カクヨムで書いてみた

 はじめまして。ではないですよね。杜松ねずの実です。

 今回は以前LaTeXを使って、書いた自身初のエッセイをカクヨムの標準機能を用いて書き直します♪♪


 これまでエッセイを書いてこなかったのには、 軽いわけがあります。が、そのことについてはおいおい、また別の機会で話させてください。

 さて、ものの本(参考文献1)によると、エッセイとは


 エッセイ(essay)

   (名)

・自由な形式で自分の見分・感想・意見などを述べた散文。随筆。随想。

・ある特定の主題について論じた文。小論文。論説。

・「エッセー」「エセー」とも。


 とあります。僕はこの一番の「自由な形式で」を引き受けて、散文をしたためよう、という魂胆です。さーて、なにを書きましょうか。


「小説をくだらないとは、思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている」


 こちらは太宰 治の『葉』(参考文献2)からの引用です。主人公の兄のセリフでした。


 僕は小説がまだるっこしいものだとは思いません。大好きです。そして、この一文も大好きです。僕はこの一文を思い出す度に、自分はこのような思いで小説が書けているかしら、と不安になります。


 散文なので、思いついたままに書かせてもらいますね。


【地方都市の映画館】


 大学入試の後期試験を受けるために、一人新幹線でとある地方都市に行ったことがある。はじめは親が付いてくると言われたが、それは必死に断った。思春期の男の子にとって、親とのふたり旅行は、でも避けたいものだった。

 駅に着いたのは、夕方だったと思う。ともかく、まっすぐホテルに入った。ホテルは、駅前のビジネスホテルだ。大学までは、この駅から出ているバスに乗れば迷わずつけるらしい。バス停だけは、一応確認しておいた。

 チェックインすると夕食までは、まずまずの時間がある。ほとんどのビジネスホテルがそうであるように、ここも夕食は付いていない。店を探しがてら、街を歩いてみることにした。

 新幹線が止まるような都市である。それに名を聞けば、全国的に知られた都市だ。だから当然、駅の周りはずいぶんと栄えているものだろう、と思っていた。予想通り、駅前には大きな百貨店が二三ある。そのうちのひとつに入ろうとして驚いた。どうやらつい先日閉まったらしい。といっても、中にわずかなテナントが残っているようで、入口は空いていた。

 入るとすぐにシャッターと白い仮設の薄壁で閉ざされ、右へ進むようにしかない。誘導の先にエスカレーターが見えた。地下へと下るエスカレーターは稼働しておらず、前には規制線のつもりか、工事現場で見かける例のカラーコーンと黒黄しまの棒がかけられてあった。無人のエスカレーターは、上りだけ動いている。

 その百貨店をあとにして、結局ホテル近くのこじんまりとした商業ビルで、夕食を済ませた。部屋に戻ってから何をして過ごしたかは覚えていないが、勉強をしなかったことは確かだ。リュックに入れた過去問と参考書は親の手前のポーズであった。きっと本を読んで、スマホを眺めて早々に寝たのだろう。

 翌朝は十分に早起きをした。諸君が想像しやすいように時刻を用いるが、これは正確なものではないことを、先に伝えておく。七時に起きたことにしよう。部屋を九時に出れば、バスへは間に合う。

 朝食はビジネスホテルといえど付いている。場所は四階のフロント横と聞いている。身支度を悠々と整えてから向かえばよい。アメニティの浴衣姿の儘、洗面所で頭から水を被る。寝ぐせがひどいときは、いつもそうして直していた。次いで、顔を水だけで洗い、普段ならあとは着替えるだけで身支度は終いだ。時間にはまだまだ余裕がある。ひげでも剃ってみようか。

 その時分の僕はまだひげが薄く、週に一遍でも剃ればよかったから、この小旅行に電動髭剃りを持ち出してはいなかった。洗面所には、何の装飾もない無地のコップに、ビニールに入ったT字剃刀がある。昨晩はそこに歯ブラシも刺さっていたが、それは使わせてもらった。

 備え付けの洗顔剤を泡立て、口周りに乗せる。T字剃刀で以て鼻下から剃り始めた。やわく短いひげがちょりちょりと刈られていく。慎重、順調に剃っているはずだったが、気が付いたときには、シャボンが赤く染まっていた。慌てて洗い落としてわかった出血箇所は口元の黒子ほくろであった。その表面をうすく剥いでしまったらしい。痛みはまるでなかった。

 血はさらさらと、ゆるい勢いでとめどなく流れ出している。片手で黒子を抑えながら部屋に戻り、ティッシュをあてがった。ティッシュを口元に張り付かせ、やや上へ顔を向けつつ、手元だけでティッシュの十六折をつくる。つくり終えたころには、顔に張ったティッシュからは今にも滴って来そうなほど、血が滲んでいる。

