第14話 いただきます

 私、柳川咲は兄を愛している。


 これは、世間のいう愛とは少し違うかもしれない。


 私が兄に抱く愛は、結婚式で誓うような仰々しいものではなく、もっと普通の、日常的で恒常的なものに近い。


 つまりこれは一時的な激しい感情などではなく、もっと根幹にあるものなのだ。



 無論、私は生まれた時から兄を異性として認識していたわけではない。


 幼少期の頃、私は兄を兄として慕っているだけでなく、頼れる父のような存在として信頼し、手のかかる弟のような存在として慈しんだ。


 物心ついた時から兄の背中を追って育ち、両親よりも長い時間を兄に面倒みてもらったのだからそう思うのも当然のことだろう。

 

 

 そんな私の幼少期に転機が訪れたのはやはり、芸能界デビューに違いない。


 頼んでもいないのに、勝手に私は世間の人気者と持て囃されるようになり、大して楽しくもない芸能活動に大きく時間を取られるようになった。


 幼い子供にとって、知りもしない大人に囲まれている時間は不安でしかない。

 ましてやその場にいた唯一頼れる存在の両親は、私の活躍を褒めて喜んでいただけに、私はその期待に応えようと無理に我慢するしかなかった。


 目まぐるしく変わる環境の中、当時の私は酷く混乱しただろう。

 

 それまで普通の子供だったのに、突然周囲から称賛を浴び、欲しいぬいぐるみやお菓子を簡単にもらえるようになる。

 そんな生活が続き、やがて私は徐々に『こんなにも我慢しているのだから、私を褒めるのは当然だ』と考えるようになっていった。

 

 このままでは、私は最悪の人格をもって育っていっただろう。

 不幸なことに、大人たちは私の僅かな変化に気にもしていなかった。



 そんな中、兄だけが私の変化に気づき、叱った。


 今思えば、それは別に私のために叱ったわけじゃないのだろう。

 両親やご近所によく褒められる私に、兄が嫉妬していただけかもしれない。


 だけれど、傲慢になりつつあった私に『咲なんてまだまだだ! 自惚れるなよ!!』と言った兄を、私は素直に信用することができた。

 


 ――例え周囲がどんなに変わろうとも、この人だけは変わらずにいる。



 それだけで、私は頑張れる。


 兄に褒めてもらえるのなら、兄に叱ってもらえるのなら、兄と一緒なら、私は謙虚に頑張り続けることができた。


 奇しくも、このおかげで私はより芸能人として成功していき、益々忙しくなったせいで兄と共にいれる時間も減っていった。


 


 だからだろうか。この頃から兄をただの家族として見れなくなったのは。


 兄が私の生き甲斐になったのは、この頃からだろうか。

 

 兄のおかげで私の歪んだ人格は正された。

 しかし、それは別の歪みを産んだのかもしれない。


 ――私は実の兄を、男として愛するようになったのだから。



 

 だが、同時にこの想いはこのままでは成就することはないと分かっていた。


 血の繋がった兄妹という壁。

 私がその気でも、兄はそうではない。


 これをどうにかするために、私は成長するのを待った。

 私が女として成長し、兄を篭絡できるその時まで。


 だから私はそれまでこの想いが悟られないように、より演技の練習に励んだ。

 兄の妹として、ただ仲のいいフリをする。そんな演技を。


 だけど、まだ子供だった私は兄の何でもない言動に度々感情が抑えきれず、何度もこの秘めた想いが露呈しそうになった。その上、兄は私に対して妙に鋭く、私が少しでも兄へのアプローチをすれば察知されてしまうのだ。


 そのせいで幾つか失敗重ねてしまったが、おかげで私は兄への対抗策として一つの術を習得することとなる。


 それは、演技の中に事実を混ぜ込むという事。


 完全に騙すことは諦め、僅かに欺く方法。

 兄のことを男として愛する一方、兄としても慕っているという事実を。

 兄を徐々に追い詰めながらも、都合の良い事実を盾にはぐらかしていく。


 そして最後に、自ら兄に嫌われる行動をして心底傷つき、兄の同情を得る。



 そんな涙ぐましい努力の果て、私は遂に兄を堕とすことに成功した。

 


 きっと、私の心の中を覗けば兄は幻滅してしまうだろう。

 こんな私の姑息さと卑しさに。


 兄は知らなくていい。知る必要も無い。


 ただ安心して、あなたを好きになってしまったわたしを愛してほしい。

 









