第2話 天使の微笑み
ベッドを伝うスマホの振動で目が覚める、時刻は朝五時、研究員として働きに出なくてもいい癖にこんなに早起きをしてしまった。そう、研究所は想像以上にブラックなのだ。
二度寝しようとまた目を閉じようとすれば、それを許さぬように腹が鳴る。自分の腹にはいはい、と返事をし、ぐっと伸びをして重たい頭をゆっくりと起こし、落ちてくる瞼を擦り無理やり開けると、視線は自動的に大きな白い羽根を映した。天使はいつからか起きる俺をじっと見つめていた。
8月24日 9日目
「おはよう」
いつも通り、安否確認の挨拶をすれば、天使はいつも通り軽く会釈をした。本当はこのまま脳にプラグを繋ぎ会話をしたいところだが、こちとら人間、お腹が悲鳴をあげている。
天使には申し訳ないが、もう少しいつもの椅子に座って待ってもらう。俺が朝食を作り食べ終わり天使の元へ行くと、天使は律儀に椅子に座り、おまけにコードまでつけて待っていた。
確認してもコードは正しく付けられていて、何度も刺されたんだなと思うと少し可哀想に思えてくる。
俺は機械の電源を入れ、いつもと同じように天使に話しかける。
「おはよう、具合はどう?」
「おはようございます 体調は昨日と変化ありません」という文字列がスクリーンに浮かぶ。一応簡単に素人ながらに視診する、顔色が悪いわけでも過剰に汗をかいている訳でもない、至って正常だ。
「じゃあ質問を始めよう、君は人間か?AIか?」
「どちらでもありどちらでもありません」と毎日変わらない文字列がスクリーンに浮かぶ。
「ここに来る前君はどこに住んでいたの?」
「住んでいた場所は存在しません」
「俺の名前は?」
「白入優です」
「君に家族はいた?」
「言いたくありません」
「じゃあ……いるんだ」
天使は表情を少し曇らせながらも、俺を見て決心したように話し始める。
「強いて言うならいた、と表記した方が正しいです」という文字列がスクリーンに浮かぶ。
冊子を見ればこの先も家族についての質問が続いていたが、さすがに言いたくないことを聞き続けるほど空気を読めないわけではない。
「……なにか今日したいことは?」
「外の世界を見させてください」
初めてAIからの要求がスクリーンに浮かぶ、まるで恋煩いしているようにぼう、と窓の外を見ている瞳を見て、わかった、と了承の意を示した。
俺は冊子を閉じ、ありがとう、と言いながら機械の電源を落とし、そっと天使からコードを抜く。天使は質問があっさりと終わったことについていけないのかきょとんとこちらを見ている。
俺はそんな俺を見つめる天使を立たせ、さっきよりもしっかりとした視診と触診の準備を始める。この行動は天使が警戒心のレベルを下げなければできないことで、毎日の実験結果報告で上からの許可がおり、今日やっとできることになったのだ。
服を脱がせる許可をもらい服を脱がせ視診を始める。
服が無くなった天使の身体は報告通り女性でも男性でもない、表すならば無個性な身体付きだった。
見た目だけでなく触っても人間と大差ない肌、髪の毛の一本一本も、きっと肌と髪の毛は半分の人間の部分なのだろう。
一方で目は硝子玉の様で、幾何学的な模様と蛍光色をしていて、きっとこの部分は機械なのだろう。改めて見ると人間とAI、と言うよりも人間と機械と言った方が正しいのではないかと思うほど、機械的な部分が垣間見えていた。
後ろに回って羽根を見る、羽根は想像していた通り肩甲骨あたりから生えていて、質感からか羽毛の感触はなく、柔らかめの金属でできているものだとわかる。
羽根を収納することは可能らしく、収納すると羽根は1ミリも見えなくなった。どういうメカニズムなのか何度見ても理解出来ず、AIの凄さに少しばかり尊敬した。
天使には服を着てもらい、器具を持ち咽頭を見る。見るだけだと喉も人間のままの正常でおかしなところなどない。しかし声を出してと指示をするも出ないのは、精神的な問題か、はたまたAIからの指示なのか、俺の力では分からなかった。
