第三十六話 双子連理
携帯の目覚ましアラームが鳴り、目が覚めた。
起床時間は午前五時。
この時間帯から、俺のいつもの一日が始まる。
……はずなのだが、今日はどこかおかしな雰囲気が部屋に漂っていた。
その原因は俺のベッドにある。
なんとベッドには、ある人物が寝ているのだ。
その人物は、俺の右腕を枕にしてスヤスヤと寝息を立てている。
俺はその人物をまじまじと凝視した。
すると、突然目をパチリと開けて、ニコッと笑顔を作っのだ。
「おはよう、璃央」
「お、おはよう、瑠璃」
俺のベッドで寝ていた人物、それは瑠璃だったのだ。
先日、瑠璃は突然、俺と一緒に寝たいと言ってきた。
そのときは一回くらいならいいかと思い、瑠璃のわがままを素直に受け入れてしまったのだ。
それがそもそもの間違いだった。
瑠璃はその一回をきっかけに、毎晩俺の部屋を訪ねてくるようになったのだ。
もちろん、最初は抵抗して一緒に寝ないようにしていた。
しかし、瑠璃からの圧がすごくて、俺は根負けしてしまったのである。
その結果、二人で寝る、という行為が当たり前となってしまった。
二人で寝るといっても、誓っていやらしいことは何もしていない。
ちゃんとお互い寝間着は着ている。
ただ二人で横になって寝るだけだ。
ちなみに、じいちゃんはこのことを知らない。
もし知ったら、違う意味で心配するだろうからな。
「はぁ……。俺はこれからランニングに行くけど、瑠璃はどうする?」
「んー、どうしよう。昨日、誰かさんが寝させてくれなかったせいでまだ眠いのよ」
「おい、誤解されるようなことを言うなよ。 寝不足なのは、昨日深夜までゲームをやってからだろ」
「あら、私もゲームのせいってことを言いたかったのよ。璃央ったら、何を想像してたのかしら?」
瑠璃はニヤニヤと笑いながら、俺をからかってくる。
こいつの冗談には付き合ってられない。
俺はベッドから降りて、着替えることにした。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! まだ私が部屋にいるじゃない! それなのに服を脱ぎ始めるなんて、どういうつもり!?」
「はぁ? 別に姉弟なんだし、問題ないだろ? 今さら何を恥ずかしがってるんだよ?」
「も、問題あるわよ! もー、最低!」
瑠璃はベッドから勢いよく降りて、そのまま部屋から飛び出していってしまう。
俺はそんな瑠璃の言動を疑問に思った。
俺の下着姿なんて、これまで何度も見てきたはずだ。
いつもなら冷静な顔をして、淡々と受け答えをしていただろう。
ちょっと前までは、今みたいに恥ずかしがったりしなかったはずだ。
こうなったのは瑠璃と仲直りしたときからだよな。
しかしながら、下着姿を見るのは恥ずかしがるくせに、一緒に寝るのはOKなのか……。
なんとも不思議なことだ。
俺は着替えを済ませ部屋から出ようとした。
さて、今日はどのコースを走ろうか……。
「あら、遅かったわね。私はもう準備万端よ」
部屋から出ると、俺の目の前には、ランニングウェアに着替えた瑠璃が立っていた。
「おおーっ! やっぱり、瑠璃の作った料理はおいしいのぉ!」
「え? 今日作ったのは私じゃなくて、璃央なんだけど……」
「何っ!?」
「じいちゃん、今の発言はさすがに傷ついたぞ」
俺はテーブルに肩肘をついて、じいちゃんをにらんだ。
一方、瑠璃は少しだけムッとしたような顔をしている。
「むうっ!? す、すまん! いや、しかし、璃央も料理を作るのが上手くなったのぉ! もう瑠璃の作った料理と比べても遜色ないぞい」
「おいしくて当たり前よ。私が徹底的に指導したんだから、おいしくないわけがないわ。でも、よく頑張ったわね、璃央。姉として鼻が高いわ」
「そ、そうか? 俺も結構成長したってことだよな? ありがとな、瑠璃」
「どういたしまして。じゃあ、璃央。私にあーんをして食べさせて」
「え? 嫌だけど?」
「な、なんでよ!? この前はしてくれたじゃない!」
「いや、この前はじいちゃんもいなかったし。それに、よく考えてみると、やっぱりあーんとかは恥ずかしいなぁと思って……」
「ぜ、全然恥ずかしくないわよ! ほら、やって! お願い! いや、お願いします!」
「なんで敬語なんだよ? ……そんな目で俺を見るな。じいちゃんの前では絶対やらないからな」
「あ、あのー……。も、もしかして、やっぱりワシって邪魔者なのかのぉ?」
「……じゃあ、ワシは先に仕事に行くぞい。家の施錠は頼んだぞ」