「いただきまーす」


「はい。召し上がれ」



 夜、兄の食べる料理はいつも私が作っている。

 それは子供の頃からの習慣で、もうすぐ成人を迎える今でも変わらない。



「おぉ、蟹の味噌汁……贅沢な!」


「ただの渡り蟹ですから。でも、喜んでもらえたのなら何よりです」


「相変わらず美味しいよ。咲のご飯」


「浩介さんのためですから」



 兄は勢いよくご飯を食べ進める。

 私は、それを見ているだけで幸せだ。


 私はどんなに忙しくとも、兄には出来る限り私の手料理を食べて欲しい。


 なぜそんな拘りがあるのか。

 それは、兄が私の手料理を食べていることで、兄を生かしているのは私なのだと錯覚できるからだ。


 まあ、自分でも歪んだ性癖だと思う。

 だけど、それをやめようとは思わない。


 愛する兄をこの手で育てるのが、堪らなく快感なのだ。



「そういやさ、去年やったドラマの評判がよかったって未だに言われるんだよね」


「あぁ、あの学園もののドラマですか?」


「そう。咲の制服姿が良かったとか、最後の続きが気になるとかってさ」


「しょせん、架空の物語です。続きなんてありませんよ」


「随分とドライだな」


「あのドラマ、あまり好きではなかったので」


 

 去年やった学園もののドラマ。


 最後は、主人公の教師にヒロイン役の女子生徒が成人したらまた会いに行くという終わり方だった。

 

 演技とはいえ兄以外の人間に好意を抱くフリをするなんて、悍ましい。


 しかし、成人するまで待つという価値観はヒロインと共感できたため、演技自体は上手くできた。おかげでドラマの評判もいい。



「でも、ラストシーンのヒロインが感極まって涙を流すところは結構良かったと思うんだけど……。咲だって、結構本気だったんじゃないのか?」


「本気? ご冗談を。欠片もそんな感情はありません。不愉快です」


「不愉快って……そこまで言わなくても」


「浩介さんは純粋ですね。女優の涙なんて信じるものではありません」


「えぇ……夢無くすわ」


「フフ、私が言うのだから間違いありませんよ」



 

 夕食を終え、私たちは大きなソファーに座ってテレビを観る。

 無論、私の座る場所は兄の隣だ。



「……なぁ、広いんだから、もうちょっとゆとりをもって座らないか?」


「いいじゃないですか。昔からこうやってくっついてましたし」


「いや、あの、ほら……ちょっと、あたってるから」


「何がです?」


「……なんでもない」



 兄が何を言いたいのかは、もちろん分かっている。


 私の身体は、私の想像以上に成長して恵体となった。

 こうやって肩を寄せ合っても、昔では当たらなかったところが兄の身体に当たるようになっている。

 

 女優としては細身の方が都合いいのだが、女としては誇らしい。

 これには両親に感謝しないといけない。


 兄はもぞもぞしながら少し前傾姿勢になるが、私は気付かないふりをしてもっと押し付けるように身体をくっつけた。


 そんなことをしながら兄を可愛がっていると、ふいにテレビが視界に入る。



「へぇ。温泉、ですか」



 テレビに流れていた旅番組は、ちょうど宿の温泉に入浴をしている場面だ。



「懐かしいですね、浩介さん。前に二人で温泉に入ったこと覚えてますか?」


「あ、あぁ。覚えてるよ」


「いい湯でしたよね。そういえば、あの時した約束を覚えていますか?」


「約束……? そんなのしたか?」


「いずれ、必ず。また来ようと約束しましたよ」


「そう、だったかな」


「はい」


「行きたいのか?」


「えぇ。あのときのリベンジをしようかと」


「……何の?」


「気にしないでください」


「いや、気にするよ。何だよリベンジって。怖いわ」


「いつ頃にしましょうか……。そうだ、私が成人を迎えた後にしませんか?」


「……別にいいけどさ」


「決まりですね。フフ、楽しみです」


「なんだ、そんなに温泉好きだったのか?」



 ちょうどいいタイミングだ。

 あの時、兄が私を女として見ていなかったという屈辱を晴らすいい機会になる。


 それに、もうそろそろ我慢の限界だ。


 自分でも意外だが、未だに私と兄は健全な共同生活を送っている。

 キスは毎日しているが、それだけ。


 私も女としてのプライドがあるので、最初は兄にリードして欲しい。

 だから、兄から仕掛けてくれなければその先へ進めない。


 だというのに、兄は相変わらずのヘタレだ。

 私のアピールを見て見ぬふりをする。

 だからといって、それを責めるのも何だか違う。


 私の理想は、兄に積極性を見せて欲しいのだ。


 だから私は成人を迎えるまでは我慢しようと思っていた。

 そして今回の温泉、なんと都合のいいことか。


 

「本当に、今から楽しみ」



 今、自分がどんな表情をしているのかは想像がつく。

 兄はテレビを観ていたので、それを見られずに済んでよかった。


 流石の私も、兄に下品な女だとは思われたくない……。

 





