黒髪地味姉は聖女のようです

恵ノ島すず

黒髪地味姉とミルクティのような妹

 私の年子の妹、高校1年生の一之森いちのもり莉菜りなは、最強美少女だ。


 生まれながらにミルクティのような明るい色の髪、音がしそうなほどバサバサのまつげに縁どられた、同じくミルクティ色の大きな瞳。肌も透き通るように白く美しく、日本人離れした美貌を誇っている。

 たぶん、実際のところ、父親が日本人ではないのだとは思う。母と離婚して家を出て行った、おそらく私の実父と思われる母の元夫の人が主張していたように。


 そんな推定両親の離婚原因である莉菜は、けれど母の愛を一身に受け、すくすくと最強美少女に育ちあがった。

 小柄ながら手足は長く顔は小さく、どんな集団に混ぜても目立ってしまう、人目を引かずにはいられない美しい容姿の妹は、母にべろっべろに溺愛されている。


 対する私は、特に面白みもない地味な容姿をしていて、莉菜と比較してしまえば、まあつまらない娘なのだろう。

 虐待というほどではないと信じたいが、私は家庭の中で、ほとんど無視されて生きてきた。


 いつでもなんでも莉菜優先。

 かわいいもの綺麗なもの美味しいもの楽しいもの、すてきなすべては莉菜に最初に与えられ、私の手元にはほとんどたどり着かないか、たどり着いたときにはぼろぼろにくすんでいる。

 莉菜が望めば無条件で譲り、莉菜の機嫌のために奔走し、そうしてずっと、生きてきた。


 正直、つらいと感じるときもある。

 けれど、莉菜はかわいくて美しくて、私はそうではないから。

 母だけではなくて、今まで出会ったどんな人も、誰も彼もが莉菜を好きになったから。

 だから、これは当然のことで、つらいなんて感じるのはわがままで、私がおかしくて……。


「ああ、なんと神々しいまでの美しさだ。あのお方こそが聖女様に違いない……!」

 だから、莉菜といっしょに吸い込まれた光の渦の先で聞こえた、感嘆するようなその声も、当然莉菜に向けられたものだと、そう思ったのだけれども。



 ――――



「うっわ最悪。なんで天音あまねがこんなとこいるの」

 高校からの帰り道、背後からかけられた辛辣な妹の声に、天音と呼び捨てられているが一応は彼女の姉であるはずの私は、おそるおそるそちらを振り向いた。

「ごめんなさい。今日は図書委員の仕事があって……」

 私が頭を下げると、莉菜は短く舌打ちをして、早足で私を追い抜こうとする。

 私は頭を下げたまま横にずれ、彼女に道を譲った。


 彼女が制服のかわいさで選んだ遠くの私立高校に通う莉菜と、母に唯一許可がもらえた自宅最寄りの公立高校に通う私は、本来帰宅時間がずれていて、帰り道でいっしょになってしまうことはほとんどない。

 けれど今日は図書委員の当番で少し私の帰宅が遅れ、このような事態になってしまった。

 次があれば、もう少し学校で時間をつぶすべきだろうか。いやそれでは、母にするように言われている家事が間に合わなくなってしまうだろうか。


 どうしたら妹と母の機嫌をより損ねずにいられるかと考えた瞬間、


『どうか、どうか我らをお救いください――』


 どこか遠くから、そんな声が、かすかに聞こえた。

「……?」

「きゃあっ!」

 私が首を傾げた拍子に、私の目の前を今まさに通り過ぎようとしていた莉菜が、小さく叫んだ。


「え、なにこれ……」

「ちょっと、なにこれ、どうにかしなさいよ天音っ!」

 莉菜が私の肩つかんでゆさぶりながら叫んでいるが、こんなのどうしたらいいんだ。


 私たちの立っている地面が、なんか光ってる。

 ぐねぐねうねうねとした文字だか模様だかよくわからない線が複雑に絡み合った、ファンタジーで見る魔法陣っぽいなにかが私たちの足元に出現して、そしてめちゃくちゃ光っている。


「やだっ、やだやだやだっ、なにか引っ張られて……、きゃああああああああああああっ!」


 おう、なかなか耳に来るな。

 莉菜の言う通り、何者かに引きずり込まれるように魔法陣? から発された光に飲み込まれている間、私が考えたのは、そんなことだった。


 目を開けていられないほどの光、内臓ごとひっくり返ってしまいそうな浮遊感、ぐにゃり、と自分の体の境界が歪んだような不快感に、固く目をつぶり、体をぐっと縮めて耐える。


 ゆらり、ぐらぐら、ふわふわ、つ、と、すとん。


 あ、なんか、地面、ある……?


