマを消化しようとしないでください! 貴方今、馬鹿になってるんですよ! ティールームならもう、私が付き添いますから! 反省会としてね!」


 両陣営共、逃げるように互いの主を引き摺って距離を取った。





 その後、学院付属のティールームにて、カロスとハイマンは向かい合って座っていた。


「……カロス様、あの醜態についてご説明を。のぼせ上がるだとか、そういう限度ではございませんでしたよ」


 ハイマンは冷たい視線でカロスを睨む。


 カロスは優雅に紅茶を啜る。

 微かに香る、花の繊細な香りに頬を緩めた。

 なるほど悪くない。これは三年間の楽しみができた。


「あの、カロス様……カロス、おい、《氷の貴公子》」


 さすがのハイマンもため口になった。


「その呼び名は好きじゃないな。ノースゴルド侯爵家次期当主として、すべきことをしているまで。理解者を求める程弱いつもりはないが、フン、お前からもそう呼ばれるとはな、ハイマン」


「嫌味で呼んだんですよ」


 ハイマンの言葉には苛立ちが込められていた。

 これが《氷の貴公子》なら世界は極寒地獄である。


「ほう? 随分偉くなったじゃないか、ハイマン。何のつもりだ?」


 カロスは凍てついた視線をハイマンへと投げかける。

 親友とはいえ爵位の隔たりは大きい。対等な関係であってはならない。

 ハインランス伯爵家は代々ノースゴルド侯爵家に従属している。


 目下の者に舐められるなど、貴族としてあってはならぬこと。

 自尊心と使命感の強いカロスはそれを許さない。


「こっちの台詞ですよ!? 今の、何? 何で誤魔化せると思ってるんですか!? もう怖いですよ!」


「そうか、お前は俺が、手を緩めて機を逃したと思っているのだな、ハイマン」


「いえ、そういうレベルの生易しい失態ではなかったと思うのですが……」


「気に喰わんことだが、イストシルバ侯爵家の《人形姫》は伊達ではないらしい。お前には見えなかったか? 巧妙な某術が幾重にも巡らされていた。迂闊に近づけば、こちらの企ては全て看破され、行動を縛られていただろう。今回は、あれが限界だった」


「……本当ですか?」


 カロスは真剣な面持ちだが、ハイマンからしてみれば、何を言ってるんだこいつとしか思えない。

 どうやらカロスは、自身の醜態を客観視できていないらしい。

 ちょっと言葉が詰まった程度にしか考えていないようだ。


「気に喰わないな……シャルロッテの、こちらを全て見透かしたような無感情な瞳。化け物め、この俺を見下してくれるとは」


「……あの、ここに来る途中の廊下で呪術師に記憶でも奪われましたか?」


「しかし、シャルロッテから敵意を示されるとはな。はぁ……巧妙な一手だった。イストシルバ相手に愚直に攻め過ぎたか。あの女は、常に俺の一手先を読んで動いていた。俺が声を掛けるのも、恐らく事前に想定済みだったのだろう。結局、あちらの思惑は一切わからないまま、俺ばかり情報を与えてしまった。そこについては、俺も己の未熟さを恥じる。お前が嫌味の一つでも言いたくなるのは理解できる。大目に見よう」


「私の知らない別次元で戦うのを止めてください」


 ハイマンは溜め息を吐いた。

 カロスの捏造が酷すぎて最早創造である。

 いったいどこにそんな高度な駆け引きがあったのかと問い詰めたい。


「頭が無能であれば、困るのは手足だ。そこについては力量不足を謝罪する」


「そこについてはもう、本当にそうとしか言いようがありません」


 カロスは思案げな表情で紅茶の水面を睨み、不快そうに鼻を鳴らす。

 だが、唇には薄く笑みを湛えていた。


「しかし、楽しみが増えるのは悪くない。認めてやろう、シャルロッテ。お前は俺の好敵手だ。覚悟が甘かったな、学院生活のついでで倒せる相手ではない。全力を以て、奴を罠に掛ける。今後も手を貸してもらうぞ、ハイマン」


「……ええ、本当にお願いしますよ、カロス様。次はもう、本当にナシですからね」


 ハイマンは頭を抱えながら、カロスが紅茶を飲む様をジトっとした目で睨んでいた。


「フフ、これまで俺の敵などいなかった。だが、因縁の相手はさすがにそう容易くはないらしい。シャルロッテ……奴のことを考えていると、高揚感で心が躍る。倒し甲斐のある相手は初めてだ」


 その胸のざわつきが恋であることを、まだカロスは知らない。

 何せ十年間、自分を騙し、ずっと凍り付かせて隠してきた恋情だったのだ。



 ――この後、カロスとシャルロッテは両者の付き人を巻き込んで散々大騒動を引き起こし、最終的に王国北部と東部を繋ぐ架け橋となるのだが、それはまだもう少し先の話である。

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