ついうっかり

 扉を開き、目前にある非常階段を踏みしめる。螺旋状のそれを一段、また一段と統計を増やし、天に近づいていく。今日は命日の日だ。29回目の誕生日、6月7日。僕はいわゆる負け組だった。


 横には、人間の重ねてきた文明が見えた。自らにとっては愛すべきであるが、一つ組み替えれば憎むべきものともなるある種の量子力学的ともいえるもの。これにより生み出された私は、だが忌むべきものとして生きてきた。それゆえに今日は命日なのだ。


 さて、この度の一件に至った原因は、どこにあったのだろうか。母が死んだ去年か、あるいは大学を卒業するも就職ができなかった25の頃か。それとも生まれたときからか。就職活動の頃は確定的だったような気がするし、いやゲームに没頭した中学時代からかもしれない。いずれにしてもそれは過去の結果で、もうどうだっていいのだ。


 ああ、母には悪いことをしていたなあ、心配ばかりかけさせていた。いやしかし、そもそもあの人のせいで気苦労から失敗まで経験させられたのだから、当然の報いなのか。母が父と出会わなければ必然、この世にある自分への不都合な真実は非表示にされたわけだから、彼女が悪いのかもしれない。苛立ち、柵を殴る。拳が痛み、思考は正常に戻る。クリアな思考が導き出すに当然、母が悪いわけでも、環境が悪いわけでもなかった。不都合はすべて力不足ゆえのものなのだから、自分がすべて悪いのだ。真実はいつも不都合である。また一つ苛まれた。


 外の景色は次第に沈んでいった。別にもう興味はないので、どうでも良かったが、しかし喪失感は一つ確実に感じられた。これはどこが発生源なのか残り短い人生をふんだんに使い考える。しかし思いつくはずもなく、残量が減っていくばかりだった。だが、一つだけ考えにこびり付くものがあったとすれば、それはコンビニエンスストアのことであった。


 そもそも死人に言われて始めたことで、別に深く感情があるわけでも、就労するからこその待遇や厚生も必要としていなかったが、しかし始めたものは仕方なく、また客が少なくただ棒立ちで良かったのもあり、「人生をかけていたものは何ですか」と問われれば「コンビニバイトです」と答えるくらいには長続きした。いや、学生のほうが長かったかもしれない。どっちだっていいや、もう。


 外はもう暗く、赤や黄色、白など色鮮やかな景色が映った。自分にはほど遠いもの。少し妬ましい。自分は螺旋の端すらをもすり減らし、だがこうして終了へとたどっているというのに、道行き今だけときめく彼らは、薄っぺらいがしかし確実な幸せを勝ち取っている。もう見たくないし、もう見れることもない。そう考えると真に幸せになれたのは自分だけなのかもしれない。


 目の前の扉を開く。思考は巡り、退廃的思考があふれた。後悔は先に立たない。そもそも先がないのだから、それはもはや虚数にすらなるのではないだろうか。そう思えば笑いが止まらなくなった。

 柵の外に靴を投げる。どうせ使わないのだ、自分からの誕生日プレゼントである。そういえば、最後に他人からもらったものはなんだったか。いや、もらったことはない。少なくとも記憶の中には、もちろん外にもなかった。老いさらばえた父が目前に現れる。周囲の情景は歪んでいない。認知が歪んでいるのだろう。取り戻したぞ。彼から確か、何か貰ったような気がする。あれは確か。星空が遠のき重力により思考がさらに引き延ばされる。あれは確か、いや、忘れたほうがきっぱり死ねるのかもしれない。考えることは惰性の延長で、申し訳なさで心がいっぱいだった。

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