第61話 姉あのね

 地区の総合体育館は、完成からまだ十年ほどと新しい。スポーツとは縁のない人生を送ってきたので足を運んだ回数こそ少ないが、施設が広いこと、設備が立派なことは何度も伝え聞いている。

 友人が出場するバスケットボールの大会を観戦する。そういう約束を、つい先日した。大会の規模からか運営関係者、施設責任者、観戦者、参加者があちこちに散見され、もしもここで人探しをしてくれと頼まれたら、さすがの俺もやる気をなくす。空には灰色の雲が立ち込めており、落ち畳み傘の所在を何度も確かめさせられる羽目になった。


 大会は二日目。残っているのは、昨日勝ち上がった16チーム。鞘戸は以前、頑張り次第ではベスト16に残れるかもしれないと言っていたから、言葉通りに奮起したのだろう。俺としても、まさかの初日敗退を告げられたら宙ぶらりんの約束の処理方法に難儀しただろうし、勝ってくれて素直に安心した。


「着いたよ……っと」


 一応、メッセージを飛ばす。向こうは試合前なので下手に気を散らせたくはなかったが、連絡がなかったらなかったで不安になるものだ。そもそも、スマホを確認できる余裕があるかどうかすらわからないが。

 なにはともあれ、俺は会場までやってきた。この時点でやれることはほとんど終わっている。後は試合をしっかり観て、結果を受け取るだけ。そのためには日程の把握がマストで、エントランスホールに掲示されているトーナメント表を確認。前もって聞いていた情報から変わりはなく、少々早い時間ではあったが、場所取りも兼ねて一つ前の試合にお邪魔することにした。


「うお」


 観戦席が設置されている二階スペースに足を踏み入れた瞬間、特徴的なブザー音が耳に刺さった。室温もホールと比較して明らかに高く、額からじっとり汗がにじみ出す。選手のかけ声と観戦者の応援とが混じり合い、それが熱気になっていた。

 コートは二面。そもそも男子会場と女子会場が隣り合わせで、ホールを間違えると選手の性別ががらりと反転する。俺が入ったのは予定通りに女子会場だったが、もしかすると今、壁を隔てた向こうでは新条が試合をしているのかもしれない。観に行きたい気持ちはあったものの、知られたら面倒なので諦めた。「野郎に応援されても士気なんか上がらねえよ」彼はたぶん、こんな感じのことを言う。


 見物客の男女比は、ぱっと見でも女性優勢だった。おそらくは、昨日敗退したチームが観戦側に回ったり、選手の友人が遊びに来ているからなのだろう。男性もいるにはいるが、それは保護者だったりジャージを着た男子バスケ部と思われる学生だったりで、一人で堂々乗りこんできた人間はなかなか見当たらない。端的に言って、肩身が狭い。人の間を縫って階段状になっている座席の先頭位置を確保し、腰を下ろす。横目でちらとあたりを窺えば、視界に入るのは女学生ばかり。不審がられたときの言い訳を考えておく必要がありそうだ。


「応援ですか?」


 早速だった。俺が席に着いてから十秒ほど遅れて隣にやってきた女性に問われ、困惑。もしや、服装が怪しかったか。シャツにチノパンという、ありふれた組み合わせをチョイスしたつもりだったのだけど。


「応援です」


 オウム返し。できればもっと上手い返答を考えておきたかったが、機先を制されてしまったからにはどうしようもない。せめて態度だけでも友好的にと思い、笑顔を心がける。


「そうですか。私もです。……というより、ここにいるからにはほとんどが応援目的ですよね」

「もしかしたら偵察かも」

「男の子が?」

「実は男子マネージャーって可能性もあります。今後対戦する可能性を考えて、弱点探しに」


 あることないこと言っていたら、手前のゴールにボールが突き刺さった。わずかにスリーポイントラインを割っていたものの、どこか柔らかさを感じる見事なシュートだ。俺は思わず拍手をして、その姿を見た横の女性は、


「偵察しにきた人は、拍手をしないと思いますけど」

「カモフラージュ……というのはもちろん嘘で、最初言った通り自分はただの応援目的です。友人が出場するので」


 なんで名前も知らない初対面の相手と話しこんでいるのか。そもそも、この人はどうして俺に話しかけてきたのか。不思議でもあり、少々馬鹿らしくもあって、ここで初めて女性の容姿を確認した。上背があり、目鼻立ちがはっきりしている。顔にはうっすらとメイクが施されており、全体的な雰囲気から、歳の頃は二十代半ばといったところだろうか。……悪い癖だ。会ったばかりの人間を分析しようとするのは。

 しかし、なにかが引っかかる。それがなにか断言できないからもどかしいのだが、この人から初対面以上のものを感じるのだ。


「お友達はどちらのチーム?」

「ああいえ、気が逸って早めに席を取っただけで、試合は次なんです」

「あら、私と同じ」

「え」

「後輩たちに檄を飛ばしに。……より正確には、妹の晴れ舞台を見守りに」

「じゃあもしかすると、自分とおな――」


 発言の途中で見つけたもどかしさの正体。……それは、既視感。


「――つかぬことをお伺いしますが」

「なにかしら」

「苗字、鞘戸さんだったりしませんか?」

「あら」


 言って、女性はいたずらっぽく微笑んだ。ああ、こうするともっとわかりやすい。えくぼや口角の上がり方が、どこかの誰かにそっくりだ。


「わかる?」

「面影があります。……それと、言い当てられても大して驚いていない様子から見るに」

「聞いた通り、本当に頭の回転が速いみたい。……ええ。実は、顔を何度か写真で。その子を会場で見かけたものだから、つい」


 女性は、ふ、と軽く鼻を鳴らした後で、


「あなたがけーくん?」

「森谷京と言います。天那さんとは仲良くさせてもらっていて。……あの、まさか他所でもそう呼んでるんですか、彼女」

「何回かね。……改めまして、いきなり声をかけてごめんなさい。鞘戸天寧さやとあまね。天那の姉です」


 鞘戸をそのまま大人っぽくしたような容姿の女性は、席を一つ俺の側に詰めながら言った。……あの、近づく必要ってありました?


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