「待って、おじいちゃん。はいこれ、お弁当」
いつもは朝食当番がその日の弁当を作る。
だが、今日はなぜか自分が作ると瑠璃が言い出した。
俺にとってはありがたいが、理由が少し気になる。
そういえば、瑠璃は弁当を作るとき、かなり上機嫌だったな。
もしかしたら、何か新しい料理を開発したのかもしれない。
今日の弁当は期待しておくことにしよう。
昼休みが楽しみだ。
「おお、いつも悪いのぉ」
「お弁当は私が作ったから、そこは間違えないでね」
「わかった。ありがたくいただくとしよう。では、行ってくる」
「おう、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい。あ、お弁当箱は……」
「もちろん、洗ってくるぞい」
「助かるわ」
「お前たち。遅刻しないように学校に行くんじゃぞ? イチャつくのもほどほどにな?」
じいちゃんはニヤリと笑ってから、家を出た。
まったく、じいちゃんはひどい勘違いをしているな。
じいちゃんがいなくなったからといって、別に俺と瑠璃はイチャイチャなんてしない。
隣にいる瑠璃の様子を、チラッと横目で確認する。
じいちゃんにあんなことを言われても、きっと瑠璃ならば平気な顔をしているだろう。
「り、璃央! 二人きりだからって、そんな……ダメ! 私たち姉弟なのよ? こんなのよくないわ。そ、そんな強引に!? ああっ!」
「……」
隣にいたのは、平静で気丈に振る舞う姉ではない。
ピンク色な妄想をしながら、身体をくねくねと動かしているただの変態だ。
俺はそんな姉を無視して、学校に行く準備を始めた。
季節は桜が満開の時期になった穏やかな春。
現在、俺と瑠璃は高校三年生だ。
三年生になってから、周りの空気が少し変わった。
俺たちには、大学受験や就職という壁が立ちはだかっているからだ。
一年前、俺は将来の夢について盛大に迷っており、勉学に身が入らない日々が続いていた。
だが、今の俺には叶えたい夢がある。
今はその夢のために毎日努力しているのだ。
「ねぇ、璃央。難しい顔してどうしたの? もう学校に着くわよ?」
「ちょっと考えごとをしててな」
「ふーん……。それって、私には話せないことだったりする?」
「いや、そんなことはない。というか、前に話したことだよ。俺の将来の夢についての話だ」
「じゃあ、安心したわ。璃央ったら時々、私に言えないような悩みを抱え込むんだから。何かあったら真っ先に私を頼るのよ?」
「わかってるよ。ありがとな」
「う、うん……」
「そういえばさ。早速、瑠璃に訊きたいことがあるんだ」
「ええ、何でも訊いていいわよ」
「もう学校の敷地内だよな? この手、いつになったら離してくれるんだ? 約束と違うぞ?」
俺と瑠璃はいつも手を繋ぎながら登下校をしている。
しかも、恋人繋ぎで。
実はこれも、瑠璃のわがままから始まった。
新学期が始まる前、登下校するときは手を繋ごう、と瑠璃が提案をしてきたのだ。
最初は普通に手を握るだけだった。
しかし、日を重ねるにつれて、徐々に瑠璃の指が絡みつき、最終的にこのような状態になったのだ。
これも「一緒に寝る」と同じで、今では日常の一部と化している。
手を繋ぐこと自体は許す。
問題は、それが学校内でも続いているということだ。
瑠璃との約束では、「手を繋いでいいのは学校の校門まで」と決めていた。
なのに、今ではその約束を反故にされている。
「そ、そういえば、そんな約束してたわね! 私ったらすっかり忘れてたわ! ……でも、今日はもうしょうがないわよね? このまま昇降口まで行きましょうよ」
「お、おい、そんなに引っ張るなよ!」
瑠璃の強引すぎる力業に、俺はなす術がなかった。
結局、俺たちは手を繋いだまま昇降口まで行くことになってしまったのである。
「瑠璃、おはよー」
「おはよ、一紗」
「あ、璃央もいたんだ。おはよー」
「お、おはよう……」
「ていうか、どうしたの二人とも? ここ学校だよ? そういうのは家に帰ってからにしなよ。あたしだって我慢してるのに……」
運悪く、昇降口で米原と遭遇してしまった。
知人に見られるのは、さすがに恥ずかしいな。
「璃央がどうしてもっていうから、仕方なくここまで手を繋いであげたのよ。だから、大目に見てあげて」
「へぇー、璃央って意外と大胆なんだね。独占欲とか強そう。瑠璃も大変だねー」
「そうなのよ。さすがの私でも困っちゃうわ」
「……」
米原は笑いをこらえながら、冗談を言っている。
こんな茶番にいつまでも付き合ってられるか!
