第62話 たじたじ
「それにしても、へえ……」
「どうか?」
「いえ、せっかくの休日を潰してまで部活の応援に来てくれるなんて、天那はお友達に恵まれたんだなあと」
「別に、自分に限ったことじゃないですよ」
鞘戸の友達はあちこちにいる。コミュニケーション能力が高い低い以前に、他人の警戒を解く生来の才能を持っているがゆえ、人間関係の構築に時間がかからない。俺が知らないだけで、会場にあと何人か知り合いが来ていても驚かない。
「思わず応援したくなるじゃないですか、彼女。毎日を全速力で駆け抜けている感じがして、見ていて小気味いいというか」
「力配分が下手なだけかもしれないわよ?」
「そういうところまで含めて、魅力と捉える人間が多いんだと思います。現に、自分がそうなので」
「あら、魅力」
鞘戸のお姉さんはどこか含みのある笑顔を浮かべ、「へえ。へえ……」と何度か頷いた。それにしても、言われてみれば確かに強い血縁を感じる。お姉さんの話は鞘戸から何度か聞かされてきたが、容姿は完全に言葉通りだ。「私よりずーっと大人っぽくて、何十倍か賢い感じ!」誇張にしても言い過ぎ。そう思ってきたものの、どうやら間違っていたのは俺の方だったらしい。
たたずまいには、どこか気品のようなものが溢れ出ている。あとは、分別を弁えた人物が醸しがちな知性も感じた。鞘戸を一回り小さくしたような体つきではあるものの、それを補ってあまりある雰囲気。これらをまとめて、大人っぽいと評したのだろう。
「ふふっ」
「…………?」
「ごめんなさいね。初対面なのに、全然初めて会った感じがしなくって」
試合が進行している。取って取られてのシーソーゲームになっており、常に5点差以内で推移。会場にいるからにはゲームに興味があるはずで、そっちのけで会話に興じているのは俺たちくらいなものだった。
「天那、わかりやすい子でしょ? 家で友達の話をするときは基本的に相手の名前を言うはずなんだけど、時々主語不明のままで終わることがあって。ちょっと気になって照らし合わせたら、その主語の相手は同一人物みたいなのよね」
「本人いないところで大丈夫です? プライバシーとかコンプライアンスとか……」
「もしかして君、一人っ子?」
「ええ、まあ」
「兄弟姉妹にそんな堅苦しいものはないの。天那だってどうせ、学校で私についてあることないこと触れ回ってるでしょう?」
「問題は、まったく見知らぬ相手について話されても、そのエピソードの真偽が判定できないところにあります。……でも、お姉さんのことは尊敬しているみたいですよ。話すとき、いつも自慢げなので」
内容どうこうは関係なく、鞘戸は実に楽しそうに家族の話をする。家族に愛され、そして自分でも愛し、ここまで成長してきたのがありありと感じ取れて、聞き手として気持ちがいい。時折こぼす不満や愚痴ですら、どこか幸せそうなくらいだ。……最近付き合いを持ち始めた友人の家庭が少々複雑なのもあって、誰もがそんな環境に身を置ければとついつい考えてしまう。
「そう。よかった。私にとっても、天那は自慢の妹だから」
どうやら本当に姉妹仲がいいらしい。しかし、当然といえば当然か。見るからに知的で聡明そうな姉と、少し歳の離れた活発で素直な妹。取り合わせとしてはこれ以上ないように思え、俺がもしお姉さんの立場だったら鞘戸のことを猫かわいがりするに決まっている。
「お姉さんのこと、しょっちゅう羨ましがっていましたよ。というか、未来の自分に重ねているのかも」
「そのちょっとバカっぽいところが愛らしいのよね。……あと、一ついい?」
「はい?」
「呼び方。お姉さん」
馴れ馴れしかっただろうか。鞘戸のお姉さん、と言うのがくどいから短縮形にしているだけなのだが。
「それだと、お義姉さんになったときに新鮮味がないからやめましょう」
「…………」
「あら、否定しないのね?」
「呆気に取られているだけです……」
「私が言うのもどうかと思うけど、天那はかなりの優良物件よ?」
「本人のいない場所でする話では……」
「じゃあ、後でうちの両親を交えて五人で」
「冗談ですよね? さすがに冗談って言ってもらえますよね!?」
「なんだ、意外に大きい声も出せるじゃない」
「…………」
もしかして俺は今、綺麗な年上のお姉さんにからかわれているのか。聞き及ぶ限りではおいしいシチュエーションのはずなのに、体験するとまるでそんなことはない。仮に彼女が親しい友人の姉でさえなければ、捉え方も少しは変わっただろうに。
「落ち着いた子って聞いてたけど、私の思う落ち着きとは少し違ったみたい。樹齢数千年の大木みたいな泰然自若っぷりはイメージにしてもやりすぎだったかしら?」
「そんな高校生いたら気持ち悪いですよ。あくまで、平均と比較してって話じゃないです?」
「私、高校生じゃなくなって結構長いからなー。平均を考えようにも、サンプルが今のところ一件だけ」
「標本が偏るとかいう次元じゃないですね。……隣のホールに行けば、血の気の多い部活男子の姿が見られると思いますが」
「それはそれで外れ値でしょう。大会という特別な場所で昂っている子たちを基準にするのは、ね?」
「それはそうですが」
歯切れ悪くなったのは、突如として発言がまともになったから。データに強い人なのかと一瞬邪推するが、個人情報を尋ねたらドツボにはまりそうなので飲みこむ。
時間が正午に近付いてきたのもあってか、観客の数が増えてきた。こちらからはともかくとして、プレイエリアから特定の知り合いや家族を特定するのには骨が折れそうだ。
「そうそう、呼び方について途中だったわね」
「鞘戸さん」
「だめだめ。私も天那も両方鞘戸なんだから、区別がつかない。……そういえば、天那のことは普段どう呼んでるの?」
「ファーストネームで」
「呼び捨て?」
「……はい」
「へえ。なるほど。へえ……」
うーん、やりづらい。イニシアチブを握られっぱなしというか、永遠に向こうのターンというか。元より年上との対話を苦手とする方だというのもあって、ずるずる委縮してしまう。
「じゃあ、自動的に私も下の名前ね」
「オートメーションの波、今流れてきてました?」
「かなりの大波が」
「……天寧さん」
「いいわね、すごく。それで、私も君をけーくんって呼んで大丈夫?」
「できればもうちょっとはっきりした発音で……」
「ん、京くん」
たじたじだ。……願わくば、早く試合が始まりますように。
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