02

「はぁ……」


 歩道橋の柵へとこの身を委ね、沈んでいく夕日をただただ眺めるばかり。


 行き交う人々に不審な目で見られるのは感じていたが、それに居心地の悪さを覚えるほど、心に余裕がなかった。


 ログアウト後、しばらく放心していたら、ヴァルキュリヤのために使っていた、メッセンジャーアプリに、


『卑怯者』『逃げるな』『謝罪しろ』『ギルドを明け渡せ』『くたばれ』


 ギルメン……いや、元仲間たちからそんな旨のチャットが、通知が鳴り止まないほどにきた。


 アプリを落とすだけで解決だが、それでもそんな事態に晒されたのが恐ろしく、パソコンからも逃げるように家を飛び出した。


 だからといって行く宛もなく、後少しで晩飯である。


 いずれは戻らねばならない。


 パソコンげんじつと向き合わなければならない。


 でも、すぐに帰る勇気がわかず、ダラダラダラダラ夕日に黄昏れるなんて免罪符を行使しているのだ。


 ……死にたい。


 ついそんな思いが胸の底から湧き上がる。


 ヴァルキュリヤは俺の誇りであり、居場所であった。


 それがこんなくだらない形で取り上げられ、築き上げてきた全てを失った。


 例え死ぬ勇気がなくとも、ここから身を投げ出せば楽になるのでは、という思いばかりが駆け巡る。


「はぁ……」


 そうして俺は、ため息ばかりついているのだった。


「エータ」


 そんな何十回目かもわからぬため息に、返事をするかのように中村栄太を呼ぶ声がした。


 ビクリとした。


 エイタ、ではない。ハッキリとエータと発音された。


 幼き頃からそんな発音で俺を呼ぶのは、たった一人だけ。顔を見ずともそれが誰であるかはわかった。


「どうしたの、そんな今にも死にそうな顔して?」


 村中若菜。俺の名字をひっくり返した、生まれたときからのお隣さんであり幼馴染であった。


 学校帰りなのか、制服姿のまま。


 同じ高校に通いながらも、その制服姿を真正面からまじまじと見たのは初めてだった。


「あ……いや」


 喉が意味ある音を鳴らさない。


 言葉がなにも出てこない。


 恥ずかしいところを見られたからではない。まともに言葉を交わさなければいけない状況になったのは、実に……何年ぶりだろうか?


 生まれたときからいつも一緒だったお隣さん。


 ヴァルキュリヤに出会うまでは、毎日のように言葉を交わした幼馴染。


 恋や愛も性欲もわからぬ無邪気な頃、風呂やベッドを何度も共にしてきた女の子。


 それが気づけば、俺たちの間には大きな隔たり、人間格差ができていた。


 男女問わない幅広い交友関係を築き、成績優秀であり、そして誰もが憧れん美少女だ。


 自由時間のほぼ全てをネトゲに費やしてきた俺とは、世界ランクがまるで違う。


 だからだろう。いつしか俺は、若菜からの接触を避けるようにすらなっていた。名前を呼び合うどころか、言葉も交わすことなく、その顔を見つければしれっと背けて逃げ続けてきた。


