第13幕 カーテンコール
〝エンゼルカチューシャ事件〟が解決してから、一週間が過ぎた。今日は久しぶりに三人がそろってシフトに入る日だ。
その間にわたし好みの〝小さな変化〟はいくつか起きた。まず、〈エンゼルカチューシャ〉の経営者が変わったこと。この件は、わたしたちが受けた衝撃とは裏腹に、経済新聞に記事が小さく載っただけだった。メイドカフェの体制や働く女の子たちの待遇はそのままだったので、そこに通うファンたちが大きく騒ぐこともなかった。もちろん、あのながーい名前のアニメも絶賛配信中らしい。えっと、どんなタイトルだっけ。スライムのオムライスがどーたらこーたら。
ただし遊衣さんはそこでのアルバイトはやめてしまった。
それから秋の深まりに応じてお店の花にコスモスが加わった。アーケードにはまだ活気はないが、鯛焼きのワゴンショップが二軒に増えた。まぁ、そんなことはどうでもいい。
そしてなにを隠そう、〈リリーズガーデン〉のメニューにジンジャーティーがお目見えしたのだ。
ツンデレの伊佐屋さんは、結局その邪道な組み合わせが気になったらしく、
『
と学者のような高説を掲げながら、紅茶とショウガのベストなミキシングを研究していたらしい。ちなみにわたしが味見させてもらったところ、バケツでがぶ飲みしたくなるくらいのとんでもないおいしさだった。これはヒット作になる予感。でもお母さんには教えてあげない。
そんな新風を感じながら、わたしは今日もわずかばかりの緊張とともに更衣室への階段を上がる。
更衣室の中に入ると、ロッカーの前にクリーニングしたてのメイド服がかけてあった。
その瞬間、淡い記憶が脳裏をよぎった。
約一年間の不登校を経て中学校に上がるとき、真新しいセーラー服を見て、なんだか自分が変われるような気がして嬉しかった。そのときは、役者のお仕事を辞めて一般人へと脱皮する喜びに満ちていた。
メイド服を目にしたわたしは、同じように脱皮の予感を感じている。次はなにに変わるのだろう。アルバイトでもなく、メイドでもなく、もうひとつ別のなにかがわたしを待ち受けているような――そんなおぼろげな感覚が、胸の内側で熱を発していた。
もしかするとそれが、わたしをメイドカフェで働くように導いた原動力だったのかもしれない。
制服を着て変身する。それがどんなコスチュームであれ、与えられた役割を演じることは役者の活動そのものだ。セーラー服を着て口下手な少女になったことも、ここでちょっと不器用な〝メイドサン〟になったことも、結局は子役の活動と大差なかったような気がする。
それを頑なに認めなかったわたしはもういなくて、今は流れに身を任せる柔軟さが身についていると思う。それがわたし自身に起きた〝小さな変化〟だ。
「なにぼーっとしてるのよ」
突然後ろから声がした。振り向くと、そこには遊衣さんと亜実ちゃんが立っていた。
「下だけ脱いでなにしてんの?」
「え、ええっ?」
咄嗟に下半身を確かめたが、ちゃんと私服のスカートをはいている。やられた。
「いや、確かめなくてもわかるでしょ」
「いのりんって天然ですよね~」
「て、天然?」
そんなこと言われたの初めてだ。
一気にガヤガヤとした更衣室内で、わたしたちは手早く着替えを済ませた。あっという間に三人のメイドができあがった。誰かさんにザツボクと言われようとも、見かけだけなら完成度は高いと思う。
「いのり、ちょっと来て」
「はい?」
遊衣さんに手招きされて、わたしは素直に近寄っていく。すぐさまくるりと後ろを向かされると、遊衣さんはわたしの後ろ髪を持ち上げて、素早く団子に結ってしまった。
それだけではなく、リボンつきのヘアネットを取り出し、お団子に被せる。
鏡を見ると、いつもよりかなり大人っぽくなっているような気がした。
「おおーっ」
亜実ちゃんが感嘆の声をあげる。とにもかくにも、わたしもこのスタイルが気に入った。まさに産業革命時代のメイドさん、という感じなのだ。
「ほらね、やっぱすごいよ、いのりは。でもこういうのが似合うってのは、ちょっと昭和顔っていうのもあるよね」
「……昭和顔?」
「うん、朝ドラ顔といいますか。現代に蘇った高度経済成長ロマンですね」
なにそれ。褒められてるんだろうか。
「悠木律子の再来だね」
それ嬉しくない。
聞いてみると、ふたりは雑貨屋でレトロなヘアネットを見つけて、わたしにつけたら本格的なメイドっぽくなるんじゃないかと囁きあっていたらしい。結局は着せ替え人形にされただけだった。でも、少し柔軟になったわたしは、この新しいスタイルもいいなと思って、今日はこの髪型で過ごすことにした。もちろん仕事の間だけだけど。
