眼球から咲く花

藤 夏燦

眼球から咲く花

 大学の近くに大きな植物園がある。千円以下で年間パスポートが買えたので、授業終わりや空きコマの時間をつぶしに、そこの植物園を散歩するのが私の日課になっていた。


 池や温室ドームまである本格的な造りで、知らない南国の植物や季節ごとに違った花が咲く庭園を、スマートフォンのカメラに収めながら、のんびりと歩くのが好きだった。


 平日の植物園はとくに空いていて、近所のお年寄りか、私みたいな暇人の大学生しかいない。人が疎らな庭園を抜けていくと、少しゴージャスな料理が入っているドームカバーみたいな温室が現れる。ここには、私の一番お気に入りの花が咲いている。




 茎はうっすらと赤みを帯びていて、小枝のように細く、ねじれている。そこから青カビみたいな色の花びらが、太陽のほうへ向かって燃えるように伸びる。


 辺りに咲いているどの花よりも妖艶で、しかも一本しかないので、温室ドームのなかで異様な存在感を放っていた。


 それはまさに高嶺の花と言わんばかりに、ドームの真ん中にある滝の上の、さらに奥から、私たちを見下ろすように花びらを開かせる。茎から下の部分は見えず、そこに奥ゆかしささえも感じられた。




 しかし私は、その花の名前を知らなかった。


 撮った写真を参考にネットで調べてみたり、図書館に行って図鑑を開いたりしたが、それらしい花は見つけられなかった。


 あるとき、たまたま近くにいた中年の係員さんに、




「すみません。あの花の名前って何ですか?」




と尋ねてみたことがある。




「どの花ですか?」


「ほら、あれです。滝の上の、一本だけこちらに顔を出している花です」


「はあ……」




 係員は欠伸のような相槌した。老眼なのか眼鏡をかけたり外したりしている。




「お姉さん、あれはね。曼殊沙華ですよ」


「曼殊沙華?」


「ええ。曼殊沙華」


「それって彼岸花ですよね?」


「ええ、彼岸花ですね。別名で曼殊沙華です」




 私はすぐに違うと思った。彼岸花なら私の家の近くにも生えていて、何度も目にしたことがある。しかし、あの花はどう見ても彼岸花ではない。


 若いからってなめられたな、と私は唇を噛んだ。




「そうなんですね。ありがとうございます」


「いえいえ、どうも」




 植物園職員が花の名前も知らないなんて、職務怠慢もいいとこだ。それからしばらく、あの植物園には行かなかった。


 しかしどうしても、あの花の名前を知りたい。そう思ってSNSで調べてみると、同じような疑問を持っている投稿がたくさん出てきた。植物に詳しいアマチュア専門家らしい人でも、あの花の名前は分からないらしい。


だが私が調査を続けると、ある植物専門ブログに興味深いことが書かれていた。




『○○市植物園の温室に一本だけある不思議な花って、アルキメデイカイアじゃないかな? 茎から花弁にかけての特徴的な捻りがよく似ているんだけど……』




 そのブログは絶滅植物の記事をよく書いていて、問題のアルキメデイカイアも約2億5100万年前のペルム紀に絶滅したとされる花だった。


 まさかと思って画像検索をかけてみたが、絶滅した植物の再現図など見つかるわけもなく、植物園の花だとする確証は得られなかった。しかし化石だけを見るによく似ているように思う。


 アルキメデイカイアの姿をよく覚えてから、もう一度植物園へ行ってみた。すると、あの温室ドームの滝の上に妖艶に咲き誇っていた花が見当たらない。


 慌てて事務所に問い合わせと、驚きの答えが返ってきた。




「滝の上に花なんてありましたっけ?」




 園長だという中年の女性は、私の質問を聞くなり不思議そうな顔をした。




「滝の上の、赤とも青ともとれる色をした花です。前に係員さんに聞いたときは、彼岸花だと言われました」


「彼岸花? うちには彼岸花なんて一本もありませんよ」




 嘘だ。だってこの前、係員さんが。曼殊沙華だって言って私をからかったじゃないか。




「でも確かにそう言われたんです。温室ドームの担当の、係員さんでした」




 園長は私を不審に思いながらも、温室ドームの担当を呼んだ。眼鏡をかけた、痩せている男性だった。




「滝の上に何も植えていませんし、曼殊沙華なんて言った覚えもありません」


「そうですか。あの、温室ドームの担当の方って変わったんですか?」




 私の質問に園長は首を振った。




「いいえ。創園以来、ずっと彼にお願いしています」


「すみません。お騒がせしました」




 私は冴えない頭を抱えて、事務所をあとにした。


 私が話しかけた男性は、係員ではなかったのか。思い出してみれば確かに、作業服の細部が異なっていた気がする。


 それにしてもあの花はどこへ消えたのだろう。


 腑に落ちないまま植物園を歩いていると、中華式の庭園を模したエリアの池に、あの花の先端が飛び出しているのが見えた。


 睡蓮や蓮たちに囲まれて、その特徴的な花弁を水の上に落としている。


 私は池の近くまで駆け寄って、花に近づいた。池の真ん中にある四阿あずまやまで行き、池に浮かぶ花を見下ろすような格好になる。


 ほら、彼岸花なんかじゃない。


 私がその花を見つけたとき、もう枯れかけていた。しかし青カビのような色合いと赤い茎、そして独特の捻りは、太古の昔に滅びた植物だと言われてもおかしくはなかった。


 写真を撮って、園長たちに見せよう。


 そう思ってスマホをポケットから出したとき、茎のしたに何かがあることに気づいた。近くにあった小枝で、睡蓮の葉を避けてみる。




 うっすらと白い体が、よもぎ色の泥水に浮かび上がった。




 ナナフシのように細くなった四肢に、干しぶどうのようになった乳房。口をあんぐりと開けたまま動かない、女性の死体がそこにはあった。


 花の茎は右の眼球に根を生やしており、そこから全ての養分を吸い取っているようだ。




 何、これ……。


 私は絶句した。その途端、後ろから男に体を抑えられた。




 目を覚ましたとき、私は暗い地下室の、手術台のようなテーブルの上に寝かされていた。


 隣には目から花を生やした、女の死体がある。




「アルキメデイカイア」




 男が言った。係員だと思っていた、あの男だ。すでに私の口はガムテープで塞がれ、何も言えない。




「太古の昔からその姿を変えていない貴重な植物です。しかしその生育にはとても苦労がかかります。何せ特殊な環境、生物の眼球を養分にすることでしか花を咲かすことができないのです。それも質のよい、若くて元気のいい眼球です。


 ちょうど前の養分が枯れかけていたので、あなたが来てくれてよかった。これでまた、花を絶やさずに春を迎えることができます」




 男は、花びらから小さな白い胞子を手にとると、私の眼球にパラパラと落とした。


 私は悲鳴をあげながら、ガムテープ越しに男に言った。




『どうしてこんなことするの?!』




 男は淡々と作業を続けながら、欠伸をするように答えた。




「どうしても、この花が咲く様をみたいのです。そのためなら、私は手段を選びません」




 男の不敵な笑みのなかで、次第に視界が根に侵されていった。


 こうしてまた今年も、アルキメデイカイアの綺麗な花が咲くんだなぁ……。

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眼球から咲く花 藤 夏燦 @FujiKazan

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