 若菜もそんな俺のことを、いつしか視界に入っても追うような真似はしなくなった。


 妹とは仲良しではあっても、今の俺たちは他人といっても過言ではない。


 幼馴染だなんて過去の称号は、今日まで俺と若菜を結びつけることすらなくなっていた。


 それが今日、どういうわけか。


 視界にたまたま入った幼馴染に、若菜が声をかけてきた。


「……なんでもない」


 気まずさから逃げるように、また沈んでいく夕日へと視界を戻す。


 今更どんな顔をして若菜と相対したらいいかわからない。


 俺の粗雑な態度に「そう」とだけ口にして、若菜はそのまま立ち去った。


「ん」


 そうなることを期待していたのに、その気配は俺の横へと並び立つ。


 改めて若菜を視界に入れると、なぜか学園指定の鞄を突きつけてきた。


 一体なにをしたいのか。そう首を傾げようとすると、


「持って」


「は?」


「荷物持ち」


 一方的にそんな役目を押し付けてきた。


 なぜ若菜の荷物持ちなんてしなければならないのか。


 そう思う暇もなく反射的に鞄を受け取ってしまうと、若菜はそそくさと歩道橋を降りていき、俺と鞄を置き去りにしていった。


 若菜の背中と鞄。その二つをしげしげと見て、「ああ、もう……!」なんて独り言を口にしながらその背中を追いかけた。


 若菜に上手く乗せられ、彼女の思惑通りに動いてしまったのだ。


 若菜の隣を歩むことはない。


 女性は男より三歩下がって歩くべし。


 今の時代SNSでそんなことを呟けば、すぐに炎上すること間違いなし。まるでその火災を恐れるかのように、俺はその逆をやっていたのだ。


 お互いなにも音を発することなく、俺はとぼとぼとその背中についていく。


 この無言を気まずいと感じているのは俺だけか。


 若菜が今どんな顔をしているのか。いつものすました顔だろうか。


「それで、なにがあったの?」


 そんな中、付き従うこちらを振り返りことなく、なんともなさ気に聞いてくる。


「……なにも、ない」


「絶対に嘘。なにもなかったら、エータは今頃ネットゲームに引きこもってるもの」


 家でもなく、部屋でもなく、ネットゲームに引きこもる。


 言い得て妙なその表現を、今は笑える気力はない。


「それで、なにがあったの?」


 若菜はそうして同じセリフを繰り返す。


 今日までの俺たちは、ほぼ他人のように生活してきた。なぜ今頃になってこうもしつこいのか。これでは俺の悩んでいることなら意地でも聞き出す、かつての幼馴染の姿ではないか。


 なぜ今更、とばかりにこっちも意地が湧いてきた。


「カナ……村中には関係ない」


「はっ?」


 それは決して大きな音ではない。けれどその圧についビクリと肩を震わせてしまった。


 付き従ってから初めて、若菜はその顔を覗かせた。


「なにそれ?」


 信じられないものを見たかのように若菜は眉根を寄せている。


 これだけ心配してやっているのに、なにが関係ないだ。


 と、そう憤ったのかと思ったが、それは違った。


「勝手に距離を置いて、勝手に避けて、勝手に逃げ回って、ついに辿り着いた勝手がそれ? ……ほんと、信じらんない」


 若菜は昔から、怒るときは大きな声を上げたりしない。だからといって怒らないわけではなく、その静かな怒りは、大声で喚かれるより圧力を発し、そして恐ろしい。


 そして今の若菜は、俺が知る中で最も憤っている。若菜の怒り歴代ランクの中で、ぶっちぎりの一位である。


 関係ない呼ばわりに憤ったわけではないのはわかった。


 よりにもよって、俺の口から村中呼ばわりされたのか気に食わないのだ。


 俺がなにより悪いのはわかっている。


 言い訳の仕様がないほどに。


 ジッとこちらを見据えてくるその視線に耐えきれず、逃げるかのように目を逸らしてしまった。


「……はぁ」


 いたたまれない時間が流れる中、若菜から漏れ出す大きな大きなため息。


「私さ、てっきりエータと結婚するものだと思ってたよ」


「え……?」


 今の若菜から出てくるとは思えない、とんでもない発言にビクリとした。


 逸らしていたこの目は再び若菜を捉える。


 そこにあったのは、照れるでもなく、はにかむでもなく、微笑むでもない、いつものすました顔。いや……ほんと現金なやつ、と言っているようにも見えてきた。


「だってそうでしょ? いつもベタベタするように一緒にいて、あるのは良い思い出ばかり。バカみたいな思い出はいっぱいあっても、悪い思い出は一つもない。だからエータのことは好きだったし、エータだって私のこと好きだったでしょ?」


 問いかけのようでありながら、否定は許さんとばかりの圧。


 いたたまれず俺は、ついまた逃げの一手を打ってしまった。


 そうだ。若菜のことが好きだったし、漠然とした将来、ずっと一緒にその隣を歩いていくものかと考えていた。結婚なんて言葉に当てはめるのは恥ずかしかったが、きっと、俺もそんな未来が当たり前にくるものだと信じていた。


「一緒の道に進んで、一緒の景色を見て、一緒の体験をして、一緒の未来を望んでいくんだなって。ずっとエータが隣にいてくれるんだと信じてたし、エータ以外の隣にいたいなんて考えもしなかった」