「あ、遊衣さん」
わたしはごく自然に彼女に話しかけた。
「えっと、わたし遊衣さんには……〝いのりん〟よりも〝いのり〟って呼び捨てにされた方が好きです」
自分でも驚きだった。そんな主張がこの口から出るなんて。
遊衣さんは、きょとんとしながらやたらに瞳をうるうるさせていた。
「そ、そーだよいのりー! そういうことちゃんと言ってほしいの! 言ってくれたらさ、あたしだって努力するよ。みんなとは仲良しでいたいもん!!」
そう言って遊衣さんは、小学生のようにぴょんぴょん跳ねてから、わたしの顔を両手で挟みこんだ。フグみたいになったわたしの顔を自分の顔にすり寄せて喜んでいる。こ、こんな愛情表現する人なんだ、意外……。
「い、いのりさん、あたしはぁ?」
一方で亜実ちゃんは泣きそうな顔になっている。
「亜実ちゃんは〝いのりん〟でいいよ」
「ううっし!」
どんな返事だそれ。結局わたしは両側から大きいのと小さいのにサンドイッチで抱きしめられてしまった。
下のフロアに降りてゆくと、ちょっと待ちかねた感じの伊佐屋さんが、客席のちょうど中央付近に立っていた。
「こちらへ」
伊佐屋さんに促されるまま、わたしたちは〈リリーさん〉の前まで歩いていった。
「以前ここで話したことを覚えているか? 君たちには改めてここで跪いてもらいたい」
わたしたち三人は顔を見合わせたが、ごくごく自然に膝をついた。ただし、〈リリーさん〉に向かって。
伊佐屋さんがリリーさんとわたしたちの間に入った。彼は満足げに微笑んでいた。
そしておもむろにそこに座った。しかも正座だ。背筋をぴんと伸ばし、武士のように毅然とした佇まいは、まさに日本人そのものに見えた。
「ようやく私と同じ場所に来たな」
わたしは眼をぱちくりさせた。でもそれは左右で両膝をつく他のふたりも同じだろう。
「楽にして」
伊佐屋さんが床を手で指す。わたしたちは床にぺたりとおしりをつけた。手入れの行き届いたフローリングなので汚いとは思わなかった。
正座したまま、伊佐屋さんは低いトーンで話しはじめた。
「この時代、誰かの役に立つために生きることは難しい。私は一年前この国に来たが、そこで初めて入ったコンビニで、おそろしく無気力な店員の少女に出会った。彼女の眼を見て、私は親に売られて鎖につながれた、奴隷のような少女たちを思い出し、戦慄したものだ。そしてすぐに、そういった若者たちが希有な例ではないことを知った」
伊佐屋さんは空中を見つめながら話を続ける。
「私にできることはメイドを育てることだけだ。あとは紅茶を淹れること。きみたちはこれから先、自身の夢を見つけて社会に出て行くことだろう。そこで家政婦や小間使いになる必要はない。ただ、自分の心にだけは常に跪き、なにげない仕事にも最上のサービスがあるということを思い出してほしい。私からはそれだけだ」
そう告げると伊佐屋さんは立ち上がった。わたしたちも自然と立ち、おしりの埃を払う。
すると伊佐屋さんの背中に向かって亜実ちゃんが声をかけた。
「あ、店長さん、もしかしてあたしたちがこのお店に選ばれたのって、なんというかそういう――奴隷みたいな眼をしてたってことですか?」
そんなことを彼女は、まるで濁りのない瞳で訊いたのだった。
伊佐屋さんは、意外にもくすりと笑った。
「いや。私はもう前職は捨てたのでね。ビジネスとして合理的に採用したつもりだよ。きみたちの中に奴隷はいない」
「じゃ、なんで?」
またぶっきらぼうに遊衣さんが訊ねる。合理的に採用? 言われてみれば、わたしたちの共通点ってなんだろう。
「匂いだ」
「に、におい?」
全員呆然となった。
「面接時、不自然なまでに香水をまとわせた女性はすべて不採用とした。紅茶の香りはデリケートだからね、体臭や口臭も困るが、それを隠そうとして人工的な匂いを身体につけるのはもってのほかだ。もう少し採りたかったんだが……無臭なのは君らだけだった」
「……」
「……」
「……」
わたしたちは顔を見合わせた。きっとわたしもそうなのだろうが、他のふたりは驚くほど無表情だった。
「ぷ、ぷはははははは!」
少女たちの笑い声が響く。
午後のおやつの時間をもって、今日も〈リリーズガーデン〉がオープンする。
ここはわたしたちの【メイド喫茶】。
がんこ店主がこだわった本格的なアフタヌーンティー、そして絵の中で
【完】
ここは【メイド喫茶】リリーズガーデン フジシュウジ @fuji_syuzi
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