 十六折を強く黒子に押し付けて、椅子に座った。デスクにスマホを立てユーチューブを見た。ユーチューブを見ながら、十六折を二つ、片手でつくった。二三分してから洗面所に行き、ティッシュを外して見た。お、止まったか、と思うと十秒ほどしてから、血がぷっくりと溢れ出てきた。


 血が洗面器に垂れる。

 垂れた一滴はゆるく広がって、流れていく。

 そしてまた一滴「ぽたン」


 怖くはなかった。血は見慣れていた。恥ずかしながら、僕はよく鼻血を出していた。鼻血にも大小がある。十分経っても二十分経っても流れ続けるものもあれば、鼻血と気が付いたときにはすでに止んでいるものもある。どれも決まっていつかは止む。雨みたいだろう。

 ふたたび部屋に戻って十六折を強く押し付けつつ、ユーチューブを見た。何度か十六折を取り換え、其の度に鏡に向かって、血が止まったかと観察したが、止まる気配さえない。八時になり、さすがにそろそろ止まってくれなくては朝食が食えない、と困っていても、黒子は知らぬ顔して血を流している。八時半になり、朝食は諦めた。バスに乗る前にどこかコンビニで、何かしらを買おうと決めた。

 それにしても困ったものだ。もう一度バスの時間を確認し、どうしても九時にはここを出なければいけないことがわかった。フロントに電話をすると、フロントまで来れば絆創膏を寄こすと言う。これがまともなホテルであれば、部屋まで持ってきてくれるものなのだろう? 着替えをなんとか済ませて、フロントで絆創膏を受け取った。とりあえず三枚くれた。

 つけるとすぐに血が滲んで、剥がれる。ただ張るだけでは駄目であった。

 試行錯誤の果、落ち着いてのは「等分にしたティッシュを三十二折にし、それを絆創膏で留める」であった。ティッシュが血を吸ってくれる分、絆創膏の粘着力は失われづらくなる。それにティッシュの厚みの分だけ圧迫感がある為、やや止血効果もあるかもしれない。

 これでも、そう長くはもたないかもしれん。それにこんな格好では試験には行けない。九時までに血が止まってくれるのを待つしかなくなった。

 血は止まらなかった。僕は試験をすっぽかすことになった。怖くはなかった。別にもとから受ける必要もなかった。すでに前期日程で実家から通える私立には受かっていたから、こちらの国立に受かったとしても行く気はなかったのである。むしろ不可抗力と言える受験できない原因が出来て安堵している位だ。それに、僕は不可抗力に対し、まっとうに抗ったのであるから、試験を受けないことに後ろめたさはない。

 血が止まらない儘、十時になりホテルをチェックアウトしなければいけなくなった。ホテル脇の裏路地に身を隠し、うまいやり方を考えた。マスクを思いついたのは奇跡のことのようにうれしかった。薬局で、口元を手で覆いながらついでに絆創膏も買い足した。おそらく隙間から、赤く染まったティッシュを貼り付けているのが見えていたであろうに、店員も他の客も何も言っては来なかった。

 マスクで絆創膏を隠し、例のつぶれた百貨店へ行った。残っているテナントのひとつが中古本の販売チェーンであったのを覚えていたからである。当時、最寄りのの中古本販売店でよく漫画を立ち読みして時間をつぶしていたことから、知らない土地中に居っても気安く立ち寄れる感じがしたのである。

 エスカレーターをのぼっていく。人気はほかにない。案内に書かれていた階に着いたが、ここもほかの階同様に、シャッターと白い薄壁があるだけで、店などひとつも無かった。はてな、と思い見回すが何も無い。

 薄壁で仕切られた通路だけはある。この先に古本屋があるのだろうか。この通路は、かつては店と店の間に通された通行帯であったのだろうが、今や照明の明かりを侘しく浴びる白壁だけで構成されている。僕はひとりでそこを歩いている。ほかの客も、スタッフもいない。

 ふと、開けたところに出た。階段の踊り場とよく似た雰囲気だが、階段はない。変わりと言っていいのか、裸のマネキンと空のショーケースが雑然と集められている。この旅で初めて怖いと考えた。誰もが知る都市であっても、こうなっているのが現状なのか。来てみて初めて知った。

 その残された物の間を過ぎて進むと、ようやく古本屋にたどり着けた。なかなか先客が多いのに驚いた。先ほどまで一人とも会わなかったのにだ。適当な棚に向かい合って漫画を読んだ。どれだけそうしていたのだろう。それほど長い間ではなかったと思う。何しろ、黒子の様子が気になって仕方がない。自分からは見えない場所、そして相手から注目されるのが顔だ。顔に異常を抱えていることが、これほど落ち着かないことだとは思いもしなかった。

