第142話「時代の余所者と遭難者」

 シグ、トライシオス、女将。

 宿屋号の三人は柩計画を阻止することに決めた。

 外法の精霊艦はあと少しで完成するらしい。

 急がねばならない。


 さて、どうやって阻止するかだが……

 ここでシグが挙手した。


「実は、陸軍派から支援を要請されている」


 先日、イナンバークが老衰により亡くなった。

 これにより陸軍派は大きな柱を失い、海軍派が勢いを完全に取り戻すだろう。

 陸軍と海軍が昔の力関係に戻るのにそれほど時間はかからない。


 そこで陸軍派から支援要請があった。

 海軍と研究所の横暴を許し続ける王家を打倒し、共和国を建国する。

 よって帝国軍の支援を要請する、と。


 元々、彼らに革命を焚き付けたのはトライシオスだったが、いまは事情を知るシグが引き継いでいた。

 連邦が表に出るわけにはいかないからだ。

 陸軍派がシグに助けを求めてきたのはそのためだった。


 そこで、だ。


「リーベルを滅ぼそう」


 シグはずっと考えていた。

 なぜ杖計画などという邪悪な計画がリーベルで生まれたのだろうか?


 答えは、魔法王国だからだ。

 イスルード島に住む人々は魔法を第一に考えている。

 ゆえに優秀な魔法使いが生まれやすいが、賢者たちを生み出す土壌にもなり得る。


 賢者たちを滅ぼしただけでは足りなかった。

 雑草のようなものだ。

 地上部分を刈り取っても、時間が経てばまた生えてくる。

 杖計画の後に柩計画が生えてきた。


 滅ぼすべきは賢者たちを生み出す土壌、イスルード島の魔法そのものだった。


「では、どうやって魔法を滅ぼす?」


 大水門の堅牢さはよく知っているはずだし、ウェンドア沖の魔法艦隊も本来の数に戻っている。

 しかも全艦、対空訓練を積んでいる。

 どうするのか?


