「疾走」~高杉晋作を想う~

詩川貴彦

「疾走」 ~高杉晋作を想う~


   はるか昔の若者が

   はるか彼方の出来事が

   現代(いま)もなお

   心をとらえて放さない

   勇気をくれるのは何故だろう


   高杉晋作

   長州の誇り高き志士

   歴史の中にあって

   これほど輝く星は

   二度と現れまい

   二十九年間を全力で駆け抜けた

   一つのカリスマ


   人々は何を求めて

   吉田(ここ)に集うのだろうか



 

「疾走」の背景


 5月の中国道は柔らかな霧雨に包まれていた。

 目的の「小月」(おづき)インターチェンジは、下関の一つ手前にあたり、その異国情緒溢れる街並みに比べると、ごく普通の街並みであった。

 たった15キロ先に下関がある。それが信じられぬほどありふれた情景である。しかし、車で十分ほど北上した、さらに小さな「吉田」という町に「彼」は眠っている。

 木屋川沿いに、景色とは不つり合いな立派な道路がある。長州路をたどると、このような景色に出くわして驚くことがある。長州は道路が驚くほど立派である。

「県土一時間構想」という施策を聞いたことがある。県内のすべての場所から1時間以内に県庁所在地である山口にたどり着けるように道路網が整備されているというのだ。先見の明、計画性、長州出身の多くの総理大臣、政治力、道路大臣と言われた某大臣、理由は、いろいろと考えられるが、ただ言えることは「行政」の素晴らしさとは、本来このようなことを指すのではないだろうかと思った。

 吉田の町が視界に入ってくる。意識していなければ通過してしまいそうな町。県道は町の東側を貫通しており、県を南北に結んでいる。右折する「東行庵」の案内看板が目に止まる。典型的な昔の街道筋の落ち着いた町並みでもある。

 長州藩志士、高杉晋作。あくまで攘夷の強行を貫き、藩の家老達の制止を振り切ってさっさと出家してしまう。

「あと十年たったらお前の言う時代が来る。それまで待て。」

「それならば十年間のお暇をいただきます。」

とっとと頭を丸めて出家し、西行法師にちなんで名前を「東行」とする。

 「西へ行く人を慕いて東行く 我の心ぞ誰ぞ知るらん」

である。

 ここは高杉晋作の墓所である。晋作は長州のカリスマである。その偉業はあえて説明するまでもないが、吉田松陰は別格として、長州のヒーローは、初代総理大臣の伊藤博文でなければ、山県有朋でもない。久坂玄端でもなければ毛利の殿様でもない。間違いなくここに眠る高杉晋作である。

 「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」で始まる有名な碑文は、晋作の人となりを上手く表現している。創ったのは晋作を誰よりも慕っていた伊藤利助(博文)である。

 早くから尊皇攘夷を目指した長州藩では、禁門の変を起とする数々の戦いで多くの有能な人材を失った。さらに二度にわたる「長州征伐」を経て、瀕死の状態だった。藩の取りつぶしは免れなかった。しかし、長州は立ち上がった。晋作は騎兵隊の一部を連れて決起した。たった一人で15万の幕府軍に立ち向かった。そして長州は一つになった。江戸幕府に引導を渡し、明治をいう扉をこじ開けた。しかし、晋作を始めとする主な人物は、ほとんど散ってしまった。生き残って明治の重臣となり、名をあげたのはほとんど第二線の連中ばかりであると聞いたことを思い出した。

 そういえば、足尾銅山の鉱毒問題を国会で訴え続けた、明治の義人「田中正造」を時の総理大臣だった山縣有朋が黙殺し、鉱毒問題をますます深刻なものとしたという記録を読んだことがある。もし高杉晋作が生きていれば、そんな山縣を怒鳴りつけていたことだろう。

「バカたれ、狂介(山縣のあざな)お前は何をしちょるんか。すぐに田中さんに土下座せ え。長州は誰の味方をするんか。弱い者の、不当な権力に苦しめられちょる民衆の味方 じゃろうが。」

 毛利の殿様も、下関戦争で彦島の租借を要求したイギリス艦隊の提督も、江戸幕府の将軍でさえも彼には逆らえなかった。師であり、晋作が最も敬愛していた吉田松陰を除いては・・・。

 東行庵は、左手にある。五月雨に打たれて、彼の愛した菖蒲の花が鮮やかに咲いていた。雨。初夏の雨である。生き物に命の息吹を感じさせる美しい雨である。

 人々がいる。雨が降っている平日の午後である。観光地を訪れるには最もふさわしくない状況だと言える。それでも多くの人々がいる。そうして、人々の瞳は少年のように輝いている。心が弾んでいるのが伝わってくるようだ。

 黙って墓碑を見つめる人。傘を片手に熱弁をふるう人。自分の持てる知識をすべて使って晋作の偉業を友人に語る人。瞳の輝き。ここにいるすべての人々は晋作を敬愛している。晋作は人々のカリスマである。そうして人々は晋作と同じ長州の遺伝子を持つことを心底誇りに思い、生きるための糧としている。

苦しい時、思い悩んだとき、人々はここを訪れるという。そうして勇気を貰って帰っていく。晋作のよく通る声がする。

「僕と同じ長州人じゃろうが。くよくよせんと突っ走れ。頭の中でこそこそ考えちょって もどうにもならんぞ。松陰先生の弟子じゃろうが。情報を集めえ。まず行動せえ。口で 言うより行うことが志士の志士たる誇りじゃろうが。長州人の誇りじゃろうが。」

「君らが奇兵隊に入ったときに、勝ち負けのことを考えたか。外国の軍隊が君らあの故郷、 長州を滅ぼそうとしたけえ立ち上がったんじゃろうが。今と一緒じゃ。こんなことで負 けちょってどうするんか。立ち上がらにゃあ。君が立たんで誰が立つんじゃ。今こそ決 起するんじゃ。」


 老若男女など関係ない。わずか二十九年間を全力で疾走したカリスマは、今でも多くの人々に勇気と力と誇りを与え続けている。




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