第63話 奇行

「ところでこの試合、どちらが優勢に見える?」

「向こうのコートに陣取ってるチームじゃないですか」

「今は3点負けてるみたいだけど」


 俺と話しながらも、試合の流れはきちんと追いかけていたらしい。天寧さんは一言、「ふうん」と呟いてから、


「どうしてそう思ったか教えてもらえる?」

「手前側、攻撃的といえば聞こえはいいですけど、ちょっと前がかりになりすぎている気がして。素人の自分でもわかるイージーミスがちょくちょくありますし、攻めっ気を出した結果が3点リードなのはつり合いが取れていないというか。……まあ、リードしている方をストレートに持ち上げても面白くなさそうだなって逆張り成分がそれなりに含まれた考察です」

「素直でよろしい。だけど確かに、チーム力に大差があるようには見えないわよね」

「ああでも、個人の能力で言えば一人突出してる気がします。ほら、向こうのチームにいる、さっきから百発百中の勢いで距離あるシュートを決めてる人」


 タイミングよく、スコアが動いた。先ほどは惜しくもライン内だったが、今回は文句のつけようがない3ポイント。シューターは今まさに話題に挙げていた選手で、大半の得点が彼女を起点としている。背が高いとか、腕が長いとか、ぱっと見でわかる特徴こそないが、総合力でいえばコートに立っている人間の中で間違いなく一番。

 応援席から歓声が沸く。点差がなくなったこともあり、いわゆる流れというやつは完全に向こう側のチームがものにしていた。


「代表クラスかもね。きつめのマークを逆手にとって囮になるクレバーさもあるし、周りが良く見えてる」

「うわ、また入った」


 瞬く間に逆転。後半に差しかかってプレイヤーの疲労が表に出始めたが、そうなると苦しいのは攻め一辺倒で通してきた手前のチーム。本来なら早い段階で点差を作って逃げ切る算段だったのかもしれないけれど、予定に反してシーソーゲームになってしまったのがいけなかった。当初はチーム力が拮抗しているように見えていたものの、蓋を開ければ差があったというオチ。

 その状況を覆せるだけの決定打は、手前のチームにはなかったようだ。点差は少しずつだが確実に開き、試合終了のブザーが鳴る頃には20点近くの後退を喫していた。整列。礼。応援席へ挨拶したあと、荷物をまとめてコートを去る。すすり泣く声があちこちから響き、まったく無関係の俺までセンチな気分にさせられる。


「予想的中おめでとう」

「二分の一なんで当てずっぽうですよ。……願わくば、てんなには良い方の50パーセントを引き当てて欲しいものですけど」

「どうだろうね。スポーツ、それも学生の部活動って、一見爽やかなようでいて中身はかなり残酷だから。経験者の談なので、確度は高いよ」

「最後の大会の記憶、まだ頭にありますか」

「最初から最後まで試合展開の再現ができる……って言ったらわかるかしら。私、物覚えが特別いい方じゃないんだけど」

「……トラウマ的な?」

「近しいとは。接戦だったのもあって、あそこで強引に行かずにパスを出せていればとか、フリースローをきっちり全部決めていればとか、反省することが多くて。これでもしも大敗していたら、むしろきっぱり割り切れていたかもね」

 

 それはどうだろうなと思う。どんな形であれ、敗北というのは後の人生に影響を及ぼすものだ。ベクトルに多少の変化が生まれるだけで、どの道も後悔という結末につながっているのではなかろうか。この仮定もまたたらればであるため、検証のしようがないのが悔やまれる。


「自分は万年帰宅部なので、この空気感はちょっと参りますね。息が詰まる」

「思い出すなあ、泣いてる子たちを見ると。試合終了の瞬間に泣いて、会場を出て行くときに泣いて、最後のミーティングで泣いて、家への帰り道で泣いて、部屋で泣いて、お風呂で泣いて、悔しさで眠れないまま、朝まで泣いて。涙の流し過ぎで、脱水症状になるかと思った。そんな自分が情けないからまた涙が出てきて、止まらないの」

「……重たい経験者談だ」

「おかしいわよね。別に、全国制覇がしたいわけでもなかったのに。強豪私立に行ったうえで負けたなら悔しいのも納得だけど、公立の進学校で受験勉強の傍ら取り組んで、それで青春のなにもかもを部活に捧げた人たちに勝つ方が問題。……だけど当時は、負け戦に挑んでるつもりなんてなかったなあ」

