第41話 悪役令嬢、とは?

「卒業を機に帰国しないでくれたのはありがたいけど、本当にシェラザードの仕事を続けるんですか? もう学費の心配はないんですよね?」


 もくもくと湯気の立つ、シェラザードのキッチンにて。

 大学に通い始めたものの、相変わらず裏口から「おはようございまーす」と姿を見せるエルトゥールに、通りすがりの男性スタッフのひとりが不思議そうに声をかける。


「はい、さしあたり。私に仕事を商会してくれた姉さまとしては『一年間しかないのだから、時間を無駄にするな』と言いたかったみたいなんです。勉強の結果も振るわず、婚約者を見つけることができなくても、いざとなったらどこでも生きていけるくらいのつもりで働いてみなさいって。だから学費をと言いつつ、もともと稼ぎはそこまで重視していなかったみたいなんですが、ここでの仕事が楽しくなってしまいまして。私が」


 忙しい一年を過ごしたせいで、家でゆっくりしているとどうにも落ち着かないのだ。絶対休めと言われない限り、毎日でも通って少しでも働かないと、体力を余して寝られないのである。

 エルトゥールはそのつもりで言ったのだが、相手は邪気のない笑みを浮かべて言うのだった。


「ここなら、堂々とアルと会えますもんね……!」


 エルトゥールは、曖昧に笑う。


 アーノルドとの関係をスタッフに見抜かれていることには、そこまでの動揺はない。そもそも、彼らはジャスティーンが男性でありながら、女性として生活していたこともよく知っているようなのだ。

 その秘密が、秘密のまま噂にならないのは、この店のスタッフの大半もしくはすべてが「よく訓練された精鋭」であるからに他ならない。

 戦場じみたカフェの仕事ができるという意味だけではなく「おそらく普段は何か別の役割を担っていて、ここでは仮の生活を送っている者たち」の意味だ。


 王子であるアーノルドや、公爵令嬢であったジャスティーンが働いており、国は違えど王族身分である自分まで斡旋された時点で、何かが普通ではないと思っていたのだが。


(シェラザードに一年間いて、わかったことがあります。このお店には、裏の顔があります……)


 表向きの経営はティム商会で、エルトゥールの祖国であるイルルカンナとの関係が深い。料理もイルルカンナ風であり、座席の呼び名である色や数字もイルルカンナ語だ。

 ティム商会に経営が移る前、創業者にイルルカンナの関係者がいて、開業時点からそういう方針だったと説明を受けた。


 しかしその創業者は、どうもジャスティーンの公爵家と関係が深いらしい。つまり、どこかで王家とも関わりがあると考えるのが自然だ。

 そこまでたどれば、経営が代わった後も、何かしらこの国の中枢と関わりがあっても不思議がない店なのだ。

 実際のところ、スタッフの動きを注視していると、「素人とは思えない」者が多い。


 調理スタッフの刃物の扱いは、一流で深奥に達している。食材以外のものもよく切っていませんか? と憶測したくなるほど。

 客席担当の者たちも、ひとたび酔客に実力行使に出られると、鮮やかに応戦している。最初はそういうものかと思っていたが、何度か目にしているうちに、「どう考えても、一般のひとはそんなに喧嘩強くないですよね?」と考えるに至った。


 それ以外にも、カウンター席の隅には「聖獣」とされる猫が少女と一緒にいたり、時によっては凶悪な美貌の青年と目の覚めるような美少女が座っているなど、端々にただならぬものがあるのを見るにつけ、カフェ・シェラザードのスタッフはなんらかの任務を担った二重生活者だらけなのではないか、とエルトゥールは結論付けていた。

 もちろん、それをそのまま素直に、誰かに確認することはできない。

 エルトゥールもまた、ここにいる間は男性のふりをして働いている。王子ではないふりをしているアーノルドとともに。


 そして仕事が終われば、一緒に帰るのだ。同じ場所へ。

 帰り方向が一緒だから、一緒に帰るだけだ。

 世間では、同じ集合住宅の別の部屋に暮らしていることを「一緒に暮らしている」とは言わないはず。実際に、アーノルドの肝入りの改築は、いまのところ功を奏していない。


 疲れて帰ったエルトゥールは、「おやすみなさい!」と別々の入口から部屋に帰って、そのまま健やかに寝てしまう。

 リビングぶち抜きの螺旋階段を伝って下の階に向かうのは、朝になって爽やかに目覚めた後だ。

 朝食を食べるために。

 しかもそこには、たいていジャスティーンが先に来ているのであった。


 * * * * *


 進展がない。

 絶望的なまでに、進展がない。


 アーノルドの「別々に暮らしているふりをしつつ、実は愛の巣」計画は完全に不発に終わっていた。

 ふりも何も、完全に別居。健全。


「こればかりは、時間をかけるしかないからね。元婚約者のの影がすっかり消えてからじゃないと。お前が学生時代から二股かけていたとか、エルトゥール王女が婚約者のいる王子を誘惑したとか、世間では問題になるわけだろ」


 四階住まいのアーノルドの一階下、三階に暮らしているジャスティーンは、婚約者同士であった学生時代よりむしろ積極的に、現在の二人の関係に目を光らせているのだった。

 朝も早くから来て、アーノルドの部屋でソファに座り、美味しそうに濃いコーヒーを飲んでいる。


 なお、公爵令嬢としてのジャスティーンは現在、病気療養で田舎暮らしをしていることになっている。階下はマクシミリアンが住所登録をしており、住んでいる。同居しているのである。

