第2話 大学生活 終わり

 結局、不安には勝てなかった。

 スマホという便利アイテムを使うこともできたが、それはしなかった。

 機械よりも人間の方が信頼できる。僕は、アナログ派なのだった。


 なので交番に向かい、中にいた警官に大学までの道を聞いた。


 警官が言う道順と僕が考えていた道順は同じで、再確認しているだけだった。

 それは当たり前か。僕は僕自身を一番、信頼している。


 なにを今更――。信頼しているのならば、そもそもで不安になどなるはずがない。

 それに、不安に負けることもない。

 こんなところで他人に聞くこともなく、道を進んでいるはずだ。


 そう――その通り。


 僕はいま、嘘をついた。本当のことを言っていなかった。


 僕は僕をそこまで信頼しているわけではない。信用もしていない。


 やはり、自分よりも他人だろう。

 ――そんなことを思いながら、ありがとうございます、と警官に伝えて、再び前進。


 道を真っ直ぐに進んだ。

 だが、その途中、思ってしまう。


 自分と警官の意見通りに、道を進めばいいのに――しかし、僕は道順を知ってしまっているがために、少しの、近道をした方がいいのではないか、という思考に辿り着く。

 大学の場所は分かる。方角だってもちろんのことだ。

 大体の距離だって、分かっているのだ――ならば。


 直線に進んで、曲がって――なんて面倒な道……(いや、これが正解の道だろうが)を進むことはせずに、斜めの道を選択した。


 裏道――飲食店の、色々な荷物が散らかっている、もしかしたら道とは言えないのではないか、と思ってしまう道――(とりあえず、道と呼ぶけど)を進む。


 日の当たらない場所なので暗かった。

 朝とは思えない暗さだ。


 長時間、ここにいると気分が悪くなりそうだったので、早足で進む。

 遅刻しそうなのだから走れと思うが、走ることはしなかった。

 そんな気など毛頭ない。


 体力的な問題で。

 そう――僕は体力がない。自信満々で言うことではないけどね。


 道幅は狭かったが、進んで行くにつれて、幅が広がっていく。

 車一台なら通れるのではないかと思うくらいには、広がっていた。


 初めの、人、二人がすれ違うくらいの幅とは思えない。

 人と同じで、道も成長するのだろうか――。

 まあ、意図的に作られたものだろうし、成長云々、そんなわけがないのだが。


 そんなことを考えていた。

 そんなことを考えられるくらいには、心に余裕を持っていた。


 のんびりしていた――。

 気を抜いていた、とも言える。


 リラックスしていた、とも言える。


 油断していた、とも言える――か。


 だから、反応が遅れたのかもしれない。

 ――しかし、たとえ万全の状態で集中力が最大だったとしても、たぶん、というか確実に、結果は変わっていなかったと思う。


 それくらいに理不尽だったのだ。

 どうしようもないくらいに、無理ゲーだったのだ。


 目を疑った。それから自分の脳を疑い、次に、現実を疑った。


 もしかしたら僕はまだ眠っていて、夢でも見ているのではないか――。

 それにしてはリアル過ぎるのではないか、と思うけど、咄嗟だったので頬をつねる行為すらできず、そもそもで、一挙も一動もできずに、僕は。


 僕は、


 潰された。


 さすがに僕も冷静ではなかったので、自分に一体、なにが起こっているのか、事細かには分からなかった。漠然と、なんとなくでの理解しかしていない。


 だから本当になんとなくだ。

 事後に理解したことだが、裏道――そこにある五階建ての建物。

 四階から上の部分が、

 だるま落としの押し出された部分のように、僕の真上に飛び出してきた。


 フロアまるごと。

 瓦礫と言えるのか――、瓦礫、よりは鉄の塊と言った方が正確なのかもしれない。

 つまりそれが、落ちてきた。


 どうしようもない。だけど、考えてはみたのだ。


 逃げるために、この場所から前に走ればいいし、後退すればいいし――いや、無理だ。


 鉄の塊の落下、射程範囲内のちょうど、ど真ん中に僕はいる。

 ここから前でも後ろでも、進んだところで、タイムアップだろう。

 肉体の一部分どころではなく、間違いなく全身を持っていかれる。


 そういう事情があって、なにもできずに僕は潰されたわけであった。

 僕の視界には当然、僕の体は映っていない。

 鏡でもない限り、どうなっているのかは分からない。


 体は動かず、感覚がない――神経が、死んで、いるのか? 

 命の方はまだ残っているだろうが、しかし残っていても弱火――、線香花火くらいだろう。

 それは予感がしたから分かった。


 冷たい。体全身が、冷たく感じる。

 血……が、水溜りを作っている。

 僕はその上に転がっている感じか。

 冷たい、は、感じることができるのか……、それは新しい発見だった。


 まったく――不運だ。


 ……不運、なのか? 

 元々から決まっていた運命で、僕は今日のこの日に死ぬと、決まっていたのではないか? 

 来るべき日がきた、ということではないのか? 


 ――ああ。そう、か。


 死ぬ運命。

 そう言われれば――そう思えばなんだか、楽になった気分だ。


 完全に自己満足であるけど。不運な事故とかだったら、悔しい。

 これから先、生きられたはずなのに生きられないのは、誰かに人生を壊されたようで、癪だ。

 だけど運命だと言われてしまえば、生きられる限界の日がきただけで、そう――、自分のせいだと思えるからだ。


 自分のせいならば、恨みも悔しみも、なにもない。仕方ないで済ませられる。


 これでいい。


 僕にとって、これが良い終わり方だ。

 望んだ第一希望ではないけど、嫌な死に方ではないだけ、まだマシである。

 妥協――、高望みはしないタイプなのだ、僕は。


 納得した。そして僕は目を瞑る。

 だんだん、意識が遠くなるのを感じる。


 瓦礫に埋もれて、暗闇の中でひっそりと死んでいく――。

 こんな体験は初めてだ。


 ――当たり前か。何回もあってたまるものか、こんなこと。


 僕が死んだら――どうなるのだろう?


 悲しむ人はいるのだろうか?

 閉じたまぶたを上げて、思い出す。


 ――いる、のか。


 妹や幼馴染――まあ、その二人くらいか。


 その二人にだけは最後に会いたいと思うけど……無理だろう。

 物理的に、常識的に考えれば、無理だろう。


 分かり切っていることを考えている間にも、僕の命の火は、段々と弱くなっている。

 視界が白く、塗り潰されていく。


 弱々しく手を伸ばす。

 ぼやけている視界の先にある――なにかは分からないが――物体に手を伸ばす。


 そこからどうなったのか、僕には分からない。


 僕に、未来などないはずなのだ。


 ――過去しか、ないはずなのだ。


 無意識の行動に謎を抱きながら、僕は死ぬ。


 死ぬという感覚は、

 理解するには最も遠い場所に辿り着いたものだったが。

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