偽証罪

増田朋美

偽証罪

偽証罪

あたたかく日が差して、春真っ盛りというべき日だった。春というのはのんびりしているというか、何処か間が抜けてしまうような、そんな陽気であった。

その日、杉ちゃんとジョチさんがスーパーマーケットに買い物に行って、その帰りにバラ公園近くの住宅地を通り過ぎようとしたところ、サイレンを鳴らしながら、数台のパトカーが、目の前を走っていったのに驚く。しかもパトカーは、近くにあった、大きなマンションの前で止まった。そして、何人かの刑事たちが、マンションの部屋の中に突っ込んで行くのがみえた。

「おい。また何かあったの?」

杉ちゃんが、マンションの前で停止していたパトカーを運転していた、制服の巡査に聞いた。すると、

「虐待事件です。」

とだけ、巡査は言った。

「はあ、またあ?」

杉ちゃんがデカい声でそういうと、

「最近よくありますね。もしかしたら、親になりたければ、講習会にでも参加しなければならない時代が、到来するかもしれませんね。」

と、ジョチさんも言った。

「えーただいま、春風荘マンションにて、母親の阿部美紀を思われる女性の身柄を確保しました。」パトカーのトランシーバーから、そういう声が聞こえてきた。つまり、母親の女性が捕まったということだ。何人かの刑事がひとりの女性を連れて、部屋から出てきて、パトカーに乗り込んで行くのが杉ちゃんたちにもみえた。名前は刑事が言った通り、阿部美紀というのだろう。しかし、子供を持っているとは思えないほど、美人な女性だった。何だか女優にでもなれそうな、綺麗な人だった。

続いて、白い布をかぶった担架を、二人の巡査がもって来たのがみえた。多分、それが、殺された子供さんだと思われる。白い布がかかっているから、もう息はしていないということは、杉ちゃんたちも分かった。

「どうしたのかなあ。何か暴行でもしたのかなあ。」

杉ちゃんがいうと、

「いいえ、そういうことではありません。食事を長期間与えないで、発見された時は、骨と皮だったそうです。」

パトカーに乗っていた警察官が、間延びした声で言った。

「じゃあ、水商売でもしていたのかなあ。よくそういう女が、子供をほっぽらかして、男の所に行ってしまうというのはよくある事だけどさあ。」

と、杉ちゃんが言った。ジョチさんも子供が死亡したとされるマンションを眺めてみた。確かに訳ありの人が住んでいそうなマンションではなく、普通のごく一般的な高級マンションである。経済的に不幸な人が住むところとはおもえなかった。そんな女性が、どうして子供を殺してしまったのだろうか。理由が全く分からない事件だった。

「本当によくわからない事件だな。何処にでもある高級マンションじゃないか。それなのに、何で子供が死ななければならなかったんだろうか。まあ、事件というものは、よくわからない所で発生するもんだけど。」

杉ちゃんはひとつため息をついた。

「まあ、そういうことでもありますね。多分、こういうマンションに住んでいるのであれば、かなり裕福な家だとは思います。ですが、隣に誰が住んでいるかも分からないという時代でもありますよね。」

ジョチさんは、マンションの部屋に出たり入ったりする刑事たちを眺めながら、小さな声で言った。

その日は、杉ちゃんもジョチさんも、事件のことはあまり触れずに、その場を離れたのであるが、それからその数日後。杉ちゃんとジョチさんが、いつも通り、スーパーマーケットで買い物に行ったところ、

「一寸失礼ですが、お二人にお話しを聞かせてもらえませんか。」

二人の前に、警察手帳をもった刑事が二人現れてそういった。

「はい、ですが、この店では話しにくいので、ほかの場所へ行きましょう。」

ジョチさんは、二人の刑事を、スーパーマーケットの外へ出して、近くにあったカフェに入ることにした。杉ちゃんも急いでそれについて行った。店はまだ昼飯時でもなく、ちょうどすいていた。なので、杉ちゃんたちは、近くにあったテーブル席に座った。

「お話しって何ですか?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい、実は先日殺害された阿部新太郎君の母親で、容疑者である阿部美紀の事についてお伺いしたいんですがね。」

と、刑事は二人に言った。

「はあ、その女性がどうしたのでしょうか?」

ジョチさんが聞くと、

「阿部美紀が、あなた方の経営されている、施設に通っていた頃のことを、教えていただきたいんです。ほんの数週間ですが、阿部美紀がそちらに通っていたことは調べております。一体、どんな態度で通われていたんでしょうか?」

