第10話
俺は巨大な木々の生い茂る森を歩いていた。真昼間だというのに枝葉に日光が遮られて辺りはほんのりと薄暗い。行く先に道はなく、地面から太い木の根が所々顔を覗かせており非常に歩きづらい。それでも歩を進めるうちに、目の前に密集する細い木々が現れた。背の低いそれらの木々はまるで何かを隠すかのように、先へ進むのを拒むかのように立ちはだかっている。
木々をかき分けながら俺はどんどん奥へと進んでいった。腕や顔を枝に引っかかれながらもなんとか潜り抜けると、遠くの方に洞窟の入り口が見えた。俺は服に付いた葉や汚れを払ってから歩き出す。しかし、少しばかり歩いたところで人影が目の前に現れた。
「やっぱり、ここに来ていたのか」
そう言って俺の前に立ちふさがったのはカトレアだった。
「あー……。カトレアには俺の居場所が分かるんだっけ?」
彼女の顔を見た俺は気まずくなって頭を掻いた。
「正確には分からないが、君の印に流れる魔力を辿れば方向とか距離はなんとなく分かる。でも、それに頼らなくても君が今日ここに来ることはなんとなく読めていたよ」
カトレアは腕を組んで俺に対面した。おそらく、昨日の時点で既に気付かれていたのだろう。思わせぶりなことを言って彼女の注意を引きつけてしまっていたのかもしれない。
「この先に進つもりなら、私は魔女として、この地の呪いを抑えるものとして、君を通すわけにはいかない」
そう言うカトレアの眼には確かな意志が宿っていた。その顔を見た俺は冷や汗が背を伝うのを感じる。
「……やっぱりそう言うよな。だから黙って来たんだけど、気付かれてたんならしょうがないか」
俺は動揺を感じられないように溜息を吐きながらそう言った。
「けど、今回ばっかりは俺だって譲れないんだ。通してくれ」
俺はカトレアと正面から対峙して目を合わせた。今は自分がどれだけ本気であるのか、彼女に何としても伝えなければならない。
「自殺願望があるなら、悪いが別の方法にしてくれないか?」
「生憎、死ぬつもりなんてさらさら無いさ。あの呪い、俺には効かないからな」
俺が自身気に放った言葉にカトレアは怪訝な表情を浮かべた。
「冗談……ではないようだね。どこからその自信が湧いて来るんだい?」
そのカトレアの言葉に俺はにやりと笑みを浮かべる。
「『この世界に生まれた全ての人を殺す呪い』だったよな。俺はこの世界で生まれたわけじゃない。転移してきただけだ」
カトレアは目を見開くが、すぐに怪訝な表情に戻った。
「そんな薄弱な根拠で、君は数多の人間を殺した呪いの元へ向かうのかい?」
カトレアは俺の言葉に少しの可能性を感じたようだが、それでもなお懐疑的な目で俺を見ていた。
「ああ、そうだ。俺はここの呪いを死んでも解いてやる。まあ、死なないけどな」
「そんな……。どうしてそこまでするんだ? 君の言う通り君は元々この世界の住人じゃないだろう。それなのになんで……?」
カトレアは明らかに戸惑いを浮かべた顔で俺に尋ねた。普段のカトレアであれば呆れて一笑に付すところかもしれない。だが、今のカトレアにはそんな余裕はなさそうだった。
「カトレアは俺の命の恩人で、かつ俺に居場所をくれた。だから、君をここに縛る呪いから解放したい。君からもらった命を君のために使おうと思っただけだ。そんな理由じゃだめかい?」
俺はそう言って硬い表情を解いた。そんな俺の顔を見たカトレアの表情は徐々に憂いを帯びていく。
「嫌なんだ……」
カトレアの口からぽつりと言葉が零れる。
「もう独りは嫌なんだ……。もし君に死なれたら私は……」
カトレアの声にも眼にも先程のような強さはなく、今にも泣きだしそうな表情を隠すように俯いた。
「大丈夫、絶対に死なない。君を独りにはしないさ」
