傷のない死体

@akamura

第1話

『一切の外傷なく、内臓にも損傷がないにも関わらず死んでいる人間が、何人も出ている』


そんな噂を聞き、希が足を運んだのはヨーロッパ某国。夜の闇に紛れ姿を隠しながら、希は最初の死体が発見された場所に赴いていた。

噂に聞いていたように、そこには一滴の血痕すらない。言われなければ、ここに死体があったなんて分からない。

辺りを見回し、希は落ちていた木の枝に触れた。能力を発動させ、その記憶を読む。




「……………駄目だな」


落胆の声を漏らし、枝から指を離す。

ここに運ばれたときには、被害者はすでに死んでいた。音からして、車で運んできた。それくらいしか分かることはない。動けない枝では、これだけ読み取るのが精一杯だ。

せめて被害者のまとっていた衣類でもあれば良かったのだが。

小さくため息をついた希の肩を、トリックスターがとんとんと叩いた。


「?」

【希、希。あれ、そうじゃない?】

「あれ?……!ありがとうスター」


死体があったとおぼしき場所の、希から見て数センチ先。ごく小さな布の切れ端を、トリックスターは見逃さなかった。


事前に確認した被害者の服と、色も模様も一致する。恐らくは死体を投げたときに破れたのだろう。

切れ端を両手で包み、希は再び能力を発動させた。







人々が生活を営んでいる町村から、少し離れた場所に聳える、城というべきか屋敷というべきか、とにかく大きな建物の前で、希は一度深呼吸する。


あの切れ端から読んだ記憶では、被害者が拉致されたのは間違いなくここだった。一体何が起こったのか、読み取った記憶からは完全には把握しかねた。しかしこの屋敷の中で被害者が殺されたのだろうことだけはわかった。

