第1話

雪が溶けて柔らかな春の匂いが漂う季節になった。毎朝、朝食を食べながら半ば事務的に視聴しているテレビでは出会いと別れの季節だのなんだのと、今世間で流行りの歌手たちが歌っている。そんなこと、自分の心の中には少しも入り込んでこない。

今日から高校2年生になる俺、中野駿太はいつも通り朝ごはんを済ませ、事務的に日常をこなしていた。世間では新しい出会いに心躍らせるのが普通だろうか、学生ならクラス替えで多少なり胸をざわつかせたりするものだろうか。自分には関係ない。学校という小さな社会の中で俺を認識する人は一人もいない。無論、こちらも他人の存在を認識することはないが。昔から人と関わることが苦手だった。小学生の頃は、まだ自分にも友達とか呼べる他人がいたような気がする。理不尽に悪意を向けられる自分がいて、他人の顔色ばかり伺ってしまう自分がいて、気づくと一人でいることを選んでいた。一度全ての無駄から逃げて、一人を選び楽な方へ進むと、不思議とどんなことへの興味もなくなった。他人はもちろん、自分への興味さえ。そんな俺は今日も、無駄を自覚しながら機械的に学校へ向かった。


 新学年の始まりのせいか、学校はいつもよりも騒がしく感じられた。満開を過ぎた桜は、役目を終えたと言わんばかりにひらひらと舞い散っていた。新しいクラスを発表する貼り紙を人だかりができる前に確認しようと早めに来たのだが、もうすでに張り紙の前は大勢の人で賑わっていた。もっと早く来るべきだったか。幸い視力が悪い方ではなかったので、遠目にさっと見て自分の向かうべき教室を把握した。座る席を確認したら、特にすることもないから時間まで机に突っ伏して眠る。眠りの浅い俺は始業のチャイムの音で起きられるため、これまでホームルームまで寝て注意を受ける、なんて面倒なことにはなった試しがない。

「_____くん、」

「おーい、中野くん、なーかのしゅんたくーん!」

誰かが俺を呼んでいる。無論、眠りの浅い俺は目を覚ましたのだが、あろうことか顔をあげてしまった。机の横に立っていた、胸にかかるほどの艶々とした黒髪と雪のように真っ白な肌、対照的に春のように暖かなピンク色の唇が印象的な小柄な女の子と目が合う。

「お。目覚ました。意外と眠り浅いんだね〜。」

この学校にも俺を見える人がいたのか!?なんて、どこのトイレにいる地縛霊のような感情は微塵も湧かない。決して派手ではないが、華やかな見た目の彼女は目立つに違いない。面倒なことはごめんだから、早くどこか行って欲しい。その一心で俺は無視を続ける。

「もーつれないなぁ。返事くらいくれてもいーのにー。あ、チャイム。また放課後ね。」

そう言い残すと俺の席とは真逆の彼女は黒板に向かって教室の右角、一番前の席へ帰って行った。チャムのタイミングが良かった。


放課後、帰ろうとすると校門の前に数時間前目にした彼女が立っているのが見えた。面倒だからと避けようにもそこを通らないと帰れない。仕方なく正面突破を決めると、案の定見つかった。

「おー!やっときた!遅かったね〜待ったよ!」

ふわりと笑うその笑顔は、彼女の周りにだけ柔らかな日差しが見えるような気がする。もう何年も人にそのような顔を向けられたことのない俺は、思わず目が眩みそうになる。まるでもうすぐ訪れるであろう初夏のひまわりのような笑顔だ。面倒なことになりたくない俺は、無視を決め込んで通り過ぎる。

「ちょっとちょっと、待っててば〜!相変わらずつれないな〜駿太くんは〜!」

テンションの高さとほぼ初対面での名前呼びに困惑していると、いつの間にか二人並んで下校していた。さっきまでハイテンションだった彼女も、無言で歩いている。少し気まずい。このまま走って逃げて彼女を巻こうかとも考えたが、日ごろ決して活動的ではない俺は、情けないが体力に自信が無い。どうしたものかと考えて歩いていると、彼女がふと静寂を割いた。

「みんなはさ、他人に興味がありすぎるんだよ。」

誰に向かって話してるのかは定かではない様子で、ただまっすぐ前を見ながらゆっくりと喋り出した。すでにさっきの笑顔はなかった。

「自分への興味と同じくらい他人に興味を持ってる。だからすぐに他人と自分を比べるし、それで自分より優れていたり、違ったりしたら排除しようとする。面倒くさいよねぇ、人って。」

僕は黙っている。

「自分の色と同じ色を持つ人って存在しなくて、それなのにいろんな他人の色を心にこれでもかってくらいに詰めるから、ぐちゃぐちゃになって真っ黒なんだ。もっと自分の色だけでいっぱいにしたらいいのにね。まずは自分一色のきれいな色に染めてさ、それから自分の好きな人たちの色だけを少しだけそっと混ぜるんだよ。そうしたら、澄んだ綺麗な色の心ができるのにね。世界中の人が、みんなそうだったらいいのに。」