 かつての日々を、まるで惜しむかのように若菜は語っていく。


 幼き日ならともかく、今の若菜からそんなかつての幻想が紡がれ、身の置き所がない想いが胸の底から湧き上がってきた。


「ここまでがリップサービス」


 調子に乗るな静かにしろ、とばかりに若菜は人差し指を口元に置いた。


「今のエータの隣は絶対に嫌だ」


 品定めをするかのように、下から上までしげしげと見てきた。


「頭はボサボサだし、眉も無造作で不細工だし、メガネもダサいし、おばさんも適当に選ぶしかないから服だって変。その靴を買ってきてもらったのはいつ? おしゃれをしろとまでは言わないけど、清潔感くらいは大切にしないとさ。後、その猫背もきもい。成績だっていつも赤点寸前。おばさんがいつもそれに嘆いてるし、それ以上に友だちがいないんじゃないかって心配されてるのわかってる? ほんと、こんなだらしない男が初恋だったなんて……私の人生最大の汚点だね」


 次から次へと辛辣に事実を指摘され、身が縮こまっていく。


 例えそれが真実だとはいえ、若菜が言っていることは腸が煮えくり返り、つい手を出しても仕方ないくらいの、強烈なまでの罵倒である。


 そうならなかったのは、人間格差と同じくらい、若菜が我が家に通じているからだ。家同士の付き合いなので、ヴァルキュリヤに引きこもり続けてる息子以上に、家族の皆が若菜に信頼を置いている。


 つまり若菜になにかをすれば、我が家から居場所がなくなるのだ。今の俺はサンドバック。一方的にいたぶられるしかないのである。


「それで、なにがあったの?」


 そして若菜は三度目となるその問いかけを投げてきた。


 抵抗する気力は既に失い、恥ずかしい身の上話を訥々と俺は語り始めた。


 一ヶ月前に加入したギルドの姫、あまりな。


 そんな彼女に夢中となり、彼女を囲う男たち。


 このままではよくないとあまりなを注意したら、なぜか俺が人非人のごとく、彼女を罵ったことになっていた。


 そのことを槍玉に挙げられ、ギルドの皆がこぞって俺の敵に回り、ついにはギルドを追放された。……いや、ギルドは明け渡していないから、ある意味逆追放みたいな状態か。


 どちらにせよ四面楚歌には変わりない。


 今日まで積み上げてきた誇りと居場所が、女一つで失われてしまった。


 話をしている中、一度も若菜は口を挟むことなく、聞き届けてくれた。


「ほんと、バカみたい」


 そして聞き届けた末の感想がこれだ。


 ガックリと肩を落とす。


 自分の隣から去っていってまで、人生を捧げ続けた末路がこれか、と。まるで咎められ、バカにされ、ざまぁ見ろと嘲笑われているようで。ただただいたたまれなかった。


「エータさ、私のこと担いでないよね?」


「担ぐ?」


「だってそうでしょ。そんなにバカな男たちが、普通この世にいると思う? 全員揃いも揃って、なんでそこまで綺麗に手玉に取られるかな」


 すましたその顔が、そんな生物がこの世にいるなんて、と呆れているように見えた。


 どうやらバカと言ったのは、俺ではなく、俺を追放した奴らのことを指していたらしい。


「どういうことだ……?」


「天然で無知で無邪気なところに庇護欲が掻き立てられる。これ、ただの養殖だから。そのキャラ付けは全部計算。そんな女に騙され手球に取られるとか、バカ以外なにものでもないね。題目『バカな男たち』と額縁に飾れるくらいバカだよ」


 バカだバカだと言う若菜。


 あまりなはネットに疎い初心者プレイヤーだ。世話を焼く中で、ポロっと漏らされ名前から、あまりなの中身は女だと皆が言った。


 でもこれが、計算だった?


「自分は女です、とハッキリさせないところは上手いかもね。会話の中から匂わるだけで、女だと決めつけたのは男のほう。もしかしたらさ、ただ丁寧なだけで男とも女ともつかない喋り方だったんじゃない?」


 そうだ。あまりなは敬語を扱っていただけ。一人称も常に自分であった。


 男か女か。どちらかに当てはまるような会話も、あえてボカしていた気がする。


 あの元ギルメンたちも、いくらなんでもそこまでバカではない。最初から自分は女です、と宣言する相手はネカマだと警戒する。


 女であることを隠している中で、女かもしれない、いいや女だと決めつけたのは自分たちである。心の内に眠る願望と欲望を、あまりなは計算ずくで呼び覚まし、煽っていたのかもしれない。