「俺は先に行くからな」
「あっ……」
俺は繋いでいた手を無理やり引き剥がし、そのまま一人で教室へと向かった。
「ふー、やっと昼だぜ」
「なんか三年になってから、授業が急に難しくなったよね」
「そうだな」
「まあ、その分、部活をするのが楽しくなるけどな。最近暖かくなったせいか調子もいいし」
「それは同意するよ。部活は勉強のストレスを発散してくれるからね」
「へー、そういうもんなのか。確かに、身体を動かすとスッキリするよな」
俺と剛志と弘人の三人は、いつもどおり空き教室で昼食をとっていた。
本当は教室で食べてもいいのだが、教室で食べると瑠璃からの視線が痛いのだ。
だから、二人にお願いして、こうして空き教屋で昼食をとっている。
そういえば、今朝は瑠璃が張り切って弁当を作っていたよな。
その中身をようやく拝めるわけだ。
さて、今日はどんな弁当なんだろうな。
俺は弁当箱を包んでいる風呂敷を広げる。
風呂敷から出てきたのは、大きなハート型の弁当箱だった。
「おっ、今日の弁当箱はハート型なのか」
「璃央にしては、ずいぶん可愛らしいお弁当箱じゃないか。いや、今日は瑠璃ちゃんが作ったんだろ? 璃央がハート型のお弁当箱を選ぶなんて、ありえないからね」
俺は開けるのが少し怖くなった。
だが、勇気を出して恐る恐る弁当箱の蓋を開けていく。
すると、ものすごい自己主張の激しい弁当を目撃する。
端的に言うと、今日の弁当の中身は鶏そぼろ弁当だった。
鶏そぼろ弁当自体は珍しくないが、問題は弁当の形だ。
まず弁当の一番外側には、ぎっしりと鶏そぼろがハート型になって詰まっている。
また、中間にはたっぷりと玉子炒めが、これまたハート型で収まっていた。
そして、一番真ん中のポジションには、鮮やかなピンク色の桜でんぶが、ハート型で鎮座していたのだ。
加えて、どうやらご飯も大盛りのようだった。
「おっ、これはすごいな。彩りもよくて、腹いっぱいにもなりそうだ」
「これは、ある意味すごいよね。瑠璃ちゃんがどれだけ璃央を想っているのかが一目でわかるよ」
二人は各々、ハート尽くし弁当の感想を述べていた。
俺は嬉しさよりも恥ずかしさのほうが上回ってしまう。
今日だけは一人で弁当を食えばよかった。
とにかく、俺は恥ずかしかったのだ。
ちなみに味は文句なしでおいしかった。
昼食後、二人と談笑をしていたとき、俺の携帯が突然鳴り出す。
確認してみると、ある人物から連絡がきていた。
『話したいことがあります。屋上まで来てください』
こんな文章が送られてきたのである。
俺は少し動揺しながら、携帯をそのままポケットにしまった。
「悪い、ちょっと用事ができた」
俺は急いで屋上まで向かった。
屋上に着くと、俺を呼び出した人物は、快晴で雲一つない春の空を仰いでいた。
その人物は俺に気づくと笑顔を作り、身体をこちらに向ける。
「ごめんね、璃央君。急に呼び出したりして」
俺を屋上に呼び出した人物。
それは鈴音だった。
「いや、気にしなくてもいい。ちょうど暇だったしな」
「なら、よかったよ」
鈴音は両腕を後ろで組み、また笑顔を作る。
鈴音とこうやって話すのはいつ以来だ?