 トライシオスの指摘は尤もだった。

 だが、シグは魔法艦隊とも大水門とも戦うつもりはなかった。


 ウェンドア攻略戦は奇襲といいつつも、敵に正面から突っ込んでいく正攻法だった。

 今回、正攻法はとらない。


「まずは陸軍派の求めに応じて——」


 帝国海軍兵をウェンドアへ送り込む。

 小竜隊ではなく海軍兵を送るのは、竜を見せたら騒がれるからだ。

 魔力砲で撃たれないよう、静かに入港したい。


 兵漕船がウェンドアに近付くと警備艦隊に止められてしまうが、大臣や指揮官たちは買収済みだ。

 無傷で上陸できる。


 上陸したら陸軍派改め革命軍と協力して王国を倒す。

 だが、その後の革命軍の政府とも長く付き合うつもりはない。


 奴らはイナンバークとは違う。

 旧市街の地下道でネレブリンの精霊の前に身を晒すような気骨はない。


 彼が生きていたら、他国の兵を迎え入れはしないだろう。

 今回の革命も時期が到来したのではなく、追い詰められてのことだ。

 そんな連中は信用できない。


 よって、後から革命政府も滅ぼす。


「その後は……」


 シグの言葉が急に濁った。

 陸軍派が将来、革命を企てるように育ててきたのはトライシオスだ。

 大臣や海軍の高級軍人を買収してきたのも彼だ。

 なのにイスルード島に帝国旗を立てるのは、彼の手柄を横取りするようで気が引けたのだ。


 ——相変わらず律儀な男だ。


 トライシオスはクスッとした。

 宰相になっても変わらない友が微笑ましかった。


 連邦は中立的立場だ。

 どうせ他国を直接統治したりはしない。

 だから、


「気にせず、帝国が統治するといい」


 と励ました。


 ただ、〈老人たち〉が帝国の統治を黙って見守りはしないが……

 王国滅亡後、すぐに反乱軍を育てて帝国軍にぶつけてくるはずだ。


 トライシオスは恐れていないが、元老院は成長著しい帝国軍を恐れている。

 帝国軍がイスルード島を占領しに行けば、〈老人たち〉も安心するだろう。

 帝国の目を南から東へ向けることに成功した、と。


 三人の話し合いは終わった。

 リーベル王国を滅ぼし、その後の革命政府も滅ぼし、帝国領とする。

 そして多すぎる魔法使いを減らしていくのだ。

 他国と同水準になるまで。


 シグとトライシオスはまだ打ち合わせることが残っているが、女将は船長室へ引き揚げた。

 二人に「お手柔らかに」と言い残して。


 イスルード島の魔法第一主義が魔法使いの増長を招き、その後の悪事に繋がっていった。

 その通りだ。


 根を断つには、多すぎる魔法使いを減らすべきだというのは正しい意見だと女将も思う。

 思うが……


 どうやって減らしていくのかといえば、やはり魔法使いへの弾圧だろう。

 二人は、あの島に住む人々の意識を変えるには、それくらいの荒療治が必要だと考えている。


 彼女は反対したかったが……

 シグが帝国の最高権力者であることはもちろんだが、トライシオスも執政職を王太子に譲った後も元老院の実質的支配者であり続けている。

 この時代の主人公ともいえる二人だ。


 対する彼女は時代の余所者。

 杖計画のときとは違う。

 感情抜きで考えた結果、余所者が例外的に介入すべき点は見つからなかった。


 占領計画は支配欲から出たものではない。

 欲どころか、懲りない魔法使いの欲でまた世界が危険に晒されることがないようにと願っての計画だ。

 二人は老いてなお〈集い〉の一員だった。


 だから何も反対せずに席を離れた。

 二人の決断に口を挟むことはできない。

 ただ……

 思い上がった魔法使いたちだけを弾圧することはできないだろう。

 必ず善良な人々も巻き込む。

 いくら〈根〉を断つためとはいえ、人々の犠牲が大きすぎるときには彼女が〈集い〉を止めなければならないかもしれない。


 それゆえの「お手柔らかに」だった。

 善良な市民たちの犠牲が最小限で済むよう「お手柔らかに」と。


 そして〈集い〉の一員が同じ一員を止めるというのも妙な話だが、犠牲が大きすぎると感じたら〈余所者〉であることなど気にしない。

 そのときは女将ではなく、ロレッタ卿として手合わせ願おう。


 お手柔らかに——

 それは、手合わせ前にかける軽口としての「お手柔らかに」でもあった。



 ***



 シグとトライシオスが宿屋号から帰国後、占領計画が実行され、リーベル王国は滅亡した。


 世界最強を誇った魔法艦隊の指揮官たちは金に弱く、小竜隊の猛攻を凌いだ大水門は味方の裏切りに弱かった。

 帝国軍を乗せた兵漕船は巡回艦の横を素通りできたし、大水門を通過する時も門の魔力砲は沈黙したままだった。


 そして上陸に成功。