 彼もまた、いまでもお目付け役の役割を完璧に遂行しているのだった。


 納得しているつもりのアーノルドであるが、物悲しい気持ちはある。それはもう、エルトゥールに対して思いを伝えるのを我慢してきて、手も出さずに清らかな関係を続けてきたのに、ここにきて先行きのわからない「待て」が続行しているのだから、不満はふつふつと募っている。


「エルを悪女にしないためには、そうするしかないとわかっているんだが……」


「そうだよ、アル。理性を失ってエルに襲いかかったりしたらだめだからね。そういうことをすると『バカ王子』として、悪役令嬢に断罪されるんだから」


「悪役令嬢?」


「知らない? 最近舞台とか小説で流行っているんだよ。婚約者以外の女によろめくバカ王子と、権力者にとびつく身の程知らずな女。その不義に敢然と立ち向かう正義のヒロインが、悪役令嬢。役割で考えると……、この場合、悪役令嬢はさしずめ俺だな」


 ふふっ、断罪しちゃうぞ? と、笑いながら言い出すジャスティーンを、キッチンに立ったアーノルドは不思議なものを見る目で見ていた。

 その美貌ゆえ、女性としても十分な存在感を放っていたジャスティーンは、男の姿が定着してきたいまでも「悪役令嬢」に即座に変身できるのだろう。それはもう、誰かにやれと言われなくても喜んで。


 無言で、アーノルドはコーヒーカップに口をつける。どろりと濃くて苦い。朝から中身のない会話をしている身に染みた。

 そのとき、階下とつながっている螺旋階段から、ひょこっとマクシミリアンが顔を出した。


「おはようございます、殿下。ジャスティーン、コーヒーを飲んだら一度下りてきてくれないか? お前あての荷物があるんだが、どこに置けば良いかわからないで、そのままになっている」

「了解。飲んだ。いま行く」


 言うなり、ジャスティーンはカップを持って立ち上がる。

 アーノルドのそばを横切り、洗い場に置いてから「それじゃあね。エルがきても、健全でね!」と余計なことを言い置き、階段を下りて行った。

 勝手に言ってろ、とアーノルドは気のない返事をしてから、ふと上階につながる階段へと目を向けた。

 ちょうど「おはよう」と言いながら、エルトゥールが下りてきたところであった。


「おはよう。朝食を用意する」

「ありがとうございます。手伝います」

「いいよ、昨日も遅かったんだから、ゆっくり待っていて」

「ゆっくりしていると、授業に間に合いませんから、私もできることをします」

「わかった。急ぐ」


 用件のみの、無駄のない会話。

 ハッとアーノルドは息を呑んだ。


(進展しない理由ってこれじゃないか? 色気のある会話がない。いや、色気のある会話ってなんだ?)

 

 襲うなだの、手を出すなだの、ジャスティーンやマクシミリアンにはよく言われているアーノルドだが、そもそもそんな空気になることがないのだ。

 お互い、必要な情報の伝達を行うばかりで、ジャスティーンと話しているような「中身のない会話」がほとんどない。

 いけない、とアーノルドは強い決意からエルトゥールに声をかけた。


「もう少し中身のない会話をしよう」

「藪から棒に、何を言い出しましたか?」


 瞬殺。

 困ったような、いぶかしむような顔をされて、アーノルドは頭を抱えたい気分で目を瞑った。

 エルトゥールが、さっと近寄ってくる気配がする。


「具合が悪いようでしたら、無理しないでください。帰りが遅かったのは、アルも同じです。朝食の準備は私がしますから、座って待っていてください」

「大丈夫。問題ない」


 答えて、アーノルドが目を開くと、すぐ前にエルトゥールが立っていた。心配そのものの顔で、「失礼します」と言いながらアーノルドの額に手をあててくる。


(熱の確認か。こういうのもいいな、距離が近づいたって気がする……)


 これこそ甘い空気じゃないか? と、アーノルドは少しだけそこに希望を見出した。

 しかし、額にあてられたエルトゥールの手からは、魔法の氷が飛び出してきて、アーノルドの額を凍らせた。


「冷たっ……」

「熱がありそうなので、冷やしてみました」

「ふつう、確かめてからでは?」


 魔法そのものは弱く、ぱらぱらと額から砕けた氷片が落ちていく。

 それを見て、エルトゥールは「気持ちだけなので……」とはにかむように笑いながら答えた。気持ち程度でも、氷は氷はである。甘くは、なかった。


「びっくりした」


 アーノルドが言うと、エルトゥールは気遣うように手を伸ばしてきて、頬に落ちた氷片をぬぐってくれた。

 その手を、アーノルドはぱしっと掴む。エルトゥールが驚いたように目を見開いた。その表情がとてもが可愛く思えて、アーノルドは掴んだ手に唇を寄せる。


「アル」


 小さな声で名前を呼ばれたときには、体を傾け、手ではなく唇に唇を重ねていた。

 ほんの一瞬だけ。

 螺旋階段を上ってくる、足音が聞こえていたから。


 ぼうっとした顔で見つめ返してくるエルトゥールに微笑みかけてから、アーノルドは階下から姿を見せたジャスティーンに、実に機嫌の良い顔を向けた。


「朝食はいまから急いで用意する。お前と、マクシミリアンと、全部で四人分な」

「なに、アル。いま何かあった?」


 察しの良いジャスティーンが早くも気づいている気配があったが、アーノルドは爽やかに笑いかけながら「悪役令嬢は間に合っているからな」と言い返した。

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王子様カフェにようこそ!〜秘密の姫君は腹黒王子に溺愛されています〜 有沢真尋 @mahiroA

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