調査表に書いているとわかるが、俺が分かることはほぼゼロに近く、ほぼ無意味なことしかできていない。俺が実験する意味はあるのだろうか。
さて、そんな答えが出ない問いはほっといて、天使に外出することを約束してしまったが、俺の許可だけでは外出できないことが今になって思い出された。
しかたなく俺は実験所に行き、所長から直々に外出許可を出してもらう。要件は長ったらしく小難しいことが冊子に載っていて、所長は大袈裟なくらい面倒くさそうにそれを見ろ、としか言わなかった。
俺はその不機嫌そうな対応に会釈だけし、足早に天使を車に乗せ街方面まで走らせる。街、と言っても田舎の都会だから少し大きめのデパートしかないが、外を見た事のない天使からは城のように見えるのだろうか、心做しか目が輝いているように見える。
車から降りてすぐデパートの駐車場で、俺がふと視線を逸らした隙に真隣で天使が転んだ。慌てて様子を尋ねるも、けろりとして全然平気そうだ。これくらいの子供だとはしゃぎすぎて転ぶと友人に聞いたことがある、ならこれもそういうことだろう。
俺は少し擦りむいていた膝に応急処置として除菌シートで拭き絆創膏を貼った。アルコールで痛そうな表情をして、やはり人間の肌なのかと改めて実感する。
特に行き先を決めずにデパート内を歩いていると、さっきまで大人しく着いてきていた天使が、俺の袖をくい、と引っ張った。何?と天使の方へ視線を向ければ、天使の視線は飴細工店の方へ向けられていた。
欲しいの?と聞けば天使はこくりと頷く、俺は天使にいいよ、と言い一緒に飴細工店へと足を運んだ。
「おやいらっしゃい小さなお客さん、どんな飴細工が欲しいのかな?」
飴細工店の店主が天使に声をかける、聞かれた天使は悩むことなく真っ先に透き通る水色の小さな花を指さした。店主は無言で指さす様子を見て嫌な顔せず、むしろ微笑みながら飴を作り、天使に直々に渡してくれた。
天使はにっこりと笑い、飴を受け取り、飴をキラキラとした目で見続け、ふと我に返り恥ずかしそうに俺の後ろへと隠れた。
「お子さん何歳なんですか?」
隠れた天使を見ながら店主が俺に問う、俺は咄嗟の問いかけに動揺しながら九歳です、と答えた。そしてこの年齢差では俺も父親に見られるのかと小さなショックを受けた。
「へぇ、実はね、俺にも息子がいたんだよ」
店主は遠い目をしながら、懐かしむように話を続ける。
「今の都心は大学もすごくレベルが高いらしくもっとすごいことを学びたいとか言って……十五歳で家を出てったんですよ」
「それは……お子さんは……」
「戦争に巻き込まれて……な」
店主は飴を作りながら言葉を濁した、慰めの言葉も何も言えない俺に、店主はこれ貰ってってよ、と輝くような琥珀色の飴を俺に手渡した。
「太陽みたいなあの子の笑顔を守ってやって、俺ができなかったことを……ね」
そう笑う店主の鼻は、少し赤みを帯びていた。俺はありがとうございますと深々とお辞儀し天使と手を繋いだ。
そうだ、この子はAIでもありれっきとした人間でもある。店主のように守れない訳では無い、むしろ俺にしか守れないのだ。
天使の怪我と店主の言葉、俺はそれらのおかげで天使を守るということがやっと理解できたような気がした。
手を握り返してくれた天使の表情は、どこか安心したような柔らかな表情だった。
実験結果報告書
2XXX年8月24日
白入 優
本日月日に行った機械実験、及び接触実験の結果についてご報告申し上げます
・機械実験 変化なし
・相違点 なし
・接触実験 外出した際擦り傷を負ったが、いずれも軽傷で前回と体調の変化は見られなかった。
・その他 今回実験対象を外出をさせ、対象が欲するものを与えた際、笑顔をうかべた。
以上
矮性のガウラ @apri_siin_
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