 議会派と協力してウェンドアを制圧した。

 全島制圧もそれほど時間はかからなかった。


 リーベルが強かったのは敵を近付けさせなかったからだ。

 それがいまは屈強な帝国兵たちが至近距離にいる状態だ。

 詠唱の完成より早く斬り伏せることができる。


 新しい国名は『リーベル共和国』

 議員たちは新しい時代が始まったと目を輝かせているが、その時代とやらがやってきたのは帝国軍の協力のおかげだ。

 共和国を独立国として承認したのも帝国だ。

 シグは帝国の属国となったリーベル共和国に二つの見返りを求めた。


 見返りの一つ目は、両国の絆を深めるためにリーベルの姫が帝国の皇族に嫁ぐこと。

 議長の娘等、重要な姫君を帝国に預けてもらう。

 要するに人質だ。

 ただ……


 正直、シグたちにとってはどうでも良かった。

 どうせ、王国滅亡からそれほど間を置かずに共和国も滅ぼすつもりなのだから。


 にも拘らず人質を求めたのは、共和国政府を安心させるためだ。

 求めに応じて人質を渡したから大丈夫だと安心させておく。


 帝国は、駐留軍と称して島内各地に兵を配置したかった。

 特に騎兵を。

 その時間を得るための人質だった。


 だから人質が議長の娘ではなく旧王家の姫君だったことに、不満は述べなかった。

 共和国政府が差し出したのは、エルミラという姫だった。


 革命時、頑なに逆らった罪で王族の身分を剥奪するところだったらしいが、彼女への処分をやめさせて王族のまま帝都へ送ることになった。

 皇族に嫁ぐ者が平民では釣り合いが取れない。


 人質については問題なし。

 問題は、二つ目の見返りだ。

 王国海軍の技術を帝国に提供してもらう。


 こちらはリーベルの魔法を挫くための措置だ。

 一歩も譲れない。


 最初、共和国政府は紛糾したが、最終的には要求を呑むと議決された。

 だが、奴らが引き渡したものをありがたく受け取るつもりはない。


 人質を出せと迫ったら、重要人物でも何でもないエルミラ王女を出してくるような連中だ。

 きっと旧式魔法艦の技術だろう。

 そんなもので誤魔化されはしない。

 議決されるやいなや、直ちに帝国兵は研究所と工廠を制圧した。


 帝国兵がそのまま警備についたので、これでもうリーベル人が好き勝手に研究することも邪悪な計画をすすめることもできない。

 柩計画を阻止できる。


 ……と思っていたのだが、遅かった。

 件の可変精霊艦は完成していた。

 海軍の高級軍人でも立ち入り禁止の研究所工廠で、静かに出撃のときを待っている状態だった。


 最新鋭艦の艦尾のプレートにはこう記されていた。

〈ファンタズマ〉と。



 ***



 ファンタズマ号が完成していた……


 シグは柩計画を阻止するのが遅かったかと焦ったが、ウェンドアからの報告では一隻しかなかったという。

 二隻、三隻、と量産が始まる前に押さえることができたのだから、ギリギリで間に合ったのだ。


 落ち着きを取り戻し、人質の姫と一緒にその最新鋭艦も帝都へ回航させるよう命じた。

 ラーダに調べてもらう。


 仕組みを解明して帝国海軍で量産しようというのではない。


 柩計画書にあった〈死霊魔法〉や〈不死身〉という記述から、物騒な外法の艦だということはわかる。

 だからこのまま普通に解体しても危険はないのかを、魔法使いのラーダに見極めてもらうのだ。


 問題ないとわかったら、すぐに解体だ。

 ところが……

 ラーダから報告を受けたシグは頭を抱えてしまった。


 トライシオスの助力がいる。

 正確には、魔法先進国ネイギアスの力が必要だ。


「ほう、常日頃から外法の容疑が消えない我が国の力を?」


 巻貝からトライシオスのふざけた声が流れてくるが、シグは付き合わない。


「ロミンガン国王陛下にではなく、〈集い〉のトライシオスに頼んでいるのだ」


 友の声が只事ではない。

 国王の書斎で寛いでいたトライシオスは姿勢を正した。


「聞こう。何があった?」


 促されたシグは説明を始めた。


 ラーダの報告によると……


 帝都に着いたファンタズマ号を早速調べたところ、魔力砲を始めとする甲板の呪物兵装からは危険を感じられなかった。


 甲板から艦内へ下りていく。

 可変精霊艦というだけあり、各精霊を定位させておく部屋が複数あった。

 その中に他とは雰囲気の違う魔法で施錠された扉があったので、解除して中に入った。

 すると……


 その後の説明をするシグの声が苦い。


「部屋の中央に水晶の柩があって、一人の少女が眠っていたそうだ」

「水晶の柩……なるほどそれで『柩計画』というのだな。そして——」


 そして、おそらくはその少女がファンタズマ号の心臓部なのではないか?


