第8話

「薬を売りに行く?」


 俺はナイフを磨きながら聞き返した。俺の座る向かいの席にいるカトレアはゴリゴリと何かをすり潰していた。


「ああ、月に一回くらいの頻度で決まってこの近くの村の人間が薬を買いに来るんだ。それが今日ってわけ」


 カトレアはそう言いながらすり潰した粉を複数の小瓶に少しずつ注いで栓をした。


「月一って、俺と初めて会った時に他人と話すのは久しぶりって言ってなかったか?」


「さあ、そんなこと言ったかな」


 カトレアは白々しい態度で答えた。


「適当だな……。まあいいけど」


 俺はため息交じりにそう言ってナイフを仕舞った。


「これが魔女特製の薬ってやつか」


 俺は粉を注がれた小瓶の一つを手に取って眺める。深緑色のガラス瓶の中身は不明瞭だが、振ってみると中の粉が動くような感触がした。


「まあそんなところだ」


 カトレアは傍に置いてあった籠に瓶を並べるように詰めていった。


「なあ、それ俺もついて行っていいか?」


 俺はテーブルに乗り出すように手をついて言った。


「やけに乗り気だね。そんなに気になるのかい?」


 急に立ち上がったからか、カトレアは俺の様子に少し引き気味な様子だ。


「そりゃもう。薬を売るってことは人と会うんだろ?」


 俺は嬉々としてそう言った。この世界に来てから、まだカトレア以外の人間を見ていなかった。カトレアは魔女として人里から離れて生活しているため、近くに村や町はなく、この辺りを通りがかる人間を見たこともない。そのため、今回は初めてカトレア以外の人間と会うことができる機会であった。


「そうだね。ま、君を紹介しておいても良いだろう」


 カトレアは瓶を全て詰め終え籠の蓋を閉じると、取っ手を持って立ち上がり俺の前に籠を突き出した。


「じゃあ、これを持って。すぐ出発だ」


「あ、ああ」


 俺はカトレアからそっと籠を受け取る。


 俺に籠を渡したカトレアはそのまま玄関の方へ歩いていき、ドアを開けて振り返った。


「さ、行こうか」




 転移魔法で訪れたのは俺がこの世界で初めて目が覚めた時のような平原だった。


「薬売るって聞いたからてっきり町に行くのかと思ってたんだが、なんでこんななんもない所に出てきたんだ?」


「あっちの方にまっすぐ進むと村があるんだが、訳あって私は家からあんまり離れられないんだ。だから、村に近づけるぎりぎりの場所まで来たってわけ」


 カトレアは遠くの方を指さしてそう言った。


 俺が指の方へ目を向けると、その方角からこちらに向かってくる一人の人影が見えた。その人影はこちらに気付いたかのような素振りを見せて駆け足で近づいてくる。


「子供?」


 やって来たのはおよそ十歳程度に思える少女だった。亜麻色の髪を後ろで三つ編みにしており、若草色をした半袖のワンピースをひらひらとなびかせている。全体的に素朴な印象だが、胸に付いた綺麗な花型のブローチが目を引いた。


