俺の唯一の希望である幼馴染は、長い間眠っている

さーど

【とっくに冷めきっている心】

 全体的に白い館内は祝福の空気に包まれ、小さいながらも壮大な音楽が流れている。

 白い衣装を身にまとった二人の男女を中心に、人々の表情は喜びに満ちていた。


 今日は、近々26歳になる兄貴の結婚式だ。


 新郎新婦の両親は我が子の門出に涙を流し、ハンカチで必死にそれをぬぐっている。

 新婦は新郎に寄りいながら、幸せを噛み締めた笑顔を浮かべていた。


 そんな幸せしかなさそうな空気の中……


 ──俺は表面上笑いながらも、無心で新郎新婦に祝福の拍手を送っている。


 ……その視線の先には、こちらに不敵な笑みを浮かべているような気がする兄貴だ。


 俺はすっ、と兄貴から視線を逸らし、こちらのことなど気にも止めない新婦を見た。

 あっさりと兄貴にちる軽い女な癖に、腹が立つくらいに幸せそうに笑っている。


 彼女は大学時代、''俺に''かなりしつこくアプローチしてきていた奴だった。

 しかし、俺の彼女だと勝手に勘違いした兄貴にあっさりと惚れた、よくわからない女でもある。


 まあ別に好きでも何でもなかったし、兄貴が堕としてくれて良くはあった。

 が、あのしつこさの割にこのもろさを見ると、少し残念に思ってしまう。


 あまにりもみにくい彼女を見るのが辛くなり、俺はまた兄貴に視線を戻した。

 兄貴は……今度はあからさまに、不敵な笑みをこっちに向けてきやがってた。


「…… ちっ


 相変わらず腹の立つ笑顔だ。今回は別に奪われた訳でもないのに、無意識に舌打ちをしてしまった。


 ……あのクソ野郎兄貴は優秀な男だった。


 まずは178cmという理想的な高身長に、モデルにスカウトされるほどのフェイス。

 昔っから思い出写真は映えるし、小中高全部でモテモテの野郎だった。


 それなのに文武両道で、勉強面だとあの有名なK大を卒業するほどの成績。

 運動面はと言うと、中高時代はサッカー部のエースでキャプテン。女子からの人気度を更に後押しさせていた。


 そんな人生イージーモードな兄貴は口も達者で、人望も厚く、両親に贔屓ひいきされていた。

 それであの女をおとしたし、入籍にゅうせき後は実家で暮らすからと俺を実家から追い出した。


 まあ、百歩譲ゆずってそれはいい。それらは奴の才能、努力の成果だからな。

 ……が、一番腹が立つのはくされた性格だ。


 表面上兄貴は謙虚けんきょで優しい、これを貫き通してるらしいが、実際はただのクソ野郎。

 とは言っても、そのクソな部分は俺にしか見せないのもまた腹が立つところだった。


 具体的?というか単刀直入にいうと、兄貴は俺より上じゃなきゃ気が済まない奴だ。

 金を含めた私有物の所有権は実質兄貴のもので環境を悪くしてくるし、人間関係も変な噂立ててぶち壊してくる。


 それなのに皆は兄貴を何も悪く言わないから逃げ道がなくて、これまでの人生はかなりのものだったと思う。

 まあ、こんな俺より苦労して生活してる人はこの世にまだ何千万といるんだろうがな。


 ……少し口が悪くなってしまった。もう兄貴の話はここでやめておこう。

 こんなことを考えてるうちにも、結婚式は着々と進んでいっていたのだった。



 □



 あの後二次会に誘われたんだが、俺は用事があると笑いながら断った。

 尤も、用事なんてない。仕方なく結婚式には出たが、二次会だなんて本当にゴメンだ。


 そんな俺は今、都内の総合病院のある一室の前に立っていた。

 用事なんてない、とは言ったが、これを入れるのならちゃんとあったのかな。


 そんなどうでもいい事を考えながら、俺はスライドドアを開ける。

 目の前に広がるのは、一つの真っ白なベッドと、五十歳ほどの夫婦。