「!」


 トライシオスの推測の鋭さにシグは驚いた。


「……ラーダも同じことを報告してきたよ」


 少女の胸が上下動しているので、生きていることは確認できたが、ラーダはそこでやめた。

 柩の蓋を開けることなく、そのまま退艦した。


 施されている術があまりにも高度すぎて、下手に開けたら何が起こるかわからない。

 この艦を作った人間に尋問したいところだが、革命が終わったとき、ワールダインの姿はなかった……


 ラーダは素直に自分の手には負えないと報告してきた。

 わかったのは、少女が艦の心臓部なのではないかということだけ。

 柩から艦内各所に向かって管が伸びていた。

 まるで人間の血管のように。


「……なぁ、シグ」


 トライシオスは提案した。

 そんな訳の分からない艦は、小竜隊の一連撃で木端微塵にすれば良いではないか、と。


「その少女はまあ……気の毒ではあるが、これまでに私たちが流してきた血の量を考えれば……」


 気にするほどでもあるまい。

 と明言するのはさすがに控え、最後は濁した。


「トライシオス……」


 彼とは、執政時代からの永い付き合いだ。

 濁した部分がどんな言葉だったのか推知できる。

 また、彼が酷い発言をするときは、言葉と本心が裏返しであることも知っている。


 暫しの沈黙の後、シグは答えた。


「それでは、かつての賢者たちと同じになってしまう」


 シグは今日まで流してきた血に後悔はしていない。

 いや、後悔していた時期は正直あった。

 何か方法があったのではないか、と。


 しかし、そんな甘い方法を模索していたら、その隙に娘も皇子も血の海に沈められていたことだろう。

 だから彼は流してきた血を振り返ったりはしない。

 大切なものを守るために、流さざるを得ない血だったのだ。


 さて、柩の少女についてだが、流すべき血ではないだろう。


 確かに〈集い〉としては、ファンタズマ号を跡形無く消し去りたい。

 けれど、それは少女を殺しても止む無しという意味ではない。

 まだ何の悪さも働いていないのに……


 いま艦諸共少女に小竜の連撃を撃ち込めば、己の都合のために流すべきではない血を流した賢者たちと同じではないか。


「あの少女は〈原料〉にされた人たちと同じだ。柩から解放すべきだ」


 だから魔法先進国ネイギアスの力を借りたい。

 とはいえ〈老人たち〉は信用できない。

 よって、トライシオスに心から忠誠を誓っているロミンガンの魔法使いを頼りたい。


 シグは最後に「どうか頼む」と締めくくった。


「……戯れが過ぎた。すまない、シグ」


 詫びた後、トライシオスは少女の救出から解体までを引き受けた。

 但し、ファンタズマをロミンガンには持ち込まず、彼直属の魔法使いを密かに派遣してピスカータ基地でやることになった。


 なぜなら、ロミンガンは連邦の首都であり、そんなところへリーベルの最新鋭艦が来たら目立ってしまう。

 その点、ピスカータなら帝都からもロミンガンからも離れているので、密かに作業を進められる。


 シグに依存はない。

 少女の救出は、外法に詳しいネイギアスの力で行われることになった。



 ***



 帝都沖の東——


 ファンタズマ号解体に向けて、ロミンガンとピスカータで準備が整っていく……

 そんなある日、帝都沖を東へ進み、もうすぐセルーリアス海西部に入る辺りに宿屋号はいた。

 甲板ではレッシバルと女将が寛ぎ、二人の傍でフラダーカが翼を休めている。


 先頃、レッシバルは教官を引退することができたが、まだ院長業に専念できずにいた。

 いまは院長兼竜騎士だ。

 普段は院長だが、女将から救援要請が入ると孤児院の庭からフラダーカに跨り、東の海へ飛び立つ。


 女将からの救援要請とは、大頭足の撃退だ。


 無敵艦隊滅亡後、各国海軍を抑え込むことにリーベルが注力した結果、以前ほど〈庭〉が守られなくなっていった。

 それにつれて、大頭足の被害が増えていく。

 宿屋後の馴染客の交易船も追われることがあった。


 真下からいきなり襲いかかられたら一溜りもないが、後方から追いかけられた場合は、巻貝で女将に助けを求めることができた。

 彼女は現在地を聞き、最寄りの戦える馴染客に救援要請を出す。

 帝都沖ではレッシバルだった。


 フラダーカは現在も海軍竜騎士団の小竜だが、特例でレッシバル専用の騎竜として自由を認められていた。


 勝手?