刑事は嫌そうに言った。

「一体なぜ、そんなことを調べているんです?」

「ええ、彼女が、どんな人生を送ってきたのかも、今回の事件の捜査のひとつになりますのでね。現在におきたこともそうですが、過去にあったことも知っておかないと、阿部美紀がなぜ新太郎君を殺したのか、分かりませんからね。」

「はあそうですか。でも、あなた方は、ずいぶん嫌そうな顔をしていらっしゃいますな。本当は、こんな事件、はやく何とかしたいという顔つきが見え見えになってますよ。」

ジョチさんにそういわれて、刑事たちは痛いところを突かれたなという顔をした。

「そうなんですけどね。何しろ、証言が正確な物がえられないということもあって、捜査が難航しているんですよ。ですから、理事長さんにお話しを聞きたいというわけで。」

「はあ。マンションの隣の部屋の住人なんかに話しを聞くことはできないんですか?僕たちよりもよほど、事情を知っているのではないですか?」

ジョチさんは、そういう刑事たちに疑問符をぶつけてみた。刑事たちは、そういわれてしまって、言おうか言うまいか、迷っているようである。

「おいおい、黙ってないで教えてもらえんかな。都合のいい時は答えて、悪い時には答えないというお役人根性では、いつまでたっても決着はつかないぜ。ちゃんと一方的に質問しないで、僕たちの話しも聞いてね。」

杉ちゃんにそういわれて、刑事たちも度胸を据えたらしい。うんと互いに顔を見合わせてこういうことを言った。

「実はですね、あのマンションは表沙汰では高級マンションにみえますが、精神障害のある人を集めて隔離させる、いわば現代版座敷牢というような感じの施設なんです。つまり、家族や隣近所の人に嫌われて行き場のない人たちがあのマンションで暮らしています。もちろん、住人に聞き込みはしましたが、どの人も大げさに証言して、実際にあった事とはかなり違っていることが多く、阿部美紀がほんとうはいい人であったと偽証をする人ばかりで、信憑性が取れないんですよ。ですから、捜査がなかなか進まないんです。このままでは阿部美紀が、新太郎君を放置したという、目撃者がえられないわけでして。」

「でも、障害のある人の答えが、全部間違っているという考えも又偏見なのではないかと思います。そういうことより、その証言に基づいてうごいてあげることも必要だと思うんですけどね。まあ確かに、そういう人たちですから、妄想のようなものが混じっている可能性はあります。ですが、それも証言とするのが僕たちの役目だと思います。」

ジョチさんは刑事の発言にそう反論した。。

「障害のある人の答えは、全部間違っているかという偏見の目でうごいていたら、いつまでも事件は解決しませんよ。それに、阿部美紀さんが、僕たちの製鉄所に来たことは確かにありました。それは認めますが、彼女が悪事をしでかしたという記憶はありません。裏をとりたければ、利用者に聞いて見れば分かると思います。そういう彼女が、子供を放置して死なせたというのも、腑に落ちませんね。そういうことを、警察ではっきりさせて貰わないと、変なデマが流れて、それをとめる方が大変になりますよ。」

「わ、分かりました。すみません。」

刑事二人は、ジョチさんの発言にすごすご引っ込んでいくように、頭を下げて店を出ていったのであった。

「それにしてもさあ。」

と、杉ちゃんは、コーヒーをかき回しながら言った。

「本当に、阿部美紀というひとが事件を起したのかな。感性のいい人だから、子供を殺してしまうってことは、悪いことだって分かっているんじゃないの?」

「ええ、そうですね。」

ジョチさんは一寸考え込んだ顔をした。

「まあ、そうだったのかもしれないが、障害者だとやりかねないって言いたいのかい、お前さんも?」

「僕はそうは思わないのですが、刑事さんのいうことも一理あります。周りに正確に判断ができる人物がおらず、誰かがきちんと統率してくれる人が居なかったというのが、問題じゃないかと思うんですよね。そういう隔離施設ということであればなおさらです。誰かひとりだけでもいいので。そうなると、又別の問題が発生する可能性もありますが。」

杉ちゃんがそう聞くと、ジョチさんは直ぐに答えを出した。

「まあ確かに、精神関係で問題がある人と一緒には居られないというひともいるのかもしれないが、それで現世から退いてしまうことは、いけないよね。だから僕たちも、こっちで生きているわけだしね。」

「はい、それは確かにその通りです。障害のある人もない人も、同じ場所で生きていく事。これが理想なんですよね。」

杉ちゃんとジョチさんはお互い顔を見合わせてため息をついた。

「阿部美紀の息子、新太郎君は、どんな子だったんだろうか。」

「ええ、報道に寄りますと、小学校一年生だったそうですが、母親の美紀があのマンションに住んでいた為か、担任教師も寄り付くことはなかったそうです。しかも不思議なことに。」

