放課後の怪盗
向日葵椎
オチ怪盗
放課後、喫茶店の窓際にある席でわたしたちはおしゃべりをしていた。知的な
向かい席の青田がショートケーキを食べた後の銀紙についたホイップクリームをフォークで慎重にとっているのを見ていると、その隣の黄野がコーヒーをスプーンで混ぜながら言った。
「怪盗が必要だ」
やはり黄野。天才もとい変態的思考を持つ彼女の話は大体いきなり。
「どうしたの?」とりあえず聞く。
「名探偵黄野の活躍が求められているんだ。誰か怪盗やってくれないかな」
趣味で書いているミステリー小説の話だと思う。
「探偵は誰が」
「もちろんぼくさ」
やっぱり。
「誰かに何か盗んでもらいたいってこと?」
「今日はね、オチを盗んでもらいたいんだ」
「ウワーワカラナイヨー」
うわーわからないよー。
「名探偵の腕にふさわしい事件だよね」
「わたしはパスしたいな。青田か赤根にお願いしたいけれど……」
「じゃあ赤根君よろしく」
隣に座っているニコニコ顔の赤根が視線をケーキから上げたところで、青田が隣の黄野を見て言う。
「ん、アタシは?」
「えっと、そうだね。今日は探偵の助手になってもらうよ。青田君はどちらかといえば探偵の助手っぽいからね」
「おぅ、あいよー」手をひょいと上げる。
たぶん青田では難しいと考えたんだと思う。黄野は変態的思考を持ちながら、意外と直接的なことを言わなかったりする。優しいところかもしれないけど、まだ空腹の青田を怒らせないようにしているのかもしれない。
赤根はニコニコ顔で、
「それでは怪盗役はわたしですか……」
と少し考える間をおいてから、隣のわたしの方へ顔を向ける。
わたしが首を傾げると、
「では怪盗の助手は緑山さん、お願いします」と言った。
「怪盗の助手……どういう役なのかわからないけど、わたし?」
「はい。主犯はわたしなので心配しないでくださいね。ではよろしくお願いします」
「うん、よろしくね」
なんだかよくわからないけれど、赤根はとても頼りになる。真面目で勉強ができてわからない問題もわかりやすく教えてくれるのもあるけれど、それだけじゃない。たまに変わったことも言うけれど、こういう風に奇人黄野からの無茶ぶりがあってもいつも自然と助けてくれる。
赤根はカバンからノートを取り出して、ペンで何かを書き始めた。
その間にわたしは黄野に質問する。怪盗助手だし。
「オチを盗むってどういうこと?」
「えっと、いつもぼくらはここで話してから帰るけど、そういえば全然オチがないなって思って」
「……?」
話がわからない。
「これは怪盗の仕業に違いない、ぼくはそう思ったんだ」
「ごめんね、ちょっとわからない」
ホントはちょっとじゃないけれど。
「そこでぼく、名探偵黄野の出番なんだよ。今日はオチを取り返すぞー」
「……そっか。それで今日はどんなオチがあるはずなの?」
「わからない。それは取り返してみてのお楽しみだね」
「それ、赤根に任せてない?」
「大丈夫、赤根君ならやってくれるさ!」
「わー」
わー。
わたしは隣の赤根に言う。
「大丈夫……? 大変だしわたしが黄野の爆破オチとかにしようか?」
赤根は顔を上げて、ニコニコ顔でわたしを見た。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、できました」
「えっ、ホントに」
「はい。では探偵の皆さん、これを見てください。怪盗赤根からの予告状です。この謎が解けたらオチは返してあげますよ」
わたしたちはテーブルに広げられたノートに視線を集める。
『〇◇△□君私』
〇+◇=40
△+□=20
赤根の考えた暗号が書かれている。
記号、漢字、数字、……わたしはさっぱりわからない。
青田はフォークの先をくわえながら、
「わかった!」
えっ。
続けて、
「丸とかの記号には数字が入る。アタシはこれでも算数は得意だからね。丸とひし形には足して40になる数字、三角と四角には足して20になる数字が入る。だからその全部を足して60になってるんだよな。んで、答えは『60クンワタシ』だ!」
赤根は人差し指を立てて、
「惜しいです」
違ったらしい。でも赤根に言われずとも、『60クンワタシ』というのは答えとしてどういうものなのかわからなくて納得しづらい。
黄野は「なるほど」とつぶやきながらノートを眺めている。
わたしは赤根に言う。
「助手だけど全然わからない……。お役に立てなくてごめん」
赤根は首を振ってからわたしを見て、
「極秘ですから助手さんにも教えられないんです。すみません。でも助手さんには大事なお仕事があります」
「大事なお仕事……あるの?」
「はい。わたしを探偵から守ってください」
そう言って手招きした。わたしが少し近づくと、「もう少しです」と言うので、わたしはもっと近づく。
「これくらい、かな」
もう赤根と体がくっつくくらい近い。
