第9話
バニラと別れた後、俺は指輪の光を辿りながら平原を歩いていた。日が傾き始めてオレンジ色に照らされた草むらは眩しく輝いて見える。
しばらく歩いていると、光の先に立つカトレアの姿が見えた。
「彼女は無事か?」
カトレアは気がかりといった様子で尋ねてきた。
「ああ、ブローチも返したし、ちゃんと村まで送り届けたぞ」
その言葉を聞いてカトレアはふっと息を吐いた。
「そうか。良かった」
「心底安心したって感じだな。何だったんだよあのブローチ」
「あれは魔物除けの魔法を施したものなんだ。万能ってわけじゃないが、ここら辺に生息する魔物には効く」
俺の問いにカトレアは腕を組んで答えた。
「だからあんなに焦ってたのか。そもそも、どうして彼女一人で薬を買いに来るんだ?」
「さっきも言ったけど、村人は半ば諦めているんだよ。それくらいバニラの母の病状は重いんだ。私の薬だって延命処置に過ぎない。そんな彼女のために危険を冒したがる人間はいないってことだ」
「そんな! その結果あんな小さい子がたった一人で外に出てるんだぞ!」
魔物に襲われ震えていた彼女を思い出し、俺は思わず声を荒げてしまった。
「そんなに言ってやるなよ。勝手に村を抜け出してしまったバニラも悪いし、村人の気持ちも分からなくはないだろ?」
カトレアはそんな俺を諭すような口調で言った。
「でも、魔物除けもあるんだし、薬を買いに行くのにはついて来てもいいだろ」
「まあ、一番の理由として、村人は私のことを恐れているんだろうね」
カトレアは遠くを見てぽつりと呟いた。
「え?」
「バニラは直接私に会っているが、他の村人は伝承でしか私のことを知らない。そんな得体の知れない魔女ってやつに会うのが恐ろしいんだろう」
「それ、怪物を見張ってるって話だろ。その伝承って一体何なんだ?」
俺はバニラの言っていた話を思い出してカトレアに尋ねた。
「ああ、バニラから聞いたんだろう? どうやら、今は怪物ってことになっているみたいだね。うん、そっちの方が分かりやすい」
カトレアはうんうんと頷きながら言う。
「今はってことは昔は違ったってことか?」
「その通り。本当は怪物じゃなくて呪いなんだよ」
「呪い?」
俺は訝しんで呟いた。怪物と聞くと昔話やおとぎ話っぽく感じるが、それが呪いに変わると一気にオカルトっぽく聞こえてくる。
「そう。まあ、見張っておかなくちゃいけないのは合っている。いや、正確に言えば抑えているって言った方が良いか」
「家からあまり離れられないとか先に行けないとかって言ってたのもそれが原因なのか?」
「うん、家から少し離れた場所にある洞窟の中にその呪いを抑え込んでいてね。それも、この世界で最も強力な呪いだ」
「最も強力って、どんな呪いなんだ?」
カトレアは少し間をおいてゆっくりと口を開いた。
「『この世界に生まれた全ての人を殺す呪い』だよ」
「なっ?」
俺はカトレアの言葉に息を呑む。誰が掛けた呪いなのかは知らないが、物騒この上ない。
「魔法の名は
カトレアは眉間にしわを寄せて腕を組んだ。彼女のこんな難しそうな表情は初めて見る。
「その呪いは放っておけば少しずつ広がり、いずれ世界全体を蝕むことになる」
「まじかよ……。それって相当やばいじゃんか」
カトレアの言っていることのスケールが大きすぎていまいち現実味が湧かないが、『この世界に生まれた全ての人を殺す呪い』なんてものが世界全体に広がってしまったら人類滅亡まっしぐらだ。
「ああ、相当やばいよ。私の役割はその呪いが広がらないように抑えることなんだ。この老いない身体と膨大な魔力でね」
カトレアはそう言って自嘲的な笑みを浮かべた。
「呪いを消すことはできないのか?」
「できるならとっくにやってるさ」
俺の問いにカトレアは間髪入れずに答えた。
「魂喰はあらゆる魔法や物理攻撃を弾いてしまう。唯一呪いを解く方法は杭を抜くことだが、杭に触れられるほど近く、いや、杭が目視できる場所まで近づいてしまえば私でさえあっという間に死ぬ」
「でも、何とかできないか? ほかに呪いを解く方法を探したりさ」
「なんともならないね。でも、別に良いじゃないか。百年の間私が抑え続けてきたし、これから先も私が呪いを抑え続けるんだ」
カトレアはそう言って笑ったが、それは今までのどの作り笑いよりもあからさまなものであった。彼女の眼は明らかに憂いの色を帯びている。
「お前はそれでいいのか? 呪いを封じ込める役割を一人で担って、どこへも行けずにこの地に縛り付けられて」
「君に私の何が分かるんだ?」
カトレアは俺の言葉を遮るように声を荒げた。その姿を見た俺は面食らって言葉を呑んだ。少し、いや、結構言い過ぎてしまったか。彼女だって長い間、それこそ百年もの月日で呪いと向き合ってのに、知ったような口をきいて彼女の気分を害してしまった。
「ごめん……。勝手なこと言い過ぎた」
「いいんだよ。これは私の業なんだ。魔女になったあの日から、私の時間は止まったままなんだ。それはこれからもずっと……」
カトレアはそこまで言って口をつぐんだ。その表情は寂しくて、切ないものだった。
カトレアの言う通り、俺は彼女のことを何も知らないのかもしれない。それでも、今みたいな彼女の表情は見たくないし、彼女にそんな表情をさせたくない。命を救われ、一か月の間彼女と暮らしてきて、俺は自分が思っている以上に彼女に入れ込んでいたみたいだ。でも、そのために俺ができることなんてあるのか?
「俺は……」
「この話はもうやめよう。ほら、帰って夕飯にしようか」
カトレアは俺の言葉を遮るようにそう言うと、俺の手を取って転移魔法を使用した。カトレアのその様子はいつもの態度を取り繕っているように見えた。
夜も更けて森には厚みのある影が落ちている。しかし、頭上に広がる星の海が煌々と辺りを照らし、俺の腰かけるベンチの周囲は比較的明るい。俺は家の二階にあるバルコニーで夜空を見上げていた。今日の夕方にカトレアから聞いた話がずっと頭に残って、どうにも眼が冴えてしまった。
「眠れないのかい?」
廊下へ続くドアが開いたかと思うと、中からカトレアが出てきた。
「ああ。ちょっと考え事してて」
俺は彼女に目を向けて言った。森から吹いて来る涼し気な夜風が俺たちの頬を撫で、髪をなびかせる。
「まさか、私のこと考えてたんじゃないだろうね?」
カトレアは腕を組んで冗談っぽく言った。
「そうだよ」
俺は素直に淀みなくそうやって答えた。実際に考えていたのは紛れもなく彼女のことだった。
「そっか」
カトレアは俺の返事を聞いて少し驚いたような表情を見せたが、すぐに柔和な笑みを浮かべて呟いた。
「それじゃあ、眠れない君のためにおとぎ話を聞かせてあげよう」
カトレアはそう言って俺の横に腰かけると、空を見上げてゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
昔々の大昔、この世界ではとっても大きな戦争が起きていました。
そこでは、一人でも多くの人を殺すため、皆が色々な魔法を開発して、それによって沢山の人が死んでいきました。
そんな戦争も終わりが見えてきたとき、ある集団が恐るべき魔法を作り出しました。
それは、『この世界に生まれた全ての人を殺す呪い』でした。
呪いは地に根を張り、辺りの命を一瞬で奪っていきました。
戦争は終わり、呪いを作った人たちがみんな死んでもなお、呪いは残り続けて世界に根をのばしていきました。
そんなとき、ある一人の魔女が現れました。
魔女は呪いを少しずつ少しずつ抑えこんでいきました。
魔女のおかげで呪いは徐々に収まっていきました。
それでも、呪いを完全になくすことはできませんでした。
そのため、魔女は悠久の寿命をもって呪いを抑え続けることにしましたとさ。
「呪いは戦争の傷跡だったのか……」
俺はため息交じりに呟いた。カトレアの語ったおとぎ話はおそらくこの世界で本当に起こったことなのだろう。戦争というのはどんなものであっても世界に傷を残すものなのか。だが、この世界の傷は相当
「村に伝わっているのはこんな話だ。まあ、今は呪いが怪物に変わっていたり、時間が経つにつれてちょっとずつ内容が変わっているみたいだけどね」
カトレアはそう言って面白そうに笑う。俺はその顔をただ見つめていた。
「でも、この話には続きがあるんだ」
「続き?」
「そ。これはきっと村にも伝わっていない話だ」
カトレアは記憶を辿るように再び夜空を見上げると、穏やかな声色で語り始めた。
魔女が呪いを抑え始めてから二百年ほどが経った頃、魔女の住む森の中に一人のある少女が訪れました。
少女はお母さんが大好きで、少女の一番の楽しみは夜眠る前にお母さんがしてくれた読み聞かせでした。
しかし、ある時少女のお母さんは重い病気に罹ってしまいました。
村の皆が諦める中、少女は大好きなお母さんに元気になって欲しくて、一人で薬草を採りに村を出て、魔女のいる森へと来てしまっていたのでした。
運良く魔物に襲われずに森を行く少女でしたが、慣れない土地に迷い込み、気付かぬうちに呪いを抑え込んだ洞窟へと入ってしまいました。
それに気づいた魔女によって少女は保護されたものの、既に少女は呪いに蝕まれていました。
魔女が懸命な処置を施しても呪いを癒すことはできず、少女の命はあと半年のものになっていました。
魔女が少女のお母さんにそのことを伝えたところ、少女のお母さんは少女を何とか生かせないかと懇願しました。
それを聞いた魔女は少女のお母さんと取引をしました。
その内容は少女を生かす代わりに自分の役割を少女に託すというものでした。
少女のお母さんはその提案を飲み、少女を魔女に託しました。
少女を託された魔女は、残された時間で自分の知識、技術、魔法のすべてを少女に伝承しました。
そして、最後には自分の魔力、命、業を少女に与え、魔女は永遠の眠りに着きました。
魔女のすべてを託された少女は新たな魔女になったのです。
「……」
話を聞き終えた俺は言葉が出てこなかった。明言はされなかったが、今語られた続きの話はきっとカトレア自身の物語なのだろう。元は普通の少女であった彼女が生き続ける代わりに悠久の業に縛られた物語。カトレアは半ば強制的に生かされ、永遠というものに囚われてしまったようだ。
「これでおとぎ話は終わりだ。どうだい? 退屈で眠たくなったんじゃないかな?」
そう言ってカトレアは俺に目を向けた。その様子は普段冗談を言う時のような茶化したものだった。
「いや、かなり興味深い話だった。興味が湧いちまって余計に寝られなさそうだ」
俺はカトレアの調子に合わせて冗談っぽく言ったが、その言葉は本心から出たものだった。
「そうかい。興味を持ってくれたのは嬉しいけど眠れないんじゃ本末転倒ってやつかな?」
カトレアはクスリと笑う。俺はそんな彼女を見て、ふと湧き上がってきた疑問を口に出した。
「今の話で魔女になった少女って、物置の掃除のときに言ってた人と同じか?」
「急にどうしたんだい?」
俺の問いにカトレアは目を丸くした。質問の意図を掴みかねているのか、戸惑いの目を俺に向ける。
「『旅路の詩』って本あったろ? あれ、ある少女の思い出の本だって言ってたからさ。もしかしたらその少女と魔女になった少女は一緒なのかなって」
俺はあえて話の少女がカトレアのことなのかを聞かず、遠回りに尋ねた。先程のおとぎ話で、カトレアが魔女になる前の自分のことを『ある少女』と呼称していたため、物置での話も彼女自身の話だったのではないかと感じた。それは自身のことを語る気恥ずかしさによるものかもしれないが、カトレアが魔女になった経緯を考えるとそれだけではないような気もしてくる。魔女となったカトレアはもう魔女になる前の、ただの少女であったカトレアではいられなかったのだろう。だからこそ、魔女になる以前のカトレアを今の自分としてではなく、ある少女として過去形で語っているのかもしれない。