「やめておきません? 人間、そんなに合理的な生き物じゃないですよ。一番になれないのが最初からわかっていたって、内心ではもしもを追いかけがちです。もしも、運よく、奇跡的に、手が届いたら。その思考を否定すると瓦解してしまう事柄なんてそこら中に転がっていて、だから、暗黙の了解として見て見ぬふりで済ますのが正解なんだと思います」

「……京くん、君、本当に高校生?」

「一応現役でやらせてもらってます」


 勝利だけを積み重ね続けられる人間など、世界にほんの一握り。自分がそちら側だと自惚れられるほど、俺の感性は腐っていない。そもそもこういう葛藤こそが凡庸さの証明であって、本物の傑物の思考は、もう一段高い次元にある。――字城とわが身近になった今、それを何度痛感させられたことかわからない。

 字城には、納得も満足も妥協もない。見据える先ははるか遠く、凡夫では理解すら及ばない地点に照準を合わせている。彼女の本質は寂しがりの甘えたがりだが、それは別に、愚直な求道者であることと矛盾しない。なにげない世間話をするときの気の抜けた笑顔と、キャンバスに向かいあったときの切れ味鋭い刃物のような表情。それが同一人物であることに、未だ違和感が付きまとう。


 きっと、俺を含めたほとんどの人間が、字城のようにはなれない。それがもどかしく、むず痒くもあるのだが、だからといって社会が機能不全に陥りはしない。頂点を目指すのはあくまで理想であって、目的にはなり得ない。皮肉なことに、彼女を理解しようとすればするほど自分の昏い部分が強調される。……それでも、孤独にしないと宣言したからには、なにもかも理詰めで食らいつかねば。


「……とにかく今は、難しいこと抜きで行きましょう。てんなが勝つよう応援する。肝要なのは、こういうわかりやすさです」

「そうね。……あら、噂をすれば」


 直前まで試合していたチームが撤退しきったのを皮切りに、入れ違いで次の高校がコートへと姿を現し始める。選手が羽織っているジャージには一年分の親しみがあり、うち何名かはそもそも見知った顔だ。

 やはり、鞘戸は目立つ。横に並ぶ相手にもよるが、背が頭一つ分高いといやでも目を惹く。調子はどうだろうか。送ったメッセージは読んだのだろうか。気になることは多く、無意識に前傾姿勢を取っていた。無論、多少近づいたところで追加情報は得られない。だからといって、腕組みで傍観していられないのが辛いところだ。


「あの、試合についてなんですけど――」


 天寧さんに尋ねごとをしようとしたとき。彼女はやおら立ち上がると、コートに向かって、


「天那ーーー!」


 妹の名前を大きな声で呼んでみせたのだった。いきなりのことに、頭が空っぽになる。会ったばかりで性格もなにもわかったものではないが、これはさすがに予想の外側。

 無論、驚きの度合いでいえば俺なんか比にならない人物が一人。鞘戸天那本人は、声が響いた後に客席のあちこちを忙しなく見回し、天寧さんを見つけた瞬間に照れるんだか喜ぶんだかわからない曖昧な表情を浮かべた。口許が「もう!」と動いたのが見える。これが姉妹の日常なのかもしれない。


 しかし、真の問題がその奇行ではなかったことに、俺はこの時点で気づけなかった。


「こっちこっち」


 天寧さんがちょんちょんと指をさす。どこに? 自分の真横に。そこには誰がいる? もちろん、俺がいる。


「…………?!?!?!?!?!?!?!」


 ものすごいスピードで視線を左右に移動させながら、それに勝るとも劣らない勢いで瞬きを繰り返す鞘戸。――ああ、わかるよ。自分の姉が、なぜか友達と同じ席に座っている。シチュエーションとして、これほど困惑することもない。

 されど、衆人環視の状況で声を張って説明する勇気はなかった。なので――


「がんばれーー……」


 手を振った。約束通り、できるだけ控えめに。もはやそんな心遣いが意味をなさないと知っていてもなお、控えめに。

 

 試合開始は間もなく。……鞘戸、これで集中できるのか?

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天才美少女の教育係に任命されたけど、勉強させる気ありません! 鳴瀬息吹 @narusenarusenaruse

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