「探偵の方は手ごわいので、腕を組んでくれると安心します」
「……うん」
よくわからないけれど、自分にできる仕事をする。腕を組むと肩が当たる。黄野たち探偵が急に襲ってくるかはわからない――特に黄野は予測不能だ――けど、安心すると言うのなら少しぎゅっとしておく。
そうこうしているうちに黄野が顔を上げた。
「これはよくある暗号だね。記号に当てはまる数字がアルファベットに対応しているんだろう。1ならAっていうように。それから40と20はヒントだね……わかってきたぞ」
「さすが黄野さんです」
赤根がニコニコ顔で言う。どうやら合っているらしい。
それから赤根は静かに顔をこちらへ向けた。柔らかなニコニコ顔が目の前にある。元々がそういう表情なのかはわからないけれど、考えが読めないような、優しそうな、不思議なニコニコ顔をしている。
わたしが首をかしげると、テーブルの下で赤根と組んでいた手が何かに触れる。赤根の手だ。その手がわたしの閉じていた手をそっと広げて、手のひらに指先を置く。そして筆で撫でるように指先を動かして、何かを書き始めた。
「数字……?」
手のひらの感触をもとにわたしは聞く。
「シー、ですよ。覚えておいてくださいね」
ささやくように赤根は言った。
わたしが黙ってうなずいてからも、赤根は数字を手のひらに書いた。少しくすぐったかったけれど、赤根が数字の区切りで間を置いてくれるので簡単に頭に浮かべることができる。そして赤根はすべて書き終えたらしく、わたしと目を合わせたまま静かにうなずく。わたしもうなずいて覚えたことを伝える。
そのときちょうど黄野が声を上げる。
「よしわかった! 青田君、謎はすべて解けたぞ」
青田はフォークの先をくわえながら眉間にしわを作って考えていたが、隣の黄野に呼ばれてゆっくり顔を向けた。
「先生、アタシわかんないス」
不満そうな顔をしている。さっき惜しいところまでいったからかもしれない。
「これから答えをお披露目しよう。赤根君、ちょっとペンとノート借りていいかな」
「はい。どうぞ」
探偵役は怪盗役からペンとノートを借りて、隣の青田に見せるようにしながら説明を始めた。青田は口をとがらせながらノートを覗く。
「まあ、単純な方法だけどヒントに従ってアルファベットを当てはめて、理解できる文字列ができればそれが正解ってことになるよね。だから丸が15、ひし形が25でヒント通り足して40――アルファベットはOとY。次に三角が1で四角が19でヒント通り足して20――アルファベットはAとS。それを当てはめると……」
『OYAS君私』
黄野が書き終えると青田がたずねる。
「先生、アタシまだわかんないス」
「もうちょっともうちょっと。青田君、
「えっと、
青田はユー(YOU)をオマエと覚えている。
「そうそう。それでユーはアルファベットのUに置き換えると」
『OYASU私』
青田はハッとして、
「あ、これちょっと読めるな。オヤス……ワタシ?」
「
「ほう、……じゃあアタシはアイだな? いや、マイかミーか」
「そう、ここはミーと読むとつながる」
『OYASUミー』
黄野が書いたものを青田が読み上げる。
「オヤス、ミー。……オヤスミ?」
「最後がアルファベットじゃないのは怪盗が少し甘いようだね」
そう言って黄野は誇らしげに赤根を見る。赤根はニコニコ顔のままだ。
青田は隣の黄野の方へ向いて言う。
「でもよ、だからどういうことなんだよ」
たずねられた黄野は青田とノートをゆっくり交互に見ながら、
「オヤスミっていうのは、これから寝る挨拶だろう? だから寝るオチがあるってことで寝落ちが答えになるのさ。怪盗は少しひねったようだね」
そして最後に赤根の方へ顔を向けて、
「オチは返してもらったぞ。怪盗赤根」
わたしも赤根を見る。
赤根はニコニコ顔のまま言った。
「名探偵黄野さん、まだオチは取り返せていません」
「なんだって……。これが正解じゃないのかい」
黄野が首を傾げる。
「はい。実はまだオチは決定していないんです。いえ、正確にはオチはあるんですが、それをどうするかは緑山さん次第です」
ニコニコ顔の赤根がわたしを見る。腕が少し熱いような気がした。黄野と青田も不思議そうな表情でこちらに視線を集める。
赤根の考えは知っている。あの数字だ。
わたしは赤根のノートを使って説明することにした。
「名探偵黄野はとっても惜しかった。記号に当てはめるアルファベットが違っただけで、ほとんど正解。正しくは丸が19、ひし形が21で足して40だからヒント通りになって――アルファベットはSとU。次の三角が11で四角が9だから足して20でヒント通りになって――アルファベットはKとI。それを当てはめて……」
『SUKI君私』
黄野は手を打って、