「こんにちは、魔女のお姉さん!」


 少女は目の前までやって来ると元気良く挨拶した。その笑顔には年相応な愛らしさとはつらつさが感じられる。


「よく来たね、バニラ」


 カトレアは穏やかな微笑みを浮かべた。それは今まで俺に向けられてきたどの表情とも違っているように見える。


「あれ、そっちのお兄さんはだれ?」


 バニラと呼ばれた少女は見知らぬ顔を前にして頭にはてなマークを浮かべていた。


「彼は私の助手みたいなものだよ」


「そうなんだ、初めまして! 私はバニラ、よろしくお願いします!」


 バニラは俺に向き直ると満面の笑みを浮かべた。


「あ、ああ。よろしく、バニラちゃん」


 俺はバニラのあまりにも無邪気なその笑顔にたじろぎながらも微笑みを浮かべた。


「なんだそのぎこちない顔は」


 カトレアは呆れたように横目で俺を見る。


「ほっとけ」


 俺は恥ずかしくなってぶっきらぼうにカトレアから目を逸らした。そんな俺たちの様子を心配してか、バニラは不安げな顔をして俺とカトレアを交互に見た。


「ああ、そんなに心配そうな顔しなくても良い。ふざけ合っているだけだよ。そんなことよりほら、今月の分だ」


 カトレアは俺から籠を奪うと屈んでバニラに手渡した。バニラはその籠を受け取ると再び満面の笑みを見せる。


「ありがとう! お姉さん!」


 元気に歯を見せてそう言ったバニラはワンピースのポケットをごそごそと漁った。


「あ、あった。はいどうぞ」


 バニラが出したのは銀色をした一枚のコインだった。カトレアが手を差し出すと、バニラはその掌にチョンとコインを置いた。


「うん、確かに」


 カトレアはコインが乗った手を軽く握った。そのコインはおそらくこの世界の通貨なのだろう。俺にはこの世界の通貨や物価のことなんて分からないが、あの量の薬に対してこの支払いというのはなかなかに破格なんじゃないだろうか。


「それじゃあ、またね! 魔女のお姉さんと助手さん!」


「ああ、気をつけて帰るんだよ」


 元気良く別れを告げたバニラは持ち手があるのにも関わらず籠を大事そうに抱えて去って行った。


「まさか、薬を売る相手があんな子供だとは思わなかったぞ」


 俺は去っていく彼女の背を見送りながら呟いた。


「本来は商売なんてしないんだけどね。彼女と初めて会ったのは家の近くの森だったんだ」


「家の近く? あの子がそんな場所まで来ていたのか?」


 あんな子供が魔物の出る森まで訪れていたなんて驚きだ。そもそも、どうして滅多に人が寄り付かないようなあの場所に訪れたのだろう。


「彼女の母が病を患っていてね。彼女は母のために薬草を採りに来ていたんだ」


「薬草か……。市場とかじゃ買えないのか?」


「薬草なら買えると思うよ。だが、話を聞いた限り彼女の母の容態は深刻で薬草じゃ焼け石に水って感じみたいだ。多分他の村人もそれを感じ取っているし、医者のいる町まではかなり遠いからバニラ以外の全員が半ば諦めていたんだろう」


「諦めきれずに自ら薬草を採りに行ったってことか」


 俺はカトレアの話に歯がゆさを覚えた。母を助けたいバニラの気持ちも分かるし、それでもどうにもならない境遇というのは心苦しい。


「そうだね。魔物に襲われる前に彼女を見つけられて良かったよ」


 カトレアはどこか遠い目をしていた。


「彼女から理由を聞いてから、私が彼女に薬を持たせて彼女の母に手紙も書いたよ。そうしたら、無償で薬をもらうのは申し訳ないと言われてね、こんな感じで商売の体にしたんだ」


「そんな経緯があったのか……。ん?」


 そう言って俺が俯いた時、足元にきらりと光るものがあった。しゃがんでそれを手に取ると、バニラが付けていたブローチだった。


「彼女のものだ」


 俺が拾い上げたブローチを見たカトレアの顔はみるみると青ざめていった。


「早く彼女に届けてあげてくれ。私はここから先に行けないんだ」


「先に行けないってどういう……」


「いいから早く!」


 急に声を上げたカトレアに面食らいながらも、俺は全速力で走り出した。


「後で絶対理由を聞くからな!」


 あそこまで感情を表に出すカトレアを見たのは初めてであった。ブローチ一個を落とした程度でカトレアがあそこまで焦るなんて、一体このブローチに何があるのだろうか。


 バニラが歩いて行った方向に全力で走っていくと遠くに彼女の姿を確認できた。彼女の周りには狼のような三匹の魔物がおり、取り囲むようにしてじりじりと近づいているようだった。どうやら相当まずい状況らしい。


 俺は全力疾走しながら腰のナイフを引き抜いた。露になった刀身は早速電気を帯び始める。


 その瞬間、奥の魔物がバニラに向かって大きく飛び上がった。


「きゃあっ!」


 バニラが悲鳴を上げて尻もちをついた。それにより、バニラの影にいた魔物の姿がはっきりと捉えられた。


 ――今だ!


