最終話 幸せな日々

 もし道が二つ存在するとして、どちらかの道しか選べない時、人は何を考えて道を選ぶのだろうか?


 楽で平穏だがつまらない日常が待っている道を選ぶか、それとも険しく苦難であっても己の信念に則った道を選ぶのか。


 普通ならば、楽な道を選ぶだろう。わざわざ苦しいと分かっていて進む者などほとんどいない。


 だけど、もしそれが険しく苦難の道であったとしても、その先になによりも大切な物があるとすれば――。


「俺は、今の道を選んで良かったと思う」

「どうしたのハル君?」

「うん、なんでもないよ」


 放課後の教室。まだクラスメイトが雑談に興じて残っている時間で、俺も瑠璃たちと適当に居残りをしていた。

 

 夕日に染まる瑠璃の顔はまるで妖精のように輝いていて、その頬をなんとなく触れると、彼女は嬉しそうに笑う。


「えへへ、ハル君」

「ん?」

「なんでもない」


 この笑顔見れるだけで、あのとき瑠璃と共に在ることを選んだ過去の自分を褒めてやりたいくらいだ。

 以前よりもずっと甘えてくるようになった瑠璃は、本当に可愛い。


「……貴方たちねぇ」

「お前たち、さすがに場所を考えろ」


 横から呆れた様子で声がかかる。いったい何の話だろうと思って周りを見ると、男子生徒たちが思いっきり俺を睨んでいた。


 さて、ここで再び道が分かれる。


 一つはこのまま瑠璃の頬を触れ続けること。メリットは彼女の可愛い顔が見れて、デメリットは男子生徒から睨まれることだ。


 もう一つは手を離してしまうこと。メリットとデメリットは先ほどとは逆。


 結果、俺は瑠璃の頬を触り続けることにした。だってメリットの方が大きいし。


「……ダメだわこいつ。もうダメ、全然ダメ。脳が溶けてるんじゃない?」

「黒崎、友人にそんなことを言うのは……いや、中学時代はこんなのではなかったから、やはり脳が溶けてしまったのだろう」


 失礼なことを言う友人たちである。


「猛、冷静に考えてよ」

「今の蕩け切ったお前に冷静などという言葉が使えることに驚いたが……なんだ?」

「もし猛が会長と付き合って、イチャイチャするななんて言われたらどうする?」

「言ったやつを地獄に叩きつける」


 ほら即答だ。同じ状況になったらこの男も絶対今の俺たちと同じように周囲の状況なんて気にせずにいるに違いない。


「なるほどな。陽翔、俺が悪かった」

「わかってくれて嬉しいよ親友」

「……こんなところに裏切り者が」


 玲愛が絶望したような顔をで猛を見ている。


 たしかに俺、瑠璃、猛と三人がこの状況を肯定している状況で、彼女はまさに四面楚歌。味方などなく、孤立無援の状況だ。


「黒崎さん、加勢するよ」

「鈴木、僕も混ぜてよ」

「そうだな。向こうは三人。だったらお前も入って数を合わせよう田中」

「貴方たちはいらないわ」


 鈴木と田中が眼鏡を光らせながら近づいてくるが、玲愛に一蹴されてすごすごと去っていく。


 なんのためにやって来たんだあいつら?