「なるほど。ぼくは丸に当てはまるアルファベットを1から順に探していって、15でピッタリはまったからそこで止めていたんだ。赤根君、キミ考えたろう。ぼくが想像力豊かじゃなかったら『寝落ち』とかいう答えは出なかったよ」
笑みを浮かべて黄野は赤根を見る。
赤根はニコニコ顔で、
「頑張りました」
あの短時間で頑張ってどうにかできる赤根には驚かされた。
「そうなると答えは『スキキミワタシ』か。好き、キミ、私……告白かい?」
「そうなりますね」
「怪盗からの告白、これは探偵としてぜひとも答えたかった。……そうか、不正解だとオチがなくなるからそれに備えて緑山君に聞くことにしたんだね。ふふん、オチを盗んでおいて代わりを用意してくれるとは探偵想いの怪盗だ」
「いえ、黄野さんが正解してたらその返答はいったん置いといて緑山さんの答えをオチにしようと考えていました」
「探偵とはわかりあえないということだね」
肩を落とす黄野。
そのとき青田が「あっ」と言い、
「これアレだ。オチとかなんとかはよくわかないけどよ、怪盗が心を盗むやつだ」
それはたしか相手がお姫様だ。
黄野がテーブルに身を乗り出し、
「たしかに。で、緑山君、どうなの。どっちでもいい感じにオチるけど」
わたしは視線を集めた。
「どちらでもいいと言われても……」
どちらも少し答えづらい気がする。嫌いだと言えばオチのための嘘でも赤根が傷つくかもしれなくて嫌だし、好きだと言うのはオチのためでも今はちょっと恥ずかしい。
好きか嫌いかで言えば……
困って赤根へ視線を向けると、優しげなまなざし。いつも通りのニコニコ顔。いつも真面目でわたしが困ったら――主に黄野の無茶ぶりから――助けてくれる赤根。
さっき手のひらに触れられた感触を思い出したとき、自分の胸の鼓動が大きなことに気づく。組んだ腕からそれが伝わってしまうかと思うと、恥ずかしい。
何を考えているんだわたしは。なんでもいいからさっと言ってしまえばよかった。少し時間ができて、ますます答えに注目されている気がする。
あれ? 何を考えていたんだっけ。考えていると視界がゆらぐ。
うー……混乱してうなりながら倒れそうだ。
口を開く「ぅ、ぁ」言葉が浮かばない。
何か、何か言おう。
そう思ったわたしの手に何かが当たった。思い出したものではない。たしかにこの手に触れている。そして今度は手を握っていた。思わず握り返す。
気づけば自然と声が出ていた。
「盗まれちゃいました」
元通りの視界に映る赤根に向かって言っていた。
「ありがとうございます」
赤根はいつも通りニコニコしていた。
青田は待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、
「よしッ、そうこなくちゃな! じゃあそろそろ帰るか」
その隣で黄野は首を振って、
「青田君待ちたまえよ。今日はオチたけどぼくはもう少し話したい気分だ」
二人ともわたしの返事を気にした様子はない。わたしが気にしすぎていただけだ。それもこれも赤根のせいのような気がしてくる。
……赤根はわたしをどう思っているんだろう。
「赤根、もう離れるよ」
青田と黄野が話すのを見ている赤根の横顔に言う。
「あの……もう少しだけ、いいでしょうか。今日は頑張ったので」
こちらを見ずに赤根は言った。
少しは表情に出してほしいところだ。
向かいでは青田を席につかせた黄野が赤根に言う。
「しかし今日の挑戦状はちょっと簡単だったなあ」
青田は黄野をヒジでぐりぐりしながら、
「間違えてただろうが」
「いてて、まあそうだけどね。でもそれは
赤根はニコニコ顔で、
「それは答えが広がりすぎてしまうので、作るのをサボったと思われそうです」
「なぁに、名探偵黄野にかかればどうということもない。まあ、今日は特別な事情でもあったみたいだから勘弁してあげよう」
そういうところに気づくのは名探偵らしい。
「なにもないですよ」
「いやだって緑山君が――」
「なにもないですよ」
ニコニコ顔からいつもより気迫のようなものを感じる。
「わかったわかった。とりあえずキミたちは一つのケーキでも食べていなさい。探偵からのお祝いとしてごちそうさせてほしい」
黄野はわたしと赤根を交互に見ながら言った。
そういえば……謎解きが終わってもこんなにくっついていれば名探偵じゃなくても何かあったとわかるかも。たぶんからかわれているけど、相手が黄野だとまったくではないように思える。
すぐに青田が、
「なに言ってんだ。お祝いじゃなくて負けの罰ゲームだろ。アタシにもよろしく」
「キミは探偵側の人間じゃないか」
「大体黄野のせいだろが。じゃあいいけど反省会するためにケーキが必要だよな」
そう言って青田は、わたしと赤根を見た。
赤根は隣で、いつも通りニコニコしている。
放課後の怪盗 向日葵椎 @hima_see
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