「聖女様が、この地に降り立たれたっ……!」

 固い地面のようなところに座り込んでいる感触がしているような気がした次の瞬間、聞こえたのは、誰かのそんなうれし気な声だった。


「……待て! ……なぜ、2人いるんだ……?」

 次いでいぶかし気に聞こえてきた先ほどとは違う誰かの声に、え、なにどういうことと思った私は、そろりと目を開けた。


 おっと、なんだかファンタジー?


 私と、よく見ると私の隣の莉菜が座り込んでいるのは、石造りの台座のような場所。そこには先ほど見た魔法陣っぽいものが描かれていて、微弱に発光している。

 建物自体はレンガ造りっぽく、やたら広い大広間のような部屋だ。


 そして中にはなんだかたくさんの人がいたのだが、その容姿服装が、なんだかとってもファンタジーだった。

 とりあえず、日本人っぽい顔立ちの人は一人もいない。彫りが深くて色が白いから、ヨーロッパ系? でもなんか髪色青い人とかもいるな……。

 神官っぽい人に、騎士っぽい人に……、おお、ティアラをしている人と王冠をしている人が寄り添っているのは、これもしや国王夫妻とかなのだろうか。

 そんな、ちょっとゲームみたいでわくわくしてしまうような、現実味のない人々は、なんだか一様に戸惑った表情をしていた。


 あ、まじまじと見ていたら、ふいにそのうちのひとりの騎士と目が合った。

 私は日本人の習性で、へらりと愛想笑いを浮かべてしまう。


「おお、なんとお美しい……!」

 私と目が合ったはずの騎士が、心底感嘆したようにそう言って、感激にだろうか、背筋を震わせた。


 おうおう。目が合ったのは私だというのに、すかさず莉菜を褒めたたえるっつーのはどういう了見だ。

 ま、地味ブスとか視界に入らないですよね。いないものですよね。知ってる。

 しかし、喋っている言語は全然聞き覚えがないのに、意味は自然とわかったな。ますますファンタジー。


「ああ、なんと神々しいまでの美しさだ。あのお方こそが聖女様に違いない……!」

「おい、容姿は関係ないだろう! ……まあ、あれほどの美しさ、神秘を感じずにはいられない気持ちはわかるが」

「というか、あのお方が聖女様であらせられないとすると、身分の上下問わず求婚者が殺到してしまって大変なことになるぞ」

「……確かに、それは大変なことになるな。聖女様であれば、高位貴族以上でなければ声をかけることもかなわないが……」

 最初に私と目が合った騎士と、その同僚らしきもう一人の騎士は、ちらちらと私たちを見ながらそんな会話を交わしている。


 すごいな莉菜。

 思わずちらりと妹のそこまで言われる顔面を見やれば、急なよくわからない事態に顔色を悪くしているらしい彼女は、それでもどこか得意げに微笑んでいる。


 ふと、それまで傍らの神官っぽい人とこちらに聞こえないよう声を潜めてなにか話し合っていた様子の王様っぽい人が、意を決したようにこちらに歩み寄ってきた。

「失礼、お嬢さん方。我々はガセリオン王国……、あなた方が住む世界とは異なる世界の国の者で、私はこの国の王である。今この国は精霊の力が弱ってしまい、様々な不都合が生じている。そこで、異世界より、精霊を癒す特別な力を持つ乙女、【聖女】様を召喚した次第……、のはず、なのだが。大変申し訳ない。おそらくどちらか一人は、ただ偶然聖女様のお近くにいた方を、巻き込んでしまったのだと思う」

 そう言って頭を下げた推定もとい確定王様の言葉に、そういう物語を多数たしなんでいる私は、なるほどねと思った。


 わかった。これあれだ。

 聖女召喚巻き込まれ系だ。

 莉菜が美人だからあっちが聖女だろうって言われて私が捨てられるやつだ……!


 よくある感じの話の展開に、私はますますわくわくしてしまった。

 え、どうしよう。

 実際私は聖女じゃないけどユニークなスキルがあったりするやつかな。

 それか、私が実は聖女でもう遅いってするやつかな。


「ついては、どちらが聖女様であられるか確認するために、お二方に鑑定魔法を使う許可をいただきたいのだが……」

 慎重! さすが国家元首!