 仕方があるまい。

 その背をレッシバルにしか許さないのだから。


 今日も女将の誘導に従って要請を受けた地点へ飛ぶと、確かに船が大頭足に追われていた。

 大物だった場合は急降下で威力を増す場合があるが、今日の個体はそれほどではなかった。

 急降下の必要はなしと判断し、水平飛行からの溜雷をお見舞いして追い払った。


 終わったら、近くに来ている宿屋号を見つけて着船し、フラダーカを休ませる。

 鞍に〈撃退の印〉を刻んで孤児院へ帰る、というのが現在のレッシバルの生活だ。


 鞍は印だらけ……

 老いても竜将レッシバルは健在だった。


「お疲れ様、院長先生」


 女将は一仕事終えた彼にお茶を注いで労うが、レッシバルは彼女から僅かな悩みの気配を感じ取った。


「何かあったのかな? 女将」

「ちょっと……ね」


 と苦笑いを浮かべた。

 彼女には悩みがあった。

 リーベル共和国から帝都へ送られた旧王家の姫君についてだ。


「エルミラ王女か」

「ええ、その姫様のことなんだけど……」


 エルミラ王女は海軍魔法兵団団長だったという。

 ただ、彼女が団長として活躍したという記録はない。

 当然だ。

 いつの頃からか、団長は王族か大貴族がその地位を占有するようになり、安全な団長室に飾られるだけの存在だったのだから。

 彼女も代々の団長同様にお飾りだった。


 ところが革命が起き、リーベル軍各部隊が次々と降伏していく中、彼女は兵団の指揮を執って議会派と帝国軍相手に抵抗した。

 その理由は、革命側の一部が市民相手に略奪を始めたからだという。


 しかし多勢に無勢。

 最後は降伏に追い込まれたが、それまでには略奪者共の成敗も完了していた。

 彼女は市民を守ったのだ。


「面白い姫様だな」


 レッシバルは感心した。

 もし姫様が目の前にいたら、酒場で一杯奢ってやりたくなる武勇伝だ。

 そして、それは女将も同じらしい。

 つまり、


「でしょう?」


 彼女はエルミラ王女に興味が湧いていた。


 ところが、王女は帝都の宮殿に閉じ込められている人質だ。

 心情的には救出して差し上げたいが、身柄が陸にあるので海の宿屋号では手が出せない。


 ——時代の余所者というのが口癖なのに、随分と気に入っているようだ。


 彼女の言う通り、王女は海で遭難しているわけではないのだから宿屋号の出番はないだろう。

 でも現代の人間に興味が湧くのは良いことだ。

 女将だって現代に生きているのだから。

 世の人々より少し長生きしているだけで、時代の余所者なんかじゃない。


 レッシバルは、女将の話を微笑ましく聞いていた。



 ***



 ファンタズマ号回航の準備は順調だった。

 ロミンガンの術士たちもピスカータへ渡る用意が整っていた。

 その矢先——


 エルミラ王女がファンタズマ号を奪って帝都から脱走した。


 夜の出来事だったが、日が暮れてすぐだったこともあり、城壁守備隊や多くの市民たちに目撃されてしまった。

 まるで幽霊船のようだった、と。


 追撃した第二艦隊のガレー二隻も沈められてしまい、もはや脱走艦として討伐するしかない。

 ……というのが海軍総司令官ザルハンスの公式見解だ。


 しかしこれは本音ではない。

 本国とイスルード州の全艦隊に討伐命令を発した後、巻貝で女将に語った話こそがザルハンスの本音だった。


「お手上げだ。何とかしてくれ、女将」


 連絡を受けたトライシオスは面白そうに笑っていたというが、シグはカンカンに怒っている。

 いい歳して小娘に下心を抱いたテアルード七世陛下に、ファンタズマ号を奪ったエルミラ王女に。


 少女の救出準備をすべて台無しにされた上、公然とガレー二隻を沈められた。

 これらの出来事が、ついさっき一斉に起きたのだ。


 シグの決断は早かった。

 このまま外法の艦を自由にさせておくわけにはいかない。

