いもうとりっく

渡貫とゐち

第1話


 ――炎の魔女≪アルファ・オーバークロック≫が出現した。


 彼女を倒すことができるのは、選ばれた炎の魔法少女――


 春希(はるき)(はるか)だけだ。



「ハルカ、魔女が出たわ!」


「っ、こっちは体育の授業中なんだけど!!」


 叫んだ後に、ぜえはあと息が乱れた体操服姿の少女。彼女の唐突な奇行は目立つことがなかった。なぜなら、彼女はマラソンの最中、ぶっちぎりの最下位だからである。


 校庭の長いトラックをおよそ十周しなければならないのだが……、遥は上位メンバーからは二周以上の差をつけられている。しかもトップは既にゴールしていた。


 遥は、やっと折り返し地点なのだが……。

 今にも倒れそうに、呼吸は途切れ途切れで走る速度もほぼ歩きと同じだ。


 授業時間内にゴールできないことは目に見えていた。


 優しいクラスメイトたちは遥のことを応援してくれているが、それも最初だけで、今ではもう雑談に花を咲かせている。

 ……薄情者! と叫びたいところだが、息が切れているので文句も言えなかった。


 そんな時に、足下に現れた赤い猫。

 尻尾の先端が燃えていた。

 炎の魔精霊と名乗ったメス猫の――彼女はエンジュと言う。


 エンジュからの招集は、つまり魔法少女としての仕事が待っているのだが……、魔法少女となることで基礎的な運動能力が補填されるため、今のようにぜえはあと苦しむこともない。

 そのため、マラソンを続けるよりも魔法少女として出撃した方が今はマシなのだ。


 魔女と戦うことになるけれど――相手とは、知らない仲ではなかった。


「仕方ないからいってあげるけど……大丈夫なの? その、かなり目立ってるけど、ここでわたしが消えたら騒ぎになるんじゃ……?」


「そこはだいじょうぶよ、たとえ舞台上の主役をしていても、ハルカが消えて騒動になることはないわ。そういう魔法なの――ワタシが認識をすり替えておくから安心しなさい」


 エンジュが尻尾の先端の炎で文字を描く。

 あっという間にその炎は魔法陣となった。


「いくわよ――魔女に、多くの人の寿命を奪われる前に!!」


 伸びた赤い尻尾が遥の腕に巻き付いた。

 ぐぐい、と引っ張られ、遥は前へつんのめりながら魔法陣を踏む。


「わかったってば! ……心の準備くらいさせてよもうっ」


 赤い魔法陣が光り輝く。


 次の瞬間、春希遥が燃え尽きた灰になったように、その場から消えた――




 遥は、気づけば空中にいた。


 すぐに落下が始まる。


「ひっ――」


 悲鳴を上げそうになるも、落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 今の遥は炎の魔法少女だ、体操服姿の運動音痴な女の子ではない。