と、ジョチさんは言った。

「福祉関係や児相が、虐待があれば介入すると思ったんですが、そのようなことが全くなかったとも報道されています。」

「はあ、、、。そういうのがもっと本領発揮してくれればいいのになあ。周りの奴らもそうしてとめることが出来なかったというわけか。」

「まあいずれにしても、マンションの住人たちは、自分自身のもとに警察がやってくるのを恐れて板のかもしれません。きっと自分たちが若いころ、大暴れして警察のお世話になっていたことも、あったと思いますから。だからこそ、そういうことは、正確に判断できる人物がいてほしいと、僕は言ったんですよ。」

「うーん本当だね。」

ジョチさんと杉ちゃんは又、ため息をついた。

それから、数週間たって、又別の事件がワイドショーをにぎわせるようになり、阿部美紀の起した事件は、何処かへ行ってしまった。それも時間がたてば、忘れ去られてしまう事だろう。

ある日、杉ちゃんは、水穂さんの世話をするために製鉄所を訪れていた。製鉄所には、夕方まで働いたり学校に行ったりする利用者はすくない。大体が午前だけどか午後だけとか、そういう人ばかりである。

「ただいまあ。帰りました。」

ある女性利用者が、製鉄所に帰ってきた。この利用者は、やや遠方の通信制高校に通っている。

「ああお帰り。今日は早かったんだね。ご飯がもうすぐできるから、手を洗って来てくれや。」

と、杉ちゃんがいうと、

「はい、分かりました。水穂さんにも挨拶してくるわ。」

と、彼女は急いで四畳半に行って、ただいまあと水穂さんに声をかけ、それから食堂にやってきた。

「杉ちゃん、今日のお昼何?」

「ああ焼きそばだよ。」

「やった!焼きそば!」

そういいながら、彼女は食堂の席に座った。杉ちゃんがはい、食べろと焼きそばを乗せた皿を彼女に渡すと、彼女はありがとうございますと言って、ものすごい勢いで食べ始めた。

「ずいぶん、大食いだな。何か嬉しいことでもあったのか?」

と、杉ちゃんがいうと、

「ええあったわ。今まで放置されっぱなしだった私が、必要とされたのよ。」

と答える彼女。確かに世のなかから必要とされることは、大きな喜びでもあるが、それは、本当に喜びであるかというとそうではない場合もある。

「必要とされたって、何がだ?」

と、杉ちゃんがいうと、

「杉ちゃんには答えないとだめだわね。あたし、チラシ配りの仕事に採用されたのよ。」

と彼女は答えた。まあ確かに、こういう小さな仕事でも喜ぶ利用者は多いのであるが、

「何処の会社にだ?」

と、杉ちゃんがまた言うと、

「それは言えない。でも、しっかりやれる会社だって、担当の人は言ってたから、心配しないで。」

と彼女はいうのだった。

「うーんだけどさあ。ちゃんと会社名を教えない会社は、いかさまだと思うんだけど。どうだろう。」

また杉ちゃんがいうと、彼女は嫌そうな顔をした。

「そういうことはちゃんと、ほかの人と相談するようにして、それから決めた方が良いと思うぞ。幾ら必要とされて嬉しいかもしれないけど、ちゃんと会社名とか、連絡先とかそういうのを聞いてから、チラシ配りの仕事を始めた方がいい。」

「杉ちゃん変なこと言わないでよ。家族だって、私の事をいつまでも学生で嫌だなって言ってるのに、それで仕事を始めたら、大喜びするに決まってるわ。」

そういう彼女の言い分も確かにその通りなのである。が、杉ちゃんは、まだ疑わしそうな顔をしていた。

「だったら、なにか用事をつくって、その番号に電話をかけてみろ。通じたら正規の会社だって分かるけど、それが出来なかったら、その会社はいかさまだ。」

女性が嫌そうな顔をしてしぶしぶスマートフォンをとろうとした時、せき込んだ音がして、水穂さんが何かもって、杉ちゃんたちの前に現れた。

「おい、何をしているんだ?寝てないとダメじゃないか?」

と、杉ちゃんがいうと、

「いえ、これ、明子さんが落としていったから。」

と、水穂さんは一枚のチラシを先ほどの女性に渡した。

「はあ、何だこのチラシ。一寸読んでみてくれ。」

文字の読めない杉ちゃんはそういうことを言った。

「ええ、読んでみるとこういうことです。この時代、教祖の井上に話せば明るく過ごせるようになります、という事です。このチラシは、勧誘のチラシですね。宗教法人、桂馬の会と書いてあります。」

