第7話 紐2
妻は思い出していた。このハネムーンでの夫と過ごした一週間を。
たったの一週間。
人生一度きりのハネムーンがたったの一週間。
しかも、ハネムーンといえばヨーロッパやアジアのリゾートに出かけることが普通であると思うのに、ハネムーンが国内旅行などという話は聞いたことがない。
ロサンゼルスのホテルに着いたときから女は不機嫌だった。
この鬱憤を晴らしてやりたい気持ちと、何も考えずただ紳士面している夫に、心のうちを気づかせたいが故に、一日中ホテルにこもり、本を読んですごしてみたり、夫の誘いを上の空でながしてみた。
しかしカリフォルニアに来てビーチに行かない手はないので、一度か二度だけ夫に付き合った。外見上は無理やり誘われたから仕方なく付き合っているように見せていたが、実はとても楽しみにもしていた。
この夫を許してあげる気にさえなっていたのに、あの人ときたら、私に水着を変えろと言い出すのだから。ビーチに来ているナンパ目当ての若い女の子のような、露出度の異様に高いビキニを着させようとする。
私はもう人の妻であるのに。なんて不愉快なのかしら。
その上、今朝、ホテルでは私のパーカーの紐を引き抜いた。
あれは許せなかった。本当に許せなかったの。あれだけせかさなくても、タクシーに乗れば、飛行機には十分に間に合う時間だったのに。
夫はあせると周りが見えなくなる人だ。
チェックアウトのため、ロビーに行こうとして、乗ったエレベーターは上へ行った。
国内旅行なのに、パスポートを持ってこさせた。
そして、ビーチの露店で売っているリックサックとパラシュートの区別もつかなかった。
おそろいのリュックサックを一緒に露店で買ったじゃない。
女は非常扉を力いっぱい引き戻し、元通りに閉めた。
風が止み、女は乱れた髪を整える。目に浮かぶ涙は冷たい風のせいだ。
そして、前方のファーストクラスの仕切りになっているカーテンをくぐり、空いている席に腰を下ろした。
通路の奥から、さきほどのキャビンアテンダントがやってくるのを見かけて、声をかけた。「ビールが飲みたいわ。」
「お待ちを。」とキャビンアテンダントが答え、奥へ消えた。
「またお隣ね。あなたもこの席お買いになったの。」
隣の席から黒い肌をした老婆が声をかけてきた。
老婆はすでにビールを数本空けていて、すっかり上機嫌の様子だった。
「それにしてもラッキーだったわよね。まだ買えたのね。」
「はい。何でもあのスチワーデス、空いているファーストクラスの席を、トイレから出てきたエコノミーの乗客にこっそり売っているって。」
「あたしの教えたとおり、ちゃんと売ってくれたでしょ?こんなことでもなきゃ、一生ファーストクラスで旅行なんてできませんからね。」
「ええ、本当に。」
「あなた、飛行機では携帯電話をお切りなさいな。さっきからずっとブルブル鳴っているわよ。」
「あらごめんなさい。」
女は素直に電源を切って、リックの中にしまった。
「そういえば、ご主人はどうされたのかしら。」
「今頃、パーカーの紐を引っ張り出しているところかしらね。」
時計は丁度16時2分を指していた。
完
違和感のあるヒモ Olasoni @Olasoni
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