雨宿りの天使

甲乙いろは

ep.1

シャッター街と化した商店街に私は一人佇んでいた。

酷い雨で、傘を持ち合わせていない私は天蓋のあるこの商店街で雨宿りをさせてもらっているのだ。

そこで、一人の男に出会った。


…見た目はまだ若い。二十代前半といったところか、彼は私に声を掛けてきた。

「こんにちわ、雨宿りッスか?」

男は、衣服についた雨を二、三振り払いながら尋ねてきた。

(…ナンパかな?)

「えぇ、まぁそうですね」

「今日の天気予報で雨が降るなんて言ってました?もう、パンツまでぐちょぐちょッスよー」


初対面の相手にグイグイ距離を詰めてくる。

本来、私はこの手のタイプがあまり得意ではない。

しかし、どういう訳か目の前の彼にはそれほど苦手な感じはしない…何というか、爽やか。そして、どこか懐かしいような…不思議とそんな印象を受けた。


「確かに、今朝の天気予報では、今日は7月上旬の陽気って言ってましたね」

「もう最近の天気予報なんて、星占いくらいに思っておいた方がいいかもしんないッスね」

「フフ…確かにそうですね」

「なかなか止みそうにないッスね…」

彼は、商店街の天蓋の隙間から見える薄暗い空を見上げて言った。


少しの沈黙の後に彼は静かに口を開いた…


「信じてもらえないと思うんスけど、

…実は僕、不老不死なんスよ」


どうやら、彼はここに来るまでのどこかでお酒を飲んでいたんだな。と思った。

…あと、これはナンパではない!とも思った。


どうせ雨はすぐには止まないだろう。

暇つぶしに酔っ払いの与太話に付き合ってみようと、その時の私は、そう思った。

「フフフ、本当ですか?その話、詳しく聞かせてもらえますか?」

「昔、ちょっとしたイタズラをしたら、神様の逆鱗に触れちゃって、天界を追放されちゃったんスよ。いわゆる、【堕天使】ってヤツですね」

「だ、堕天使…ですか」

酔っ払いにしては、面白い話だな。と思い私は少し目の前の自称『堕天使』の彼に興味を持ち始めた。

「昔はね、その辺にゴロゴロ居たんスよ?この地上へ堕ちて人間になってしまった堕天使が、…あー、そういえば、地上よりも更に下へ堕ちて、悪魔になっちゃった奴もいたなぁ…」

淡々と喋る青年の話は、私の好奇心を刺激した。

「じゃあ、今は人間ってことですよね?」

自分で口に出して言うと、とても滑稽な質問をしているなと思った。

彼は指をパチンと鳴らしてこう言った。

「そこなんスよ!どうやら神様はそれだけじゃあ気がすまなかったのか、僕をこの地上で一番重い刑の【不老不死】にしたんスよ〜」

「したんスよ〜って」

呆れる私の顔を見て、彼はこう続ける。

「信じてないでしょ?ホントなんスよ?」

そう言いながら、おもむろに胸のポケットから折り畳み式のナイフを出した。

私は、前のめりになっていた身体を少し後ろに引いた。

彼は器用に片手でナイフを操り、自分の左胸に突き立てた!

