ほろよい列車と魔法のレンコン

サバイバルいばる

第1話 ドキドキとドクドク

「さて、お立ち会い。手前、ここに取り出したるは陣中膏ガマの油」

 桜舞う春の日、ガマの油売りに捕まってしまったジャクリーヌは、かれこれ1時間以上同じ口上を聴いていた。今ではなかなか見かけない珍しい大道芸に見入ってしまったのが全ての始まりだった。

 捕まった、とは言っても離れようと思えばいつでもその場を離れてられるのだが、ガマパフォーマーのおっちゃんが一回のパフォーマンスが終わるたびに、唯一の観客であるジャクリーヌに土下座をしてきて、その場を立ち去らないよう懇願してくるのであった。

 ジャクリーヌはフランス生まれ東京都台東区浅草育ち、好きな食べ物は韓国料理(特にサムゲタン)の22歳のフランス人だったが、おっちゃんは目に涙を浮かべながら「プリーズプリーズドントゴープリーズヘルプミいいい!!!」などとお門違いな言語で悲痛な叫びをあげた。

 この大して上手くもないガマの油の口上を聞き続ける義理も何もジャクリーヌには無かったが、なかなか「ノー」と、いや「ノン」もしくは「いいえ」と言えない性分なのでその場を動くことができなかったのである。

 また、待ち合わせ場所がこの辺りになっているという事もまたジャクリーヌを上野恩賜公園の入り口付近に引き止めていた。待ち合わせ相手は友達ではない。だからと言って相手が恋人かと言えばウィともノンとも言い切れなかった。と、いうのは今日待ち合わせている相手が先週マッチングアプリで知り合った相手だからだ。相手のピョン吉くんはそのふざけた名前の割にプロフィール写真はキリッとした見た目の好青年だった。彼が京成線で来るというので、京成上野から近い公園入り口で待ち合わせる事にしたのである。しかし、なかなかピョン吉くんは現れなかった。

 ジャクリーヌは、その昔パリのコスプレイベントで知り合ったというアクティブな両親とは対照的で、これまで積極的に出会いの機会を持たなかったが、友達からの強い推めでマッチングアプリを始めてみることにしたのであった。無数にマッチする相手は、日本人が想像するヨーロッパ人女性のテンプレのような見た目のジャクリーヌに対して、日本語大丈夫ですか?とか、旅行ですか?とか、日本育ちのジャクリーヌに外国人という前提のメッセージを送ってきた。人によっては彼女があまり得意ではない英語でメッセージを送ってくる事もあった。そのあと、趣味の話があったりなかったりして、5〜6往復もやり取りするとだいたい「今度飲みに行こうよ」に収束した。そんな中、ピョン吉くんは異彩を放っていた。聞いてもいないのに好きな野菜についてや、お気に入りの時計の機構がいかに複雑で美しいかについてなど語り始めた。ひとことで言えば変なやつだったが、ジャクリーヌを外国人と決めつけたやりとりをしてこないのが何より嬉しかった。そして、彼の不思議な世界観に何故だか魅力を感じて、もっともっとピョン吉くんをもっともっと知りたい気持ちになってしまったのだ。実際会ったらどんな人なのか想いを馳せつつ彼を待っていると、ジャクリーヌの意識からガマの油が次第にフェードアウトしていくのであった。


「ヒギィィィィィィィィィィィィィ!‼︎ノーぉオぉぉぉぉぉぉぉぉ!‼︎」

 おっちゃんの絶叫とともにジャクリーヌの意識は再びガマの油に引き戻された。というか、もはやそれはガマの油売りではなくなっていた。

 ガマの油売りの最大の見せ場は、日本刀で腕を軽く切って見せ、その切り傷にガマの油を擦り込むとあら不思議瞬時に治るというものである。必要ないかも知れないが念のためトリックを説明しておくと、実際には日本刀は切れないようになっており、赤い傷にみえるのは刃に付けられた塗料で、ガマの油を塗るとその赤色が落ちるといったものである。

 しかし、今ジャクリーヌの目の前では叫ぶおっちゃんの腕からシャワーのように鮮血が噴き出ていた。今まで何度とパフォーマンスを見させられたジャクリーヌは今起こっている惨劇が名人芸的演技でないことを理解していた。しかし、付けた傷に対して異常な出血量ではないか?などという疑念も抱いたりしたが、とにかく今は人命救助が第一優先である。ジャクリーヌはティッシュとハンカチを持って出かける良い子なので、バッグからサッとハンカチを取り出しておっちゃんのもとに駆け寄った。

 しかし出血の勢いが凄すぎておっちゃんに近づくのは、容易ではなかった。おっちゃん自体のたうち回っているので、鮮血シャワーは360度撒き散らされている。こういう時に限って周囲に誰もおらず、ジャクリーヌは、どうしたらいいか一瞬思考停止してしまったが、近くに交番があることを思い出し、駆け出した。

「フギャェッヲ」

 公園の出口あたりでジャクリーヌは何かにぶつかった感覚と共に不気味な声を聞いた。ふと見ると彼女の前にヒョロヒョロで青白い出っ歯の男が倒れていた。ジャクリーヌは成人男性を跳ね飛ばすほどの強靭な肉体は持ち合わせていなかったが、どうやら自分が跳ね飛ばしてしまったと認識せざるを得なかった。

「ごめんなさい、だ、大丈夫ですか?」

 そう言ってジャクリーヌは男に手を差し伸べようと近づいた。その時、ピシッという音と共にガラス質の感覚が彼女の足に伝わった。恐る恐る足元を見ると、彼女のショートブーツが、先程の衝撃でふっ飛んだ男の丸眼鏡を踏んでいた。

「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 ジャクリーヌは今日の自分の不運を呪うよりも先に謝罪できる良い子であった。ペコペコと下げた頭を恐る恐る上げてみると、さらに恐るべきことが起こっていた。倒れている男の体がスウーっと透けはじめたのだ。

 ああ、哀れヒョロヒョロ男はジャクリーヌとの衝突によって天に召されてしまった。ジャクリーヌは思わず手を合わせてしまったが、ふと我に返った。

(あれ、人って死ぬと透けるんだっけ…?)

 ジャクリーヌは今、目の前で起こっている怪奇現象の理解に苦しんでいたが、人間、透ける、の連想から始まって、この男の正体が霊魂の類ではないかという結論に達すると、混乱している頭の中に恐怖感が染み込んできた。

 そして、男の姿は完全に消えてしまった。もはや、ジャクリーヌに為すすべは残されていなかった。

ガサガサガサ

 途方に暮れる間もなく次の恐怖がジャクリーヌを襲った。近くの草むらから明らかに何かいる音がしてきた。「きゃっ」という女子専用の悲鳴をあげる事もなく彼女の体は瞬時に退いた。

 そのまま逃げて、早く交番に向かおうと彼女が判断するよりも早く、草むらから茶色い物体が弾丸のように飛び出して来た。

 反射的に閉じた目を恐る恐る開けると、ジャクリーヌの目の前には一匹の子ウサギがちょこんと座っていた。

 それまでジャクリーヌを包んでいた凍えるような恐怖感は瞬時として、ぬくぬく暖かい愛おしさへ塗り替えられた。彼女は無意識にウサギへ手を差し伸べ、抱っこしていた。ウサギは口をもぐもぐさせながらジャクリーヌの方を向いていた。

「やあ、はじめまして!ぼくピョン吉くん!」

 ウサギの日本語はとても流暢だった。こうしてジャクリーヌは見事ピョン吉くんとの出会いを果たしたのである。


つづく











 


 


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