彼女が一人話すのを聞いて、俺は驚いた。彼女が自分と似たような考えを持っていたことに。いつだって人は他人への興味でいっぱいだ。俺もそんなやつらに何度もうんざりしてきて、心を閉じた。似たような考えをもつ彼女となら分かり合える、なんて大袈裟なことを感じたのかどうかは分からないが、俺は気づくと、初めて口を開いていた。

「あのさ、なんで俺に声掛けてきたの?」

彼女は少し驚いた顔をした後、真っ直ぐ前を見て歩いたまま、微笑んで答えた。

「中野くんの心はさ、透明なんだよ。他人の色にも、自分の色にさえ染まってない。綺麗だな、って思ったの。」

「綺麗、か。」

彼女の意外な心の中を知れたこと、俺の心が綺麗だと言われたこと、どちらも悪い気はしなかった。ふと、彼女の言う心の色というものが気になった。

「あのさ、心の色ってなんだ?俺は昔、人の顔色を散々伺ってたけど、それ極めると心の色まで見えるようになんの?」

「あーそのことね。透明人間の中野くんに興味持って貰えるなんて嬉しいなぁ。」

「誰が透明人間だよ。」

間違ってないけど。

「私ね、人の心が読めるの。その人の心が、感情が、色になって見えるんだ。すごいでしょ。」

得意げな顔で笑う彼女。こっちを向いてダブルピースしてる。

「へ、へえ。」

半信半疑で中途半端な返事をする俺に、彼女はしょうがないなぁと言って、近くの公園の、自販機から少し離れたベンチへ俺を連れてきた。

「今から、あの男の子が買うジュース当てるよ。」

そう言った彼女の視線の先には、自販機の前に立っている小学校中学年くらいの男の子。まぁ、小学生の男の子が買おうとするジュースなんて、だいたい分かるものじゃないか。オレンジジュースか、コーラか。それを当てた程度で心が読めると言われても、信じられるとは思わない。そんなことを考えていると、男の子がお金を投入し始めた。その瞬間、彼女は言った。

「ジャスミン茶。」

______数秒後、少年が自販機のボタンを押す。

「まじかよ。」

今この瞬間、俺は彼女の力を完全に信じた。だって、小学生がジャスミン茶を買うなんて誰が予想できる?俺ならそんなおしゃれな名前の飲み物、味すらわからないぞ。

「へへへ、信じてくれたみたいだね。」

心底嬉しそうだ。彼女はその後も、仕事終わりの男性会社員・お散歩中のおばあちゃん・子連れのお母さんの飲み物を当てて見せた。

「なんか、その、すげえな。」

「どーもどーも〜」

すっかり得意げな彼女。自販機の側のベンチに座ってからどのくらいたっただろうか、すっかり日も落ちて暗くなってきた。まだ少し肌寒い季節に、晴天だった空は無数の星と三日月をはっきりとそのキャンパスに映している。もうそろそろ帰ろう、そう言いかけたとき、彼女はまるでとても重大なことを告げるように、重そうに口を開いた。

「あのさ、私、この力を使って人助け的なことしてるんだよね。」

「人助け?正義のヒーロー的な?」

「そうそう、ヒーロー的な。誰でも一度は憧れるじゃない、人を笑顔で助けるヒーローとかさ。」

「そうだな。」

「笑わないんだ。」

他人に興味のない俺は、別に面白いともなんとも思わない。

「やっぱり、綺麗だな、中野くんの心は。」

彼女はこっちを見ない。まっすぐ前を見たまま、続ける。

「私ね、人助けって、具体的には死にたい人の自殺を止めてるの。心を見たときにわかるんだ、あ、この人は今から死ぬ、って。まあ、いっちゃえばただのエゴだけどね。小さい頃に憧れてたヒーローの足元にも及ばない。でもね、許せないんだ。他人の色を取り込みすぎて真っ黒な心をした人に攻撃されて、丁寧に他人の色を取り込んで綺麗な色の心を作った人がいなくなっちゃうこの世界が。私の目標は、世界中の人たちをカラフルな色の心にすること。真っ黒ばっかりはつまんないからね。自殺の防止は、そのために、ほんの少しだけど、今の私に精一杯のできることなの。」

ここまで言い終わると、彼女は悪戯っぽい笑顔で俺の方を向いた。急に目があって戸惑う。

「中野くん、私と一緒に、世界征服なんて、してみませんか___?」

「いや、世界征服じゃあどう考えても悪役だろ。ヒーローになりたいんじゃないの?」

「もー細かいことはいーの!じゃあ、正義の悪者でも目指す?」

「いや、どっちだよ!」

心のどこかで、楽しいと思う自分がいることに気づいた。彼女の世界征服とかなんとか、

「まあ、少しは付き合ってあげてもいいかも。」

こうして、俺と彼女の世界征服と称した、自殺阻止という形の人助けが始まった。

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