第2話


結局その日は、連絡先を交換して別れた。連絡先のプロフィールを見て初めて知ったのだが、彼女の名前は想色朱莉(おもい あかり)というらしい。長年人付き合いがないと、相手の名前を聞くことさえ忘れるものだ。まあ、わざわざ知りたいと思うような人もいなかったのだが。


次の土曜日、俺は想色から連絡を受けた。のはいいのだが、なぜか俺には一生縁のなさそうなおしゃれカフェに呼び出されていた。目の前には心底美味しそうに、柔らかすぎて持ち上げるのが困難そうなパンケーキを器用に頬張る想色。

「お〜いひ〜。中野くん!これすごいね!とんでもないね!美味しさで世界救えちゃうね!?」

幸せそうな彼女の笑顔を見ていると、むしろその笑顔の方が世界を救うのでは、なんて思えてくる。

「中野くんも食べなよ〜早く早く!」

「いや、幸せそうなとこ悪いんだけどさ、俺は今日なんのために呼び出されたわけ?世界征服とやらをするんじゃないのかよ?」

「するよ〜まあまあそう焦らないでまずは食べたまえよ、中野くん。私たち、共に戦うヒーロー仲間じゃん、だからまずは親睦を深めようってことよ。」

「は、はあ。」

「人と仲良くなるコツはね、幸せを共有することだよ。自分の持っている‘楽しい’とか、‘嬉しい’のカードをお互いに精一杯出し合って、いっしょに幸せな時間を作って、過ごすこと。だから、これは私が出す‘楽しい‘の手札だよ。こんなふうに美味しいものを一緒に食べたならもう仲良しでしょ?次は、中野くんの’幸せ‘の手札を私に見せて欲しいなあ。」

そう言いながら、想色はその小さな顔をくしゃっとして、真夏のひまわりのように笑った。ああ、なんだろうこの感じ、あったかいなあ、なんて思う。

「そうだ、共に闘う戦友同士が苗字呼びなんてそんなのおかしいよ。名前で呼び合うべきだと思うんだ。」

「まあ確かに、ヒーローどうしが苗字呼びは全国のちびっこに不仲説を流されかねんしな。」

「お〜いいね〜、なかなか乗ってきたね〜駿太!」

「べ、別に。」

予想に反してノリノリの俺がいるのは確かなのだが、改めて言われると少し恥ずかしい。それに名前呼びもまた。思わず注文したチョコレートケーキを口に詰め込む。程よい甘みと滑らかさが舌に心地良い。

「あ〜何々赤くなっちゃう感じですか〜〜恥じらってる感じですか〜〜?」

「いや、まじで赤面はしてねーよ!?やめてくんない?!」

「まあまあ、そっちも早く呼んでみてくれたまえよ〜〜駿太くん。」

キラキラとした眼差しをむけ、飼い主におやつをもらう仔犬のような様子で期待されると、もう完全に逃げ場はない。心なしか、ブンブンと降る尻尾とピンと立つ耳が見える気がする。

「あ、あの、その、なんつーか、」

小さく息を吸い込む、

「改めて、よろしくな、朱莉。」

「こちらこそだよ、駿太。」

彼女は柔らかく微笑んだ。俺も小さく微笑み返した。もうすぐ柔らかな春が過ぎ、梅雨を超えたら17回目の夏を迎えようとしている俺たちの間には、そのまましばらくゆったりとした時間が流れた。セミたちが騒がしく鳴き、蒸し暑く溶けそうな季節はもうすぐそこだった。

 会計を済ませて外に出ると、ここに入ったのは昼過ぎ頃だったような気がしたが、もうすっかり日は沈もうとしており、あたりは淡い朱色に包まれていた。思ったよりも長居してしまったようだ。もうそろそろ帰る時か、少し名残惜しいなんて思っていると、いきなり朱莉に手を掴まれ、彼女はそのまま街の中を走り出した。

「おいどした!?」

「しっ!ついてきて。」

一体何が起きているのかは理解できないが、明かに平常ではない朱莉の様子を察し、とりあえず黙ってついていくことにした。

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