俺はカトレアを安心させられるようにはっきりとした口調で言い切った。彼女は俺のことを心配してくれているのかもしれないし、自身の管理する呪いで死者が出ることを憂慮しているのかもしれない。何にせよ、俺が無為に死ぬことで彼女を悲しませるわけにはいかない。絶対に呪いを解いて生きて戻ってきてやる。
「……必ず戻ってきて」
カトレアは俯いたままぽつりと呟いた。その声は非常に弱々しいものであった。
「ああ、任せとけ」
俺はすれ違いざまにカトレアの肩にぽんと手を置いて洞窟へと歩を進めた。
カトレアと別れた後、俺は洞窟の前まで辿り着いた。ぽっかりと開いた入り口の奥には深い深い闇が覗いており、まるで巨大な生き物が大口を開けて待ち構えているようだ。その様子に俺は思わず身を強張らせる。しかしながら、カトレアにあんなこと言って来た手前、ここで怯んでいるわけにはいかない。俺は意を決して洞窟に足を踏み入れた。
洞窟の中には闇が満ちており、奥に進んで入り口から差し込む光が届かなくなると完全に視界を奪われてしまった。
俺は腰からナイフを抜いて少しだけ魔力を流し込む。すると、刀身から青白い光が放たれて僅かながら視界を確保できた。だが、見通しがきかないことには変わりない。俺は慎重に、着実に奥へ奥へと進んで行く。
洞窟の奥へと歩を進めるごとに、徐々にだが確実に辺りの空気が肌寒くなってきているように感じる。だが、俺の背中や首筋には緊張からか大粒の汗が伝っていった。周囲はひりつくほど静かで、自分の鼓動や息遣いがうるさく感じられるほどだ。この奥に信じられないほど凶悪な呪いの元があると思うと、どうしても恐怖心が俺の心臓ににじり寄ってくる。おまけに、真っ暗闇の洞窟というシチュエーションもさらに恐怖を煽ってくる。俺はそんな感情を紛らわせるようにナイフを握る手に力を込めた。
しばらく歩いているとパキッという音と共に何かを踏んだ感触が足の裏に伝わってきた。
「――っ!」
俺は危うく情けない声を上げそうになって奥歯を食いしばった。足元に目を落とすと、そこにあったのは風化しかけた白骨であった。俺が踏んだ骨がどの部位の骨なのかは分からないが、そのすぐそばに人間のものと思しき髑髏が転がっていた。
「くっ!」
俺は骨を踏んでしまったことに罪悪感を覚えながらも足を進める。どうやら、奥へ行くほどに地面に落ちた骨の量が増えているようだ。俺は骨を踏まないように気をつけながらも足を速めた。辺りに転がる骨に、正直俺はかなり怖気づいていた。それでも、俺は自分の気持ちを奮い立たせて先へと進んで行った。きっと、立ち止まったら進めなくなる。だから、脚だけは止めちゃいけないと。
骨の散らばる道を進んで行くと、空気の感じから広い空間に出てきたような気がして辺りを見回した。相変わらず辺りは真っ暗だが、先程まで照らせていた側壁や天井が見えなくなっていた。ナイフを持つ手を伸ばしながら恐る恐る歩きまわると、不意に骨でも壁でもないものが照らされた。近づいて見ると、それは黒に近い紫色のような色をした棒であった。物干しざお程度の太さの棒が地面に垂直に刺さっており、その周りには魔法陣のような模様が描かれていた。棒の高さはおよそ百五十センチほどだろうか、地中に埋まっている分も考えるともう少し長そうだ。この棒がカトレアの言っていた呪いの杭だろう。俺の手で抜けそうなくらいの大きさで良かった。
俺はナイフを左右に振って杭の周囲を確認する。杭があるということはここが最深部なのだろうか。途中で魔物に会うかもしれないと思っていたが、魔物も殺してしまうのか、あるいは魔物が本能的にこの洞窟を避けているのかは分からないが、結局出会ったのは白骨の山だけであった。ひとまずは無事にここまで到達できて良かった。最凶の呪いである『魂喰』の目の前まで来たが、今の所身体に異常はない。ただ、目の前の杭からは得も言われぬ様な禍々しさが漂っていた。とにかく、ここに長居したくはない。さっさと済ませてしまった方が良さそうだ。