 でも、ですよねー。普通に考えたら、容姿だけで決めつけたりしませんよねー。

 王様の言葉に、ちょっとがっかりしてしまったのは仕方ないだろう。


「ええ、かまいませんわ」

 にっこりと、実に美しい笑顔で、莉菜がすかさず許可を出した。

 強いな美人。

 まあ、彼女は聖女ならものすごく大切にされるだろうし、聖女じゃなければ求婚者が殺到するとか言われていた美貌だ。どう転んでも勝ちしかない。強い。


「そちらの美しいお嬢さんも、かまわないだろうか」

 ぼけっとしていたら、王様に私も返答を求められた。

「あ、はい! おっけーです!」

 私が反射的にそう答えると、王様はほっとした様子で軽く頭を下げ、神官っぽい人のところに戻っていった。


 ……?

 しかし、美しいお嬢さん? 私を見ながら、なにを言っていたんだ?

 あ。万が一私が聖女だったときに、機嫌を損ねないためか。

 莉菜がさっきからやたらめったら褒めたたえられているから、そのフォローか。さすが国家元首。気遣いも半端ないな。


 などと考えていたら、私たちの目の前に、神官らしきご老人が歩みを進めてきていた。

「では、こちらの方から……」

 そう言って彼は、莉菜の頭上に手をかざす。

 ぽう、と彼の手が光り、彼は幾度か、ふむふむとうなずいている。


「……こちら、聖女様ではありませんな。特段なんの力も持っておられないようです」

 おっと、求婚者殺到コース。

 やがて彼の口から発された鑑定結果に、莉菜は一瞬表情をむっとさせたが、次の瞬間には余裕の笑顔に切り替わっていた。


 まあね、莉菜は美少女だからね。どこでどうなったって人生超楽勝だよ。

 莉菜は甘えん坊なところがあるから、きっとなんらかの役目を果たさなければならない聖女でなくて、かえってよかったかもしれない。


「では、こちらも失礼して……」

 こちらに向かってきた神官さんに、慌てて佇まいを直す。

 彼が私の頭上に手をかざすと、じわ、と、額のあたりになんだかあたたかいような、少しくすぐったいような感触を感じた。


「……やはり、こちらが聖女様にあらせられます! それも、ああ、これほどまでに強いお力をお持ちなのは、歴代の聖女様の中でも幾人いたか……!!」

 突如大きな声でなされた宣言に、びくり、と体が跳ねた。


 歴代? 聖女って、何人もいたの?

 っていうか、私、聖女でしかも力強いの? え、やだ、私、人に褒められたり評価されたりするの慣れてないから、すごく照れる……!


「やはりあちらの美しいお方であったか……!」

 先ほどの莉菜を褒めたたえていた騎士の声で、そんな言葉が聞こえた。


 ……?

 なにを言っているんだ?

 美しい方は、聖女じゃなかったんだってば。

 そう思って、そちらを睨んだのだけれども。


「えっ、あ、ま、待てどうしよう、聖女様と、また目が合っている……!」

「落ち着け、あまりの美しさに動揺する気持ちはわかるが……、いや、ほんと信じられないほどの美しさだな。お前、今呼吸できてる?」

「わ、わからなくなりそうだ……。美しいにもほどがある……」

 騎士たちは、がっつりと私と目があったまま、そんなよくわからない会話を交わしている。

 私がじーっと見ている方の金髪の人は、顔を真っ赤にさせ、わたわたとして、どうやら額に汗までかいているようだ。


 ……?

 異世界言語、意味がわかっているつもりでいたが、もしや翻訳間違ってたりする……?


