ありきたりだけど大切なかけがえのない日々

「ディメルノー。手が空いてたらこのお皿並べてくれるー?」

「分かったー」

 パタパタと足音を鳴らしながら、寮の管理人から声を掛けられた少女がキッチンの方へと駆けていく。ありふれた……とは言い難いけれど、なんでもない夕食前の景色。そんな光景を俺は、月光がそのまま形になったような銀色の髪と、若葉が幾重にも重なり合ったような深緑の瞳のエルフと共に眺めていた。

「……短い間に随分と馴染んだみたいだね。見違えるほど明るい表情だ」

「メイヤーとニシキさんのおかげだよ。二人には本当、この先ずっと頭が上がらない」

「ふふっ、確かに。私としても、ディメルノをこの寮に留めるため尽力した甲斐があったというものだ。もちろん、君が手伝ってくれたおかげでもある。間違いなく……君が守ったものだよ、これは」

「あーいや、俺の力なんてほとんど役になんて立たなかったよ。……まあ、それも含めてあれからずっと大変だったけどさ。正直……めっちゃ疲れたし」

 ディメルノの保護が開始されてから、既に一週間近く。言葉にしてみるとほんの短いそれだけの時間に、本当に色々なことがあった。

 まず俺はケースワーカー見習いとして、正式に働き始めた。とは言ってもまだほとんど雑用同然の状態で、しかも他種族相手の仕事ということで慣れないことばかりだが、まあなんとかやれている。

 ちなみに本当ならこの寮を出て職員寮に入るという選択肢も与えられた……というか、普通なら当然その寮に入るのだが。少なくともディメルノのことが落ち着くまでは今の寮に居ると辞退した。

 自分から提案しておきながら、君ならそうすると思ったとシルフィーさんは言っていたけれど。まあ最初から寮を出るという選択肢が頭になかったのだから、お見込みの通りですとしか言えなかった。

「おや、新進気鋭のケースワーカーとして期待されてる君らしくもない発言だね。同僚たちから仕事の出来る新人として話題なんだよ?」

「まだほとんど雑用しかやらせてもらってませんけどね!? その噂してる人たちはめちゃくちゃ嫌味が上手いか、どこか別の世界を見てる人たちだろそれ」

「ふふっ、雑用にも仕事の出来る出来ないは現れるものさ。それに、雑用とは言ってもどれも必要な仕事だ。君が入ってくれたおかげで助かってる人はちゃんといるんだよ」

 楽しげな笑みを浮かべているシルフィーさん。その横顔を見る限り、今のは少なくとも半分冗談なのだろう。まあ半分は本気で言ってくれてそうだと思ってしまう辺り、我ながらシルフィーさんへの信頼度の高さを実感してしまうわけだが。

「物は言いようだよな、本当。……って言うか俺、入ってからシルフィーさんの手伝いしかしてないような気がするんだけど……。助かってる人って、もしかして自分のことだったりする?」

「ふふ、どうだろうね」

 エメラルドの瞳を細め、彼女はどこか妖しげな笑みを浮かべる。今でこそ余裕のある、どこか底の知れない笑顔を浮かべているシルフィーさんだが、彼女のこの一週間の奮戦は凄かった。

 ディメルノがこの寮に引き続き居られるよう、転宅費用を支給せずに済むという名目であの係長を説得したり。ディメルノの父親が万が一でもあの子を見つけないように、認識阻害魔術をかけてくれたり。

 更にはほとんど毎晩、仕事で忙しいだろうにディメルノの様子を見に来てくれたりと、本当に頭がずっと上がらない勢いでだったのだ。まあここに来てるのは、半分くらいメイヤーの夕食が目当てなのかもしれないが。

 ちなみに今日は休みの日ということで、昼過ぎから来ている始末だ。ディメルノが心配にしても仕事熱心にも程がある、と俺としては思うのだが。まあ暇を持て余している俺の話し相手になってくれているので、何かを言える立場ではない。

「……まあ冗談はさておき、私達もそろそろキッチンに向かうとしようか。少しくらい手伝わないと、メイヤーに怒られてしまいそうだ」

「確かに。ニシキさんも手伝ってるだろうしなぁ」

 既に俺とシルフィーさん以外は全員キッチンに居る始末だ。そんな中、二人きりで管理人室で喋ってたと知れたらメイヤーに男と言われるか分からない。まあニシキさんは怒りはしないだろうけど、だからこそ申し訳無さが凄いのだ。

 ちなみにメイヤーとニシキさんに関しては、特に大きな変化はない。ディメルノを優しく迎えてくれた日から変わらず、それこそ家族みたいに温かく接してくれている。

 それはきっとディメルノには一番必要なことで、だからこそ二人には感謝してもしきれない。それをまるで当たり前みたいにしてくれる二人には。

 そんなことを考えながら、俺は食堂に繋がる扉を開く。隣にはシルフィーさんが居て、そしてキッチンには鍋をかき混ぜるメイヤーが。ニシキさんはその隣でパンをバスケットに並べていて、そしてその足元にはお皿を持ったディメルノが居る。

「あ、二人ともどこで油売ってたのさ。今日は人数多いんだから、ちゃんと手伝ってもらわないと困るんだってのに」

「まあまあメイヤーさん。お二人共、きっと積もる話でもあったのでしょう。同じ仕事をしている同僚同士なのですから、仕方ありませんよ」

「ニシキはそうやってすーぐユウトを甘やかすんだから。どうせしょーもない話してただけなんでしょー? ほら、ディメルノだってちゃんと手伝ってるんだから、二人とも早くこっちきてよ」

「ディメルノ、ちゃんとお皿並べてるよー。えっと……ディメルノ、偉い?」

「ええ、偉いですよディメルノちゃん。あ、それはこっちの机にお願いしますね」

 まるでずっと昔からこう過ごしていたんじゃないかって、そう思ってしまうような温かい光景。思わず胸から熱いものがこみ上げてきそうになって、俺は小さく息を呑む。

 隣を見れば、シルフィーさんもまた似たような表情をしていて。その深緑の瞳は、浮かんだ涙でいつもよりも複雑な光を放っていた。

「あ……ああ、悪い悪い。ちょっとな」

「すまない、話し込んでしまっていたよ。それで、私は何を手伝えばいいのかな?」

 お互いに涙をなんとか飲み込んで、俺たちは笑いながら扉をくぐって歩いていく。この中の誰一人として欠けていたらきっと成し得なかった、温かくて幸せな景色の中へ。

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【完結済】異世界異種族福祉 ダニエル @shortland-islands

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