王生さんと狼谷さん~京都に暮らす男二人の物語~

こなしあかや

天ぷらとビール

 カチャカチャ、トントントン、ピッ、ジュワァァ……


 俺は、深い海の底から浮き上がるような感覚と共に目を覚ました。

 時計を見ると、一八時二五分。およそ一時間ほど眠っていたようだ。

 思いの外、深い睡眠をとってしまったらしい。頭がはっきりとしない。腕で目を擦る。

 ようやく、キッチンの方に灯りが点いている事に気がつく。その灯りを認識した途端、そこから流れ出る音、匂いが、一気に脳を覚醒させる。

(──狼谷かみたに、帰って来とったんや)

 キッチンには同居人である狼谷が、薄桜色の髪の毛を揺らしながら、夕食の準備をしていた。


 カラカラカラ、パチパチパチ……、ジュワァァァ……。


 音からして天ぷらだろうか。合間に小気味良く包丁を鳴らす音も聞こえる。そして、ご機嫌な鼻歌も。


 施設で育った俺には、台所の音は電子の中にしか存在しないものだった。

 施設で出てくる食事は、給食センターで作られたものだったし、その後暮らした寮でもアパートでも、手のない俺には料理など不可能で、いつも出来合いのご飯を食べていた。

 それが当たり前だったから、特に不満はなかった。元々、食にはあまり興味がないし、どこの料理も、そんなに不味いものが出てきた記憶はない。

 それがここ三年ほどでガラリと変わった。高校の時からの友人である狼谷と暮らし始めると、狼谷は料理を覚え、俺に振る舞うようになった。

 狼谷は、超がつくほどのお坊ちゃん育ちで、家庭科の調理実習以外で包丁を握ったことのない男だった。そこですら、元々顔立ちがよく、甘え上手な狼谷は、周囲から貴賓客のように扱われて、結局料理のりの字も知らない成人男性へと成長した。

 それが変わったのが、四年前。ある事件をきっかけに、狼谷はいわゆる普通の生活を送れないようになり、俺に養われる立場になった。

 それが不満だったのか、罪悪感からなのか。奴を手に入れるために、わざとこの環境を作り上げた俺には知る由もないが、狼谷は料理と家事に手を出した。

 初めは酷いものだった。初めて作った料理はインスタントラーメンだったが、適当な水の量で作ったせいで味が薄すぎて、お湯でラーメンを食べているようだった。

 しかし、それが狼谷に多大なショックを与えたらしい。その翌日、狼谷は調理器具と料理本を買い込むと、動画まで参考にしながら、料理に没頭していった。

 元々手先が器用な奴だ。コツを覚えるとあっという間に上達した。火傷も切り傷も最初だけで、半年も経たないうちに、本人の舌をも納得させる料理を作れるようになっていた。

 おかげで俺は、毎日おいしい料理に舌鼓を打てるようになったわけだ。が、まぁ正直、昔のあいつの方が可愛かった。俺に出来ないことが出来ないあいつの方が。



「あぁ王生いくるみ、起きてたん?」

 俺に視線に気がついたのか、狼谷は菜箸を持ったまま振り返った。

「今日はな、山菜の天ぷらやで。さつまいもと人参でかき揚げにもした」

 こらビールやな、と嬉しそうに笑う狼谷に、俺はいつものように憮然とした顔を向けるだけだ。

 「寝起きは機嫌が悪うおますなぁ」

 俺のために消していたリビングの明かりを点けると、狼谷は出来上がった料理を次々と運んでくる。俺が寝ていたソファーの上で大きく伸びをしていると、狼谷がするりと、俺の不格好な腕をもみ始めた。

「何しよん……」

「料理を頑張ったご褒美や」

 俺の途切れた腕の先端、脂肪しかない部分を揉むのが、狼谷は好きらしい。俺には理解できない感性だが、触れられることは嬉しいので、諦めたふりをして揉ませ続けている。

「さて、飯にしよか」

 満足したのか、狼谷は俺から離れると、グラスを2つとビールを持ってきた。天ぷらにビール。この組み合わせには、顔が綻んでしまっても仕方がない。

「乾杯」


 ゴクゴク、サクサク、ホクホク……。


 隣から、いろんな音が聞こえる。この三年間で当たり前になった、食の音。

「最高やな」

「ほんまや」

 くすくす、けらけら。

 酔ってしまったのか、なにやら可笑しくなってきた。

 深い海の底から浮き上がってきた先にある、熱くて冷たくてくすぐったい世界。

「はぁ、美味い」

 零れ出た本音に、狼谷はにっこりと笑う。

 かいらしい。

「あ、そら豆もあんねん。持ってくるわ」

 どうやら、幸せはまだ続くようだ。あぁ、幸せだなんて、この俺が言うのか。

 でもしゃあない。そら豆には敵わへんやん?

 本当は気がついている、この美味しさの秘密に、まだ少しの間蓋をして、俺はそら豆を待つ。

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王生さんと狼谷さん~京都に暮らす男二人の物語~ こなしあかや @konashi-a

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