 王女の指示に従って外法の力を発揮するなら、不本意だが少女も〈流すべき血〉だったか、と。


「帝都からもウェンドアからも離れたセルーリアス海で、脱走艦を撃沈せよ!」と宰相から命じられたら、海軍総司令官としては従う他ない。


 でもザルハンス個人は沈めたくない。

 ガレーの撃沈は、柩の少女の本意とは思えなかった。

 エルミラ王女が眠ったままの少女から力を引き出して悪用したに違いない。


 いや……もう王女ではない。

 海賊だ。

 海賊エルミラだ。


 悪いのは女海賊であって、眠っている少女ではない。

 シグの言う通り、女海賊は討伐すべきだが、気の毒な少女は当初の予定通りに救うべきだ。


 そこで、女将の出番だ。

 ファンタズマ号を保護してほしい。

 神出鬼没な宿屋号と行動を共にしていれば、討伐艦隊に捕捉されることはないだろう。

 その間にシグを宥める。


「頼んだぞ、女将!」


 と、総司令官は元気よく女将に頼んで通信を終えた。


「……すごいわね、レッシバル。あなたの予想が当たったわ」


 通信が終わった巻貝を見つめながら、女将は先日のレッシバルの言葉を思い出していた。


 彼は帰り際、フラダーカに跨りながら意外な予想を口にした。

「王女とは、海で会えるかもしれないぞ」と。


 宮殿から一歩も出られない囚われの姫君がどうやって?

 女将にしてみれば当然の疑問だ。

 それに対して、レッシバルは自信を持って答えた。


「勘だよ。あの小娘、他人に強いられた運命を大人しく受け入れるようなお利口さんではないな」


 数日前、彼は宮殿の廊下でエルミラ王女とすれ違っていた。

 孤児院への寄付の御礼を述べにシグを尋ねたのだが、その帰り道でのことだった。


 彼女は前後を兵士に挟まれ、両手首には魔法封じの手錠が掛けられていた。

 伏し目がちで、トボトボと元気がない。


 道を譲って見送った後、彼は思った。

 あれは絶対に逃げる気だな、と。


 なぜなら、もし同じ立場なら彼もそうするからだ。

 観念した振りをして、相手の油断を誘う。

 全身から諦めの気を漂わせていたが、目の光は消えていない。

 彼女は必ず脱走する。


 一瞬、宰相執務室へ戻ってシグに忠告しようかと思ったが、やめた。

 脱走の話はあくまでもそう感じただけだ。

 根拠を求められても説明できない。


 それに、いまはもう王国としても共和国としても〈リーベル〉を滅ぼした後だ。

 亡国の姫君など、人質としての価値はなくなっている。

 帝国にもシグにも無用の人間のはずだ。

 彼女が帰りたいというのなら、帰らせてやればいいのだ。


 宮殿から脱走した後は、定期船に潜り込んでイスルード島へ帰るつもりだろう。

 まだそこが〈リーベル〉だと信じて……


 だからレッシバルは女将に「海で会えるかもしれない」と告げたのだった。

 そして予想は見事的中した。

 エルミラ王女は宮殿から脱走し、海へ逃れた。

 但し、定期船ではなく、リーベルの最新鋭艦だったが。


「さて、どうしようかしら」


 海図を眺めながら、女将は思案を始めた。


 海図にはファンタズマ号の予測進路が書き込まれている。

 東ではなく、南へ向かうつもりらしい。


 帝国の馴染客からの情報を纏めると、帝都沖から真っ直ぐセルーリアス海横断ではなく、ネイギアスのどこかの都市で補給してからイスルード島を目指すつもりのようだ。


 ということは、向かう先がロミンガンなら良いが、他の都市だった場合〈老人たち〉に艦を取り上げられる虞がある。


〈老人たち〉の力なら、外法の艦を研究し、量産できてしまうだろう。

 そうなれば、この外法の艦隊が第二の模神になりかねない。


 女将は〈集い〉の一員だ。

 それだけに難しい。

 ファンタズマ号をネイギアス海に入らせるわけにはいかないが、時代の余所者が直接保護に乗り出すことは、深入りし過ぎることにならないか?