数件の事件が全て同一犯とは限らないが、それでも上手く探れば見つかるものは多いはず。

ふ、と短く息を吐き、希は呼鈴へ手を伸ばした。


数秒の沈黙の後現れたのは、藍色のドレスに身を包んだ若い女性。

警戒の眼差しを向けてくる彼女に、希は深く一礼して見せた。


「夜分に申し訳ありません」

「貴方は?見ない顔ですが」

「観光で妹と来たんです」

「ああ、それで」

「はい。それで、」


言葉を切り、希は上目遣いに女性を見やる。その表情に先の警戒の色はないように見えたが、本心は分からない。

探りをいれるため、希は不安そうな顔を作り、震える声で言った。


「………実は、妹がいなくなってしまったんです」

「妹さんが?」


女性の表情が強張り、冷や汗が浮く。これは一体どちらの意味のー心配か、自分の犯行がばれたのかと怯えているのかー表情なのか、今の段階でははかりかねる。


「ちょっと買い物をしてるうちに、いなくなってしまったんです」

「まぁ」

「下の町の皆さんには聞いて回ったし、一緒に捜索もしてもらっているんですが、見つからなくて。

あの、妹を見てたりしませんか?」


泣きそうな表情で、コートをぎゅっと握り、女性を見上げる。女性は考え込むように少しの間黙った。

その間に、希は背後の屋敷に目をやる。窓は多いし、侵入しようと思えばそう難しくはなさそうだ。念のために、鳥の玩具や硝子の竜を飛ばして中を見ようかーーー


「残念ながら、見ていないわね。私も、今日はずっと家にいたものだから」

「そうですか。すいません、失礼しました」


頭を下げ、希は大人しく引き下がる。

ここでまさか「知っている」なんて言いはしないと分かっている。今はあくまで居住者の有無の確認と、侵入の下見が出来れば十分だ。

もう一度頭を下げ、踵を返した希の手を、女性が掴んだ。


「待って」

「、」


まさか引き留められるとは思っていなかったので、驚きを隠しきれない表情で、希が振り返る。女性の表情は、希以上に心配そうで、ともすれば泣きそうにも見えた。


「見てはいないのだけれど、うちには時々知らないうちに子供や動物が入ることがあるの。もしかしたら、妹さんも彼らと同じように入ってきてしまったかもしれないわ。

良かったら、中を探される?」

「良いんですか?」

「ええ。さ、どうぞ」

「ありがとうございます」


導かれるまま屋敷のなかに足を踏み入れつつ、希の頭と精神は混乱を極めていた。


普通であれば、他人に知られたくないことのあるものは多少無理矢理な言動をしてでも他人を排除しようとするはず。こんな風にすすんで招き入れるなどまずあり得ない。


もしかして、彼女は本当に無関係なのだろうか。

彼女とは別の、ここに住んでいる人間がひとり、犯行を犯していて、彼女は何も知らないのではないか?

それともこれは演技なのだろうか。


薄暗い廊下を歩く彼女の横顔からは、その真意は読み取れなかった。





女性が言った通り屋敷はとても広く、家の主が知らない間に何かが、或いは誰かが入り込んでいてもおかしくはなかった。


実在しない妹を探して家中を歩きながら、希はずっと女性を観察する。

不審に思える挙動はない。けれど能力を使って見た映像のこともあり、疑惑は完全には晴れない。

横顔を盗み見るように見やる希を、不意に女性が振り向いた。


「やっぱりいませんね、妹さん」

「すいません、お家の中まで入れていただいたのに」


これ以上彼女と一緒にいても、捜査は進まなさそうだ。彼女を疑い続けるにせよ無関係と考えるにせよ、もう一度出直した方が良いだろう。直々です案内してくれたお陰で、侵入も大分容易になった。


今度こそ帰ろうとした希の手を、またも女性が掴む。そのまま腕を引き寄せられ、キスでもされるのかというくらいに顔を寄せられた。


「まだ探してない部屋があるの」

「え?」

「鍵がかかっているのだけれど、念のために行ってみましょう」


些か強引なまでの強さで、女性は希の腕を掴んだまま、再び階上への階段を上がる。


女性が立ち止まったのは、重厚な扉の前。懐から鍵を取り出すと、女性は躊躇いなく扉を開け希を促す。



(これは……誘い込まれてる、ん、だよな?)


どう考えても、これは流石に怪しい。

けれど今更逃げることも出来ない。

女性から目を離さないまま、希は明かりの見えない室内に足を踏み入れた。





枷でもはめられたか、はたまた足だけ石にされたか、そんな風に錯覚してしまうほどに、両の足が不自然に重い。

膝をつき、両手で体を支えながら、希は暗闇を睨んだ。


まっ暗い部屋の中には、人影がふたつ。

ひとつは床に蹲り、両手で床をかきむしっている。もうひとりはそんな彼を、えらく高そうな椅子に腰かけて眺めている。


不意に、暗い灰色の瞳が、床に蹲る彼から希に向けられた。希もまた、臆することなく彼を睨み返す。


「新しいお客様か、いらっしゃい」

「こんばんは。貴方は………かの有名な青髭ですか?そうでしたら、お会いできて光栄です」


馬鹿にするように笑う希に、男は気を悪くした様子もなく希を見つめている。

薄い笑みを浮かべた唇から、熱を孕んだ吐息が漏れた。


「新しいお客様も大層美しい。ミラ、ご覧 」

「ええ。とても愛らしいかんばせです。ですから、招待いたしましたの」


整った顔に愛らしい笑みを乗せ、女性ーミラは部屋に明かりをともす。

急に明るくなった部屋に一瞬目を閉じた後、希は床に横たわる人影に目を向けた。

最早叫ぶ気力と体力すらないのか、びくびくと体を痙攣させながら、うわごとのように「いやだ」「いたい」と繰り返している。

見開かれた瞳は、恐怖と痛みに凍りついていた。


(生きてはいる……なら、助けないと)