おそらく、鈴音の家に転がりこんだときが最後だろうな。
あの日を境に、俺は瑠璃から、「鈴音にはもう近寄るな」と釘を刺されていた。
瑠璃はひどく鈴音を嫌っているのだ。
当然、そうなった理由も納得できる。
しかし、二人の仲が良かった頃を思い出すと、俺は少し複雑な気分になる。
「俺に用があるんだろ? できれば、早く話してくれると助かる。瑠璃にでも見られたりしたら、面倒なことになるからな」
「……そうだね。じゃあ、簡潔に話すよ」
鈴音は笑顔を一瞬で曇らせる。
それから、少し震えながら口を開いた。
「私ね、今月中に他県に引っ越すんだ。お父さんの仕事の都合でね」
「……え?」
「だからね、今日は璃央君にお別れの挨拶をしようと思ったの」
鈴音の声のトーンが徐々に下がっていく。
つらそうな鈴音を見てると、なんだか悲しくなる。
「今まで散々迷惑をかけてごめんなさい。私が犯した過去の過ちについては猛省してます」
「……うん」
「短い間だったけれど、私は璃央君と友達になれて本当に嬉しかったよ。い、今まで、あ、ありがとうございました……」
鈴音は深々と頭を下げた。
声も若干涙声になり、身体もさっきよりも震えている。
「鈴音、わざわざありがとう。俺も鈴音には感謝してる。冬休みのときは本当に世話になったよ。あのときの鈴音に俺は救われたんだ」
「璃央君……」
俺は自分の想いを正直に伝える。
同時に、俺は鈴音に手を差し出した。
「え? こ、これって……」
「俺と握手してくれ。これは今まで世話になった、鈴音への感謝と別れの挨拶だ」
「で、でも……私は……」
「いいから……ほら、つかまえた」
「あっ……」
俺は戸惑う鈴音を無視して手を握った。
そして、今度はこちらも笑顔を作る。
「今までありがとう。鈴音のことは忘れないよ」
「……ありがとう。私も璃央君のことは一生忘れないよ」
今の俺が鈴音に対してできること。
それは友達として笑顔で送り出すことである。
これが最善だと俺は思ったのだ。
こうして俺と鈴音の関係は、完全に終わりを告げた。
「璃央君、ごめん。私用事があるから、もう行くね」
「わかった」
「……それじゃあね」
「ああ」
鈴音は手で顔を隠しながら、屋上から去っていった。
こんなに天気がいいのに、なんだか雨が降ってきそうだな……。
鈴音が屋上からいなくなったあと、入れ替わりで誰かが屋上にやって来る。
よく見ると、その人物は米原だった。
「やっと見つけたよ」
「どうした、米原? 俺に何か用か?」
「そうだよ。あんたに話したいことがあるの」
「それは重要なことか?」
「そうだね。すっごく大事なことだよ」
「そ、そんなにか……」
「でも、その前に訊きたいことがあるんだ」
「な、何だよ?」
「鈴音とどんな話をしてたの? 鈴音は泣いていたように見えたけど……」
米原は腕を組んで怪訝な顔をしている。
米原もあの日以来、鈴音を嫌い、距離を置いていた。
しかし、今回の件については珍しく気になったようだ。
「……偶然鈴音と鉢合わせただけだよ。泣いていた理由は俺にもわからないんだ」
「ほんとに? もしかして、瑠璃を裏切って鈴音を――」
「米原の考えているようなことは、何もなかったよ。神に誓ってもいい。それより、ほかに話したいことがあるんだろ? なら、さっさとそれを話せよ。もうすぐ昼休みも終わるからな」
「……わかった。今回は見逃してあげる。本来なら鈴音と二人きりで会うなんて、瑠璃に報告する案件なんだけどね」
「助かるよ」
米原は怪訝な表情と腕組みの姿勢を変えず、俺を真剣そうに見つめてくる。
いったい米原は、俺にどんな用事があるのだろうか。
「それじゃ、単刀直入に訊くけれど……」
「お、おう……」
「あんたはいつになったら瑠璃に手を出すの?」
「……は?」
こいつは何を言っているんだ?
瑠璃は俺の姉だぞ……。
「あれ? 聴こえなかったの? なら、もう一回言うからね。あんたはいつになったら――」
「に、二回も言わなくてもいい! 聴こえてるから!」
屋上には誰もいないとはいえ、ここは学校だぞ?