私は、頭の中が真っ白になった。


目の前で何が起こっているのかを判断するのに時間がかかった。

すると、彼は何もなかったように薄笑いを浮かべながら…

「へへへ…血が出ないんスよ〜、痛覚も無いから痛みも感じないんス」

胸からナイフを雑に抜き取ると私に見せてくれた。確かに血なんて付いていない。

「ど、どういうトリックですか?」

「どーやら、まだ信じてないようですね?」

彼は上着を脱ぎ左胸を見せてくれた。

ナイフの刃の形に縦に3センチ程の穴が空いている。

その穴は、私に見られているのが恥ずかしい。といったようにゆっくり閉じていった…そして、最後には綺麗に元に戻った。

「どうっスか?これで信じてもらえました?」

信じろと言う方が無理である。

「そのナイフを見せてもらえますか?」

「危ないから気をつけて下さいね」

と彼は言って、私の手にナイフを寄越した。

私は、ナイフの切っ先を左手の人差し指の腹でスッと滑らせた。

「ちょ、ちょっと、危ないっすよー」

人差し指には何の変化もない…と思っていたら、思い出したように赤い縦筋が入り、そこからゆっくり鮮血が吹き出し、痛みも後から追っかけてきた。

「このナイフは本物なんですね…」

と私が言うと。彼はポケットからハンカチを取り出した。

「だから、気をつけてって言ったでしょ?傷が残らないといいけれど…」

言いながら、ハンカチを私の人差し指にクルッと巻いてくれた。


昔、母に同じ事を言われた事があった様な気がした…その時も今と同じ様にハンカチを傷口に当てて…


そんな出来事を…ぼんやり思い出した。


「…あぁ、どうもありがとう」

「血が止まるまでグッと押さえておいて下さいよ」

彼は非常に手際よくハンカチを指先に結びつけた。

「ハンカチを汚してしまって、ごめんなさい」

「そんなのいいッスよ。こっちにも非がありますから」

「ひとまず、あなたのお話を信じるわ!疑ってごめんね。」

私は、彼の話の続きが聞きたくて、自称『堕天使』の不老不死の話を受け入れた。

「それにしても、どうして不老不死が重い刑になるの?いつまでも若くいれるし、死なないなんて、私なんかは少し羨ましいくらいよ?」

彼の顔色が少し曇った…様な気がした。

「それは、あなたが不老不死になった事がないからそう思うんですよ」

今度は、挑発的なイタズラっ子のような顔でこう言った。

「実際になってみたら、今と同じことが言えるのかな〜?」

「例えば、どんな苦悩があるの?」


彼は、少し上を向いて、何かを思い出すよう言った。

「そうですね…心を許した友だちが……みんな居なくなっちゃうんですよね〜」

彼の顔は、泣きそうに笑っていた。

「それが一番辛いですよ。だから重い刑なんですよ」


私は、彼の言葉から自分の身の周りの人に置き換えて、想像してみた。

大好きな自分の家族、

古い付き合いの気心知れた友人、

恋に落ち、愛を教えてくれた恋人、

給湯室で上司の悪口を一緒に言い合う同僚、

いつものお店で会う常連客の飲み仲間…


もし、私が【不老不死】になったら、みんな私よりも先に歳を取り、いつかは私よりも先に逝くのだ。


「それは確かに辛いね…」

「へへ…辛いっしょ?」

彼は笑いながら言った。

「でもね、人より長く生きてると、歴史が変わる瞬間とかに立ち会えたりすることもあるんですよ!楽しいこともいっぱいありますよ」

「例えば、どんなこと?」

「今で言う…イギリスに住んでいた時があったんスよ!そこにアイザックって友人がいて、僕はそんなに仲良くはなかったんですけど、ある日僕が、りんごの木からりんごを取ろうとしている所をアイザックが見てたんですって…」

「それって、もしかして、ニュートンの【万有引力の法則】の話?」

「あ、そうっスよ。僕、その時にりんご…落としちゃったんスよねー」

私は驚いた。

しかし彼は、頭をポリポリ掻きながら、軽い口調で言っている。

「それは、歴史的な瞬間ね」

「でしょ?アイザックもありがとうって言ってきたんですけど、その時はピンときてなくて、例のりんごの話は後から知ったんですよ。あ、コレ…オレだ!って」

「面白いね、他には何かあるの?」

「…んー、色々ありますけど、すぐに思い出せないなぁ…生きてきた時間が長いですからね〜」

少し考えてから、

「あ、ジョージの話があったな!」

「ジョージ…」

「アメリカのバージニア州に住んでた時。僕は庭師の見習いをしてたんスよ。その屋敷の子が僕に懐いちゃって、とっても仲良くなったんスよ」

その子が、ジョージか…

「庭に立派な桜の木があって、その屋敷の主人が桜の木をすごく大切にしてたんですけどね、僕のイタズラ心に火がついちゃて…」

と、そこまで聞いて、とても嫌な予感がした。

「斧で切り倒しちゃったんですよねー」

やっぱり…

「なんてことを…」

「でも、見習いの僕が切り倒したのがバレたらクビになってしまうからって、まだ幼いジョージが僕を庇ってくれたんスよ」

ジョージ…桜の木…!