とはいえ、足が動かないこの状態では何も出来ない。逃げるためには、やはりあのふたりを何とかしなければ。


表面ばかり美しい笑みを浮かべて寄り添うふたりを見据え、希は低い声で問う。


「もう聞くまでもない気がするけど……一連の事件はお前らの仕業か?」


答える代わりに、ミラは笑みを深め頬を紅く染める。

その表情がどうしてか、自分と対峙しているときのジェロニモに被って見えて、希は無意識に顔をしかめた。


「ああ、けれど、貴方の妹のことは本当に存じ上げません」

「ご心配なく。最初っから妹なんていないので」

「嘘を吐いたんですか?」


ミラのまとう空気が、ぴん、と張りつめる。背筋に冷たいものを感じなからも、希はヒヒヒ、と笑ってみせた。

無言で希を見下ろした後ーーー不意に、ミラが微笑んだ。


「いけない子ですね。お仕置きをしなければ」


まるで待ち望んでいた玩具を与えられた子供のように、無邪気で弾んだ声と、昂りを隠せない笑み。

嘘を吐かれて笑う、その意味が分からない。

血の気が引き、本能が逃げを打とうとして体が仰け反る。


その体を激しい痛みが貫いたのは、その直後だった。




「ーーーーーぇ?」



何が起こったのか、何が起こっているのかが分からない。赤い瞳が困惑に揺れる。


感じたのは、感じているのは、鋭利な刃で腹を貫かれたような激痛。なのに体には何も、刺さるどころか触れてもいないし、血も出ていない。

そもそも、痛覚の鈍ったこの体で、こんなにも、痛いなんてーーー


「な、に…………ァ゛、がっ、ぁ、アア、」


腕も、腰も、どこもかしこも力が入らない。腹を中心に全身へ広がる痛みが、思考能力すら奪っていく。焼けるような痛みが頭の中を燃やし、考えをまとめようとするのを阻む。


(だめだ、おちつけかんがえろ。これは、間違いなく誰かの、あのふたりのどっちかの能力だ)


考えることをやめたら勝てない。なんとか相手の能力を見極めて、せめて、彼を逃がさなくては。


がくがくと震える腕で必死に体を支えて、希はふたりを睨む。

その瞬間、両腕が引きちぎられた。否、引きちぎられたような痛みを感じた。


「ーーーーーー!」


甲高い悲鳴が室内に響く。

思わず自分を抱き締めるように、両肩を掴む。食い縛った歯の間から、獣じみた呻きと荒い息が漏れる。


「っ、は、ァ__…ヴ、ぁ、ああ、」

「嗚呼、いいよ。素敵な悲鳴(こえ)だ」


ミラの横で、恍惚の笑みを浮かべる。ミラもまた先程以上に頬を紅潮させ、希の苦しむ様を見つめていた。


「素敵だよ。とても可愛くて美しい。赤い瞳というのは初めてみたけれど、こんなに美しいとは。涙に濡れて、まるでガーネットのようだ」

「嬉しくないよ、異常者ども」


あらん限りの侮蔑をこめて吐き捨てれば、またも体を苛む激痛。足を裂かれる感覚に、目の前がちかちかと明滅した。


「っ………!」


叫びそうになるのを、唇を噛んで耐える。

ひきつる口に、無理矢理に笑みを乗せた。


声が聞きたいというなら、一音も漏らしはしない。痛みにのたうつ様が見たいというなら、人形のように不動であろう。泣き顔が見たいというなら、笑ってやる。

下品に舌なめずりし、汗にまみれた青白い顔で笑う希を、ミラと彼女の夫は興味深そうに眺めた。


「今までの者達は皆、すぐに泣いて赦しを乞うたのだけれど」

「生憎、痛みには強いんでねェ」

「まぁ。ならば、まだまだ楽しませてくださるのね?」


嬉しい、と笑うミラの手元で、何かが光る。咄嗟に、希はヘアバンドに触れ能力を発動した。前髪に隠れた位置に開いた目が、ミラの手元を凝視する。

針に貫かれ、両腕をちぎられて綿をはみ出させる人形。それがミラの手の中にあった。


(あれが能力の媒介か)


人形を使い、苦痛を与える能力。だがぼろぼろの人形に、戒めのようなものは見えない。ならば拘束は、男の方の能力か。


(種さえ分かりゃあ簡単なもんだ)