「玲愛ちゃん、あのね……」

「なにかしら?」

「玲愛ちゃんにも運命の人が出来たらわかると思うけど――」

「とりあえず瑠璃、貴方が喧嘩を売ってるのはわかったわ」

「まだ最後まで言ってないよ⁉」


 俺の傍にいた瑠璃が引きはがされて、玲愛によってグリグリとこめかみを抑えつけられている。


 「あーうー」と半泣きな姿は見ていて痛ましいが、さすがに今のは擁護できそうになかった。


 多分、擁護した瞬間、玲愛によって襲い掛かられるから。物理的に。


「まあ、なんにしてもお前らが普通に戻ってくれて良かったよ」

「猛にも心配かけたね」

「心配なんてしてないさ。お前はやるときはやる男だと知っているからな」


 こういうところがモテる要因なんだろうなと思いながら、俺はまたこうして瑠璃たちと一緒に過ごせる日常が戻ってきたことがなによりも嬉しく思った。




 そして今日の夕飯を作るため、瑠璃の家に帰って色々と準備する。


「それじゃあ舞さん。まずは皮むきから覚えていきましょうか」

「なんで私が……」

「俺がいないとき、瑠璃がご飯をちゃんと食べられるようにしないといけないからですよ」


 だったら瑠璃にだけ覚えさせればいいじゃない、と愚痴る彼女に瑠璃がピーラーを渡す。


「お姉ちゃん、一緒にがんばろ?」

「……瑠璃はいい子ねぇ」

「わわ」


 ぎゅっと瑠璃を抱きしめる舞さんは、本当に妹のことが大好きなんだと伝わってくる。だからといって教える手を抜く気はないけど。


「それに、いずれ瑠璃だって俺のところに来るんだから、そしたら自分でご飯作らないとまたコンビニ弁当生活になっちゃいますよ?」

「あー……それはちょっと駄目かもね。ここ最近、陽翔くんの美味しい料理に調教されちゃって、私もう君なしではいられないから」

「言い方が悪い」

「は、ハル君は駄目だからね!」


 ほら、瑠璃がちょっと興奮して瞳を紅くしちゃってるじゃないか。


 そんな彼女を宥めるように抱き寄せると、瑠璃は自分の物だということを主張するようにぎゅっと抱きしめ返してくれる。


「あーあーあー、お熱いことー」

「からかう前にほら、皮剥いて」

「……義弟が冷たい」

「お姉ちゃんの自業自得だよ」

「愛する妹も冷たい」


 そんな俺たちのことを、離れたところで見守る視線があった。見ればヨハンさんがこちらにスマホを構えて、動画を取っているらしい。


 とりあえず、あとでデータを貰おうとサムズアップすると、彼も同じように返してきた。

 本当に、見た目と違ってノリの良い人だ。


「さ、それじゃあ家族みんなの分、ちゃちゃっと作っちゃいましょうか」

「うん!」

「はーい」


 そうして出来た料理を大きなテーブルに運んで、俺たちは仲良くご飯を食べる。残った分は早朝に帰ってくる母の分。

 いずれ、この食卓に母さんも一緒になれたらいいなと、自然にそう思った。




 ご飯を食べたらそのまま瑠璃の部屋に行き、俺はベッドに座ると上着を脱いだ。

 そんな俺の正面には、頬を紅く染めて潤んだ瞳でこちらを見ている瑠璃。


「おいで」

「うん……」


 そして俺が両手を広げて招き入れると、小さな身体が正面からすっぽりと収まった。


 瑠璃が俺の太ももの上に跨るように座ったのを確認してから、落ちないように背中に手を回してあげると、彼女も同じようにする。


 お互い正面から抱き合う形になり、ほんの少し顔を前にすれば、簡単にキスが出来る距離だ。


 女性特有の柔らかさと、暖かさ。それが同時にやってきて、自身の心臓の音が大きくなる。だがそれは、彼女も一緒だった。


「瑠璃……」

「ハル君……」


 俺が声をかけると、彼女はそっと瞳を閉じて見上げてくる。その彼女の顔に自分の顔を近づけて、触れるだけの軽いキスをする。


「ぁ……」


 息がこぼれるような小さな声。キスを終えて目を開けると、彼女の瞳は紅く染まり切っていた。


「ハル君……」

「いいよ。瑠璃が望むなら、いくらでも」


 なにを、とは言わない。ただ黙って俺は彼女にこの身のすべてを差し出すと、決めたのだから。


 彼女の牙が首に刺さる。そこから己の血が吸われているのがはっきりと分かった。


 痛みはない。それどころかとてつもない快感を感じる。きっとこれは、好きな人に自分の命を分け与えている幸福感なんだと思った。


 そして、血を吸い終わった瑠璃は、口元についた深紅のそれをペロっと舐めて、とても幸せそうな顔をする。


「こんな化物に生まれて、ずっと自分のことが嫌いだった。大嫌いだった。だけど、だけど……」

「瑠璃が吸血鬼だったおかげで、俺は君と出会えた。だから、もうそんなこと、言わないで欲しいな」


 抱き寄せると、彼女は受け入れてくれる。

 こんな風に甘えてくる彼女が、愛おしくて仕方がなかった。


「私、私ね。ハル君と出会えて、とっても幸せだよ」

「うん、俺も。だから――」


 ――これからも、ずっと一緒にいよう。


 俺がそう言うと、彼女は幸せそうに笑うのであった。



瑠璃色の吸血鬼に恋をした Fin



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瑠璃色の吸血鬼に恋をした 平成オワリ @heisei007

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