 

 私たちはそれぞれ入浴した後、寝室に入る。


 寝室には部屋の広さに合っていないセミダブルの小さなベッドが相変わらず一つ。

 兄は今でももう一つベッドを買おうと画策しているが、その都度私は拒否した。

 

 私も欲求の盛んな年頃だ。

 ただでさえ我慢を強いられているというのに、これで兄の温もりまで奪われたら理性を保てない。

 

 兄の方は逆に悶々としているかもしれないが、それは自身のヘタレな性分が悪いと思って我慢してもらうしかない。


 

 寝る準備が整い、私たちは今日も狭いベッドに一つの布団の中へ入った。


 

「浩介さん。手」


「……なぁ、やっぱりこの習慣やめないか? 寝にくいんだけど」



 ここに住み始めてから、私たちは寝る時に一つのルーティーンを決めた。


 それは、手を繋いで寝ること。


 当時も兄は寝づらいからと拒んでいたが、私は代わりに掴めるものがあるなら構わないと兄の下半身を見ながら言うと渋々承諾してくれた。


 本来なら抱き枕のように抱き着きたいのを我慢しているわけだから、兄には私の理性を褒めて欲しいくらいだ。



「ダメです。それとも、ソッチのほうがいいんですか?」


「咲って前世は鬼だったりする?」


「私は今世しか信じませんので」


「……」



 兄は渋々といった感じで私の手を握る。

 私のよりも大きく、少しゴツゴツとした触感が心地いい。

 私は眠りに落ちるまで、何度もその手の感触を楽しんだ。









 ふと、目覚める。

 窓を見てみると、カーテンの隙間から光が漏れていないことからまだ夜更けだということが分かった。


 再び床に就くため、兄の温もりを感じようとして手を握る。

 すると、兄と繋いでいたはずの手が空を切った。

 


 ――兄がいない。



 私は一気に血の気が引き、眠気も消え失せる。

 

 なんとか震える手足を動かし、兄の痕跡がないか探るためにフラフラとした足取りで寝室を出ると、リビングのソファーで呑気に寝ている兄が転がっていた。



「よかった……」



 思わず安堵の声が零れる。


 私は寝室から一枚しかない布団を持ってきて、兄に被せた。



「全く、こんなところで寝てたら風邪ひきますよ。兄さん」



 つい癖で、兄のことを名前ではなく『兄さん』と呼んだ。


 口にしてみると、やはり馴染み深いものだ。

 兄を手に入れるために妹のフリをやめたはずなのに、まだどこかで兄のことを慕う妹の部分が残っている。



「フフ、兄さんの寝顔かわいい」



 兄は昔から、寝ていると大抵のことでは起きなかった。

 その習性を利用して、幼い時には寝ている兄の唇に頬を当ててみたり、兄に私の唾液を飲ませたりとたくさん悪戯をしたものだ。


 

 そんなことを思い出していると、つい魔が差してしまう。

 

 ――今なら、何をしてもいいのではないか、と。



「……流石に、それはいくらなんでも」



 頭の中で葛藤を繰り返しながらも、気がつくと私は寝間着を脱ぎ捨て、下着姿のまま布団の中に潜り込んでいた。



「兄さん、起きてますか?」



 私は兄が寝ているかどうか確かめるため、声を掛ける。

 もちろん反応は無い。



「起きないと大変なことになりますよ? 悪戯しちゃいますよ?」



 まるで私は忠告したぞとばかりに独り言を呟いて言い訳を重ねた。

 

 

「兄さんが悪いんですよ? こんなにも私を待たせるから」



 これまで我慢したのだから、その対価を寄こせという傲慢な考え。

 


「ほら兄さん。昔のように叱ってくださらないと……私、悪い子になりますよ?」



 布団の中で、遂に私は下着すらも脱ぎ捨てた。

 

 生まれたままの姿で、兄に跨っているという背徳感。

 イケないことをしている時の、ワクワクする気持ちがより私を昂らせる。



「……少しくらい、いいですよね? 大丈夫、最後まではしませんから」



 そうだ。温泉までは我慢すると決めたんだ。

 

 ……だから、ちょっとだけ。少し、つまみ食いをするだけ。



「そのまま、寝ていてくださいね。これは夢ですから……。夢なら、何をしても無かったことになりますから」



 今まで大事に大事に育ててきた男。

 頑張って育てたのは、私。


 一生をかけて育て続けます。

 ドラマとは違って、終わりはありませんから。









 なので、今は少しだけ収穫させてください。


「――いただきます、兄さん」 

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兄だった俺と妹だった女 秘密基地少年団 @secretbase

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