ひも解け

 目を開ける。どうにも寝心地が悪く、暗い中起きてしまった。背中にあるのは畳らしい。私のワンルームにこんなものはなかったはずだが。

 体を起こす。同時に眩暈と頭痛がした。なにも体のどこかが悪いとかではない。単純に思い描いていた景色と違ったからである。狭い個室、それは違いない。だが、その狭さと、そこへ一挙に押し寄せた家具、そして出口を塞ぐ鉄格子がこの頭痛を引き起こしていたのだった。


 医師と対面する。私が望んだのではない。突然現れた男が呼びつけたのだ。目を覚まし、ぼぅッとした頭でこれは誘拐だろうと目星を付け、どう逃げようかと悩まされていた私の前に現れた男。ついてこいとだけ言い、長々と歩かせここへ連れてきた男。おそらく実行犯ではない。下っ端であろう。屈強そうな肉体を持ち、おそらくは仮装であろうピシッとした刑務官らしき服を着る男。今も後ろでじぃっと私をにらみつけている。妙な感覚だ。

 さて、私は生まれてこのかたこういったモノに触れてこなかった。それからか、少しむず痒い感覚である。暇と空気に苛立ち、尻をもじもじとさせていると、ようやく医師が話しかけてきた。

 気のよさそうな男性。みたところ30代後半。家にいることが多そうだ。たるみきったその肉体と、だらしなく伸びた髪がそれを物語っている。しかし、仕事はきちんとこなすタイプのようだ。ここまで案内してきた男の態度から、その立場はうかがえる。えらいひとだ。

 えらいひとは私に問うた。

「あなたは昨日のことを覚えていますか」

 どうやら、先ほどの予測は誤りであったようで、その体と共に頭もたるんでいるようだ。昨日のことを覚えているか?当然。もし世界5分前仮説の話なのだとすれば、それはもう十分聞いた。彼のいう昨日にだ。彼は醜い人間であった。

「はい」

少し苛立ったように返事を返せば、そうですか、と漏れたような微かな言葉。その後たっぷりと逡巡している。ふぅむと、よく考えている。

 これはしかし、誘拐ではないのかもしれない。ニューロンを動かし考えに耽る。もし誘拐だとして、どうして刑務所のような仮装をするだろうか?誘拐をしているのは確実であるのだから、そこを不安にさせるようなことをしても意味がない。そこから金を奪い取る手段もない。よって、この考えは誤りだった。

 ではそうなれば……。なるほど、これは怒りを覚えるべきものではなかったようだ。

また問を投げかけてきた。

「昨日、なにをしましたか」

 確認の言葉。私は予測を確信へとシフトさせた。

「私は忘れたのですか」

 質問を質問で返す。それに彼は、なにも咎めず返答を言った。

「はい、そうです」

 本来ならもっと手順があって、だんだんと情報を開示させるのですが……。まあいいでしょう、用意ができていそうなのでと、医師は私の置かれている状況を話し始めた。


 あなたは自らのことを何歳だと認識していますか?……なるほど。ではそれとは10,20ははなれていると思ってください。比喩ではありません。れっきとした事実です。

 そうですね、では、まず何故この紛失が起きたのか。これはあなたがそうしたからです。とある術を使い、自らの起こした惨劇の記憶を抹消し、逃げた。どうやったか?私だって知りたいですよ、ええ。

 ……落ち着きましたか?それでは、あなたについてお話ししましょう。あなたは殺人事件の容疑者です。もっといえば、犯人です。……よくもまあ、驚いていますね。

 幸福なる家族が社会を蝕むといい、1月おきに殺人を繰り返す。それがあなたです、少なくとも、6件は殺していますよ。

 では、一件目からお話ししましょう。

 それでは。一件目の事件で、あなたは首都圏にある裕福な一世帯を襲いました。中にいたのは、50代夫婦と、10代の養子の兄弟です。まずあなたは中庭のシマトネリコから2階のベランダへと移り、そこでアクションゲームをしていた弟の喉を、持ち込んだナイフで浅く斬りました。血が舞い、弟が悶えます。そこへ何事かと駆けつけた兄をそのナイフで脅し、殺せと命じました。

 おそらく、彼は抵抗したのでしょう。その体には痣が多く残っていました。しかし最後は暴力と生に屈し、弟の喉へとそのナイフを突き刺しました。深々と、何度も振り下ろしていました。

 それに満足したあなたは兄を殺し、弟の横に寝かせ、次に一階へと降りました。階段から廊下、リビング、キッチンへと渡り、そこで料理をしていた母親を殺害。そのまま調理を引き継ぎ、それが済むと母親のその舌を切り取り、酔っ払いテレビの見える角度で寝転がっていた父親へと食べさせ、30分ほど食卓を共にしました。この時並んだ食事は、和食のようですね。味噌汁が良くできていると、父親も舌鼓をうっていました。