まったく、少しは分別をわきまえろよな。
「……というか、なんでそんなことを訊いてくるんだよ? 米原には関係ないだろ?」
「関係あるよ。だって、あたしは瑠璃の友達だし。それに……」
「それに?」
「瑠璃は毎日あたしに愚痴るんだよ。『私は璃央にたくさんアプローチをしてるのに、向こうからは何もしてきてくれないの。もしかしたら、私には女性としての魅力がないのかな?』ってね」
「なっ……!?」
「この際だから、はっきりと言わせてもらうけど、瑠璃はあんたのことを愛してるの。家族としてじゃなくて、一人の異性としてね。それは、あんたもわかってるでしょ?」
「――っ!?」
「瑠璃はいつでもあんたを受け入れる覚悟ができてる。あんたはどうなの?」
「ど、どうって?」
「もちろん、瑠璃を恋人として受け入れる覚悟だよ」
「か、覚悟か……」
瑠璃が俺のことを好きなのは、百も承知だ。
だけど、俺は今の瑠璃との関係を壊したくなかった。
もし付き合ったとしても、上手くいかなくて、疎遠になる可能性もある。
最悪、家庭崩壊になるかもしれないのだ。
そんなことになったら、俺は朋恵義母さんに顔向けができない。
だから、俺はあえてグレーな関係を維持していた。
「このまま曖昧な関係を続けても、お互いつらいだけじゃない? 瑠璃も璃央も進路はそれぞれ違うんでしょ? あと、瑠璃がいつまでもあんたのことを好きでいると、過信しないほうがいいよ。大学に行けば、あんたよりいい男なんてたくさんいるだろうしね」
「……そうかもしれないな」
「それに瑠璃って結構モテるんだよ? 実は、一年のときも、二年のときも、ついこの間だって、瑠璃は男子から告白されてる。しかも、あんたよりイケメンで頭もよくて、スポーツ万能な男子たちからね」
「えっ!? そ、そうなのか!?」
それは知らなかったな。
瑠璃からは何も相談されなかったし、今までそんな素振りもまったくみせなかったのだ。
俺の心はなぜかキュッと締めつけられた。
「そ、それで、瑠璃の返事は?」
「はぁ? そんなの全部断ったに決まってるでしょ。あんたバカなの?」
「わ、悪い……」
米原の言葉を聴いて、先ほどまで締めつけられた俺の心は少しだけ落ち着いた。
いつも一緒にいるからあまり実感はしないが、瑠璃は結構美人だ。
勉強もできるし、スタイルもいい、性格も……たぶん、外面はいいほうだろう。
こうやって客観的に考えてみると、瑠璃はかなりの優良物件なんじゃないか?
果たしてそんな女子を、世の男子たちが放っておくのだろうか。
いや、放っておくわけがない。
俺は謎の焦燥感に駆られる。
それに、今が大丈夫だからといって、安心している場合ではないのだ。
米原の言ったとおり、俺と瑠璃の進路は同じではない。
もし希望どおりの進路を目指すとしたら、俺と瑠璃は数年間、離れて暮らすことになる。
その間、瑠璃は非常に魅力的な男性たちを、目の当たりにするだろう。
そうなったら、瑠璃は心変わりをしてしまうかもしれない。
瑠璃が俺以外の男を好きになる。
今まで俺は、そんな心配などしたことがなかった。
心のどこかで、そんなことはないだろう、とたかをくくっていたのだ。
米原の言葉がボディブローのようにじわじわと効いてくる。
そのせいなのか、とある感情がいくつか生まれた。
『瑠璃を独占したい』
『瑠璃と死ぬまでずっと一緒にいたい』
俺は初めて瑠璃に対して、このような欲求を抱いたのだ。
その欲求は、心臓から送り出される血液のように全身へと巡っていく。
「ぐっ……!」
それに伴い、今まで感じたことのない胸の痛みに襲われた。
俺は思わず胸に手を当てる。
「ちょ、ちょっとどうしたの? 大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。……なあ、米原。俺の話を聴いてくれるか?」
「べ、別にいいけど……」
「俺はお前の話を聴いて、胸が苦しくなった。同時に、瑠璃を独占したいとも思ったんだ。瑠璃を誰にも渡したくない。それに、俺は瑠璃と死ぬまで一緒にいたいとも思ったんだ」
「え? それって……」
「こんな考え方をする俺って変じゃないか?」
米原はなぜか安心したような表情をしていた。
そして、うっすら笑みを浮かべる。