ヒハハハ、と掠れた声で笑いながら、希はそっと、痛みを訴える腕に触れる。

その間もミラは楽しそうに人形に針を刺し、綿の詰まった腹を裂いた。

痛みにうずくまるふりをして、希は体を丸める。


「嗚呼、ダメよ。俯かないでお顔を見せて」


拗ねたような声で言い、ミラは希のもとへ歩み寄ってきた。

震える肩に手を置き、冷たい頬に手を添えて、希の顔をあげさせる。


額にはりつく前髪を掻き分けた瞬間。

炎のように熱く揺らめく瞳が、ミラを射抜いた。


「あんまり調子に乗るなよ」


希の服を裂いて飛び出したワイヤーが、ミラの両腕を絡め取る。その手からこぼれ落ちた人形を、トリックスターが受け止めた。


痛みに痺れる手でナイフを握り、希は逃れようと足掻くミラの腕に突き立てる。


「ぁ゛、」


ずく、ぐぢゅ、と音をたてて、細腕にナイフを埋める。

柄まで突き刺したそのナイフを勢い良く降り下ろして、その腕を切り落とした。


「あ゛ぁあああああああ!!」

「ミラ!」


ひびわれた悲鳴に初めて、彼女の夫が取り乱す。伸ばされた手がぼこぼこと膨れ上がり、弾けた。


「スター、見えたか?」

【蜘蛛みたい。完全に保護色してるから見えにくいけど】

「成る程」

【どうする?】

「後回しでいい。それより」

【わかった】


こくりと頷き、トリックスターは倒れている青年のもとへ飛ぶ。抱き上げて初めて分かったが、彼の体には見えない糸が大量に絡みついていた。

それを引きちぎり、トリックスターは彼を抱いて希のもとへ戻る。


「ありがとう、スター。……生きてる?」

【大丈夫】

「良かった」


ほっとため息を吐き、希はミラを見下ろす。

見開いた瞳に涙を浮かべ、ミラはうわごとのように「いたい」と繰り返していた。


「人を呪わば穴二つ……知っておいた方が良いよ」


吐き捨てるように言った後、希はミラから彼女の夫に冷たい視線を向ける。

痛みにうめく妻に、返り血を浴びた希に、自分を射抜く赤い瞳に、彼はどうすることもできず立ち尽くしていた。


今まで自分達に歯向かうものなどいなかった。いや、歯向かってきても、自分の能力で拘束し、妻の能力をもってなぶってやればすぐに屈した。

他人の悲鳴を聞くのは楽しかった。痛みと恐怖に歪んだ顔が、涙を溢れさせる目がいとおしくて、とても昂った。自分がそれをうけるがわになるなんて、考えてもいなかった。



「ま……待って、話せばわかる」

「そうは思わないね」


血のついたナイフを片手に、希が男に歩み寄る。

逃げることもできず、男はがちがちと歯を震わせた。

首筋に冷たい感触がして、息を飲む。


「や、嫌だ、死にたくない」

「お前らが殺してきた人達だって、死にたくなんかなかった」

「見逃してくれ!どうか、命だけは」

「…………」


哀れむように、蔑むように、希は男を見下ろす。

ため息を吐くと、男が大袈裟なまでに肩を震わせた。


「二度とこんな真似をするな」

「わ、わかりました」

「約束だからな。破ったら、殺す」


脅しではないと分からせるために、男の首にし当てたナイフを僅かに引き、傷をつける。

ひきつった声を漏らし、男は気を失ってしまった。



警察に行け、というつもりだったのだが、こうなっては仕方がない。

男とミラをそれぞれワイヤーで縛り、希はトリックスターを振り向いた。


「一応言うけど、殺しちゃダメだからな」

【………はぁい】

「ん、いいこ。さて、じゃあ帰ろうか」


トリックスターが抱えたままの彼も、家に返してあげないといけない。

まだ痛みの残るからだを引き摺り、希は狂気に満ちた部屋を後にした。

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