それって、まさか…

「結局、その立派なジョージ君はアメリカ合衆国の初代大統領になったんスよ」

普通の人はアメリカ合衆国建国の父こと、ワシントン大統領をジョージ君なんて呼べない。いや、呼ばない。

「フフフ。面白い話ね。でも、そんなことばかりしてちゃ、また神様に更に下に落とされて、今度は悪魔になっちゃうわよ」

彼は、自分の鞄から何やら取り出しながら、

「そんなー、ひどいなー、こんな僕だって、たまには良いこともするンスよー」と言った。


手には、女の子の人形を持っている。


ーーその人形を私は見た事がある。

私がまだ幼い頃に、父が私に買ってくれたのだ。

いつも一緒だったその人形の靴の裏に覚えたばかりの字で自分の名前を書いた。

外で遊ぶ時も、お風呂に入る時も、寝る時も、いつもその人形と一緒だった。

あの時も…

母と近所の大きな公園へ遊びに行った。その日は、何かのイベントでピエロが風船を配っていた。私は母に風船をねだり、赤い風船をピエロから貰った。片方の手で風船と人形を持って、もう片方の手は母と繋いで歩いていた。

突然、後ろから風に煽られ、風船を手離してしまった。咄嗟に私は母の手を離し風船を追いかけた。

その瞬間、一台の車が私に向かって走ってきた。

風船を追いかけるのに夢中だった私が車道に飛び出してしまっていたのだった。

運転席の男性の顔までハッキリ見えたが、身体が固まってしまって、私はその場から一歩も動けない。

次の瞬間、私の小さな身体は大きな腕の中に収まり、景色がぐるぐると回った。

何が起きたのかわからなくなって、私はただ泣いていた。

母が慌てて駆けつけ、私を抱える大人の男の人に何度もお礼を言っていた。

その男の人はこう言った。

「痛くなかった?ちょっとお顔、擦りむいちゃったね…傷が残らないといいけれど」

母がハンカチで私の傷口をグッと押さえた。

私は助けてくれた男の人に何かお礼がしたくて、宝物の大好きなあのお人形を渡したのだ。

私は、泣きながら

「助けてくれて、ありがとう。これ、あげる…」と言った。

男の人は少し困った様な顔をして

「いいの?大事なお友達なんでしょ?」と言った。

泣きじゃくる私の代わりに母が応えた。

「その人形はこの子の大切な宝物なんですが、この子なりに助けて頂いたお礼がしたいんだと思います。もらってやって下さい。」

「そうですか」

男の人は少し考えてから

「だったら、僕もこのお友達を大切にするよ」

男の人は私に優しく微笑みかけながら言った。ーー


ハッキリと思い出した!


気がつけば、私は泣いていた。

涙で滲む目の前にあの時と同じ、

私に優しく微笑む彼の顔があった。


そして、私の頭をそっと撫でながら…

「傷が残らなくてよかったね…マリちゃん」と言った。


「…リア…です」

私は泣きながら言った。


「え?」

彼は聞き取れなかったようだ。


「マリアです。私の名前…」


彼は私の手の中にある人形の靴の裏を見た。

「だって、ここに【マリ】って書いてあるよ?」

「もう…片方の…靴に…【ア】って…書いて、ある…」


「あ、ホントだ…ふふふ」

彼は優しい声で笑った。

つられて私も一緒に泣きながら笑った。

二人で笑っていると…


商店街の天蓋から日が差し込んできた。

どうやら雨は止んだようだ。

「雨止んだみたいですね」

「うん、もう雨宿りはおしまいかな」

そう言って彼は歩き出す。


「またね、マリアちゃん…」

彼は背中越しにそう言った。

「あの…いつかまた、会えますか?」

考えるよりも先に言葉が自然に出た。


彼は振り返り、悪戯っぽく笑って言った。


「会えるよ。なんたって僕は【不老不死】だから」


そう言って。もう振り返る事なく去っていった…


ーーその日から私はハンカチを2枚持ち歩くようになった。

指に巻いて貰ったハンカチをいつか返せる日を楽しみに待っている。

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