第2話 探偵部の初仕事 (1)

 長袖の制服が暑く感じるようになってきた4月中旬ーー文殊高校探偵部設立2日目、そして依頼箱設置1日目の朝が始まった。

 昨日は私が主人格だったから、今日はエリの番だ。

 非番の日はゆっくり休もうと言いたいところだが、1限目は暮地先生の数学。エリにとっては苦手な科目なので私のヘルプが欠かせない。

 

 「盛山さん、教科書12ページの練習問題を解いて」

 「は、はい!えっと……」


 エリは言葉に詰まり額から汗を流し始めた。算数を習っていた時代から私に任せきりだった彼女にとって、高校レベルの数学は異次元の学問なのだ。

 私が導き出した答えを脳内で伝えると、エリはあたかも自分で解いたかのように堂々とnに当てはまる数字を答える。

 

 「n=−48です」

 「ふうん、なんでそうなるの?」

 「え?あの、その……」


 暮地先生の予想外の反応に狼狽するエリ。


 「ちょっと、チカ?−48じゃなかったの?」

 「エリ、落ち着いて。解はn=−48であってるわ。先生はどうやってその解を導き出したのか知りたいだけ」

 「そんなの私にわかるわけないじゃない!」

 「昨日の体育の借りを返す時が来たようね。よく聞いて、一言一句私の言う通りに答えて」


 私はこの日最初の授業からチーム盛山知恵子の理数系担当としての役目を存分に発揮した。

 きっと、周囲から見れば、脳内でのやり取りなんてわからないから盛山知恵子という1人の人物が教科書の練習問題をただ解いただけの光景でしかないのだろう。


 「次の問題は、平山さん。解けるかい?」

 「……えっ、私?」


 灯里は完全に上の空だったようで、まるで別世界から移転してきた人みたいに混乱してしまっている。

 隣の席の私が当てられたのだから、次はその後ろか横の自分に来るだろうと予想できそうなものだが、彼女は朝から何だか浮かれた様子で勉強のことなど考える余地もなさそうに見えたから無理もない。

 きっと、依頼箱の中身が気になって仕方がないのだろう。


 その後の授業も私は3つの人格をフル活用しながら乗り切り、逆に灯里は立て続けに醜態を晒す結果となった。

 昼休み、見兼ねた私は彼女を依頼箱の確認に誘ってみることにした。

 実績ある生徒自治会の意見箱の隣で存在感だけは負けていない異彩放ちまくりの依頼箱に、困っている生徒たちからの真面目な相談が寄せられるのかどうか……現実を知れば少しはエリの授業態度も改善されるだろうと踏んだのだ。

 すると、灯里は大好きなはずの腹拵えを後回しにして、すぐに私を連れて自習室前へと向かった。

 2つの対照的な箱が見えてくると、彼女は駆け足で向かっていき、一際異彩を放つ私たちの依頼箱を持ち上げ振り始めた。


 「ねえねえ、中に入ってるよ!」


 内部で壁面に薄いものが当たってカサカサという音が鳴っているのが私にもわかった。


 「すごいじゃない!早速開けてみよう」


 どうせ冷やかしだろう……なんて思っていたらエリは知恵子の目を輝かせながら灯里と一緒になって喜んでいた。


 「これ、どっから開けるのよ?」

 「あっ……開閉口を作り忘れてた」

 「これじゃあ壊すしかないじゃん」

 「そんなあ。何で前田は気付いてくれなかったのよ!」


 灯里は芸術性ばかりを追求して機能性を考えていなかったのだ。彼女は昨日制作したばかりの渾身の力作を壊さざるを得ないかもしれないというショックの余り、ここにいない3人目の部員に責任転嫁をし始めた。


 「不良品は壊して、次はちゃんと開け閉めできる箱を作ればいいじゃんか」

 「待って!こうやって傾ければ端っこが穴から見えそうよ。あとは指を捻じ込んで……できた!」

 

 壊したくない一心で、灯里は綺麗に折り畳まれた依頼書らしき紙をなんとか取り出すことに成功した。

 彼女はすぐにそれを開き、声に出して読み始める。


 「早速読むわよ!私は2年5組の鎌倉明日香です。最近付き合っている彼の様子が……」

 「こらっ!こんなところで堂々と読み上げるんじゃないわよ」


 依頼主のプライバシーを公衆の面前で堂々と垂れ流すような輩は探偵失格だ。

 エリは灯里を制止すると、袖を引っ張り部室へと走った。


 「ごめんごめん、つい浮かれちゃって」

 「もう、灯里ったら。でも、ここまで来れば大丈夫よ。読んで頂戴」


 幸い、先程は職員室周辺に人陰もなく、エリの素早い対応もあって誰にも聞かれずに済んだようだ。

 チーム盛山知恵子の体育系担当だけあって、今回の活躍はかなりのファインプレーだ。

 

 「さて、読むわよ。私は2年5組の鎌倉明日香です。最近、付き合っている彼の様子がおかしくて困っています。その彼と言うのは、2年2組の麦野翔介君なのですが……えっ?嘘でしょ?ショックぅ」


 麦野祥介の名前が出た途端、灯里は依頼書を手放して読むのを諦めてしまった。

 ひらひらと舞い落ちる紙を持ち前の瞬発力で受け止めたエリは、耳を塞ぐ灯里のことを横目で見ながら続けを読んだ。


 「……あれだけ頑張っていたサッカー部を突然辞めてしまったんです。それだけならまだしも、放課後一緒に帰ろうって誘っても用事があるからって急いで帰ってしまいます。学校での休み時間に話したり、夜にメールをしたりはするのですが、彼の急な変化がとても不安です。是非、探偵部さまで調査してください」


 最後まで読み終えると、灯里は怒りの籠った涙目で私に訴えてきた。


 「何で鎌倉明日香みたいな地味な女がサッカー部のイケメンと付き合ってんのよ!納得できないわ。それに、この依頼って要するにただの浮気調査よね?もっと難解な事件の依頼を待っていたのに」

 「現実の探偵仕事なんてこんなもんよ。創作の世界の探偵みたいな派手でカッコいいものじゃないわ」

 「私はこの事件降りるわ。本気で尾行とか身辺調査とかしてたらまるで麦野君のストーカーみたいだし」 

 「ちょっと、受けた依頼を放棄するっていうの?そんなの無責任過ぎるよ。彼女が一体どんな思いで私たちにこのSOSを届けてくれたのかわかる?」

 「な、何よ!そこまで熱くならなくても……」

 「今日届いた依頼はたったの一通のみ。今の私たちは依頼を選り好みできるような偉い探偵じゃない。少しでも実績を上げてあなたの言うもっと面白い依頼を受けられるような名探偵を地道に目指そうよ!ね?」


 灯里はエリの熱弁に押されて渋々首を縦に振った。


 「……そうと決まったら、早速麦野君のもとへ」

 「待って。彼女が知りたいのは下校以降の彼の行動だから、昼休みに尾行しても何にもならないよ。それより、お腹空いたから学食でも行こうよ!」

 「それもそうね。よおし、腹が減っては戦はできぬ。初依頼記念にカツ丼を食べるわよ!」


 昼休みの後半、私たちは丼で乾杯し、勝利の縁起物メニューを一気に胃へと掻き込んだ。

 午後からの授業を終えれば、いよいよ探偵部の初仕事だーーそう思うと、私も何だか想像以上にわくわくが止まらなくなった。

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三重人格探偵 文殊のチエコ 勇兎ぴあ @Kiteru

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