エピローグ
*** エピローグ ***
──さる高貴な王室にて。
豪奢な調度品に囲まれた部屋で、二人の女性がテーブルを挟み、紅茶を飲み交わしていた。
ティーカップに浮かぶ紅い湖面を眺める女性の一人は、この帝国の主たる女王。
もう一人は、かつてトーリ・“ワイズマン”と共に行動し、『レイ』と呼ばれていた銀髪赤眼のドール。
かつての第二次堕天使討伐戦から、十年の月日が経過していた。
女王の肉体には相応の年齢が刻まれていたが、ドールの風貌に変化はない。
もっとも、それはあくまで表面上の話ではあったが。
「本日はお忙しいところ、時間を割いてもらい感謝しています」
「
「久しぶりに人恋しくなったのかも知れません。なにせかつての茶飲み友達が死んでから、長らく経ったものですから」
「
女王はテーブルの上に、今朝の朝刊を広げる。
紙面には大きく、『中東の過激派武装勢力、七割滅』の見出しが躍っていた。
「件の堕天使さんは、相変わらず精力的に活動しているようで」
十年前の作戦は、結論からいえば失敗に終わった。
あの日、玲衣から主導権を奪い、第三の堕天使と化したトーリもまた、世界の“機構”としての役割、天から下される命令に抗うことはできなかったらしく、今も尚、人類を虐殺し続けていた。
ただしその死亡者数は元祖の堕天使と比較すれば圧倒的に微々たるものではあったし、殺す人間の属性に関しては一定の偏り──好き嫌いが生まれてはいた。
例えばマフィア、例えばテロリスト、例えばカルト教団。
一般的な観点で人間社会に悪影響を及す集団を優先的に、“堕天使”トーリは潰して回っていた。
そんなトーリは現在、神秘省からは第一種危険魔法生物に指定されており──一部の人間からは熱狂的な崇拝の対象にもなってはいたものの──当然ながら、かつて帝国から授与されていた勲章は剥奪されていた。
そして入れ替わるようなタイミングで、かつての相棒であるドールには勲章がが授与されていた。
世界は緩やかに変わってはいたが、その行き先が良い方向か悪い方向かは、誰にもわからなかった。
「ご安心ください。パートナーの不始末は、私が精算しますよ」
「それは重畳。さて、本日ご足労頂いたのは、他でもありません。十年前からあなたが掲げている目的──“魂”の到達について、お話しておきたかったからです」
女王は、新聞の上から更に重ねるようにして数枚の資料を広げた。
「神秘省による最新の解析によれば、今のあなたは第二の堕天使・玲衣の魂の一部を植え付けられた存在でありながらも、その魔術自体は現在活動中である第三の堕天使・トーリが支えています。つまり」「トーリが死ねば、今の私に宿っている借り物の“魂”は消えてなくなると?」
「・・・・・・まあ、あくまで一つの可能性に過ぎませんが。それにあなたの肉体から玲衣の“魂”が失われたところで、十年前に堕天使の肉片を埋め込まれたあなた以外の五体のドールと同じように、あなたの生命活動そのものは依然継続することでしょう。ただ、今のあなたが自壊せずに存在できている理由が、堕天使の肉片が玲衣の“魂”に対して免疫を獲得しているからだとすれば、あなたという存在が朽ちる未来もまた、確かに存在しています。即ち」
「私の中から玲衣の“魂”が消え、尚且つ、私が私自身の“魂”を獲得した瞬間に、私は燃えてなくなる──ですか?」
「・・・・・・なるほど、すでに想定済みでしたか。だとしても、あなたのやることは変わらないと?」
「
その時、王室の扉が開き、神秘省大臣・クライブ・ベイクウェルが飛び込んできた。
「失礼します。衛生監視の結果、“堕天使”トーリの現在の居場所が判明しました。座標は──」
「・・・・・・ありがとうございます。すぐに向かいます」
ドールは即座に立ち上がると、女王に対して一礼した後、窓を開けて飛び降りる。彼女は背中から機械仕掛けの翼──ウルスラ・“ラボ”がヴァハグン・“メタル”の遺した技術を元に発明し、一方的に送りつけてきたものだった──を展開させると、青い炎を噴き出させながら空の彼方へと飛び立っていった。
「破滅に向かいながらも尚、熱く輝きを増していく──」
女王はふと、王室の壁に額へ入れて飾っていた、端々が黒く焦げている自分の肖像画に視線を向けた。
そして、ゆったりと微笑みを浮かべる。
「これだから人間の“魂”は──愚かしく、愛おしい」