 肩にかかっていた黒髪は真っ赤になり、黒マントを羽織っていた。

 マントの下は白いフリルがついた女の子らしい服。

 スカートではなく黒いロングパンツが足を包んでいた。

 遠目から見るとまるでマジシャンのようでもある。


 最大の特徴は、魔女を彷彿とさせる大きな赤い帽子を被っていた。


 目の前には炎の魔女、アルファ・オーバークロックがいるのだが……瓜二つである。


 どちらが魔女で魔法少女か、見分けがつきにくいことになっていた。


「あら……毎度のことながらお早い登場ね」


 泣きぼくろが特徴的な大人の女性だった。

 魔女。炎の、魔女。


 宙に浮かぶ彼女は、真下にいる人間を見下ろしていた。

 その目に、獲物を狩る、という意思はなく……皿の上に乗せられたステーキを、さてどう切って食べようか――としか人間を見ていなかった。

 つまり彼女の中では既に終わっているのだ。


 狩る、という意識はなく、既に手元にあるものだ、と考えている。

 襲うことすら不要。人間を敵とは認識していない。


 この世界は、魔女にとっては餌の宝庫だ。

 彼女は、人間の寿命を主食としている――――


「優秀な魔法少女には優秀な魔精霊がついているから……ちゃんとやっているようで安心したわ、エンジュ」

「アルファ……っ」


 魔精霊エンジュ。

 そう、炎の猫は、元々は炎の魔女の使い魔だったのだ。


 だが、仲違いの末にエンジュはアルファから逃げ出した。

 ……そして、アルファを止めるために、魔法少女を作ったのだ。


 なぜなら、魔女を倒すには同属性の使い手が必要だからである。

 炎には炎を。


 最強の魔女に対抗するには、魔女と同じ属性が唯一の突破口だ。魔女は他属性の攻撃を一切受け付けないが、しかし同属性の魔法であれば盾が機能しなくなる。


 自分の矛で自分の盾を貫けるのか? という矛盾が生まれてしまうためだ。


 その不具合が、魔女を討つための手段になる。


 そして、その唯一の手段である魔法少女に抜擢されたのが、遥だ――――



「やめなさいよ……アルファ……ッ、人間があなたになにをしたの!?」


「散々言ってるけどぉ、こっちは食事なの。恨みはないって言ってるでしょお? 格下から奪うのは当然のことじゃない?」


「魔女や精霊から奪えばいいでしょ!」


「それができないから獲物を変えているのよ。話し合いはしたんだけどぉ……でも結局、交渉決裂したなら――当然、別の手段を探すしかないわけでねえ。別の手段がたまたま見つけた人間だっただけの、お・は・な・し。分かる? 私、食材に感情移入をしないのよ」


 炎の魔女が、真下に向けて炎の雨を降らせた。


 町を歩く人間たちに炎が直撃し、燃えるが……人間はぴんぴんしている。

 誰も熱がらない……。それもそのはず、彼女が燃やしたのは肉体ではなく寿命だ。


 未来を燃やしている。

 そして、燃えた寿命が魔女に集まってくる。降らせた雨を逆再生しているかのように、下から上がってくる雨のような炎が、アルファの手元に集まり――塊となった。


 まるで赤い果実だった。

 手のひらサイズのりんごをかじる魔女。


 舌の上で転がしたそれを、ごくん、と飲み込んだ。

 寿命を喰らうことで彼女自身の寿命が延びる……これが、魔女が長生きする理由だ。


「奪いやすい上に美味なのよねえ……やめられないわ」

「ハルカ! ワタシが結界を張るわ、遠慮なく戦って!」

「って、簡単に言うけどね……」


 エンジュが結界を張れば、その過程でおこなわれたことは巻き戻される。


 おかげで、どれだけ町が壊されても被害はなかったことにされるのだ。

 これが、エンジュの最大の仕事だった。



 ――魔女と魔法少女の戦い。


 苛烈な戦いが始まった。

 エンジュが結界を張り、被害が広がらないように――――


 しかし、結界が閉じ切るその寸前で、一塊の瓦礫が結界から飛び出した。

 その瓦礫が起こした事故に、エンジュが気づくのはしばらく後のことだった。



 エンジュが見つけたのは、結界の外……一台のバスが瓦礫に押し潰されていた光景だった。

 複数台の救急車がバスに集まっていた。

 突如、落ちてきた謎の瓦礫にマスコミまで集まっていて……。そして、ひとりの青年がバスから救出され、担架に乗せられた。数人の救急隊員で彼を囲み、怪我の具合を確認している。


 エンジュの姿は周りの人間には見えない。なので赤い猫がぴょんぴょんと跳んで近づいても誰も気にした様子もなく、彼女は被害と、担架に乗る青年を確認し……、


「え?」


 ……結界を張り遅れたせいだ、と反省しているエンジュの目に飛び込んできた青年の顔。

 瓦礫に顔半分が潰されてしまっているが、分かる……彼は。


 ――春希 裕一郎(ゆういちろう)…………遥の兄である。



 エンジュは全身がさっと冷えた。

 彼の顔に見えるのは、色濃い死相だった。


 瓦礫に潰された彼は、もう…………助からない。


「うそ、でしょ……?」



 ――遥が一番守りたい人は、誰だった?



