第39話 ここからまた

 桜の満開は例年に比べて遅く、新学期が始まった頃にようやく景色を彩りはじめた。春風が運ぶ蜜のにおいが足取りを軽くし、開け放たれた窓からは心地よい陽ざしが頬を撫でていく。


 肩甲骨を通り過ぎた髪をヘアゴムで束ね、鏡の前で背筋を伸ばす。キリッと眉を尖らせるが、威厳、なんてものはなかった。変な顔。


 一番上までボタンを締めて、リボンの位置を直す。


 これで大丈夫かな? 


 いろんな角度から自分の顔を覗く。


「あ、こんなところにいた。白玉しらたまさん、部活行かないの?」


 鏡の端っこに顔が映った。


 今年から同じクラスになった上田うえださんと。


「そんな必死におめかししてどうしたー? ははーん、さてはおぬし、デートじゃな?」


 河原かわはらさんだった。


「で、デートは今週末、じゃなくて。えっと、今日は部活見学の日なんだし、ビシっときめなくちゃって思って」


 鏡の前で張り切るわたし。


 上田さんと河原さんは顔を見合わせて困ったように笑っていた。


「でもよくここがわかったね?」

「いろ様に聞いたら絶対ここだって言ってたからさー」


 ちなみに、いろ様というのは彩葉いろはちゃんのことだ。上田さんと河原さんと彩葉ちゃんはクラス替えの初日からすでに打ち解けていた様子で、休み時間になると何故か毎回わたしの机の周りに集まった。


「そうなんだ。彩葉ちゃんすごいな・・・・・・」


 今頃自慢気に胸を張ってそう。簡単に想像できた。


皆川みなかわも入ればいいのにねー部活」


 トイレを出て、上田さんがそんなことをこぼす。仲もいいし、もしかしたら吹部に入ってもらいたいのかもしれない。彩葉ちゃんがいたら、たしかにもっと楽しいんだろうけど。


「彩葉ちゃんは今バイトが楽しいって言ってたから、たぶん部活はやらないんじゃないかな」

「バイトが楽しい? 働き星人だなぁ」

「っていうよりも、最近バイトの人と仲良くなったみたいなんだ。昨日も駅で待ち合わせして一緒に帰ってたよ」

「えー、脈あり気な話。気になる」

「そういうんじゃないとは言ってたけどね」


 でも、なんだかここのところ彩葉ちゃんは楽しそうだし。わたしに協力できることがあればなんだってするつもりだった。


 部活も・・・・・・ちょっとくらい休んでもいい。彩葉ちゃんにはそれくらいのお返しでも足りないくらい、応援してもらったから。


 階段を登ると、時々一年生とすれ違う。わたしより背は高いけど、なんとなく一年生かな? ってわかってしまう。なんでだろう。


「そういえば白玉さん聞いた? あたしら自分のパートに戻ることになったから」

「え!? そうなの!?」

「ありゃ。上様。この反応、初耳っぽいですよ」

「あの先生忘れっぽいからなー。本人には直接伝えておくって言ってたんだけど。あと上様言うな」

「あはは持ちネタ炸裂~」

「ネタじゃないわ!」


 小気味よく繰り広げられる上田さんと河原さんのネタ・・・・・・って言ったら悪いか。漫才? ええと、ってそんなのどうだってよくて!


「じゃあフルートって今のところわたし一人ってこと!?」

「そういうことになるね」

「なりますな」


 そ、そんな・・・・・・!


 このまま秋のコンクールまでわたし一人だったら、すっごい目立っちゃうよ!? 


 さすがに去年よりは上手になったし、曲も最後まで吹けるようにはなったけど・・・・・・!


 バレないように小さな音で演奏する? いやいや! それじゃあ他の人に悪いよ。じゃあやっぱり覚悟を決めるしかない!?


 むりむり! せめて一人か二人、隣にいてほしい・・・・・・!


「お、白様が焦ってる」

「今回の部活見学で、一年生を何人か勧誘できればワンチャンあるかもねー」

「ふ、二人は本当にもうフルートしないの? あんなに上手だったのに」

「あたしはやっぱり弾く方が好きだし」

「そろそろ大太鼓叩きたくなったので」


 二人がフルートに戻ってきてくれる可能性はあんまりなさそうだった。


「それに白玉さん、もう一人で大丈夫そうだし」

「うむ、白様ならなんとかなる。し~んぱ~いないさ~」

「スパルタだ!」


 崖から落とされるライオンの子供の気分を味わう。


 そんな話をしている間にも音楽室に着いてしまう。


 じゃあ頑張ってと二人が自分のパートのところへ向かっていく。


 わたしは部屋の隅でぽつんと一人、フルートを抱えて椅子に座った。


 で、でもフルートって結構人気な楽器だよね? 心配しなくても、大丈夫だよね?


 チャイムが鳴ってからしばらくすると、一年生がぽつりぽつりと音楽室に入ってきた。


 基本的に二人組で、話しぶりからすると経験者がやはり多いようだった。


 何組かがトランペットの方へと吸い込まれていく。


 それからコントラバス、チューバ、チューバ、チューバ。あれ、低音人気がすごい。


 メロディがやりたいって人が多いから低音は最終的に第二志望的な感じで選ばれることが多いんだけど。


 雲行きが、怪しい。


 フルートを吹くフリをしながら、辺りを見渡す。一時間ほど経って、一年生はすでに試奏させてもらうところまできていた。


 わたしはいよいよ、危機感を抱き始めた。


 ど、どうしよう。このままじゃ、本当に覚悟決めなきゃいけなくなっちゃう!


