素晴らしい木
腸漁
夏休みの宿題として提出したもの
こんな夢を見た。
引っ越しの作業が一段落つき、小春と夏男は玄関に直接座って休んでいた。トラックと業者がいなくなった家は、どうも静かでだだっ広い。
「お、こんなところに緑が」
夏男の視線の先にあったのは小さな木だった。玄関のタイルの隙間からひょこりと顔を出している。なんで玄関に、建設業者を訴えてやらないとなんて思ったが、夏男が育てたいだなんていうものだから、駆除するのはやめにした。
そんなこんなで、毎日水をやり育てていくうちに、段々と私もこの木に愛着を持ち始めた。私たち夫婦にとって、懸命にすくすくと育っていくこれはとても可愛らしくて、まるで我が子のようだった。手をパーにした葉の形であったので、楓であろう。名前は「みのり」とした。健やかにのびのびと育ってほしいと、夏男と私でつけた名前だ。私たち夫婦の望み通り、みのりはメキメキと成長した。半年いかない位で夫を越したので、もう2メーターあるのではなかろうか。みのりはいつも屋内にいるので陽にあまり当たっていない。だのにもうこんなに大きくなって。小学生の頃、朝顔とトマトしか育てたことがないので基準がよくわからないが、伸びが良いほうなのであろう。夏男は「俺たちがたくさんの愛を注いでいるからかな。知ってるか、愛って一番の栄養なんだよ」なんて気障な台詞を言った。言い慣れていない下手な冗談だった。
こんな夢を見た。
暗く、とっぷりとしたコーヒーゼリーのように静かな二人用のホテルの部屋に、ミルクのように明るく白いテレビ。
「して、旦那さん。この楓の木が1階の天井を貫いたって、一体全体どういうことなんでしょうか」
「いやあ、私達もまだ理解できないです。家内とね、お金が溜まったからっていうんで、念願のハネムーンに行ってきたんですよ。出かける前は、あれ、どうだったかな。1階の天井に葉が触っているくらいだったはずです。んで、ちょうど一週間行って、帰ってきたら、玄関が瓦礫で汚くなっていましてね。どうしたって上を見てみれば、このザマですよ、はは」
「はあ。植物に詳しい、ーー大学のーー先生によると、この伸び具合は異例だといっていましたが、それについては」
「私たちがたくさんの愛を注いでいるからでしょうね。愛って一番の栄養なんです、はは」
夏男はまた同じ冗談を言っている。テレビの画面の_映る人の_明るさに胃がもたれ、リモコンに手を伸ばした。ビデオの巻く音は、静かな部屋ではよく響く。
みのりはよく成長した。恐ろしいほどに。天井を貫いたみのりは、その屈強さと異常な成長速度でテレビに取り上げられた。そして、みのりからパワー、大生命力、バイタリ…あと何があったっけか。そう、あろうことか、みのりに神秘的な力を感じた人々が、我が家を巡礼しに来たのだ。いつの間にかそれは宗教にまで発展した。信者たちは家の近くに住み着いた。その頃からだったろうか。みのりは私に話しかけてくるようになった。
「おいしそうだね、なにたべてるの」「ふくあざやかでいいね」「かみがくるくるしているね」
私は怖くなり、みのりの腕を折った。そのため、信者たちに家を追い出され、近場のホテルで生活している。夏男は、みのりを崇拝している人々のリーダーになっている。マ、いうなれば法王というものだ。どうして今まで傾倒していることに気が付かなかったのだろうか…ずっと夏男の近くにいたのは私だったというのに。
こんな夢を見た。
私は家に戻ってくることができた。私が子を宿したからだ。まだ、まだ夏男とは体を交えていないのに。ただ、夏男にそのことを伝えると「よくやった小春!」「小春の愛の証だ!」だなんだ言って喜んでいた。あんなに嬉しそうな夏男の声は久しぶりに聞いた。そんなだから私は、ア、これで元の生活に戻るんだと。そう思った。
そんなに物事がうまく進むわけがなかった。夏男の求めていたものは私のお腹にいる赤ちゃんだけだった。みのりからお告げがあったのだという。私が身籠っているのはみのりの子であると。信仰するものが新たにできて嬉しかったのだろう。
