さして青くもないのだろうか?

 学祭当日。高いステージからほどほどに離れた位置で、ほどほどに群衆に紛れながら僕は立っていた。椅子などなく全員立ち見なので目立たないポジションを位置取りやすくて助かった。

 軽音楽部のコンサートは部員全体を三組に分けて数曲ずつ演奏する方式になっていた。朝日奈さんは二組目に出て来る。

 流行りの曲のアレンジを演奏する面々は誰しもがステージ上で輝いていた。あまり音楽に詳しくない僕が言うのも図々しいが、彼らはそこまで上手いわけではなかった。学業の傍ら趣味でやっている延長だし、流行りの曲と言うのは普段テレビでプロが歌っているのが散々流れているわけで。どうしたって比較して見劣りしてしまう面があるのは仕方なかった。

 だがそれが何だと言うのだ。そう言われている気がした。今ステージ上に立っているのは彼らであり、衆目を集めているのは彼らであり、楽器と、喉と、全身の動きで以て僕達に全霊を叩きつけているのは彼らだった。流行りの曲というツールは、彼らが選んだ表現の形の一つでしかなかったのだ。

 湧く観客に混じって僕も手を振り上げる。奏者がぶつけて来たエネルギーに応えるように観客も盛り上がっていく。熱量のぶつかり合いは音楽と歓声と一体になって昇華されていく心地がした。

 僕は彼らの演奏に間違いなく感動した。来て良かった。こんなに力強いものを知ることができて良かった。ただ同時に、朝日奈さん目当てでやって来ただけの自分が恥ずかしくなった。

 一組目が終わって朝日奈さんの出る、二組目との入れ替え時間に、僕はそのまま会場を離れた。




 僕はそれから、美術部のブースに戻って描いていた。今受付当番の先輩の横に賑やかしがてら座って、スケッチブックに濃い鉛筆でぐりぐりと描いていた。


 「いや、なんで描いてんの?描くのはいつでも出来るけど学祭は今だけだよ?」

 「今描きたくなったんですよ、先輩もそういうことあるでしょ?僕が当番変わるので先輩学祭回っていいですよ」

 

 おやつと引き換えに受付当番を代わったブースは、その後ぱらぱらと人が来たが基本静かだ。僕はスケッチブックの紙を何枚も無駄にしていた。あの音楽の感動と自分への恥ずかしさと会場から逃げ出した負い目と、色々な何かをぶつけたかっただけだった。あのガーベラは、花弁は何枚あっただろうか。


 「あの、すみません」


 誰か来た。今ちょっと良いところだったのに。顔を上げると朝日奈さんがいた。

 …えっ。えっ、朝日奈さんがいる。なんで。朝日奈さん本物?本物だ、今日も可愛い。軽音部でお揃いのTシャツは少し大きめで華奢さが目立つ。可愛い。駄目だ、可愛いで思考が止まってしまう。


 「こんにちは。台帳に名前の記入をお願いします。また、一番好みの作品のアンケートを取っておりますので、宜しければこちらに書いていってください。」

 「はーい」


 営業スマイルを決めながら心臓が変な音を立てて暴れていた。大丈夫、僕はやれば出来る子、やれば出来る子。自分に言い聞かせるがスケッチブックを握った手が若干震えている。

 駄目だ、半年ぶりの朝日奈さんといきなり会話とか刺激が強すぎる。それでなくてもさっき逃げたばかりなのに。


 「あの、伊藤君」


 覚えられてた!いや、半年なら流石にまだ忘れないか?


 「さっき軽音のコンサート来てたよね?」


 ウワアアアアアアアア見られてたああああああ!!いや、落ち着け、普通に、普通に見えるように返答しろ!


 「うん、凄い演奏だったよ。感極まってしまって急に絵を描きたくなったから、途中で抜けてしまったんだ。最後までいられなくて申し訳なかった」

 「あっ、それでスケッチブックに描いてたんだね。暫く見てたけど物凄く集中してるみたいだったから入っていいか少し悩んじゃった」


 描くとこ見られてたアアアアアア!!!しかも悩ませてしまっていた。もう駄目だ、僕はなんでダメな奴なんだ。やばい、恥ずかしい、無理。


 「それは……ごめん……」

 「あっ違うの!一生懸命で凄いなあって思って…。じっと見ちゃってごめんね?」


 朝日奈さんが小首を傾げている。可愛い。苦しい。胸が苦しい。死にそう。


 「それで何描いてたの?」

 「内緒!!!」


 身の内に渦巻いた色々な感情を紙に叩きつけていただけだ。とても朝日奈さんに見せられない。


 「それよりブースの見学に来たん…だよね?記帳してもらってもいいかな?」

 「あっそうだったね、今書くね」


 危なかった。スケッチブックをいそいそとしまって身を起こすと朝日奈さんがこっちに近づいて来ていた。目の前まで朝日奈さんが近づいてきて台帳に名前を書いている。シャーペンを握る手は白くて細い。さっきまでこの手がギターを握っていたのだろう、首筋は少し汗ばんでいた。ふわりと花のような甘い香りがする。汗をかいているはずなのに良い匂い……えっ匂いがわかるくらい近い?近い。朝日奈さんが近い、近過ぎる。