 俺は勢いよくナイフを突き出した。その切っ先から雷がほとばしり、魔物に被弾して弾けた。空中で雷を食らった狼は後方へ吹き飛んでどさりと地に落ちる。


「え?」


 バニラは何が起きているのか分からないといった様子で素っ頓狂な声を上げ、バニラを睨んでいた二匹の魔物は驚いたように俺の方を向いて警戒する素振りを見せる。


「もう一発!」


 バニラから遠い方の魔物に照準を合わせて再び雷を放つ。その雷のスピードに魔物は避けることもできずに直撃して吹っ飛んだ。


「もう大丈夫だ!」


 俺はバニラの傍まで来ると最後の魔物と彼女との間に立ちナイフを構えた。だが、魔物は後ずさりすると振り返って走り去ってしまった。仲間が全員やられたため逃げてくれたようだ。


「ふう、怪我はないか?」


 ナイフを仕舞ってバニラの方を向いた。尻もちを突いてはいたものの、見たところ怪我はないように見える。


「うん、大丈夫」


 そう言ってバニラは立とうとしたが、どうやら腰を抜かしてしまっているらしく、うまく立ちあがれないようだった。


「あれ、立てないや」


 そう言ったバニラの声は震えていた。こんな年端もいかぬ少女が一人で魔物に襲われたんだ。怖くないわけないだろう。


「ほら、つかまって」


 俺はしゃがんでバニラに背を向ける。彼女がつかまるのを確認すると、脚を持って立ち上がった。


「ありがとうお兄さん」


 バニラはぽつりと呟いた。その声に先ほどの元気はないが、無事でよかった。


「そうだ。ほら、落とし物だよ」


 俺は片手でバニラを支えながらブローチを取り出して彼女に手渡した。


「あ! 落としちゃってたんだ。留め具が外れちゃったのかな」


 バニラは俺からブローチを受け取ると大事そうにきゅっと握りしめた。


「それ、魔女からもらったんだっけ」


「うん! これをつけると安心だからって。すごくきれいで気に入ってたのに落としちゃってたなんて」


 顔は見えないが、バニラはしょんぼりしたような声だった。


「まあ、こうしてちゃんと戻って来たんだし、次は落とさないように気をつけるんだよ」


 俺は慰めるような言葉をかけた。


「うん! ありがとう!」


 バニラの声は一転して明るくなった。元気を取り戻してくれたのなら何よりだ。俺は彼女を背負いながら彼女の指す方へ歩を進めた。


「やっぱり助手のお兄さんも魔法を使えるんだね! お兄さんも魔女なの?」


「魔女ではないかな。男だし」


 そう言って俺は苦笑した。本当は魔法も使えるわけではないが、それを説明するのも格好がつかないのであえて口に出さないでおいた。


「でも、あんなに強いのに北の洞窟の怪物はやっつけられないの?」


「怪物? 何のことだ?」


 不意にバニラの口から出たその言葉が俺の興味を惹いた。


「お母さんから聞いたお話だよ。大昔に暴れてた怪物を魔女さんが北の洞窟に閉じこめて、それからずっと近くで怪物が起きないように見張ってるって。助手のお兄さんは知らないの?」


「あ、ああ。俺はこっちに来たばっかりだからな」


 俺はバニラの疑問にそう答えた。嘘を吐いてはいない。実際にこちらの世界に来てからまだ一か月だ。それでも、カトレアからそんな話は欠片も聞いたことがない。


「そうだったのね! 魔女さんは怪物を近くで見張っていないといけないからあの場所から離れられないってお話で、だからお兄さんが来たんだと思って」


「怪物を見張っていたか……。これは後でたっぷり聞かなきゃな」


 バニラを背負ってしばらく歩いていると村が見えてきた。長い木の板を連ねて立てられた壁に囲われており、入り口のような門の間から少しだけ村の様子が見える。


「ここまででいいかな?」


 俺はそう言ってバニラを下ろした。


「え? 村に行かないの? お礼もしたいのに」


 バニラは名残惜しそうに俺の方を見た。


「気持ちだけ受け取っておくよ。魔女を待たせているし、訊きたいこともできたしな」


「そっか。じゃあまたね! お兄さん!」


 バニラは手を振って村へと帰っていった。俺も手を振り返しながら彼女の後ろ姿を見送った。

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