「他人の寿命だとかって、どうでもいいんだけど、ただ、お兄ちゃんだけは……長生きしてほしいって思ってるの。

 だから、その魔女がお兄ちゃんから寿命を奪う可能性があるなら、わたしが戦うよ」



 それが契約だった。


 魔精霊エンジュと魔法少女ハルカの、兄を守るために始まった魔法少女生活だった。


 ……なのに。



「身元の確認をお願いします」

「ご家族に連絡を――」

「春希さん、意識はありますか?」


 救急隊員の声に、エンジュがはっとする。

 ……このまま彼を死なせてはダメだ。


 魔法少女の業を背負わせてしまった遥のために、エンジュはこの身を犠牲にしてでもやらなければいけないことがある。

 ……覚悟が決まったなら、行動は迅速に。


 エンジュが担架の上に飛び乗った。


 そして、兄――裕一郎の胸の上を歩き、頬に肉球を、ぽんと押した。


 エンジュが、裕一郎の精神世界に潜り込む。




 ――そこは、真っ暗な世界だった。

 ただ、一筋の白い光が、まるでスポットライトのように彼を照らしていた。


「ん、天使かと思えば、可愛い猫じゃないか」


 遥に似た優しい顔立ちだった。

 きっとモテただろう、大学生の青年。

 あらためて、そんな彼の人生を奪ってしまったのだと、エンジュは後悔する。


「……冷静なのね」


「あー、まあ、ね。死ぬって分かるともう諦めもつくものだよ。じたばたしたってどうしようもないし、だったらのんびりと……ね。そう思ったんだ」


「まだわからないわ。現代医学で治る可能性だって、まだ……」


「ないよ。分かるんだ。もう僕は死ぬ。……自分の体のことは自分がよく分かってるよ」


 彼は光の当たる床であぐらをかいて。

 その目の前に、エンジュが座った。


「…………」

「君は、遥のそばにいてくれたのかな?」


「……短い付き合いだけど、そうね」

「じゃあ、遥のことを、今後も任せてもいいのかな?」


「自分で見守りなさいよ」

「もうできないんだ。だから頼んでいるんだよ」


 目を逸らしたい現実があった。

 逸らしたいのは彼の方なのに、エンジュの方が、直視できていない。


 その感情を察した裕一郎が、エンジュの頭を撫でた。

 猫なのだから、もちろん、猫を撫でるように。


 顎の下を指先でこりこりと撫でられ、エンジュが猫らしい声を出した。


「頼むよ……君に任せたいんだ」

「……分かってるわよ……」


 彼を死なせてしまったのはエンジュのミスだ。

 エンジュが、責任を取るべきなのだ。

 いや、べき、ではない――取りたい。


 そうでないと、エンジュは二度と、遥に会えなくなるだろう。


 それだけは嫌だと、エンジュが心の底から思った。


「君は、遥のことが好きなんだね」

「……そうなのかしら」


「そう見えるよ。だからこそ、なんだ。……遥のことを頼んだよ」


「……ええ、ワタシが見守るわ……でも、あなたも一緒によ――」


「? ああ、分かったよ。全て、君に任せる」


 そして、白い光が細くなっていく。


 しぼんでいくその光が再び広がった時、そこに青年はいなかった。


 エンジュは、彼の最期を、見届けた。




 それから――


 エンジュは元の世界へ戻ってくる。


 彼女の肉球が彼の死体――その心臓に触れた。

 エンジュの魔力が、全て裕一郎に流れ込んだ。


 エンジュの魂が、空っぽの裕一郎の体へ――入ったのだ。





 激しい痛みの中、裕一郎が目を覚ました。……いや、もう彼ではなかった。


 春希裕一郎、あらため――エンジュだ。


 彼女のぎこちない動きは、大怪我をしているからで説明がつくだろう。


「っ、起きましたか!? 状況が分かりますか、春希裕一郎さん!!」


 上から救急隊員の声があった。

 エンジュは横になったまま視線を回し、状況を理解することに努める。


「ダメです! まだ目を覚ましただけで状況を理解をしては――」


 エンジュは震える手で頭に手をやった。

 たったそれだけのことに時間がかかってしまう。


 やっと、指先が頭にかかったところで、エンジュはひとつの決断をした。


 ……記憶を、燃やす。


 エンジュとしての記憶を、裕一郎の中から消したのだ。

 ――これは必要ない。


 本能に刻み込んでおけば、エンジュは……いいや、裕一郎は、妹を守れる。



「あなたの名前っ、言えますか!?」


「は、はる、き、ゆういち、ろう……」


 震えた声が、次第にしっかりと、彼のものになっていく。


「――僕は、春希、裕一郎、だ」



 魔精霊エンジュ。

 ――同時に、春希裕一郎は、死んだ。



 そして、新たな春希裕一郎が誕生したのだった。




 … 読切:完

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いもうとりっく 渡貫とゐち @josho

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