 そんなことを考えていたとき。ふと、窓際にいる一人の女の子と目が合った。


 身を縮めて、所在なさげに立っている。雰囲気から、経験者ではないのかなと思った。でも、音楽は好きで、始めてみたい。


 踏み出したいけど、まだ踏み出せずにいる。はじめてばかりの不安とワクワクでいっぱいな春の景色。


 わたしは気付けば、その子の元に駆け寄っていた。


「フルートに、興味あったりする?」

「え?」


 その子はびくっと震えて視線を落としたあと、控えめに頷いた。


「そう!? ならはじめてみない? 大丈夫、最初は大変だけど、覚えたらすっごく楽しいから!」

「え、えっとえっと」


 その子はすっかり緊張しきっている様子で、顔色もあまりよくなかった。


「それにほら」


 わたしはフルートを立てかけて見せる。


「なんだかキリンみたいでしょ?」

「あ・・・・・・」


 その子はフルートをじっと見つめて、微かに微笑んで言った。


「はい」


 笑ってくれた・・・・・・!


 なんだかわたしまで嬉しくなってしまう。


 一人で部活見に来るのって気まずいし、恥ずかしいよね。でも、高校に入ったら頑張るぞって気持ちもあって、いざ現場に来てみると、やっぱり尻込みしちゃうよね!


 わかる! わかるよー! と心の中で共感する。


 わたしが手招きすると、その子はちょこちょこ後を付いてきてくれた。


 まだおどおどしているようだけど、ちょっとずつフルートの良さを教えてあげようって思った。そのためには、わたしが上級生らしく頑張らないと・・・・・・!


「ん~?」

「わ! びっくりした!」


 と、顔をあげたすぐ近くに見知らぬ顔があって、わたしはつい椅子から落ちそうになってしまう。


 棒付きの飴を咥えたその子はわたしの顔を見定めるような目つきで見てきた。


 うわあまつ毛長! すごい上向いてる。お化粧上手だな・・・・・・ってこの子もしかして一年生?


 椅子から転げ落ちそうなポースのまま、わたしは固まる。


 これじゃどっちが上級生かわからなかった。


「やっぱり、やっぱり前見た人じゃん!」

「ふぇ?」


 なんのことかわからずに力の抜けた声を出してしまう。


「クリスマスの日、イルミのカップルシートで女の人と手繋いましたよね!? あたしこの目でばっちり見たっすよ!」

「え!?」


 その子は元からキラキラした目を更に輝かせて顔を近づけてきた。


「うわー本当にいるんだー! ってあたしすっげードキドキしちゃったんす! センパイとあの人ってどういう関係なんすかー!? あの人ってこの高校の人なんすかー!?」


 ものすごい勢いだった。


 な、なんだろうこの子。部活見学、じゃないのかな。


「え、えっと・・・・・・付き合ってるよ」

「うわー! マジっすか! 相手は同い年っすか!? 年上っぽかったすけど!」

「今は大学生だよ」

「大人のレンアイじゃないっすかー!」


 お、大人・・・・・・なのかなぁ? 定義は曖昧だった。


「あ、センパイフルートなんすか?」

「うん。そうだよ」

「じゃああたしもフルートでいいや」

「え? 入ってくれるの!?」

「もち! そんかわし、いろいろ話聞かせてくださいよー!」


 思わぬ形で新入部員を獲得してしまった。


「馴れ初めとか聞きたいっす! どっちから告ったんすか!?」

「え、ええ!? 馴れ初め!?」

「なになに? コイバナ?」

「センパイ大学生と付き合ってんだってー!」

「えー! 大人じゃん!」


 やっぱり大人なの!?


 気付けば話を聞きつけた他の一年生もわたしの周りに集まってきていた。


「聞きたいですー白様ー」

「おー、あたしらにも聞かせろー」

「あれ!? 増えてる!」


 あろうことか上田さんと河原さんまで乱入して、これから朗読会でもやるかのようにわたしは囲まれていた。


「え、ええー」


 どうしようって隣を見る。


 窓際にいたあの子も、目を輝かせてわたしを見上げていた。


 う・・・・・・。


 そんな目で見られたら、断り辛いよ・・・・・・!


「早く早く!」


 他の人はどうしてるんだろうって周りを見ると、試奏はすでに終わっていてスマホをいじったり、連絡先を交換したりで親睦を深める会のようなものになっていた。


「えっと、じゃあ。ちょっと長くなっちゃうかもしれないけど・・・・・・それでもいいかな」


 わたしは椅子に座りなおして、フルートを膝の上に置く。


 視線を感じてちょっと恥ずかしいけど、その金色に輝く星々はなにかを信じてやまない純真な光を帯びていて、なんとかそれに応えてあげたいと思った。


 急かされるように囃し立てられて、あわあわと口を開く。


 二度目の春。ただ今年は去年とは違い、鮮やかな桜が咲いていた。


 その違いがなにを意味するのかは、まったくさっぱりわからないけれど。遅咲きだろうが早咲きだろうが、咲いてしまえばみな等しく美しいのだと知ることはできる。


 深く息を吸う。


「それじゃあ」


 コホンと咳払い。


 過去の思い出をなぞるように。 


 辛かったこと、苦しかったこと。


 それから楽しかったことと嬉しかったこと、幸せだったことを。


「これはね」


 みんなに聞かせてあげよう。


「だめだめなわたしが、憧れの先輩と付き合う話」

 

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だめだめなわたしが憧れの先輩と付き合う話 野水はた @hata_hata

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