「全然変じゃない。その気持ちは『好き』っていうことだよ。なんだ、心配して損しちゃった。もうあんたたちは両想いなんだね」
……そうか。
これも「好き」っていう気持ちなのか。
人生で人を好きになるのは、これで二回目だ。
だけど、一回目とは何かが違う気がした。
俺はこの複雑な感情の波に揺さぶられながら、午後の授業に臨むことになったのである。
放課後、俺はいつものように瑠璃と一緒に帰ろうとした。
しかし、瑠璃から、「図書室で本を返してくるから、先に校門で待ってて」と言われたのだ。
俺は靴を履き替え、そのまま校門に向かった。
「よう、璃央。やっと来たな」
校門に着くと、そこにはジャージ姿の葵月がいた。
葵月は両手をポケットに入れて、校門のそばにある石柱に寄りかかっている。
「どうして葵月がここにいるんだ? まだ部活の時間には早いだろ?」
「……実はな、私はお前を待ってたんだよ」
「俺を?」
「ああ、お前に訊きたいことがあるんだ」
「お前もかよ……」
「何か言ったか?」
「いや、何でもないよ」
以前までは、葵月と毎朝一緒にランニングをしていた。
しかし、瑠璃が俺と走りたいと言いだしたので、葵月は遠慮して一緒に走らなくなったのである。
かといって、葵月との付き合いがなくなったわけではない。
だけど、こうやって二人だけで話すのは久しぶりだ。
なんだか少し緊張するな。
「……で、訊きたいことってなんだよ?」
「ちょっと待ってくれ。そういえば、瑠璃はどこに行ったんだ?」
「瑠璃なら図書室にいるはずだ。それがどうかしたのか?」
「いや、ただ訊いただけだ。気にしないでくれ。それじゃ、まず一つ目の質問だ。……将来の夢はもう決まったのか?」
将来の夢か……。
そういえば、一年ほど前に葵月とそんな話をしたな。
あのときの俺は、特に何も考えてなかったが、今は違う。
今の俺には、明確な将来の夢があるのだ。
「……俺の将来の夢は警察官になることだ。人を守ったり、助けたりすることが、俺の性に合っていると改めて思ったんだよ」
「そうか、夢が決まってよかったな。それにしても、警察官か……。お前らしいな、応援するよ」
「ありがとな。それで、葵月は決まったのか?」
「聴いて驚け、私はスポーツインストラクターになるっていう夢ができたんだぞ!」
「おお! 葵月らしくていいと思うよ。俺も応援するぜ」
「ありがとう! お互い頑張ろうな!」
「おう!」
スポーツインストラクターか……。
葵月にぴったりな職業だな。
これで、お互い将来の夢は決まったわけだ。
俺たちも少しずつ成長しているようだな。
「それじゃあ、二つ目の質問だ。心の準備はいいか?」
「ああ、何でも訊いてくれていいぞ」
葵月はニコッと笑ったかと思えば、いきなり顔に影を落とす。
それから、真剣そうな面持ちで俺の目をしっかりと捉え、口を開いた。
「……璃央は今幸せか?」
「……は?」
葵月は突然、宗教勧誘に来た人がするような質問をしてきた。
俺は不意打ちをくらって、思わず呆然としてしまう。
「い、いきなり、どうしたんだよ?」
「いいから答えてくれ」
俺は心の中で、まず自分にとっての幸せの定義を考えた。
そのせいで返答に少し時間がかかったが、葵月は何も言わずに待ってくれていた。
「……俺は今幸せだ。瑠璃やじいちゃんがいるし、それに葵月みたいな、いい友達もいるからな。俺は恵まれた環境にいるんだなぁ、って毎日思ってるよ」
「……そうか。答えてくれてありがとな」
「そういうお前はどうなんだよ?」
「……もちろん、私も毎日幸せだ。将来の夢も決まって迷うことも減ったし、部活も楽しい。私も璃央や瑠璃みたいな、いい友達がいてくれて、毎日感謝してるよ」
葵月は真っ直ぐな眼差しで俺を見る。
あまりにも真っ直ぐな目で見つめられたので、少し照れくさくなって、葵月から視線を外してしまう。
「……話はこれで終わりだ。付き合ってくれてありがとな。改めて、これからも友達としてよろしくな、璃央」
葵月は笑顔で手を差し出してくる。
どうやら葵月は俺と握手をしたいようだ。
「ああ、これからもよろしく頼む」
俺は葵月と固い握手を交わす。
そのとき、葵月の手が手汗でじっとりとしていることに気づいた。
緊張でもしているのか?