「な、なにをわけのわからないことを言っているのよっ!」

 莉菜がそう叫びながら立ち上がって、急に私の髪をつかんだ。

「コレが美しい!? よく見なさいよこの、きゃあっ!」

 バチィ、と、ものすごい音を立てて、莉菜が私の髪をわしづかみにしていた彼女の左手に、雷撃のようなものが命中した。おかげで髪が放されたので、私はすこし後ずさる。


「聖女様、ご無事ですかっ!」

 先ほどの二人の騎士が私と莉菜の間に滑り込んだ。うち一人、金髪の騎士が私をひょいと抱き上げて運び、莉菜との距離をとろうとしてくれている。

 緊急事態だからとはいえ、まさに物語に出てくるようなかっこいい騎士様の腕の中に納まるかたちになってしまった私は、瞬時に自分の顔面に熱が集まったことを悟った。


「いえ、あの、ぶ、無事ですけどっ、あ、あ、ちょっとうれし恥ずかしいというかっ!」

「申し訳ございません、聖女様。俺のような醜い人間とこの距離というのは耐え難い苦痛でしょうが……」

「え、いえ、お兄さんはすごいかっこいいですけど」

 金髪の騎士さんのよくわからない謙遜にそうつっこんでしまうと、騎士さんはびしりと硬直した。


 ついでそろりと私を床に立たせた後、ばっと私から身を離した彼は、信じられない物を見るような目で私を眺め、なんだかわたわたとしはじめる。

「っあー。マジ。マジか。ああー!」


 えっ。ど、どうした。

 突然の騎士の奇行といきなり崩れた言葉に戸惑う私に、えらく真剣な表情で、彼は尋ねる。

「あの、聖女様の世界では髪色で美醜を判断しないって伝説、マジのガチのやつだったりします?」

「え、髪色? いや、それは何でもいいのでは……。それより、顔立ちとか、体格とか、そういうあれで美醜は決まる、のでは」

「うちの世界では、髪色と瞳の色で決まりますね。聖女様のように、黒髪黒目が最上の美で、そこから離れるほど醜いって評価されるシステムです」

「……わぁお、いっせかーい」

 騎士さんとの会話で知らされた異世界の異文化に、思わずそんな風に感嘆してしまった。


 なるほどね?

 そのルールでいくと……、私が美人で、ミルクティのような莉菜は……割とそうでもない、ということになると?


「天音、あんた、調子にのってんじゃないわよぉっ!!」

 いつの間にやらもう一人の騎士に床に押さえつけられていた莉菜がそう叫んだ。


「せ、聖女様! あの、こちらのお方とはどういったご関係で!? 聖女様のお望みであれば国賓として保護しますが、これほど聖女様に攻撃的な人物、正直この国にいて欲しくないです! 元の世界にお戻ししてもかまいませんかっ!?」

 莉菜を押さえている騎士が、半泣きでそう尋ねてきた。


「あ、帰せるんですね……?」


「呼べたのに帰せない道理など、ございませんよ。歴代の聖女様も、こちらに残った方と、元の世界に帰った方とが半々くらいです。ご安心ください」

 先ほど私たちを鑑定してくれた神官のおじいさんが穏やかな声音でそう言って、私を安心させるかのように微笑んでいる。


「あー、じゃあ、とりあえず妹……、あ、あれ、私の妹なんですけど、あんまりいい関係ではないので。妹は、元の世界に戻してあげてください。あの子は、むこうの世界の方がしあわせに暮らせると思いますし」

 私がそう言うと、神官さんはゆったりとうなずいて、祈るように手を組むと、ぶつぶつとなにか詠唱のようなものを始めた。


「っざっけんじゃ……!」

「莉菜! あっちに戻ったら、お母さんに、私は元気だから心配しないでって伝えてくれる?」

「あんたのことなんて、どうでもいいに決まってんでしょっ!!」

 莉菜が腹の底からそう叫んだ瞬間、彼女の腹の下の魔法陣がひときわ強く輝き、彼女を押さえていた騎士さんは素早いバックステップでその場を離脱し、一瞬の間の後、莉菜の姿はかき消えてしまった。


「……まあ、だよねぇ。うん。お姉ちゃんもそう思うわ」

 そんな言葉は莉菜に届いたか届いていないかわからないが、彼女はもう元の世界に帰っているのだろう。


「聖女様、我々はあなた様にすがるしかない立場です。この国を、精霊たちを救ってくださればありがたいですが、あなた様に無理強いをするつもりはございません。聖女様が戻りたいと願えば、すぐにでも同じようにお帰しいたします」

 王様がそう言って、頭を垂れた。


「私は……」

 正直、あちらに戻って、また家族に疎まれながら生きていくのはつらい。たぶんさっきので、莉菜がものすごく私に腹を立てているだろうし。

 でも、すぐにこちらに残ると結論を出せるものでもない。


「えっと、私は、……今はまず、私なんかで役に立てることがこちらにあるのであれば、それに尽力したいと思います。精いっぱい、聖女として頑張らせていただきたいです。その後のことは、その後で考えようかと」

 私がそう言ってちらりと周囲の人々の顔色を窺うと、その場にいた人々はみな、うれし気な笑顔を浮かべていた。


「なんと謙虚な……」

「これほど美しいというのに心根までお優しいとは……」

「……愛しい。と、俺なんかが思っても、手の届かない人だというのに……」

「聖女オブ聖女。このお方の盾となれたら……!」


 次々にため息交じりに漏らされる賞賛は、もはや嬉しいよりも恥ずかしいの方が勝っているけれども。

 それでも、私を初めて認めて、選んで、望んでくれたこの国のために、私は私にできることを精いっぱいやっていこうと、そう誓った。

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