 そして満足そうに寝転がった彼を殺害したあなたは、その椅子に母親を除く家族3人を並べ、残った母親の頭を皿にのせました。その頭には、蝋燭に火がつけられていたそうです。まるで誕生日会のように。

 惨い話ですね。……なんて顔をしているんですか。全てあなたがやったことですよ。これはまだ序の口で、もっと惨い事件がこれからあるのですが……。その顔からしてもう今日はダメそうですね。また明日にしましょう。どうぞ、お帰り下さい。


 それから三日、出される食事には目もくれず、ただその事件を思い出そうと必死になっていた。

 私がやった実感はない。当然だ、忘れているのだから。しかし、その動機すらない。当然だ、10,20年後の話なのだから。頭がおかしくなりそうだ。

 私がするべきは詫びることであり、それをこの生が終わるまで続けることであり、死ぬことであった。

 しかし、詫び続け、死んだとて、なにか亡くなった彼らへの弔いとなろうか?私が彼らの立場なら、許すことはないだろう。神の立場であったとしてもそうだ。私の生は、これから寿命まで、あるいは死刑台に至るまで空虚なものであった。

 鏡を見る。つるすべとしていた。


 はじめて事件について聞いた日からいくら経っただろうか。あの後、何度かの診断という名の拷問を行われ、自らの咎と捕縛への経緯を知った。5件目までは目撃情報や私自身へとつながる情報はなく、捜査は諦めの空気が広がっていたらしい。

 しかし6件目、このときはじめて生き残りが現れ、彼女から語られた情報からモンタージュが作成、おりしも私は道に倒れ、晴れて逮捕へと至ったという。なんともあっけない最後だった。


 朝食を摂る。バランスの悪そうな献立で、彩が少なく、とくに油分が多かった。別に嫌いではなかったから、良かったのだが。

 今日もまた無意味な思考を続ける。そもそも自分が殺したのだろうか?驕りではなく、私は裕福な家庭に生まれた。何不自由なくとまではいかないが、まあある程度自由には生きてきた。悪くない大学を出、悪くない会社へと入社した。こんな中の上のような人生から転びつ落ちる可能性など、万に一つもあり得ないのだが。

 しかし、部屋に置いてある新聞には、毎日のように私が殺したと書いてある。また、面会にくる見知らぬ友人たちも、お前が殺したのだと毎度のごとく言ってきた。謝罪しろとも。できたら苦労はしないのに。


 夕食を摂る。最近、写真集を見ることが多くなった。暇でしょうがない私が見れない世界が手に取れるからだ。甘ったるいデザートを口に運び、見た写真を思い描く。今回はザクロの森に行くことにした。土を思い描き、そこへ種子を蒔く。だんだん生長し、綺麗な花を咲かせる。いつか実がなり、私はそれを手に取る。きっと、気持ちが良いだろう。

 私はいつしか、詫びることが少なくなった。その代わり、くだらない空想に浸ることが多くなった。


 朝食を摂り、もうすぐ昼食だと中身のない考えを巡らせていると、しっぽ男が現れた。外に出ろ、とのことだ。

 部屋が閉ざされた外界へと開かれる。誰もいない廊下を2人で歩く。何処へ行くのか。そんなことは分かっている。ついにこの時がきたのだ。私はついに解放されるのだ。

「お前、かわいそうなやつだな。せめて償えよ」

 立ち止まって振り返り、しっぽ男が私に言った。その言葉に私はぼぅっとし、その後ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。

「償う、そんなことができると思うか?お前からしたら、確かに私が連続して存在しているだろう。だが、私は止まったままなのだ。お前が認知している私は私ではない。私が認知している私こそが私なのだ。その空白期間が生み出した、空虚で雲のような有象無象な事柄を、それを謝れるとでも思っているのか。お前にはまだ分からんだろうし、分かることもないだろうが、私は知らないのだ。その家族たちを。知らないのだ、その殺害方法を。お前は知っていて、私が知らないことは多くある。その逆もまた然りだ。お前の見る私ほど空虚なものはない。私が見る私こそが私たりえるのだ。お前ごときに何が分かる。お前は私を罰したつもりだろうが、それは真逆だ。私はお前を利用して、解放へと上り詰めたのだ」

 私は早口でまくしたてた。途中で彼を壁に押し当て、終いには殴りかかろうとさえした。だがそれを立板のように無視した彼は、再び私を死刑台へと導きはじめた。扉を開き、私の前に姿を現した医師は、笑っていた。しっぽ男もまた、笑っていた。

 首にひもがかかる。床が開いた。

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不認可短編集 @banibanbi

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