いや、そもそも葵月はこんなことで緊張する性格じゃない。
体調でも悪いのだろうか?
「葵月、お前もしかして――」
「葵月先輩ー! そろそろ部活が始まりますよー!」
遠くから千歳の声が聞こえてくる。
その瞬間、葵月は俺の手をパッと離した。
「わかったー! 今行くぞー! それじゃあ、また明日な、璃央」
「おう、また明日。部活頑張れよ、葵月」
葵月は俺との挨拶を交わしたあと、千歳のもとへと走っていった。
先ほどまでの葵月の様子に、俺は少しだけ違和感を覚える。
だが、あまり気にしないことにした。
「璃央ー!」
瑠璃の声が後ろのほうから聞こえてくる。
振り返ると、そこには息を切らして、苦しそうにしている瑠璃がいた。
「おい、大丈夫か?」
「え、ええ……。ま、待たせてごめんなさい。よ、読みたい本がたくさんあって、どれを借りようか迷っていたら遅くなったのよ」
「そうだったのか。それにしても、なんでそんなに息切れしてるんだ?」
「こ、これから行きたい場所があるの。その場所は電車じゃないと行けないくらい遠いから、急いで来たのよ。ほら、帰りが遅くなるとおじいちゃんも心配するじゃない? り、璃央も一緒に来てくれると助かるんだけど……」
「お、おう? 別にいいけど……」
「ありがとう。それじゃあ、走るわよ!」
「お、おい! お前ほんとに大丈夫なのかよ!?」
瑠璃は強引に俺の腕を掴む。
そして、俺たちはそのまま駅まで走ることになったのである。
このときの瑠璃はどこかおかしかった。
急いでいるのに「図書館でゆっくりと本を選ぶ」という、瑠璃にしては珍しく、ちぐはぐな言動をとっていたからだ。
だが、俺は瑠璃の勢いに押されて、そんなことを指摘することもできなかった。
「わー! 綺麗ねー!」
瑠璃に連れられてやってきた場所は、桜並木が広がる自然公園であった。
瑠璃はライトアップされた桜並木を見て、感嘆の声を上げている。
公園内にある桜のほとんどは満開だった。
そんな中、淡い桃色の桜の花びらが暗闇の中から浮き出している。
その様子が、すごく綺麗だった。
「来てよかったでしょ?」
「ああ、連れてきてくれてありがとな」
「ふふっ、どういたしまして。ねぇ、璃央。もっと奥まで行ってみましょうよ」
「わかった」
瑠璃は俺の手を握って歩き始めた。
しかも、当然のように恋人繋ぎで。
幸い、今日は平日のど真ん中ということもあり、公園を訪れている人たちは数えるほどしかいない。
知り合いに出会うこともないだろう。
俺はこのとき、なぜか心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
しかし、なんとか平静を装って、桜を純粋に堪能しようと努めたのである。
「向こうにすごく大きな桜の樹があるわね。ちょっと見に行きましょうよ」
「よし、じゃあ行ってみるか」
桜並木がある道を少し過ぎたところで、大きな広場に出た。
すると目の前に、ひときわ大きな桜の樹が出現したのだ。
この大きな桜の樹もライトアップされていた。
鮮やかな淡い桃色が視界いっぱいに広がって、かなり迫力がある。
「……綺麗」
「ああ、ほんとに綺麗だ」
俺たちは、目の前の大きな桜の樹に魅入られて、しばらくその場から動けなかった。
そんなとき、突然強い風が吹き、大量の桜の花びらが舞い上がる。
「きゃっ!」
「瑠璃っ!」
俺は咄嗟に身を挺して、瑠璃を強風から守った。
その結果、俺と瑠璃の身体は密着し、お互いの顔も近くなる。
今にも唇同士が触れてしまいそうだ。
「わ、悪い。今どくから……」
「ダメ。もう少しこのままでいて」
瑠璃が喋ると、吐息が俺の顔にかかる。
それがくすぐったくて、俺はすぐに離れようとした。
けれども、瑠璃は自分の両腕を俺の首に回して、そのままの体勢で固定したのだ。
「お、おい、瑠璃……」
「ねぇ、璃央。今日は何の日か知ってる?」
「……え?」
俺はその言葉を聴いて、悩んでしまった。
今日がいったい何の日なのか、俺には全然わからなかったからだ。