 そこまで考えていたときだった。


「あら?」


 女将はあることに気が付いた。

 ファンタズマ号には拠り所がないのだ。


 帝国では敵対行動をとったのでシグが許さない。

 よってイスルード州政府も宰相閣下の命令通りに動くだろう。


 島では解放軍が立ち上がったというが、伝わってくる評判はすこぶる悪い。

 そんな奴らが最新鋭艦を手に入れたら、悪用しかしないだろう。


〈老人たち〉は全く信用できない。

 トライシオスは信じても良いが、ロミンガンは目立つ場所なので保護は無理だと彼自身が認めている。


 追手のガレーをやっつけて出航したのは良いが、ファンタズマ号には帰るべき母港がなかった。

 いわば——

〈遭難者〉のような立場だった。



 ***



 ネイギアス領海の北、朝——


 宿屋号は、ファンタズマ号の行く手を遮るように突然現れた。

 空間転移だ。


 このまま南下すると〈老人たち〉の手に落ち、エルミラ王女も世界も危険に晒される。

 そうならないように時代の〈遭難者〉、ファンタズマ号を救いにやってきたのだ。


 驚いたファンタズマはその場でピタッと急停止した。

 ……普通の艦船は急停止などできない。

 なるほど確かに最新鋭艦は異常だ。


「じゃあ、行ってくるわ」


 給仕たちに後の用意を任せると、女将はボートに乗り込んだ。

 そして水面へボートが下されていく。

 これからファンタズマへ行ってくる。


 王女は追撃から逃れてきたので、気が立っているに違いない。

 刺激しないよう、一人で行って声をかけてくるのだ。


 水の上にボートが下りるとフックを外して漕ぎ出した。

 ファンタズマからも近付くボートが見えているだろう。

 魔力砲で撃たれないと良いが……


 一応、用心はしている。

 魔力砲から発砲の気配がしたら、一瞬で宿屋号の甲板に空間転移する。

 いつでも魔法を発動できるように備えている。


 ただ、その心配はないだろうと考えていた。

 王女は革命の混乱の中で、略奪者から市民を守った。

 血と興奮に呑み込まれて殺戮に走る人物ではない。


 遠目に、ファンタズマの甲板からこちらを見ている大人の女性と少女が見えてきた。

 大人の方がエルミラ王女だろう。

 少女の方は柩計画の……


 離れているのに、二人からの警戒心がボートまで届いてくる。

 まあ、仕方があるまい。

 誰だっていきなり巨大な双胴船が現れ、ボートが近付いてきたら警戒する。


 王女にとって、まだ女将が敵か味方かわからない状況だ。

 しかしその手に武器はない。

 やはり、いきなり撃ってくる野蛮人ではなかった。


 安心しながら漕ぎ続け、ファンタズマの傍に辿り着いた。

 お互いの表情がよく見える。


「私はロレッタ——」


 あの双胴船〈ロレッタの宿屋号〉の船長、そして女将だ、と波と風に負けない大きな声で名乗った。


 対するエルミラも負けていない。

 女将を上回る大きな声で、


「その女将が私たちに何の用だっ!?」


 女将の用、それは王女を宿屋号へ招いてこれからについて話し合うことだ。


 帝都から命からがら逃げてきたのだろうから、補給が必要なのは艦だけではあるまい。

 乗っている人間にも食事が必要だ。


 いまは朝だから、一緒に朝食を囲みながら話すというのはどうだろう?

 エルミラ王女だけでなく、少女も一緒に。


「私の船に来て、朝食でもどうかしら?」


(了)

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ファントムシップ 〜アレータの竜騎士〜 中村仁人 @HNstory

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