第2話 モコモコとモゴモゴ

 人間以外の動物と言葉でコミニケーションをとれる、という状況はメルヘンチックな世界観が割と好きなジャクリーヌにとっては、そこそこ憧れていたシチュエーションのひとつだった。しかし、実際目の前の動物がハッキリとした発話をしてくると案外不気味に感じるのであった。

 ジャクリーヌは、今自分の腕の中にいるモコモコでかわいい少し不気味な存在をとりあえず地面に下ろそうと屈んだ。その時、ふとある事を思い出して、再びウサギを見つめた。

「さっきピョン吉くんって言った…?」

 ウサギが発した名前は奇しくもジャクリーヌがいま待ち合わせているマッチングアプリの相手と同じ名前だった。

「そうだピョン、ぼくがピョン吉くんだピョン」

 ウサギはあっさり肯定した。

「お待たせしちゃってごめんピョン」

 待たせている事を謝罪した時点で、待ち合わせ相手が人外であることはほぼ確実になった。ただ、このモノ言う物体がウサギかどうかについては確証は持てなかった。

 とはいえ、アプリでやり取りしていた相手が目の前のモコモコしてるやつだった、などということは、そう簡単には受け入れ難く、ジャクリーヌはしゃがんだまま呆然と固まってしまった。


「うぎょおおぬぅおおおおおおおおおおおお‼︎」

 遠くから聞こえる男の絶叫で、ジャクリーヌは自分は、そもそも人命救助のためにここまで駆け出してきた事を思い出した。恐怖やファンシーさや奇怪さに浸っている場合ではなかった。

「ごめんなさい、私交番に行かなくちゃ」

 ピョン吉くんをそっと地面に降ろしたジャクリーヌが言った。彼女は礼儀正しい良い子なので、人語を操る怪しいウサギ(のようなもの)に対しても、立ち去る前にひと言掛けるのであった。

「その必要はないのだピョン」

 ピョン吉くんは事情も聞かずにバッサリと言い放った。

「でも、いま大変な事が起こっているの」

 ジャクリーヌは急いでいたが、ピョン吉くんに答えた。

「あのオッチャンは大丈夫じゃないけど大丈夫だピョン」

 ピョン吉くんは淡々と続けた。

「あの血しぶきは幻影だピョン、オッチャンは死なないピョン」

「え、どういう事?」

 ジャクリーヌはピョン吉くんの方へ向き直った。

「奥さんにかけられた呪いだピョン、オッチャン失血多量にはならないけど、このままだと二度とガマの油売りができなくなるピョン」

 オッチャンが二度とガマの油売りを出来なくなる事が悪いことなのか、それともむしろ良いことなのかジャクリーヌには簡単には判断できなかった。半強制的に何度もパフォーマンスを見させられた事を考えれば、もう出来なくなったほうが世のため人のためになるような気がしたが、下手くそながらも一回一回全力でやっているオッチャンを思い起こすと二度と出来なくなるのは可哀想な気もした。

「ど、どうすれば呪いは解けるの?」

 ジャクリーヌはピョン吉くんの見識をすんなり受け入れていた。呪いなどといった非科学的なものは、日常会話で聞いたならば怪しさ満点だが、非科学的な存在が非科学的な事を言うと不思議と信憑性を感じてしまうのであった。それはちょうどマイナス同士の掛け算の答えがプラスになるのによく似ているかもしれない。

「奥さんに呪うのやめてもらえば治るピョン」

 ジャクリーヌの問いに対してのピョン吉くんの答えたソリューションは至ってシンプルだった。

「奥さんはどこにいるの?」

「さぁ」

 ピョン吉くんはファンシーな語尾も無しに、急に突き放すように言った。


 まあ、結局オッチャンの奥さんの所在については、オッチャン本人に聞くしかないのであった。モコモコな奴を腕に抱いたジャクリーヌは再び来た道を戻って行った。

 戻るとオッチャンの出血は止まっていたが、顔面蒼白なオッチャンはガマの油売りをすることはなくただ呆然としていた。

 あれほど勢いよく血が噴き出していたにも関わらず地面にはただ桜の花びらしか落ちていないところからすると、やはりピョン吉くんの言う通り幻影であったと見て良さそうだ。

「あのぅ…」

 ジャクリーヌは恐る恐るオッチャンに話しかけた。

「…」

 オッチャンは口をぽっかり開けたまま何も言わない。

「お、奥様はいまどちらに…」

 さっきまで元気だったオッチャンの激変ぶりに恐怖をおぼえながらも、勇気を振り絞って尋ねた。

「………………」

 ジャクリーヌは、またシカトされてしまった、そう一瞬思ったが、オッチャンの口が小さく動いており、その動きに合わせて小さな呻めき声のようなものが聞こえる事にきづいた。

「…きょじんの?…なかに?…のみこま…」

「分かったピョン‼︎たぶん‼︎」

 ジャクリーヌの声をかき消したピョン吉くんの声は大きさの割に不確定さを含んでいた。

「何か知っているの?」

「こっちだピョン」

 ピョン吉くんはそう言ってジャクリーヌの腕の中から飛び出すと、公園の外に向かってピョンピョン走り出した。

 突然の事に、ジャクリーヌはただ空気を抱いて立っている人になってしまったが、ワンテンポ遅れてピョン吉くんの後を追った。

 公園の外に出る階段に差し掛かったとき、ふと、気になって一瞬オッチャンのほうを振り返った。

 ガマの油売りの衣装を着てただ空中を見つめるオッチャン。人々はそこに誰もいないかの如く、オッチャンの前を通り過ぎて行った。

 オッチャンを助ける義理も、何もジャクリーヌにはなかったが、彼女は困っている人の力になりたいと思ってしまう良い子なので、何とかして元のオッチャンに戻してあげたいと思った。そのために彼女が今できる事は、ピョン吉くんを信じてついて行く事だった。

 再び向き直ったジャクリーヌはウサギを追って、桜吹雪のなか上野の街を駆けて行った。


(つづく)

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ほろよい列車と魔法のレンコン サバイバルいばる @inkoteikoku

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