「……時間切れよ。やっぱり、あなたは覚えてなかったのね」
「す、すまん。俺にはさっぱりわからなかった」
「別に気にしてないから謝らないで」
「そ、そうか……。それで、今日は何の日なんだ?」
「今日はね……。私と璃央が初めて会った日なのよ」
瑠璃は俺の顔を凝視しながら、ゆっくりと答えた。
同時に、俺の心臓の鼓動は、さっきよりも激しくなる。
「ねぇ……璃央は今どんな気持ち?」
「と、突然なんだよ?」
「私は今こんな気持ちよ」
瑠璃は自分の両腕を俺の首から離し、両手で俺の右手を優しく握る。
そして、そのまま自分の心臓がある位置まで俺の手を導いた。
右手全体に柔らかい感触が広がり、心臓の鼓動がさらに速まる。
右手からは瑠璃の心臓の鼓動が感じ取れた。
瑠璃の心臓の鼓動は、俺の心臓に負けないくらい激しく高鳴っていた。
激しいが、不思議とこの鼓動をずっと感じていたい気持ちになる。
「ほら、わかる? 私の心臓はね、璃央といるとこんな状態になっちゃうの」
「……俺と同じだな」
「本当? 私も触っていい?」
「……好きにしてくれ」
瑠璃は片手を離し、そのまま俺の心臓の位置まで自分の手を移動させる。
俺と瑠璃はお互いの胸に手を当てている状態になったのだ。
「ほんとだ。すごくドキドキしてる。私たち似た者同士ね」
瑠璃は顔を赤くして、悪戯っぽく笑う。
そんな瑠璃の笑顔に、俺は釘付けになった。
たぶん、俺の顔も真っ赤になっているだろう。
「私ね、璃央に大切な話があるの。聴いてくれる?」
「ああ、わかったよ。話してくれ」
瑠璃は俺の胸から手を離し、俺の右手を自分の両手で優しく包み込んだ。
瑠璃の手は熱を帯びていて、少し震えている。
そして、瑠璃は覚悟を決めたような顔をして、俺を見つめてきた。
瑠璃が何をしようとしているのか、さすがの俺でもわかる。
瑠璃は俺に告白する気だ。
……だけど、これでいいのか?
確かに瑠璃が勇気を出して、告白してくれるのは嬉しいことだ。
瑠璃が告白して、俺が受け入れる。
これでカップル成立だ。
これから先はきっと薔薇色の人生が待っているだろう。
しかし、今までの俺はずっと受け身だった。
今まではそれでもよかったが、今回のような大切なイベントでも受け身だなんて、俺は嫌だ。
これから先の未来は、自分自身で切り開いていかなければならない。
今日この瞬間から、新たな人生を歩き始めるんだ。
俺が本気で好きになった、目の前にいる女の子のためにもな。
「私はあなたの――」
「瑠璃、そこから先は俺に言わせてくれ」
「……え?」
俺はすぐに瑠璃の手を自分の両手で包み込んだ。
それから、瑠璃の顔を真正面から捉え、改めて視線を合わせて見つめ合う。
「俺はあなたのことが好きです。どうか俺の彼女になってください。そして、これからもずっと俺のそばにいてほしいです」
俺はすべての力を口に集中させて、瑠璃に告白をした。
しばらくの間、瑠璃はピクリとも動かず、そのまま固まっていた。
その間、俺はずっと瑠璃の顔を見つめ続ける。
もちろん、手も握り続けた。
どれだけ時間が経ったのだろう。
もう十分は経ったか?
いや、もしかしたら、まだ一分も経ってないかもしれない。
次の瞬間、瑠璃の瞳から一筋の涙が頬を伝い落ちた。
その涙をきっかけに、時は動き出す。
「わ、わ……」
瑠璃は返事をなんとか返そうと必死だった。
俺が逆の立場だったら、たぶん今の瑠璃と同じ状態になるだろう。
「私もあなたのことが好きです。璃央から告白してくれて、私すごく嬉しい。不束者ですが、これからもよろしくお願いします」
瑠璃は涙を流しながら、満面の笑みで俺の告白を受け入れてくれた。
こうして、俺たちの間に立ちはだかる壁はなくなったのである。
「瑠璃、俺はお前を愛してる」
「私もあなたを愛してるわ、璃央」
晴れて恋人同士となった俺たちは、桜吹雪に包まれながら、熱い抱擁と口づけを交わした。
双子連理 松川スズム @natural555
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます