女生徒

亜良まり

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「私の好きな人の話」 3年A組 瀬田静華


 私の好きな人の名前は、有山響介さんといいます。血液型は教えてくれなくて、誕生日も教えてくれなくて、じゃあ何座ですか?って聞いたら「そんなの興味ない」って言われました。だけど好きな食べ物はプリンで(給食のデザートにプリンが出たとき普段よりちょっと嬉しそうだったのでそう判断しました)ベランダや、誰もいない職員室で、こっそり吸っている煙草がメビウスなんとかっていう銘柄だということは知っています。彼女はいないという噂を聞きました。本当ならとてもとても嬉しいです。あ、申し遅れましたが有山響介さんというのは私のクラスの担任で、国語の先生です。とてもかっこいいので私以外の生徒にも人気ですが、怒ると恐ろしいと評判なので体育の上原先生みたいに、きゃーきゃー言われたりする事は少ないみたいです。声に出してきゃーきゃー言ってしまうのは私だけみたいです。そしてそれを先生にうるさいと怒られたのも私が最初みたいです。なんにせよ有山先生が私は大好きです。キンプリの永瀬くんより、ミスドのハニーチュロよりもっと好きです。だから有山先生にいっぱい良い出来事が起こればいいなぁと思います。そうだ!先生の頭の上にプリンが降り注いだら先生は嬉しいかもしれません。世界中のプリンよ、有山先生の元に集え!降れ!


――というのが有山先生に書き直してきなさいと冷たく通告された私の作文の内容です。



「ねぇ先生ちゃんと書き直すし今度の給食の私の分のプリンあげるから許して! ね! ね!」

「……君はどうしてそんなにうるさいのかな。静華って名前なのにね」

「だって先生が私のこと無視するんだもん」

「説教しないであげてるだけありがたいと思いなさい。どうして終業式を抜け出してくるんだ。全く問題児だらけだな僕のクラスは」

「でもさでもさ先生だって教室で終業式さぼってるんですから大問題ですよね!」


 私が身を乗り出してにこにこしながら言ったのに、何故かぱかんとファイルで頭をぶたれました。痛い!そしてこれって体罰!


「先生はさぼりじゃない。どうしても10時までに作らないといけない文書があるんだよ。君と一緒にしないでくれる」

「あ! これって小林くんが高校生とケンカしちゃった事件のことですよね? これどこに提出するの?」

「教育委員会。相手にも非があったって事をきちんと報告しなくちゃね。君も3年生なんだから、あまり悪いことばかりしていると進学できないよ」

「私悪いことなんかしてませんし! ケンカもしませんし! あっ先生心配してくれてるの?」

「さあどうでしょう。瀬田、邪魔だからあっちで本でも読んでなさい」


 有山先生が私の方を見ないまま、すっと文庫本を私に差し出した。


「ええ、本なんか読んでもつまんないよ。先生とお喋りする方が楽しい」

「それは国語教師の僕に対する挑戦? いいから、読んでいなさい。太宰治の女生徒なら君にもわかりやすいんじゃないかな」

「太宰治って走れメロスのひとでしょ? 私あの話あんまり好きじゃないなぁ。だって身代わりにされた友達超大迷惑じゃん。王様もあっさり許しちゃうし拍子抜けっていうかさ」

「確かにそうだね。でも、メロスは太宰の作品の中でも、少し異質な方なんだよ。女生徒も同じくらいの時期に書かれた作品だけど、タッチが全く違う」


 有山先生が、授業の時みたいに、真面目に、淡々と説明してくれる。私は、さっき本なんかつまんないよなんて言ってしまった事を後悔した。先生は本が好きなのに(たぶん、国語の先生になってるくらいだから好きなんだと思う)そんな風に言われたら、悲しいよね。私も誰かに先生の悪口言われたら悲しくなるし腹が立つと思う。有山先生に悪い事をしてしまった私はやっぱり子供だ。しょんぼりしたけど、ここでただ落ち込んでいるだけだったら反省だけして行動しない駄目な子供なので、頑張って先生が薦めてくれた女生徒を読むことにした。うわぁ、字がいっぱいだよ。当たり前だけど。


「先生、これメロスは出てこないんだね」

「出てくるわけないだろう。君と同じくらいの年の子が主人公だよ」

「ふーんちょっとおもしろそう」


 女生徒は、本当に、私くらいの年の女の子が、ただ日常を生きている話だった。すごい事件が起こるわけでもない。メロスみたいに一生懸命走ったり叫んだりするわけでもない。朝、布団をたたんだり、じっと鏡を見て綺麗な目になりたいなぁ、って思ったり、電車の中で一生懸命に思っていたことを電車を降りたらすっかり忘れてしまったり、お風呂の中で、段々子供じゃなくなっていく自分を悲しく思ったり、寝る前に、いつか幸せになるときがくるかなぁ、来ないだろうなぁと思ってみたり、とにかく、生きている話だった。太宰治って、もうずっと前に死んだ男の人のはずなのに、どうしてこんなに女の子のことがわかっているんだろう。生きている時代が違うから、ちょっと古いところはあるけど、私も似たようなこと思ったことあるなぁと感心してしまう文章だった。この主人公の女の子は私のように好きな男のひとはいないみたいだから、そこだけは決定的に違うけど。


「先生、これ、私みたい。私も似たようなこと考えた事があるよ」

「そっか」

「でも幸せが私がいなくあったあとに来ちゃうのは寂しいね」


 有山先生が、初めて私のほうを見て、少しだけ微笑んでくれた。


 先生、私、先生が笑っただけで、心臓がぎゅっと痛くなるよ。色んなものが、恋しくなるよ。もしかしたら、幸せは私がいなくなったあとに来るんじゃなくて、あとで思い返してあのときは幸せだったなって思うように出来てるものなんじゃないかと不安になった。私は、いつか少しだけ大きくなった私が、「中学生の頃、かっこいい先生と二人でお喋りできて嬉しかったな」なんて呑気な事を思っている場面を想像して、ぞっとした。そんな、そんな風じゃない。いま、私が有山先生をとても好きだと思うのは、かっこいいからだとか、私が子供で、先生が立派な大人だからって、単純に憧れているからなんてことじゃ、ないんだよ。

 先生にそういうの、ちゃんと伝えたいのに、私は先生が好きな、本を書くひと達みたいに頭がよくないから、ただただじいっと先生の横顔を見て、馬鹿みたいに黙っていることしか出来なかった。

 先生、好きです。とても、好きです。どうしたら、あの太宰さんみたいに上手に私の気持ちを切り取れるのかなぁ。切り取れたら、先生に、きちんとお話として読ませてあげられるのに。

 喜んでくれるかわかんないけどさ、先生。私、お話の最後は、やっぱり先生の頭の上に、いっぱいプリンが降り注げばいいと思うよ。先生、ごめんね。私、先生を幸せにする方法が、それしか思いつかないんだ。情けないね。先生は、ちょっと笑っただけで、私の中身をこんなにもぐちゃぐちゃに、そして幸せでいっぱいに出来るのにね。どうして、好きだなぁという気持ちは、お互いに平等にならないんだろう。有山先生みたいなかっこいいひとは、たくさんのひとの気持ちを受け入れなくちゃいけなくなって大変だからかな。先生はいつかその中からたった一人のひとを選ぶのかな。先生が、ずっと私の担任の先生でいてくれたらいいのにな。そしたら、ねぇ、私は今が幸せの時だって、ちゃんと気づけるよ。

 幸せはもう私のところに来ています。王子様、私はここにいます。あなたの、すぐ前にいます。先生が王子様だなんて勝手に決めちゃって、ごめんね。


 急に目の前がぼやけて、慌てて目を伏せたら、文庫本のページにぽとりと水滴が落ちてしまった。

 少女漫画とかドラマなら、ここで気づいた先生が私を優しく抱き寄せてくれたりするのかな。でも、現実は、そんなことしたら大問題になっちゃうし、そもそも、先生がそういうことをする人なら私は好きにならなかった。

 先生はクラスの全員を生徒としてしか見ていない。それ以上でも、それ以下でもない。誰かを特別扱いしないし、誰かに偏見を持ったりもしない。体育の上原先生みたいに声をあげて笑ったりしないし、いつも淡々としていて、教師っていうお面を絶対に外さない。でもそれはとても難しくて、とても大事なことなんだ。そういう先生を、私は好きになったんだ。


「その本を読んで、内容を理解して、共感できるなら瀬田は大丈夫」


 ノートパソコンの画面から目を離さずに先生が呟くように言った。

 何が大丈夫なの。何をわかってるの。私のごちゃごちゃした気持ち先生は全然知らないじゃん。そう言いたかったけど、口をあけたら本格的に泣いちゃいそうで、唇を噛んで不機嫌そうな顔を作ってみた。そんな可愛くないことを考えている一方で、先生が私のためだけに言葉を選んでくれたことがたまらなく嬉しいのが我ながら矛盾しているなと思った。

 先生にとって私は特別でもなんでもないただの生徒だけど、いつか、今この瞬間ののことを、ふと思い返してくれる可能性が5%くらいはあったりするのかなぁ。私にとっての先生が単なる青春の1ページになっちゃうのは怖いと思うのに、今よりおじさんになった先生が、私のことを思い出してくれたりしたら、それはとても素敵なことだと思うのはどうしてだろう。


 そんなことを考えながら、文庫本の表紙を撫でて、先生の持ちものに少しだけ、私の痕跡を残せたことに、私はまた一つ小さな幸せを感じていた。


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女生徒 亜良まり @aramari12

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