頭上の深海魚

原多岐人

 

 着信音が聞こえるとすぐに通話ボタンを押してしまう。マナーモードにしていてもそれは同じだった。仕事関係の連絡がいつ来るか分からない。そんな環境で身に付いた癖のようなものだ。だから昔の男からの着信にも、うっかり出てしまうのだった。

「相変わらず不用心だなー」

責めるような言葉とは裏腹に、どことなく嬉しそうな健司けんじに腹が立つやら呆れるやら、何とも言えない気分になる。別れてから3年も経つのに、この次の台詞はもう予想がつく。

「カンポス元気?」

「変な名前付けないでくれる?」

「変とか言うなよ、メキシコサッカー界のレジェンドに失礼だろ」

「はいはいすいませんでしたごめんなさい。いらん心配ありがとうございます、元気ですから」

そもそもそんな名前になった理由も、そこまで深い意味は無かったはずだ。頭上でトプンと水が波打つ音が聞こえた。意思疎通が出来るかどうかは不明だけれど、カンポスと呼ばれると、それが自己主張のように反応する気がした。

「それは何よりで。つーかシーラカンスの寿命ってどれくらいなんだろうな」

「寿命も何も、すでに頭上にいるやつに寿命とかないでしょ?」

「いや、もしかしたら急にシュッと消えるかもしれないだろ。そういうタイプの寿命ってことで。その前にもう一回くらいは拝んどきたいなって」

拝みたい、というのは私の頭上のカンポスーもといシーラカンスだけなのか、それとも万が一億が一で私に会いたいと思っているのかという大層自惚れた考えが過った瞬間、話題を変えられた。

「で、真魚まなの方は最近どうなのよ?」

「可もなく不可もなく」

「でも負荷はあると」

「は?」

「声でわかるんだよ。お前放っとくすーぐ自分で全部抱え込んでパンクするからな。そろそろいい歳なんだから、ちゃんと部下に仕事振れって」

バシャン、と強めに水が跳ねる音がした。仕事に関して、妙に年上ぶったアドバイスをしてくるところが昔と全く変わっていない。それがこちらの神経を逆撫ですることを自覚しているはずなのに、やめようとしないのは何故なのか。同じ部屋で過ごしていた時は、クッションの一つでも投げてやれたが、生憎ここはコンビニの前で手元にクッションは無い。

私が出来る抵抗はただ一つ、通話終了のボタンを押すだけだった。コンビニの入退店BGMがまるで聞こえていないかのように、シーラカンスはゆらゆらと鰭を揺らしていた。


 どうでもいい話で数分時間を無駄にしてしまった。別に歩きながらで話せたのに、何故態々入りもしないコンビニの前で立ち止まったのだろう。出来ればすぐにでも家に帰りたかったのに。私が歩き出すと頭上の空間ごとシーラカンスも移動する。懐いて着いてくるような、ペットの如き動きとはまるで違う。いつからだろうか、ただ頭上にあるだけで癒されもしなければ苛立つこともない。苛立つとしたら、これが見える人々の反応に対してだ。見えるからといって、選民思想全開にしてくる輩は何なのだろうか。霊感の有無は多分関係無いし、心が純粋だから見えるという訳でもない。気が合う人間だけが見えるという事もなく、出来れば関わり合いになりたくない人間に見えてしまっていた事もある。

つまりは謎なのだった。


 帰宅所要時間のロスは考え事をしていたせいで、すっかりチャラになっていた。経過時間は同じでも、体感時間としてはやたら短く感じる。ポストを開けると、数通DMが届いていた。春木真魚はるきまな様と無機質なフォントに目が滑る。我ながら妙な名前だとは思う。音だけならそう珍しくないが、字面で見ると明らかにおかしい。そういえば、健司も散々名前をネタに弄ってきた。何時だったか、魔女の宅急便を観た後にマギョコさんなんて呼ばれたこともあった。記憶の奥深くに沈めたはずの健司は、先程の電話の所為で大分浅瀬まで浮上してきている。何故だか急に泣きたくなり、急いで玄関のドアを開けて家の中に滑り込む。条件反射のようにただいま、という癖はもう抜けた。最近はすぐに電気を点けない。いつからか、この暗さと断続的な静寂が妙に落ち着くようになった。シーラカンスは深海に生息しているという。その影響もあるのだろうか。

 インテリアショップの接客というと、仕事もプライベートも充実しているリア充のイメージを抱かれる事が多い。現に久しぶりに会った友人には羨ましがられた。そんな事がある度に、メディアの影響は恐ろしいな、と思う。表参道に立つスタイリッシュな佇まいの本社ビル、洗練されたファッションとユーモア溢れる社長、トレンド感満載で流行に敏感、スマートに仕事をして定時でさらっと帰る社員達。自分が同じ会社に所属しているという事が信じられない。地方の傾きかけたファッションビルの一角の店で、無理難題を強要する上司に顧客対応という名のサービス残業、ファストファッションのセール品に身を包んだ疲れた顔のアラサー。作り笑いを張り付けて、何とか1日をやり過ごす。

 とりあえずメイクを落とすために覗き込んだ鏡には、育児に疲れた二児の母のようなやつれ方をした顔が映る。そしてひらひらと揺らめくシーラカンスの胸鰭も。私は一体何がしたくて生きているんだろうか。忙しさから趣味を楽しむ余裕も無く、休日は泥の様に眠るだけ。お客様の生活に潤いを与える事を使命としている企業の従業員がこの有様で、日々の生活における潤いというものも見失って久しい。

 シーラカンスの白濁した様なぼんやりとした眼が視界に捉えられた。別に見つめられている訳ではない。視線という概念が存在するかどうかも分からない相手をこれ以上気にするのは時間の無駄だと考え、拭き取りタイプのメイク落としで顔を拭う。

 日付が変わってから1時間近く経っていた。部屋着に着替え、夕食と呼ぶには質素な栄養機能食品と缶チューハイを手に持ち、定位置であるソファに座る。テレビを点けるまでが一連のルーティーンだった。ちょうど語学教室の再放送が終了するところだった。そのままニュースになるかと思いきや、急にサッカーの試合が始まった。ドイツ、ブンデスリーガ。中継かと思いきや録画のようだ。

--プレミアとかラ・リーガ も良いけど、やっぱ俺はブンデス派だな--

健司の口から、ブンデスまたはブンデスリーガという単語を3年間でかれこれ3,000回は聞いている気がする。今日は絶好の佐古田健司思い出し日和らしい。局のアナウンサーと現役引退した選手が実況を担当する。元選手の方はなんとなく聞き覚えのある名前だった。先のW杯まで日本代表にいたはずだ。ここでもまた健司との思い出が泡のように断続的に浮かんでは消える。良い思い出ではなく、基本どうでもいい記憶だ。知ったかぶりの似非サッカー通とW杯を観ると碌なことにならない、そんな教訓を得た1ヶ月だった。かと言って、サッカーが嫌いになる訳ではなかったが、別に好きにもならなかった。深夜の通販番組よりかはマシ、という理由でチャンネルを変えるという選択肢を選ばないだけだ。シュートが決まると、実況のアナウンサーの一際大きな声が聞こえた。どうやら、最近移籍してきた日本人選手が絡んだ得点だったらしい。やっぱりここでも、健司がやたらテンション高くこの1点がどれだけ素晴らしいかを語ってきたのをおもいだした。


 まさかとは思うけど、このシーラカンスは私が健司を忘れるまで消えないのではないか。そんな最悪の想像が浮かんできた。今度会うようなことがあれば、熨斗をつけてなすりつけてやりたい。


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