「ふっ!」
俺はナイフを構えて軽く雷を杭に飛ばした。すると、雷は杭に接触することもなく、まるで見えない壁に弾かれるようにして消えていった。試しに攻撃して見たが、カトレアが言っていたように魔力で攻撃しても弾かれてしまうようだ。
「抜くしかないか……」
俺は呼吸を整えてから杭に向き直ると、空いた左手でそっと杭を握った。
「痛っ⁉」
突然、掌を襲った痛みに俺は反射的に手を離した。ナイフを近づけて掌を見ると、触れた部分の皮が少し剥けていた。どうやら、呪いの杭は触れることでダメージも与えてくるようだ。だが、それで諦めてなどいられない。俺は再び左手で杭を掴んだ。
「ぐっ!」
掌を走る痛みに耐えながらも握る手に力を込めて杭を引くが、しっかり刺さっているのか、片手では引き抜けそうもなかった。
俺はまた手を放して掌を確認した。その掌は焼け爛れたように皮がずる剥けになっており、かなり痛々しい様子になっていた。
「クソッ! やってやるよ!」
右手のナイフを腰に差し、両腕をぶらぶらと振って息を吐く。俺は呪いの杭に恐怖を通り越して腹立ちすら覚えていた。こうなりゃ意地でも引っこ抜いてやらなきゃ気が済まない。やけになった俺は暗闇の中、両手で杭を握った。
「ううっ!」
両手を激しい痛みが襲うが、俺は一層力を込めて杭を引き抜こうとする。杭はかなり固く刺さっており、簡単には抜けそうもない。それでも、力を込め続けていると微かにぐらついた感触がした。
「っがああああああ!」
俺は杭を握る手に更なる力を込めて体重を後ろに傾ける。両手の感覚はほぼなく、痛みによって握っていることを意識しながら身体全体で杭に力を加えた。すると、少しずつだが確実に杭が上へずれる感触があった。俺は一層の力を込めてそのまま踏ん張った。
「いい加減っ抜けろ!」
最後の力を振り絞って身体を後ろに傾けた瞬間、杭は勢いよく地面から抜けて俺はその勢いのまま後ろに倒れた。
「がはっ!」
思い切り倒れて背中を打ちつけた衝撃で肺の空気の大部分が口から零れた。その拍子に握っていた杭は宙に放り出され、カランとどこかに落ちた音がした。満身創痍になった俺は暗闇の中、起き上がることができずにしばらく仰向けで倒れていた。
目を閉じても目を開けても変わらないほどの真っ暗闇の中、不意に辺りに仄かな明かりが灯った。首だけを持ち上げて明かりの方に目を向けると、そこにはカトレアの姿があった。
「無事で良かった……。本当にやったんだね」
カトレアは感極まったような表情をして俺に歩み寄ってきた。彼女が近づくほどに片手に持ったランタンの明かりが眩く感じる。
「ああ。あんま実感湧かないけど、カトレアがいるってことは本当にやれたのか俺」
俺は脱力して地に身体を預けたまま安心感で表情を緩める。
「いっ!」
安心して力が抜けたためか、突然襲って来た両手の痛みに俺は顔をしかめた。両掌を確認するとボロボロに抉れており、肉だけでなく指の骨までが少しだけ見えている。溶けたのか焼けたのかは分からないが、何にせよ痛々しい。
「どうしたんだその手⁈」
俺の手を見たカトレアは心配した様子で俺の横にしゃがみ込むと、ランタンを置き、俺の両手を取ってその様子をまじまじと確認した。
「思いっきり杭を握ったらこうなっちまった」
俺は痛みに顔をしかめながらも強がって笑って見せた。
「全く君ってやつは、こんな無茶して」
カトレアは呆れたようにそう言って自身の両手を俺の手にかざした。その手から放たれた淡い光が俺の傷に当たると徐々にその傷が癒えていく。
「ま、今無茶しなかったらいつするんだって話だ」
俺が余裕ぶってそう言うと、カトレアはふっと笑みを零した。
「その行動力で君はおよそ三百年間誰にも解けなかった呪いを解いた英雄になったわけだ」