 ガクリと再び肩を落とす。


 そんな奴に誇りと居場所を奪われたことに。


「ま、手玉に取られなかった分、エータはまだマシかもね」


 と、まるで慰めのようなお言葉がかけられた。


「それで、エータはこれからどうするの?」


 また、それで、という形で若菜が問うてくる。


 どうするの。


 漠然としたそれに込められた意味をわからぬほど間抜けではない。


 こんな目にあいながら、再びヴァルキュリヤへ引きこもるのか。


 もしくはこのまま、ヴァルキュリヤから足を洗うのか。


 その二択を聞かれているのだ。


「俺は……」


 だが、俺はそれをハッキリとさせれない。


 たった四年間、されど四年間。


 これからの人生を決定づけるのに、充分なほどの時間をヴァルキュリヤに捧げてきた。簡単にそれを捨てられるほど、ヴァルキュリヤは俺にとって小さなものではない。


 けれどヴァルキュリヤの仲間たちは俺を捨てた。女一つで全員が全員、おまえは追放だと迫ってきたのだ。


 ヴァルキュリヤをもし止めたところで、俺はどうすればいいのだろうか。


「こんな目にあいながら、まだしがみつきたいの? 今までのように、夢中になって引きこもれるの?」


 夢中になって引き込もれるのか。


 その言葉が深く胸に突き刺さる。


「エータの人生だし、好きにすればいいけどさ。積み上げてきた物を捨てるのが惜しいだけなら、しがみつくのは止めたほうがいいよ。惰性で続けるくらいなら、辞めちゃえ辞めちゃえ」


 次から次へと、全くもっての正論を叩きつけられる。


 そう、捨てるのが惜しいのだ。


 四年間という人生を捧げ、積み上げてきた物を手放すのが。


 だってもしここで捨てたら、俺の四年は意味がないものになる。若菜たちがこの現実で積み上げてきた格差から、もう目を逸らせなくなる。


 それでも惰性でヴァルキュリヤを続けたところで、この現実ではなにも積み上がらない。


「今ならまだ、間に合うと思うよ」


 振り返ることなく、若菜はそう言った。


 今ならまだ間に合う。


 なにが間に合うのか。


 ……俺たちの関係が?


「真面目に勉強して、いい大学に入って、そこでまた真面目に勉強して、必死になっていい会社に入って、必死に働いて、その中でいい相手を見つけて子供を育んで……って。そんな社会が用意した人生モデルに、まだ間に合うよ」


 だがそれは否であり、あくまで人生を取り戻せるというだけだった。


 そんな人生の、なにが楽しいだろうか。


 社会に貢献する。それこそが人間に与えられた幸せだと言わんばかりの、つまらない人生モデルだ。


「そんな人生は嫌だ? つまらない? 社会が用意してくれたレールから外れたい? もっと楽でインスタントな幸せがあるんじゃないかって、他に道を探してみる? 言っとくけど、レールから外れた人間に社会は厳しいから」


 説教臭い。俺と同じ歳だというのに、まるで見てきたかのようだ。


「実際エータは今、厳しいでしょ?」


 ……いいや、見てきたのか。隣の家にいるサンプルがあるから。


 学校という場に置いて、俺はレールから外れかけている。休まず通いこそすれど、学校に適応しているとはまた別だ。


 交友関係は二人一組になりなさいが辛いほど。誰もが楽しみにしているだろう修学旅行なんていきたくない。勉強なんてしないからいつも赤点ギリギリで、教師に咎められるのを俯いてやり過ごす日々だ。


 学校に通うのは息苦しいから、ヴァルキュリヤに引きこもりたい。


 それが俺の置かれている状況であり、若菜の言う通り厳しいのだ。


 そんな俺からヴァルキュリヤを取り上げれば、それこそなんのために生きているかわからなくなる。


 きっと居場所もなく、息苦しく、そして厳しいの先に、命を断たんとする選択がやってくるのかもしれない。


「だから捨てるべきものを捨てて、真面目に勉強することからやり直したほうがいいよ。楽しいだけに引きこもってきたエータには辛くて厳しいかもししれないけど、ま、それはやってこなかったツケだね。自業自得」


 キリよくそこで、俺たちは我が家の前に辿り着いた。


 話は終わりだとばかりに、若菜は俺の手から鞄をあっさりと回収した。もう俺から興味を失ったとばかりに、あっさり門柱の向こう側へと姿を消していった。


 少し呆然とした後、若菜にならおうとしたら、


「エータ」


 門柱の影からひょっこりと、若菜は再びその顔を覗かせた。


「今のエータの隣なんて絶対ごめんだけど……ま、死んだら泣いちゃうくらいには、まだ好きだよ」


 口元がうっすらと緩んでいるその様に、胸がドキリとした。


 そして調子に乗るなよ釘を刺すように、人差し指を口元に置いた。


「リップサービス」

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