「みのりの一部が移ったんだ!」
「神が授けられた!」
私のお腹にいる子をちゃんと出産できるようにと、信者たちは快く_私のものであったはずの(我が物顔で)_みのりが貫いている我が家に出迎えてくれた。久しぶりに帰ってきた我が家は、あまりにもみのりに侵食されていた。信者のみんなにたっぷりと愛情を注いでもらい、甘やかされたみのりは、とうとう屋根をも貫いた。家は私が最後に見た時とは比べ物にならないほどにひどく壊されていた。割れた天井の隙間から陽の光が射して、みのりが輝くこの部屋は、さながら極楽のようだと感じた。
霊力をよく受けられるようにと、私はみのりの近くで暮らすこととなった。みのりがそう告げたらしい。他の信者は追い出され、家には私とみのりだけとなった。以前にも増して、みのりは私に執拗に話しかけてくるようになった。
「あなたの、小春のお腹の子は、あとどれくらいで生まれるのかしら。とっても楽しみ」
「さあ、そんなこと知るわけないじゃない。だって、まだ妊娠していると気づいてから、一ヶ月も経っていないのにこんなにも大きい」
_小春様、安静になさってください
「私は誰も知らない、違う」
_滋養に良い食べ物です、どうか
「いらないわよそんなの」
「お腹の子は偉いね、もうこんなに大きくなって。ママに早く会いたいんだね」
「みのりが私に何かの力を加えたんだ」
「小春が私の子を望んでくれたからよ」
そう言って、よく葉を揺らしていた。
信者たちはこんなにボロボロで、瓦礫が床を埋め尽くすように落ちているというのに、信者たちは毎日訪ねて来ては、祈りを捧げている。夏男も、私のお腹を擦っては「蹴ってる、蹴ってる。とても力強く、元気ですね」と目を細めて笑っていた。
「やはり、みのりの近くにいるからかな」
こんな夢を見た。
私はとうとう赤ちゃんを産んだ。お産は不思議なほど痛くなかった。そういえば、みのりの近くに来てから、吐き気や陣痛、つわりもなかった。これは、また、みのりの神通力によるものなのだろうか。わからない、わからない何もわからない。
_なんだ、これは!
_人間じゃあない!
「おめでとう。私たちの子よ」
紅葉したみのりはゆるゆると笑いながら言っていたが。
だって、私が胸に抱いているのは、赤ん坊か。いや、光だ。質量を持った光なんだ。重たい、生きている光だった。人智を超えていた。信者たちは皆、この子を恐れ、家から逃げていった。中途半端な信仰だった。お前たちがこれを望んだのに。誰からも存在を肯定してもらえない。信者たちがいなくなった静かな部屋で、ぽつねんと、小春は光を抱きながら、「この悪夢を終わらせなければ」と考えた。
さて、どう始末しようか。
まず、みのりの腕を、この前みたく折ろうか。いや、駄目だ。みのりの腕はとても強く、頑丈になってしまった。胴体もがっしりとして、私の力じゃ折れそうにない。そうだ。火を使おう。人間の証。
ガスコンロをつける。落ち葉を火にかざし、それをみのりに投げつけた。火は一気に勢いを増し、一面が火と紅葉の赤で染まっていた。また、みのりのご加護だろうか…火傷を負っても痛くなかった。
そういえば、外から信者たちの騒ぎ声が聞こえる。可哀想に、みのりに傾倒してしまったがために…。
いや、可哀想なのか。本当に。彼らは何も疑わなかった。何事も疑っていくべきなのに。鵜呑みをするということは知的怠惰。知的怠惰が起こるということは動物だということ。信者たちは人間をやめたのだ。ならば、みのりと共に燃やしてしまっても構わないだろう。
光はどうなっただろうか。ア、段々と暗くなっている。良かった。あんなに明るくては目が眩んで何も見えなくなってしまう。
良い。これですべてが終わる。みのりの悲鳴は聞こえないが、弱っているのが感じられる。私も、火傷が痛いと感じられる。意識がぼんやりとしてきた。手足も痺れてきた。そろそろこの身体もおしまいかしら。苦しい、
酸素を
素晴らしい木 腸漁 @nausea0122
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