「英雄かぁ」
カトレアの言葉に俺は顔を綻ばせた。恩人であるカトレアのためだけにやったことではあったが、英雄と呼ばれるのは悪くない。
「まあ、おとぎ話で怪物に変わっていたくらいだから、もうこんな辺境の呪いを知っている人間は多くないかもしれないけどね」
「なんだよ……」
俺は少しがっかりしてそう呟いた。
「でも、私にとっては紛れもなく英雄さ。本当にありがとう」
カトレアはそう言って俺に笑いかけた。珍しく心の底から感謝する彼女に俺は少し面食らってしまった。
「なら、まあいいか」
照れを隠すようにそう言って俺は鼻をかく。気恥ずかしさはあるが、彼女にとっての英雄になれたのならそれも悪くはないだろう。
「ほら、治ったよ」
カトレアに言われて自分の両手に目を落とすと、あれだけボロボロだった掌はすっかり元通りになっていた。傷の癒えた右掌には印も消えていた。
「なあ、あの従属の紋ってやつ消えちゃってるみたいなんだけど」
俺は上半身を起こして右掌をカトレアに見せた。
「ああ、
「魂分の紋?」
聞きなれない言葉に俺は首をかしげる。
「実は、あの紋は本当は従属の紋じゃないんだ。そもそも、従属の紋なんてものは存在しないんだよ」
カトレアはひらひらと手を振ってそう答えた。
「え、じゃあ本当はどんなものなんだ?」
「術者の魔力を紋から対象に流すだけの魔法さ。私が先代の魔女の魔力をもらった時にもこの魔法を使ったんだ。君にかけたのはちょっと改変してあるけど」
「改変?」
「本来は魔力が印から対象の体内に流れるんだけど、君のは印から外に放出されるようにしてあっただろう? 魔力を魔法に変換する回路を持っていない君にはその方が良いと思ったんだ」
カトレアは自分の右掌をつついて見せた。会って間もない時から紋を刻まれていたが、どうやら結構考えられていたようだ。だが、紋を刻まれた直後にその説明では腑に落ちない出来事があったはずである。
「じゃあ、大猪を狩った時に俺の身体を操ったのは何だったんだよ?」
「君の身体を操ったのは別の魔法だね。『従属の紋』として信じ込ませるためのミスリードさ」
カトレアはそう言うとランタンを取って立ち上がり腰に手を当てる。つられて顔を上げると、目に入った彼女の顔にはいたずらな笑みが浮かんでいた。すっかりしてやられたようだ。
「はぁ、まんまと騙されたぜ……。でも、なんで従属の紋なんて嘘ついたんだ?」
「君がどこかへ行ってしまったりしないようにと思ってね。でも、もう偽る必要はなくなったから」
そう言うカトレアはどこか晴れ晴れとした様子だった。
「どうしてそう思ったんだ?」
「だって、ここに来る前に君が言っただろう? 私を独りにはしないって」
そう言ってカトレアは俺に右手を差し出した。格好つけて口に出したことを掘り返されると流石に気恥ずかしいが、彼女の晴れやかな表情を見ていると言って良かったと思わなくもない。
「そうだったな」
俺は差し出された手を掴んで立ち上がった。立ち上がってからも彼女の手を握っていると、次第に自分の掌に熱が走る。初めて会った時はこの熱さに驚いて手を引こうとしたが、今ではこの熱さもどこか心地良く感じる。少なくともあの杭を握った時と比べたら百倍ましだ。
熱が収まってから手を放して自分の右掌を見ると、そこには以前よりも鮮やかな赤色の紋が刻まれていた。その印を見ているとどこか力が湧いてくるようだ。
「それじゃあ、これからもよろしく。裕太」
カトレアはそう言って微笑んだ。
異世界と魔女 名枕 寂介 @SBACAPT
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。異世界と魔女の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます