第12話
「汝、病める時も、健やかなる時も――」
神父が台本通りの台詞をなぞっていく。
「誓いますか?」
「誓います」
婚約者――マックスが朗々と応えた。そしてヴァイオレットの方にちらりと目線を流す。ヴァイオレットはそれを黙殺した。
次は彼女の番だ。
「誓いますか?」
「――誓いません!」
はっきりと下された宣言に、教会中がどよめいた。
ヴァイオレットは繰り返した。
「誓いません。決して。神の御前で嘘などつけません。私は真実の愛のために生きます!」
「何を言ってるんだ、ヴァイオレット! まさかまだあの男と――」
「ええ、そうよ!」
狼狽するマックスに向かって、聴衆に向かって、ヴァイオレットは歌うように言った。
「私には愛する人がいるわ! あの人以外には考えられない。でも、だからって命を捨てようとは思わないの! だって今は十四世紀じゃないし、ここはイタリアじゃない――身分違いの恋だからって、ロミオとジュリエットになる必要なんかどこにもないんだから!」
「黙りなさい、ヴァイオレット!」
席の方から叫んだのは、彼女の父親だった。
「神父! 続けろ!」
「は、はぁ……いやしかし……」
「いいから続けろ!」
父親の剣幕に押されて、神父はおずおずと「で、では……誓いのキスを」と言った。
マックスがヴァイオレットの腕を取る。ベールを持ち上げて、抱き寄せる。
「放して!」
「そういうわけにはいかないんだ。観念してくれ」
ヴァイオレットが目を瞑った。
その時。
「わんっ! わんっわんっわんっわんっ!」
「ぎゃあっ!」
正面から飛び込んできた小さな犬が、マックスの足に噛み付いた。
その隙に彼の手から逃れたヴァイオレットが、素早く手を振りかぶって、思いっ切り振り抜いた。
「ありがと、ストーン。もういいわよ」
ストーンは誇らしげにもう一鳴きして、走り去っていった。
ヴァイオレットはヒールを脱ぎ捨て、ベールを放り投げ、くるりと振り返ると、犬の後を追うように駆け出した。
「へぁ……ヴぁ、ヴぁいおれっと……」
「待ちなさい! ヴァイオレット!」
情けない声も、怒り狂った声も、全部教会の中に置き去りだ。
お日様の当たる下に飛び出す。
そして、
「アレク!」
「ヴァイオレット!」
待ち構えていたアレクの腕の中に飛び込んだ。
「その白いタキシード、どうしたの?」
「町の中で一番綺麗なやつを探したんだ。だからちょっと」と、彼は片足を上げてみせた。「丈が短いんだけど」
「今風じゃない。似合ってるわ」
「ありがとう。ヴァイオレット、君もとっても綺麗だ」
ストレートな褒め言葉を、ヴァイオレットは笑って受け止めた。
「さぁ、それじゃあ行こうか!」
アレクは彼女をひょいと抱き上げると、走り出した。教会の敷地の外には、豪壮で野蛮なバイクの集団が待っている。ブライアンたちだ。彼女を寝取られたのが勘違いで、それどころかすべてマックスの仕込んだことだとわかって、和解(のような何か)が成立したのだ。
「ごめんね、素敵な馬車じゃなくって!」
「ううん、この方がずっと素敵だし、大好きよ!」
「あっはは、それなら良かった!」
アレクは笑いながら、ブライアンがハンドルを握るひときわ大きいバイクのサイドカーに飛び乗った。
「よろしく、ブライアン!」
「おうよ、飛ばすぜぇ!」
エンジンが猛り、凄まじい轟音を上げてバイクが走り出す。
暴風が二人をもみくちゃにする。ヴァイオレットの髪を飾っていた花が吹き飛んで、あっと言う間に見えなくなった。
アレクはヴァイオレットを思いきり抱き締めながら、声を張り上げた。
「ヴァイオレット!」
「なに!」
「愛してる! この世の誰より、君のことが大好きだ!」
ひゅう、とブライアンが口笛を吹いた。
ヴァイオレットは顔を真っ赤に染めて、同じように怒鳴り返した。
「知ってるわ! だって私もそうだもの!」
「マジで?!」
「そうよ! アレク、愛してるわ!」
暴風吹きすさぶバイクの上で、二人は誰よりも優しい口づけを交わした。
おしまい
恋に落ちたら 井ノ下功 @inosita-kou
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