と、水穂さんが言った。

「桂馬の会って何だ?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ。最近力を伸ばしてきている宗教法人ですね。なんでも、障害のある人を高級マンションに住まわせて、生活させているようですが、それって、ある意味、社会から障害のある人を隔絶させてしまっているような感じですね。以前、演奏に行ったとき、桂馬の会の関係者が見に来ていたので、分かりました。なんでも、精神障害のある人を集めて、世話をしてくれているようですが、その代わり高額な手数料をとるとかで、有名になっているらしくて。」

と、水穂さんが答えた。

「じゃあ、その桂馬の会の高級マンションに、阿部美紀というひとが住んでいなかっただろうか?」

と、杉ちゃんが思わず聞くと、食堂で勉強していた別の利用者が、はっと思いついたような顔をして言った。

「ああ、美紀は、確かにその会にいたような気がします。あたしは、こうして学校に行かせてもらっていましたけど、美紀は、学校にも仕事にもいけないって言って、さんざん悩んでましたから。」

「じゃあ、阿部美紀さんが、子供を持っていたことは知ってるか?」

と、杉ちゃんがいうと、その利用者は、

「ええ。確か施設に預けた子供がいるって、言ってました。自立できるようになったら、子供は私が育てたいって、美紀はよく言ってましたよ。製鉄所を退所するときも、これでやっと新太郎と一緒に過ごせるって喜んでました。でも、美紀は、私が見ても、健康ではありません。もしかしたら、美紀は実家で問題でも起して、桂馬の会のマンションに入れられたのかもしれないですよね。」

と語った。それを聞いて、最初の利用者が涙をこぼして泣き出した。

「ああ、泣かないでくれ。結局、美紀さんみたいに、だまされないで済んだんだから。それはよかったじゃないの。」

と、杉ちゃんがいうと、

「杉ちゃん、彼女だって、居場所が長らくなかったのに、やっとみつかったとおもったら、それが悪質な場所で、そのショックはすごく大きいと思う。少しだけ泣かせてあげよう。」

と、水穂さんが言ったので、杉ちゃんも黙ってしまった。

「そうかもしれないが、、、。まあ、いい方に考えてくれや。結局洗脳されずに済んだんだから。な、それでいいだろう。」

「ごめんなさい。私がもっと強くならなきゃだめですよね。」

泣いている利用者の明子さんは、ハンカチで顔を拭くこともなく、泣き続けるのであった。

「まあ、そういう事もあるよ。人生にはいろんなことがあるもんだ。少し休んで、また挑戦しすれば良いな。所でそのチラシ配りの悪行は、何処で知ったの?」

「杉ちゃん、こういう時は、根掘り葉掘り聞くのはやめた方がいい。たまに僕もインターネットで見たことがあるんだけど、求人サイトの広告で、チラシ配りを募集していたり、文学賞を設けたりしていることもあるようです。そういう立場的に弱い人に、自分が必要とされていると思わせることによって、

悪行をするように、誘導していくのでしょう。」

明子さんの代わりに、水穂さんが答えた。

「ということはだよ。あの高級マンションに住んでいるやつは、桂馬の会に洗脳されちまった奴らということだな。」

と、杉ちゃんは腕組みをして考えこむ。

「ええ、そうだと思います。問題のある人をあずかっているというか、高級な所に住まわせてあげるように見せかけて、実は社会から隔離させるという、悪質な手口よね。あたし、美紀が逮捕された時の映像を動画サイトで見たことあるから、分かるわよ。あの高級マンションは、間違いなく、桂馬の会の経営しているマンションだわ。」

と、勉強していた製鉄所の利用者が、そういうことを言った。

「ええ、確かに悪質ですよ。あの会に行くと、あの会の人しか、自分の事を知っている人が居なくなってしまうから。確かに、不安定な人を住まわせてくれるというということは、ご家族には嬉しいとは思うんですけど、逆を言えば本人には劣等感を植え付けて、社会から、隔絶してしまうわけですからね。長らく、あそこに住んでいれば、もう自分を受け入れてくれる所は無いと勘違いして、判断がおかしくなってしまうこともあるでしょう。」

「そうかそうか。水穂さんのいうことが本当なら、障害のある人を変な方向へ持っていく可能性があるということだな。それが、普通のひとなら、正しい行為に見えてしまう、、、。」

杉ちゃんは腕組みをした。

「美紀は、この製鉄所を出て自宅に戻ったとおもったら、美紀の家族はそういうところにやったんだね。」

女性の利用者は、大きなため息をついた。


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偽証罪 増田朋美 @masubuchi4996

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