04

 その日はずっと、放心するように授業を受けていた。


 内容なんて頭に入っていない。


 ぼーっとしている俺は何度か叱られ、佐藤に『大丈夫か?』なんて心配されたくらいだ。


 そうして気づけば家に辿り着き、パソコン前に座していた。


 久しく起動させなかったヴァルキュリヤのクライアント。


 一ヶ月も経てば流石にアップデートもあることから、ダウンロードに時間がかかった。


 それは長くも感じたし、短くも感じた。


 パスワードを入力し、ログインをし、そしてキャラクター選択画面まできた。


 一分ほど逡巡した後、漆黒の翼シュタインハルトとして、ヴァルキュリヤへ帰還したのだった。


 キャライン後、何百どころか、何千と見続けてきた始まりの街。


 たった一ヶ月で、全てが懐かしく感じるほどのその光景。


 とぼとぼと個人露天の密集地を回りながら、かつてのように、掘り出し物がないかと漁るのだ。


 かつてはワクワクしていた露天巡りだが、今やその気持ちが色あせて、作業のようにすら感じてしまった。


『夢中になって引き込もれるの?』


 若菜の言葉が蘇る。


 この世界が色あせて見えたのは、追放騒動がもたらしたものではない。


 若菜とあったかもしれない現在。人生失敗したと思わせるほどの幻想があまりにも艶やかで、華々しき色彩で輝いていた。


 きっとその光がこの世界を照らし、築いたもの全てを虚しく感じさせたのだ。


 なんでこんなことになってしまったのか……


 そうやって呆けたようにぼーっとしていると、個別チャットが飛んできた。


「良かった。帰ってきたのか」


 漆黒の翼シュタインハルトの帰還を喜ぶ一文。


 フレンド登録から、ログインに気づいてくれたのだろう。


 一ヶ月もログインしなかった俺を、未だ待っていてくれた者がいたのかと喜んだ。が、その名前に気づいた瞬間、一気にそれは胸を締め付けるものへと変貌した。


 光輝の剣ヴァッファル。


 俺を居場所から追放した、張本人だった。


「謝りたい」「落ち着ける場所で会いたい」


 と、ヴァッファルから続けざまに個別チャットが飛んでくる。


 チャットモードで幾ばく躊躇いながらも、その申し出を受け入れる旨を返信した。


 場所は『銀狼の雫』のギルド会館。


 ヴァッファルと共に創設し、今日まで三年もの間、俺たちの城であり居場所であった。


 本来であればギルメン以外入れないが、ギルマスと副マスの承認さえあれば入場できる。


 かつて承認する側であったヴァッファルを、入場の承認する日が来ることになるとは。その内心が複雑であった。


「すまない、シュタイン! 全て俺が悪かった!」


 入場早々の第一声がそれだった。口だけではないと言わんばかりに、土下座エモーションまで使っている。


 その姿にどう応えようかと悩んでいたら、チャット欄は矢継早にヴァッファルの謝罪と言い訳、今日までなにがあったのか、で埋め尽くされ流れていく。


 ギルメンは全員仲間割れで離散。


 散々貢いだ後、自らに残った物に絶望し引退する者たち。


 それでもこの世界にしか居場所がないとばかりに、固執する者たち。だが俺を追放したことでその名は拡散されている。上級プレイヤーほど狩場や居場所などが限られるので、パーティーにもギルドにも入れてもらえない。エンジョイ勢の中級プレイヤー辺りに混ざれば、輪に溶け込むこともできただろうが、ガチ勢のプライドがそれを許さない。


 そういう意味では、ヴァッファルのような上級プレイヤーは、最早ヴァルキュリヤから孤立していた。


 語られるその内容に、目新しい事実はあまりない。


 なにせ今朝、武勇伝のように語られた内容とあまり齟齬がなかった。精々、あまりなの中身を最後まで女だと信じ、騙されていたことに気づいていないくらいか。


「シュタイン、おまえとやり直したい! また一からおまえの信用を積み上げる、懺悔の機会をくれ!」


 プライドを捨て去るかのように、ヴァッファルは全ての罪を認め許しこうてくる。


 ここまでヴァッファルが必死なのはわかる。


 もしここで俺が許し、再び元の鞘に収まれば、再び上級プレイヤーの輪に戻れるのだ。


 ヴァッファルもまた、俺と同じくこの世界に誇りと居場所を築いてきた者。俺のようにリアルを捨て、今日までこの世界に人生を捧げ続けてきたのだ。


 主導となって追放された恨みはある。憎悪もある。いい気味だ。落ちぶれに落ちぶれたその姿に、蜜の甘さすら感じていた。


 だが……ヴァッファルもまた、一人の被害者である。


 悪逆非道なネカマに誑かされ、陥れられたのだ。


 あのネカマはまさに天才にして天災。地震、台風、津波の類だ。


 家が崩れ、吹き飛ばされ、飲まれ流されたその様を、対策不足だ、自業自得だと、果たして言っていいのだろうか。


 ギルドを立ち上げる前。


 初めてヴァルキュリヤの世界に来てから、初心者同士としてめぐり逢い、今日まで苦難を共に乗り越えてきた戦友。


 再びその手を取りたいという気持ちが湧き上がる。


 そして同時に、この世界が色あせたという思いもまた込み上がってくる。


『積み上げてきた物を捨てるのが惜しいだけなら、しがみつくのは止めたほうがいいよ』


 今日まで積み上げてきたものは、ヴァッファルの友情を含めた全てである。


 もう前のように、夢中となってこの世界に引き籠もれない。


 それだけは確信していた。


『惰性で続けるくらいなら、辞めちゃえ辞めちゃえ』


 戻ってこいと、あの声が呼んでいるようだった。


 今ならまだやり直せる、と。


 世界で一番好きだったその顔を思い出し……全てを捨て去る覚悟を決めた。


 惜しいからとしがみつくのは止めよう。


 この世界から旅立つ日がついにやってきたのだ。


 ならばこの思い。


 落ちるところまで落ちた、ヴァッファルにかけるべき言葉はこれしかない。 


「ざまぁ!」


 そうして俺は、ヴァルキュリヤから永遠にログアウトしたのだ。

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