唯雪

原多岐人

 


 俺達の街は豪雪地帯じゃない。ただ、寒過ぎて雪が中々溶けないから、ずっと雪景色が終わらないだけだ。

「さみー、マジさみー」

「うっせえな、余計に寒くなるだろ。いい加減慣れろよ、お前こっち来て何回目の冬だよ」

学校に向かう流れで、だいたいいつも同じメンバーが集まっていく。もともと地元の人間ではないタダユキ、陸上部の吉田。

「黙れ、タダユキ黙れ」

基本口が悪いゆーすけ。

「いや酷っ! 俺今日朝飯食ってねえんだよ、カロリー足んねえ!ナオ、なんか持ってねえ? 肉まんとか」

「肉まん鞄に入れてる奴なんていないだろ」

こいつは本当にふざけたことしか言わない。俺はいつも通りそれを否定する。タダユキは本気で期待していたようで、がっくりと肩を落とした。その弾みで足を滑らせたらしく、タダユキの間抜けな声とともに吉田も俺の視界から消えた。タダユキは滑ってバランスを崩すと、その近くにあるものを掴む。ゆーすけのマフラーとか、吉田の鞄とか、俺の腕とか。そしてそれらを巻き添えにして倒れていく。今日は吉田の番だったみたいだ。

「痛ってぇ……っタダユキお前マジでふざけんな!巻き込むんじゃねーよ!」

「悪い悪い、ちょうどいい位置に掴めるものがあったから、つい」

そう言って笑うタダユキが、本当に反省してるかどうかはわからない。一昨日はこけそうになって俺の腕を掴んだ。まだ手形のアザが残っている。とにかく、タダユキはふざけた奴だった。


ーーナオ、起きてるか?ーー

ある日、深夜にメッセージを受信した。タダユキからだった。別に放置しても良かったが、奴がこんな時間に連絡してきたことは無かったので、何だか無視しない方がいい気がして返信する。まだ寝てなかったのか、と送信するとすぐに返信が来た。

ーーよかった! 今から家いっていい?ーー

こいつはバカなのか? バカだったな、そういえば。イミフとだけ返すと、秒で返信される。

ーー川おちたーー

ーーさみーやばいーー

ーーしぬーー

本当に訳がわからない。これだけすぐに返信があるなら音声通話にした方が話が早い。だが、タダユキはすぐに出なかった。7コール目で通話ボタンが押されたようで、遠くから車の音が聞こえた。

「いや、お前マジで何してんだよ」

ーーいきなりごめんて。あ、川に落ちたのは嘘じゃないからーー

「俺が聞きたいのはお前が何で深夜川のそばにいたかってことだよ」

ーーなんか、そういう気分の時あんじゃん?ーー

「ねーよ。俺の家じゃなくて自分の家帰れよ」

電話口の向こうで風の音が聞こえた。

ーーいや、夜家抜け出たことバレたらやばい。5時くらいになったら早起きしてランニングしてたことにして帰るから、それまでよろしく頼むってーー

「ふざけんな、自業自得だろ。諦めて帰れ」

ーーいやそこをなんとか! 神様仏様ナオ様! 俺まだお前の家行ったことないしーー

確かにタダユキはまだ俺の家に来たことはない。一瞬仕方ないなと言いそうになったが、デジタル時計の表示を見て冷静になった。

「お前いい加減にしろよ」

俺が通話終了のボタンを押そうとすると、タダユキの懇願が聞こえてきた。

ーーマジで、一生のお願い。俺このままだと本当に死ぬーー

弱々しいのに、その声はやけに鮮明に耳に届いた。


 結果から言えば、俺はタダユキに押し負けた。電話を切ってから、5分と経たずにタダユキは家にやってきた。

確かにタダユキはずぶ濡れで微かに生臭かった。田舎の川とはいえ、そこまで綺麗じゃないからだ。

「助かった、マジでありがとな」

寒さで強張った笑顔のタダユキに俺は何も言えなかった。

「タダユキお前大丈夫か?」

「ああ、大丈夫。大丈夫」

言葉とは真逆にタダユキはガタガタと震えていた。凍死してもおかしくない状況に気付いて、急に怖くなった俺はタダユキの腕を引いて風呂場に連れて行った。このまま放っておけばタダユキは死ぬ。今すぐじゃなくても、インフルエンザとか肺炎とかになって死ぬ。最後に関わったのが俺になるという事態は避けたかった。人の死に責任は持てない。これがゆーすけや吉田でも、多分俺の考えや行動は変わらない。服とかパンツとかは俺のを適当に持ってきた。タダユキの服は洗濯機に放り込んでおく。普段は電気代がかかるからあまりやらないけど、今日だけは乾燥機を使うことにした。