「……ああ、そうだよ。彼女の夢はあの本みたいに世界中を旅してまわることだったんだ。今はもう叶わないけどね」
カトレアは再び微笑みを浮かべて頷いた。だが、その表情にはどこか哀愁の色が垣間見えた。彼女のそんな寂しげな表情に俺はどうしようもなくやるせない気持ちになる。
「変なこと聞くけどさ、カトレアは死んでた方がましだったと思ったことはあるのか?」
俺は彼女から目を外して呟くように尋ねた。一所に留まり続けて永遠の時を過ごすという現在の生き方は、魔女になる前の彼女の夢とは真逆の生き方だ。夢を絶たれ、永遠に生き続けなければならない彼女は絶望したりしなかったのだろうか。
「また突然だね」
カトレアは唐突な質問ばかり繰り返す俺に苦笑して口を開いた。
「ないさ、って言い切りたいんだけどね、ちょっとは考えたこともあるよ」
カトレアは遠くの空を見つめてそう言った。
「そうか」
俺も夜空を見上げて相槌を打つ。今の彼女の生は決して彼女自身が望んで与えられたものではなかったのだろう。それでも、与えられた使命を果たすために今まで生きてきたのだろうか。そうだとすれば、彼女は相当責任感が強い人だ。
「でも、俺はカトレアが今まで生き続けてくれて良かったって心底思ってるよ」
俺は真剣な眼差しをカトレアに向けた。命と共に永遠の業を与えられたカトレアは決して幸福ではなかったのだろう。けれど、それでも彼女が生き続けていてくれたことで、俺は彼女に出会うことができた。そのことに対して、少なくとも俺は良かったと思っている。まあ、そんなことは彼女にとってなんの慰めにもならないだろうが。
「君はそんなことをよく恥ずかしげもなく言えるなあ」
カトレアは感心した様子でそう言った。その声には気恥ずかしさのようなものが感じられたような気がする。
「本当にそう思ってるからな」
「それでも、口に出すのは躊躇うもんだろう」
カトレアはそう言って笑った。その表情に先程の憂いはなく、普段の様子に戻っているみたいだった。
「なあ、さっきの少女の夢が叶うかもって言ったらどうする?」
俺は独り言のようにぽつりと呟いた。
「え?」
カトレアは俺の言葉に目を見開く。それは今までのどの反応よりも良い反応だった。
「どういうことだい?」
カトレアは言葉の真意を探るように俺の顔を覗いて尋ねた。
「いや、やっぱりなんでもない。今の言葉は忘れてくれ」
俺はそう言って歯を見せるように笑った。
「はあ……。まったく、思わせぶりだなぁ」
カトレアは呆れたように溜息を吐いた。
「なんだか眠くなってきたな。カトレアのおかげで今日はよく眠れそうだ」
俺はそう言って大きくあくびをした。
「さっきは興味が湧いて眠れないとか言ってなかったかい?」
「さあ、そんなこと言ったかな」
俺はカトレアを真似るように言って笑った。そんな俺のことをカトレアは半目で見ていた。
「君って意外と根に持つ
「いやいやそんなことないよ」
俺は立ち上がって伸びをすると中へ続く扉へと向かった。
「まあでも、今日は色々話してくれてありがとな。おかげでカトレアのこと、少しは知ることができたぜ」
「君がそう言ってくれるなら、まあ、話して良かったかな」
俺の言葉を受けてカトレアはふっと笑った。
「それじゃあ、おやすみ」
「ああ、また明日」
カトレアと挨拶を交わし合って家の中に入る。カトレアはまだベンチに腰かけていた。今日のカトレアの話で、俺の中には一つの決意が芽生えていた。俺はその意思を固めるように拳をきつく握る。
「また明日、な……」
俺は廊下の明かりを点けて寝室へと向かった。
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