「──ん?……ああ、今日も来てくれたのか」


 入室してきた俺に気づくなり、夫の方が弱々しく微笑んでそう言った。

 彼らが居ることに予想外だった俺は目を見開くも、微笑み返して会釈えしゃくをする。


「こんにちは。おじさん、おばさん」

「こんにちは……えっと、今日ってお兄さんの結婚式じゃなかった?」


 婦人の方が挨拶を返してくれるも、首を傾げながらそう尋ねてくる。

 クソ野郎の顔を思い出してこめかみがピクつくも、俺は「終わりましたよ」と答えた。


「俺も座っていいですか?」


 早々に話を切り、俺は椅子を指差しながらそう断ると、婦人の方が「どうぞ」と促してくれた。

 じゃあ失礼して、とか思いながら椅子を引き、俺はベッドの横に座る。


麗華れいか、今日も来てくれたぞ……」


 ふと、夫の方がベッドに眠る娘にそう諭した。その言葉は空気に吸い込まれていく。


 ……だがしかし、少し時間が経ってもその娘は返事をしなかった。

 様々な機械が貼り付けられ、隣で心拍数を図る音を出して。目は、つむったままだった。


 もう長い間この状態でいた。具体的には……18の頃だから、五年になるのか。

 かなり長い年月だが、しっかりと生きてはいるのだ。息もしている。しかし、目覚めはしない。


「っ……」


 俺は、そんな彼女……麗華の姿を見て、今一度膝の上に置いた拳を握りしめた。


 早く、目覚めて欲しい。俺の唯一の希望である彼女と、また対面で話がしたい。

 そんな気持ちが、とっくに冷めきっているこの心にとめどなく積もっていった。



 □



 麗華は幼馴染だ。

 物心がついた時から一緒に遊んでいて、気づいたら高校まで一緒に過ごしていた。


 もはや腐れ縁と言われても否定しずらい俺と麗華だが、俺は麗華のことが好きだった。

 理由としては、彼女だけだったのだ──俺の味方でいてくれた人は。


 先程述べた通り、俺は兄貴のせいで人間関係がめちゃくちゃになっていた。

 同級生、近所の人たちに家族からも、様々な方向から俺の評価は勝手に下げられていて、居場所というのは俺にはなかった。


 しかし、麗華だけは違ったのだ。

 兄貴の口車に乗せられず、俺を信じ、なぐさめめ支えてくれ、ずっと一緒にいてくれた。小さい頃も、5年前も。


 だから、俺の方が麗華のことを好きになるのは、必然ではあったのだと思う。

 もはや、麗華以外俺は信じられなかった。それほど俺は重度な人間不信で、麗華のことが好きだった。


 しかし、俺と麗華が高校三年生の頃の夏のある日、不幸な事件が起きたのだ。


 俺たちはその日も共に下校してくれた。麗華は笑い、俺は幸せの気持ちを噛み締めていたのを今でも思い出す。

 とある交差点の出来事だ。


 俺たちの目の前でとある車が信号無視し、道路を渡っていた車にぶつかった。

 衝突された車はスリップし……俺たちの方へと、襲ってきたのだ。


『危ない!』


 突然の事に放心するマヌケな俺に、麗華は危険を察知して咄嗟とっさに突き飛ばした。

 俺は急に押されたことで足元を崩し、つまずいて転んでしまう。


<ドォン!!>


 その瞬間だった。俺が突き飛ばされた方向から、そんな剛音が響いてきたのは。

 俺はそっちに麗華が居たのを思い出し、痛む頭も構わずそちらを見た。


『ッ……!?』


 そこには、信じられないような光景が拡がっていた。

 店の入口に突っ込んでいる車、散らばる瓦礫……車の横に倒れる、一人の少女。


『れ、い……か……?』


 ……そこから先は、あまり覚えていない。

 ただ、目の前が真っ暗になった。そう表現するのが、今の時点では1番わかりやすいかもしれない。



 □



 車に衝突した麗華だが、なんと奇跡的に生きていたのだ。