 風呂から出たタダユキは、脱衣所の洗濯機の側で所在なさげに操作パネルを見たり、蓋の上に手をやったりしていた。

「まだ時間かかるから。あんまり触んなよ」

俺がそう注意すると、タダユキは洗濯機から手を引いて指先のささくれをいじり出す。

「俺なんて説明すればいいかな、ナオのお父さんとかに」

「とかって何だよ。家は親父しかいねーよ」

今時父子家庭なんて珍しくないし、クラスのみんなも何となく知っている。田舎の口コミの広がり方はえげつない。

「今日はいないのか? お父さん」

「夜勤」

「そっか、お父さん大変だな」

「お前に心配されるほどじゃない」

「はは、そうだよな」

口の端を歪めるように笑うタダユキは見ていてイライラした。指先をいじる動作もイライラする。これ以上こいつと一緒にいると、殴ってしまいそうだ。俺はリビングでスマホをいじり、タダユキはそのまま脱衣所の洗濯機の前から動かなかった。時間はどんどん過ぎて、もう午前4時だった。結局、タダユキのせいで寝られなかった。奴の服はもう乾いていたので、それを押しつけて帰るように言った。

「ナオ」

「何だよ」

「お前のお父さんってどんな人?」

靴を履いて後は出ていくだけ、となったところで急にタダユキが変なことを聞いてきた。

「いや、別にその辺のおっさんだよ」

「じゃあ、お母さんは?」

「忘れた。普通だったんじゃね?」

母親は俺が5歳の時に出て行った。これといって強烈な思い出はない。本当に一緒に飯食ったり、手を繋いで歩いているような普通の記憶がぼんやりとしか出てこない。

「普通?」

「そうだよ。父子家庭だからってそんなドラマみたいなこと期待してんじゃねえよ。全然普通だよ、俺ん家は」

「普通の家族って、何なんだ?」

そう言ったタダユキの顔は表情が無かった。悪寒の理由は、開かれた玄関のドアからの冷たい空気だけじゃなかった。


 別にその後特に変わったことがあった訳じゃなかった。タダユキはまたいつものようにバカなことをして、俺達はそれにため息を吐きながら付き合っていた。だから俺はもうあの日のタダユキの事を忘れかけていた。ホームルームでタダユキの死が知らされるまでは。

 早朝に犬の散歩をしていた近所の人が見つけたらしい。街中を流れる川は場所によってはかなり深い。そこでタダユキは浮かんでいたようだ。クラス内は静間に返った後、女子が啜り泣く声が徐々に大きくなっていった。このままでは授業にならないので、一限目は自習になった。

「タダユキくん、毎日笑ってたよね」

「何か変なことして笑わせてくれたし」

「いつもふざけて楽しそうだったのに」

炭酸の泡のようにそこここからタダユキの話が出てくる。

「何してんだよ、タダユキ」

普段毒舌なゆーすけの目が赤い。

「あいつバカだったけど、こういう感じじゃなかったよな」

吉田がボソボソと言う。

他人の記憶の中で踏み固められていくタダユキ。それはもはやタダユキじゃない。雪が溶けかけ、それがまた冷えて氷に変わっていく。俺の中のタダユキは、あの日の表情が無いまま固まっていた。

 葬式の会場で、俺はタダユキの親を探した。あの日のタダユキの言葉が今になって妙に気にかかってきたからだ。タダユキの家は普通の家。遊びに行ったことがあるゆーすけが言っていた。父親がいて、母親がいて、タダユキは一人っ子。田舎の口コミにものぼらない。親族の席は横の方だと気付き、そっちの方を見ると男の人と女の人が並んで座っている。おそらくこの2人がタダユキの親だ。その2人の様子は、俺が想像していたタダユキの親とはだいぶ違っていた。てっきり、泣き腫らした目をしていたり疲れ切ったような感じかと思っていた。だけど、俺の目にうつったのは、まるでそこにいるのが義務だから座っているというような2人だった。ふいにあのタダユキの表情のない顔を思い出した。もし、俺達が知っているタダユキの方がニセの、演技をしているようなものだとしたら。タダユキの本当の姿が、この両親と同じものだとしたら。俺達は知らないうちにタダユキを踏み固めていた。

 布団の上に寝かされているタダユキは雪じゃなくて氷だ。固まって、冷たくて、もう何も言わない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

唯雪 原多岐人 @skullcnf0x0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