エピローグ

 カサリと誰かが草を踏みつける音がして、僕の意識は過去から引き戻された。

 集中していたせいか、一瞬時間の感覚がわからなかった。けれどすぐに思い出す。

 あれから数年後の夏休み。

 湖のほとりの森の中。

 そこにあるお墓の前で、僕は佇んでいた。

 いつの間にかつぶっていた目を開いて、音のした方へと振り向く。すると、そこには一人の少女がいた。

 白いワンピースに大きな麦わら帽子という格好で、帽子からは黒く長い髪が伸びている。

 顔は帽子の陰でよく見えなかったけど、どうやらこちらを見て驚いている様子だった。

「……す、すいません。誰かがいるとは思ってなくて」

 少女はしばらく固まっていたが、やがてペコペコと頭を下げて謝り始めた。

 どうやら僕を驚かせてしまったと思っているらしかったが、それにしたって謝りすぎだなと僕は苦笑した。

 僕が大丈夫だと告げると、少女は安心したように胸に手を当てて、少し微笑んだようだった。

「本当にごめんなさいでした。まさか誰かいるとは思ってなかったから」

「いえ、ここは僕にとってちょっとした思い出の場所なんです。でも、あなたの方こそどうしてこんなところに? 病院の方ですか?」

 僕は訊ねる。ここは湖のほとりとはいえ、その湖自体が別に観光名所でもなんでもない。

 誰かが来るような場所じゃないし、来たとしても病院関係の人くらいかと思ったからだ。

「あ、違います。私は、そうじゃなくて、ただお姉ちゃんに聞いてここに……」

 少女はなんと説明していいか迷っている様子だったが、その時ふと顔を上げて僕の方を見た。

「あ……」

 その時、不意に少女が小さく声をあげた。

 何かに驚いたように目を見開き、僕の顔をジッと眺めたまま硬直した。

 そして、それは僕も同じだった。

「あ、あれ……? どうして? なんだかすごく……胸が……」

 少女は手を胸元にあて、服にしわが寄るくらい強く握りしめる。

「わ、私……なんで? ご、ごめんなさい……! 急に、なんだか、涙が……!」

 やがてその目から涙がこぼれ始めた。

 それでも、少女は僕から目を離さない。

 まるで何かに突き動かされているかのように、その目には戸惑いと共に強い意思が感じられた。

 その瞬間、僕は全てを理解した。

 偶然を、神様を、運命を、そしてこの理不尽な世界にも小さな奇跡があるということを。

 僕は笑った。頬に冷たいものを感じたけど、笑顔でなければいけなかった。

 だって、やっと僕は彼女にあの言葉を言えるのだから。

 ともすれば全身が震えそうになるのをなんとか堪えながら、僕は口を開く。

 あの時、この場所で伝えられなかった、僕の心からの気持ちを伝えるために。

「……生きててよかった。またきみに会えた」




  終

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夜の鼓動が聞こえる @ryo_namikawa

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