 しかし左腕と左足を骨折し、脳に強すぎる刺激が加えられていた。


 その左腕と左足は今はマシにはなっているものの……脳がまずい状態だった。

 体の動きを稼働させる大脳が、機能停止してしまったのだ。植物状態、というらしい。


 回復するかは不明。するとしても、かなりの低確率。したとしても、記憶喪失などの後遺症が残る可能性が高い。

 それを聞いた俺は、絶望した。おじさんとおばさんもしていたが、俺はそれ以上だったらしい。


 当然だ。唯一の希望、愛しく思う女性、生きる原動力を、失ったのだから。

 正直、自殺を考えてしまった。もう、生きる意味を見いだせる気がしなかった。


 ……しかし、俺はまだ生きている。働いているし、日常に支障をきたさせていない。

 理由は、助けられた意味を問い詰められたからだ。麗華は自殺することを望んでいない、そんな正論を言われた。


 だから俺は生きている。麗華に助けられたこの命を、無駄にしては行けない。

 でも、麗華。それでも俺は、君が目覚めないと生きる意味を見いだせないんだ。


 そんな弱音を胸に抱きつつ、あれから俺は毎日麗華の病室へと足を運んでいる。



 □



「麗華……」


 この五年間を思い出して、俺は無意識に彼女の名前を呟いていた。

 勿論、返事など帰ってこない。病室内の空気に取り込まれ、無惨むさんに消えていく。


「………」

葵葉あおばくん……」


 俺はふと麗華の手を握った。やせ細り、より一層白くなった……折れそうな腕だ。

 彼女の父に名前を呼ばれたためか、俺はそっと手を離した。


「──ん?」


 そこで、少し異変を感じた。

 目の錯覚だろうか。今、麗華の腕が微かに動いたような……?


「麗華……?」

「……麗華?」


 再度名前を呼びかける。俺が腕を動かしたかかもしれないが、確かめたかった。

 そんな俺の様子でもしかしたら、と思ったのか、彼女の父親も麗華を呼びかける。


「──ッ!」


 眉が動いた。


 見間違えじゃない、たしかに動いた。機微な動きだが、しっかりと見えた。


「麗華……!」

「麗華……?」

「麗華……」


 彼女の両親も気づいたのか、俺に続いて麗華を呼びかける。もう少し、のはずだ。

 麗華、麗華、と、俺は心の中でも何度も彼女の名前を呼ぶ。必死だった。


……」

「「「!!」」」


 微かな唸り声が聞こえた。眉がまた動いた。心臓がバクバクと音を大きく鳴らす。

 俺と彼女の両親は、静かに麗華の様子を伺い始める。緊張感が病室内で漂う。


「…… え、 わたし……」


 目が完全に開かれた。口からも、かなり小さく戸惑いの声がれたのが聞こえる。


「麗華っ……!」


 すると、彼女の父親が彼女の視界に映るように体を突き出した。その声には、少しだけ涙ぐんでいるような気がする。


おと、う…… 、ん?」


 次第に麗華の声が大きくなる。声色から、彼女も完全に動揺しているのが見て取れた。


「あ、れ……?」


 そこで、麗華の視線が彼女の父からこちらへと向いてきた。

 弱々しい表情ではあるが、目をパチクリとさせていて、少し可愛いと感じてしまう。


「あお……くん?」

「──ッ!?」


 段々と滑舌がしっかりしてきた麗華だが、名前を呼ばれて俺は息を詰まらせる。

 それにも構わず、彼女はこちらに視線を向けている、気がする。いや、もうよく見えない。


 頬には、熱のこもったしずくが滴っていた。

 その雫にある雫は直ぐに冷えてきたが、それは俺の心と相反するからだろうか。


 ……まあ、いいや。

 とっくに熱を籠らせた心を更に温め、俺は麗華に精一杯の笑顔を浮かべる。


「おはよう、麗華」

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