赤茶けた荒野には、無数の巨大な鉄屑が転がっていた。
鈍色の塊からはみ出ている、ひしゃげた砲身や履帯の外れたキャタピラからして、恐らく見る者が見れば、かろうじてそれらの物体が、かつて戦車であったことが判別できたことだろう。
そして転がる鉄塊のひとつ、太陽に向けて蛇のように首をもたげる歪んだ砲身に、僕は腰掛けていた。
別に黄昏れていたわけではない。これでも一応、世界中から命を狙われている自覚はある。いつもは虐殺を済ませたら、すぐに現在地を離れて地球の反対側まで移動するのが常だった。
ただ今日は何となく気が向いたから、待っていたのだ。
僕自身が堕天使となった今、手に取るようにわかる。いまや世界にただ一人となった僕の“片割れ”が、近付いてきていることに。
ひぃうううううううううううん、という甲高い風切り音とともに、空の彼方から一人の少女が、僕の眼前に舞い降りた。辺り一面に砂埃が舞うが、彼女の銀髪はくすむことなく燦然と輝いていた。
「やあ、久しぶり。まだ僕を殺すのを諦めていなかったのかい?」
「何を白々しい。正直言って、まんまと都合良くあなたの自殺に付き合わされている現状は業腹です。しかしあなたを殺すべき存在は、私を置いて他にいないということも理解しています。十年前、あなたが玲衣を解放したのと同じように、私もまたあなたを──いえ、違いますね」
少女は腰から刀身がない、柄だけの刀を抜き出す。
「きっと私には十年前のあの日から、一つの予感がありました。あなたを殺したその瞬間に、私は私の中に眠っている、“魂”を知ることができるのだと」
ぶうん、と鈍い電子音を鳴らしながら、熱光線で形成された刃が柄から出現する。恐らくあのビームサーベルも、ウルスラから貰い受けたものだろう。まったく、厄介なコンビを敵に回してしまったものだ。
「やれやれ、懲りないね。これでも結構、僕は今の立ち位置に満足しているんだけど」
その言葉は本心だった。天から課せられる“堕天使”としてのノルマを無視することはできなかったものの、一般的な道徳観や社会正義など気にせずに、自分の判断で気にくわない奴をぶっ殺しまくれる現状は、なかなかどうして性に合っていた。少なくとも、分不相応に帝国の英雄として祭り上げられていた十年前の日々よりは、遙かに快適だった。
皮肉な物言いになるが、まるで憑きものが落ちたような、清々しい気分でさえあった。
しかしどうやら僕の頑固な相棒は、それを良しとしてくれないらしい。
「大体、君も知らないわけじゃないだろう? 仮に僕を倒せたところで、いずれ時が経てばまた新たな堕天使が現れるだけだよ」
「あなたこそ舐めないでください。だったらまた、その新しい堕天使を討伐するまでです。あなたも世界中を見て回って、気付いたのではないですか? 人間はあなたが思っている以上に、強いということに」
「──ま、いいさ。どうせまた返り討ちにするまでだ。さっさとかかってきなよ、レイ」
「ああ、そういえば伝え忘れていましたが、もはやこの地球上で、私のことをレイと呼んでいるのはあなただけですよ」
「・・・・・・え? マジで?」
「はい。元々あなたが勝手に他人から拝借して付けた名前ですし、今となっては私も堕天使と戦う英雄の一人として、帝国から勲章を授与されている身の上ですから。かつての“魔女”と同じ名前というのも色々と都合が悪かったので、少し前から新しい名前を名乗るようにしています」
「へえ。なんて名前?」
「もうすぐこの世を去るあなたに教える意味はありませんね。まあ、私に勝てたら教えてあげますよ」
そして彼女は僕に向かって、光の剣の切っ先を向ける。
「
そう告げて襲いかかってくる、美しく気高い英雄の少女を前にして、僕は少々困ってしまった。
正直に打ち明けると、あの日から十年も経ったことだし、ここらでそろそろ討伐されておくのも悪くないかなと、思っていたのだ。
いつの時代も魔王の役目は勇者に倒されて、物語をハッピーエンドに導くことにあるのだから。
しかし、
それでも、
彼女の口から、彼女の名前を聞いてみたいと。
──彼女の名前を呼んでみたいと、僕は思った。
空の人形(ドール)と賢者(ワイズマン) ささみ @someya
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