 頭がクラクラして来たあたりで朝日奈さんは記帳を終えてじゃあちょっと見てくるね、と微笑み離れて行った。危なかった。間近で微笑まれた瞬間変な声出そうになった。落ち着いて……呼吸を整えよう……


 「伊藤君」

 「何!?」


 不意打ち来た。


 「えっあっ急に話しかけてごめんね?」

 「えっあっお気になさらず。何かあったのですか?」


 やばい、変な敬語になってしまう。別に気にしてない様子の朝日奈さんは何てことない風景画を指しながら言う。


 「あっうん。ここに飾ってある絵ってタイトルと投票用の番号は書いてあるけど、作者は書いてないなと思って」

 「ああ、それは投票で人気の絵を決める企画になってるから。名前入れるとイケメンで有名な先輩とか友達多い先輩とかの絵が得票多くなるから、平等性を持たせるためだってさ」

 「へー」


 絵は個人が好きに描いて好みで評価するものだと思っているので、基本的に人気投票などナンセンスだと思うし、部員の大半も同意見なのだが。「今時の若者はどういった芸術を好む傾向にあるのか調べてみたい」と部長が言い始めて今回このような形式になったのだ。

 絵のコンクールなどはベテランの審査員達が評価するものなので部長の考えは分からなくもない。部員達による真面目に描いた絵、ウケを狙っておふざけで描いた絵、リアルな動物の彫刻やアニメ調のイラスト等様々な作品が作者不明の状態で並んでいた。


 「この紙に番号書いて箱に入れればいい?」

 「そう。ありがとう」

 「どういたしまして!」


 よし、良い感じだ。ボロを出さずに喋れている。手汗は止まらないけれど。


 「そうだ、伊藤君。これ受け取って欲しいんだけど」

 「何?」

 「これね、軽音部のコンサート二次会の案内なの。学祭で貰えたステージ時間だけだと曲数が入りきらなかったから、残りを体育館借りて今度やる事になったんだ。それでね、あの……さっきのコンサート、私も出てたんだけど、私が出る前に伊藤君帰っちゃったから。一組目の演奏、凄く楽しそうに聴いてくれてたから、私のも聴いてほしいなって思って。来週の日曜日なんだけど…どうかな…?」


 これは夢か?


 「……行く、行くよ。絶対行く」

 「えっいいの!?ありがとう、突然こんな事言って大丈夫かなあって思ったんだけど……じゃあ宜しくね、他の友達も誘ってくれると嬉しいな。また日曜日ね!」

 「うん、分かったよ」


 じゃあねー、と朝日奈さんは手を振りながら去って行った。ぎこちなく手を振り返しながら見送る。…。

 ………。


 「えっっっっ!???」


 えっ???今のは夢…?今の朝日奈さんは夢…?

 台帳を見る。朝日奈さんの名前が書いてある。夢じゃない。えっ本当に?コンサート二次会?楽しそうに聴いてたから?日曜日?あんな場所にいた僕を見てた?は???




 脈拍が落ち着くまで待って漸く思考が落ち着いてきた。夢じゃないなら確認したい事があった。アンケート用紙の箱を見る。あんまり良くないことだけどどうしても朝日奈さんの好みの作品を知りたかったのだ。彼女は可愛いものが好きらしいから木彫りの兎とかだろうか。いや、案外人の内面を描いた抽象画なんか好きかもしれない。


 蓋を開けて1番上の紙を開く。丸い筆跡で書いてあったのは僕の風景画の番号だった。

 特に何てことない風景画。それでも全身全霊込めて描いたそれ。朝日奈さんが気に入ってくれたのが自分の絵だった。さっき漸く沈めた心臓がまた煩く暴れ出す。と同時に思い当たる。


 ー先程朝日奈さんは作者の名前がないと言っていなかったか?僕に向かって。

 朝日奈さんはあれが僕の絵だと分かった上で、いや分かったから作者である僕に聞いて来たのでは?何故名前を書かないのかと。


 ……いや。いやいや。そんなわけないだろう。いくら高校が同じだと言っても朝日奈さんは音楽選択だったはずだもの。美術選択のクラスメートの画風など普通に覚えられる物ではない。それでなくても作者の名前がないのは他の作品もなのだ。たまたま、偶然なのだろう。

 今はただ朝日奈さんが書いてくれた投票用紙と、貰ったコンサートの案内を拝んで喜びを噛み締めておこう。あ、写真にも残しておこう……。

 




 ……僕が朝日奈さんを神聖視していたのは間違いない。なるべく見過ぎないようにしつつ彼女が存在している事そのものに感謝し、話す度人知れず呼吸を落ち着けていた。僕が拗らせている事は主観でも客観でも間違いない事実だった。僕は彼女と自分の間には途方も無い隔たりがあるのだと、言うなればそう、ステージ上のアイドルと遠くから見守る一般人くらいの距離がある感覚でいたのだ。

 実際はそんな事ないって知っていたのに。彼女が半年ぶりという時間の差を感じさせずに話しかけてくれたように、僕らは一般人とアイドルではなくクラスメート同士だったのに。自分の平常心を保つのに必死になるばかりに、彼女から見られている事には気づいていなかったのだ。



 僕が自分の盲目具合を正確に認識するまでは、そう遠くない話。


 甘酸っぱい青い春など、そう思っていたのは僕だけだったかも知れない話。

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さして青くもない @hy0

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