 漫画を棚に戻してお手洗いに行った。鏡で、マスクの上からでは異常が見受けられないことを確認し一安心した。マスクを外して見ると、ティッシュは完全に血で染まっていた。これがこのまま垂れて来ていたとしたら、マスクの裾から血が覗き出していたことだろう。

 血はまだ止まっていなかった。ティッシュを入れ替えているところに、男性が入ってきた。洗面器に血を滴らせ、何やら作業しているのだから、さぞ不審に映ったであろうに、声はかけて来なかった。いかにおかしな行動をしていても、誰からもとやかく言われないで済むのであるから、これほど住みやすい時代はないだろう。


 その後、どう時間をつぶしたか記憶にない。駅の周りからは離れはしなかった。

 ようやく昼過ぎになり、ぼちぼち試験も終わった頃合いだろう。だがまだ帰れはしない。帰りの切符はもっと遅い時間にしてある。というのも、試験後観光にでも行けるようにそうしていたのだ。ここらで時間をつぶさねばならない。いっそのこと、本当にどこか観光にでも行こうかと、付近の観光地を調べ、行き方の算段までみなつけて、やはりやめた。興がのらない。黒子も心配だ。いつ何時、絆創膏とそこに貼り付けたティッシュが耐えられなくなり、血が露見するかもわからない。駅の周りにはもう半日居たので、もはや馴染みがある。遠く離れるのは不安であった。


 映画を観よう。ここらには二つほど映画館があるそうだ。も少し行ったとこにも一軒ある。スマホでそれぞれの上映作品とスケジュールを確かめ、駅の反対にあるそれにした。

 その映画館はわくわくする作りだった。すまないが、外観は全く覚えていない。館内は当然暗い。床は絨毯が引いてあり、そこそこにやわらかい。切符売り場は窓口が二つしかない。軽食売り場は無かったように記憶している。渡されたチケットには1番と書かれていた。まもなく上演開始となっていて既に入場が始まっている。係の者に今買ってきたばかりのチケットを渡して半券を返される。進む通路は、廊下と呼んでいいほど狭いのが、まっすぐあるだけだ。シアターは二つしかない。

 席は前後七列ほどしかなかった。劇場内はさらに照明が落とされ、豆電球の光のような淡い黄色こうしょくの明かりだけで座席を見つけなければならなかった。シートはその明かりに照らされてか、使い込まれたオレンジ色であった。手触りは起毛であるのか、流布しているシートカバーよりずっといい。クッション性はやや劣る。僕の席は三列目の左寄りであった。

 ほかにどれほどの客がいたのか記憶にない。僕ひとりだったということはないだろうが、それでも他に客がいたかと聞かれると困ってしまう。心持としては、僕はまったく一人で観たつもりだ。

 観たのは『この世界の片隅に』(参考文献3)である。先の大戦を描いたアニメーション映画だ。僕はこの映画に感動した。単なる感動ではなかった。そんなことはそれまでに無いことであったので、自身の感情を持て余しつつ映画に食い入っていた。アニメであるからこその表現。そしてその表現と作品の親和性。話のよさ。どれもが胸を打った。涙が出た。なんの涙かわからなかった。映画やドラマで泣いたことなど、それまで一度としてなかった。


 内容については多くを語りたくはない。下手に言語化しては、自身の中にある感動まで、くすませてしまうことになるからである。あれ以降、この映画を観たことはない。あの感動は、あの時、あの場所で観たからこそのものだと、勝手に悟っている。

 ひとつ、ここでもまた文豪の言葉を引用させて頂く。夏目漱石、初期の短編『倫敦ロンドン塔』(参考文献4)の冒頭から拝借させていただく。この一行こそが、僕がこのエッセイで言いたかったである。成功していればいいが、そうはなっていないだろう。



一度で得た記憶を二返目へんめ打壊ぶちこわすのはおしい、三たび目にぬぐい去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。









【参考文献】

1:『明鏡国語辞典 第二版』(大修館書店, 2010)


2:太宰治『晩年』新潮文庫 た-2-1(株式会社新潮社, 1947)


3:映画『この世界の片隅に』監督・脚本;片渕須直、原作;こうの史代『この世界の片隅に』(双葉社刊)


4:夏目漱石『倫敦塔・幻影の盾』新潮文庫 な-1-2(株式会社新潮社, 1952)


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まえがきというエッセイ 杜松の実 @s-m-sakana

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